やさしい獣の大好きな花


 日曜のお昼。街の一角にあるカフェの通りは人で賑わっていた。
 ―――にも関わらず。


「………。」
「………。」

 先ほど百々子が私服に着替えて仗助のもとまでやってきて「お待たせ」と言った後から数分は経った。二人は互いに俯きずっと沈黙のまま、ただ向き合って立っているだけだった。そろそろ通行人たちに「何やってんだ?」という視線を送られる頃。ようやく百々子が「行こうか」と控えめに提案した。そこで仗助がようやく自身の赤みのひかない顔を上げると、仗助が顔を上げて目があったことによりたちまち頬を染める百々子が目に入る。仗助はかわいいなぁ、と思いながら「おう」と短い返事をした。

♢♢♢

 トニオの店まで歩いてもそんなにかからない道ではあるが、この時は何故かとても長く感じた。やはり無言を貫いている二人は、互いに何を切り出せば良いのかを頭の中で必死に巡らせているのだろう。
 街中を抜けて閑静な住宅街を越えていくと、霊園につながる人気の少ない道が見えてくる。ちらほらと咲き狂う向日葵を視界の隅に入れながら仗助は前方から来る自転車が結構なスピードを出していることに気付いた。

「わっ!」

 自転車はベルを鳴らしながら猛スピードで歩道の内側を爆走して行った。車道側を仗助、その内側を百々子が歩いていたために、仗助は咄嗟に百々子の左腕を掴んで自分の方に抱き寄せる形で自転車から遠ざけた。

「ったく、危ねえな。大丈夫か、百々子…」

 そこまで言って仗助は今自分が抱き寄せた百々子を見下ろしていることに気付いた。自分の真下にある百々子の頭を見て、背の小ささや華奢な体であることはもちろん、いつも以上に密着した体が想像以上に柔らかくて、頭がそのことばかりになってしまった。
 見上げた百々子もまた仗助が自転車から避けさせてくれたことにときめきつつ、抱き寄せられ密着度が増したことで緊張がマックスになっていた。

「あ、あり、ありがとう…」
「おう…」

 側から見れば歩道で突然抱き寄せ合うカップルのように映っているのだろう。だが二人が離れないのは、このあとどうして良いか互いに分かっていないからであった。
 しかしこのむず痒いような雰囲気、せっかく互いが両想いだと気付けたにも関わらず恥ずかしくて目も合わせられなくなってしまっている自分に痺れを切らした仗助が突然自分で頬をばちんと叩いたので、百々子は驚きのあまり「え!?」と少し大きな声を出してしまう。

「いや、ちょっと気合い入れただけだ」
「気合い…?」

 そう言った時には仗助に覚悟はできていた。
 自分より小さな幅の百々子の肩を両手で優しく触れ、自分と対面する位置に誘導する。そうして仗助は大きな深呼吸をすると、ようやくまっすぐに百々子を見ることができた。

「さっきの、ウソじゃねえから」
「う、うん…分かってるよ?」
「俺、本気で百々子のこと、その…」
「……うん」

 覚悟は決めたはずなのに、どうしても「好き」の一言が出てこない。そんな自分が情けなく思った。この恥ずかしさを乗り越えなくては、と拳をきゅっと力強く握る。

「俺、本気で百々子のこと好きだから、」
「…っ、うん」

 百々子は目が熱くなるのを感じていた。視界が霞んできたので、今の初めて見る仗助の表情をちゃんと見たくて、一生懸命溢れる雫を拭う。
 仗助の頭には数日前の百々子とのやりとりがずっと残っていた。

『でもほんのちょっとだけ、みんなから仲間外れにされてるって思って、いじけてたんだよ』

 この言葉が仗助の頭の片隅にずっとあったのだ。

「だからもし次何かあったら、百々子に全部ちゃんと言う」
「…うん」
「そんで今度は百々子に辛い思いさせねえし、百々子のことも百々子が大切にしてるモンも、全部護るから」

 仗助はそこに救えなかった百々子の大切な兄のこともちゃんと含めていた。

「だから、俺と、付き合ってください」

 十六年生きてきた中で初めて紡ぐ言葉だった。言葉にして初めて込み上げてくる緊張感と不安を味わった。感情のままに百々子に告白をしてしまったが、万が一断られたら、という漠然とした不安が仗助に纏った。
 しかし百々子が仗助の手を取り、その程よい体温がやさしく包んだことにより、仗助の不安は解消された。

「ひとつだけ、約束してほしい」

 百々子は仗助のまっさらな手を何度も確認するように触った。その脳裏には先日の血塗れになった仗助がいた。あの時の仗助が百々子にとっても衝撃で、もう二度とあんな姿の仗助を見たくないと思っていたのだ。

「もうあんな無茶なこと、絶対にしないで」

 百々子の想いはそのまま言葉になって紡がれる。

「あんなに傷だらけで、血もいっぱい出て。ああいう時は周りに任せて、仗助くんはちゃんと手当てしてもらわなきゃでしょ?」

 仗助はここに露伴がいれば嫌味なくらいに頷くだろうと確信した。

「傷は私が消せるかもしれない。でもその時、その瞬間の痛みや苦しみまでは、私の力じゃ消せないの」

 他の人は仗助のスタンドで傷も綺麗さっぱり治せてもらえる。でもその肝心の仗助は自分の傷は治せないにも関わらず、身を呈することに躊躇のない恐ろしさを百々子は分かっていてほしかったのだ。

「もう絶対に、あんな無茶なことしないって、約束してくれるなら、いいよ?」

 仗助はこんなにも自分のことを大切に想ってくれる人がいることに、これまでに感じたことのない幸福を得ていた。心の底から込み上げてくる幸せな気持ちと有難い気持ちを仗助は言葉でうまく表現できなかったので、代わりに自分よりもひと回りもふた回りも細い百々子の手首を引っ張って抱きしめる。今度は真正面から、しっかりと。

「ぜってー、約束する」
「…本当に?」
「ほんと。マジ。もうあんな無茶はしねえ」
「男に二言はないよね?」

 百々子のそのあまりにも一生懸命な姿に仗助は心の底からの幸せを感じた。思わず彼女の顔を両手で包み、「うん、二言はねえ」と白い歯を見せる。その言葉に百々子も微笑んでしまう。

「私、この前、捕まってるときに夢を見てね」
「…おう」
「形兄から私は、頑固でしつこくて変なところで不器用だって言われたんだけど、こんな私で本当にいいの?」
「そんなのとっくに知ってるし、知った上で百々子のことが好きなんですけど」

 仗助はこれまでに見てきた百々子の一面の数々を思い出す。今度はあっさりと好きだという言葉が出てきたことに仗助も百々子も恥ずかしがるのではなく、ただただこの幸せに笑い合っている。百々子が「そっか」と笑いながら言い、「やっぱり私見る目あるんだな」と兄との会話を回顧した。

「百々子」
「ん?な、…」

 何?と尋ねようとした百々子の言葉は途中で止まってしまう。百々子の目の前には画面いっぱいの仗助で埋め尽くされていた。やさしく包まれた両方の頬からじんわりと温もりを感じる。だがそれよりももっと温かさを感じるところがあった。話そうとしても、動かせない。百々子はこの感触を一度味わっている。

「……、わりィ」
「…いや、全然」

 少しだけ、触れるだけのそれはあっという間に離れてしまった。二人は一度キスをしているが、あれは状況的に不可抗力であったため、これが本当のファーストキスだということになる。せめてもう少し落ち着いたところで、語らずとも互いにそうすることに了承している状況で行った方がよかったのではないかと思う仗助は、先程の告白といい勢いのままに行動している自分自身に罰が悪そうに謝る。だが元より悪く思っていない百々子はそんなことで謝らなくてもいいのに、と思ってはいたが、うれしさと恥ずかしさで言葉にできずにいた。更に仗助が頬を赤くして「可愛くて、我慢できなかった」と素直に反省していたので、その真っ直ぐな言葉に百々子もまた頬を染める。

「うわぁ、俺情けねえ。めっちゃ恥ずい」

 改めて仗助がそう声を上げると、百々子も思わず吹き出してしまう。「いきなりだったからびっくりしちゃった」と戯けながらも、本当は百々子自身も嬉しかったりしたのだ。

 二人はようやくいつもの雰囲気に戻ったところで、皆が待っているトニオの店を目指した。
 先程まで何とも言えない距離感のあった二人の間は、互いの手と手を結ぶことで埋められた。やはり少し恥ずかしさや緊張はあるものの、その度に二人で目を合わせてははにかんでいた。

「あ!やっと来た!」
「言ってた時間より遅かったんじゃねェの?」

 トニオの店の扉にはCLOSEの札が下げられいたが、二人は構わず入る。すると康一と億泰がすぐに気付き、彼らの声かけから他の皆も仗助たちがやって来たことに気付いた。
 仗助は「わりぃ、遅くなった」と言って百々子と繋いだ手を見せつけるように少し上げる。百々子は照れ臭そうに笑っていた。

「え!?二人とももしかして!?」
「仗助ェ、お前ついに…!俺だけが残りモンになっちまったァ!」
「億泰くん、そうじゃないでしょ」

 康一と億泰の声を皮切りにいろんな人からの声が上がる。由花子やトニオ、未起隆、噴上とその取り巻きの女子たちからは祝福があった。その隣で悔しそうにする間田を玉美が慰めている。

「うれしいのぅ。新しく娘ができたようじゃ」
「ジ、ジジイ!それはちと気が早ぇよ」
「だが満更でも無さそうだな」
「承太郎さんまでやめてくださいッスよ〜」

 ジョセフと承太郎に揶揄われながらも、指摘された通り満更でも無さそうな仗助を見ながら、百々子が微笑んでいると、その隣に人の気配を感じた。

「君はもっと選べるくらい、魅力的な女性だと思ってるんだがな」

 そう言ってきたのは露伴だった。ほんのりと頬が染まっていたので、おそらく酒を飲んでいるのだろう。その証拠にグラスに入っている飲み物はほとんど無くなっていた。

「そんな。買い被りすぎですよ」
「僕は結構マジで言ってるんだぜ」
「そんなに煽ても何も出ませんよ?」

 露伴は酔っ払うとこんな感じになるんだな、と彼の話を受け流していると、露伴は急に大きなため息を吐く。

「"君のそういうところに惹かれたんだがね"」
「え?」

 そう言った露伴はグラスに残っていた酒を一気に飲み干した。そして赤く染まった頬のまま、きょとんとする百々子を見つめる。

「あれは割と冗談でもなかったつもりだったんだ」
「…??あの、露伴先生?」

 だいぶ酔ってますよね、と言う百々子は、あの時の露伴との会話を覚えていないのか、それともこれが全て露伴の冗談だと思って聞き流していているのか定かではなかった。露伴はそれを理解しながらさらに続ける。

 ―――僕には君にあんな表情をさせられないと思う。

 だが、それは露伴の心の中だけで囁かれた本音だった。

「せいぜい幸せになることだな」
「露伴先生、もっと素直な物言いできないんですか?」
「フン。これが僕なんだ。こう言ってやってるだけでも、有難いと思って欲しいくらいさ」
「思ってますよ。ありがとうございます。それに」

 その時思わず露伴は見惚れてしまった。

「そういうところが、露伴先生らしいと思ってますよ」

 そう言って百々子は仗助に呼ばれたために露伴のもとから離れる。

「露伴先生も素直じゃないですねぇ」

 そう指摘したのは康一だった。露伴の視線は仗助のもとにいる百々子を捉えたままである。

「いや、これでも素直に負けを認めた方だよ」
「え?」
「すごく良い顔だ」

 康一はその言葉に導かれるまま、承太郎やジョセフと話している百々子と仗助を見る。
 そこにはよく知るクラスメイトのはずなのに、全く別人のように見える百々子と仗助がいた。普段見せる表情と変わりはないのに、何故こんなにも新鮮に感じるのだろうか。康一は露伴の目にはきっとこんな風に見えていたのだ、と実感する。おそらく"すごく良い顔"とは、仗助のことも込みで言ったのだろう。

「本当ですね」

 康一と露伴の視界には、幸せいっぱいの顔をした二人が映る。康一たちから見られていることなど知らない百々子と仗助は、時折視線が合うと幸せを噛み締めるようにはにかんだ。

 その表情はこの世界で一番の幸せ者なんじゃあないかというくらいに、頬が緩んでいる。

 二人の物語は、これから始まるのだ。

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