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デートと言われても、まったく経験がないために何をもって「デート」というのかわからないと正直に沖矢に言えば、彼はにっこり笑って、異性とふたりでどこかへ行ったり楽しいと思うことをしたりするのがデートなのですよ、とまるで教授のようにさっぱりと年上のなまえに解いた。しかし、そう言われても尚更わからない。そもそも、自分の楽しいことが何なのかわからないという(そして、それははたして生きていて楽しいのかと逆に自問自答してしまうぐらいある意味で)哲学的な問題のような気がする。
しばらくいたずらに覆い被さっていた沖矢は、満足げに体を起こして元の態勢に戻りつつ、デートについての話を続けた。
「せっかくですからなまえさんの行きたいところに行きましょう。その方が楽しいでしょうしね」
「でも、それだと昴くんには楽しくないんじゃ」
「僕はあなたがいればどこでも楽しいですよ」
それは普通なら歯の浮くような台詞回しだっただろう。しかし、この沖矢昴という男なら言いかねない。なまえは頭を抱えながら声を絞り出すように、善処します、とだけ伝えた。
……さて、誰に相談しようかな。
相談役として白羽の矢を立てた相手と待ち合わせのため、なまえは一足お先に某有名コーヒーショップに来ていた。自分はまったく興味はないがイマドキの女子高生と待ち合わせするのには、ここが一番ふさわしい場所であると思えたからである。
仕事関係の論文に目を通しながら気長に彼女の登場を待っていると、相手は制服姿で時間通りにやって来た。それもなぜか、この場には似合わない「少年」を引き連れて。
「なまえさん、お久しぶりです!」
「こんにちは、なまえ姉ーちゃんっ!」
「蘭ちゃん……と、コナンくん」
「えへへ」
無垢すぎる弟はにこにこ微笑むと、生意気にも背の高いチェアによじ登るように座ってくる。なまえは蘭にお金を渡し、これで好きなもの買って来て、ととっさに頼んだ。もちろんこの、小さな名探偵様にも、だ。
「なんで新ちゃんが」
「仕方ねえだろ。そこで蘭と偶然会ったんだよ」
なまえはふいに思い出す。そういえば逆の立場だったが、最近まったく同じような会話を新一と電話でした。ような。
戻って来た蘭に、とりあえずはずっと忘れていた先日の片づけの礼を伝えた。そして、あらかじめ作って持って来ていたレモンパイを彼女に差し出す。これは蘭にも新一にとって特に思い入れのお菓子。学生時代は降谷や諸伏にも食べてもらったことのある、なまえの一番得意なお菓子でもある。
「わあっ、なまえさんのレモンパイだ! これ、新一も私もそうですけど、コナンくんも大好きなんですよ! ね、コナンくん!」
「うん!」
「そ、そっか」
「それで。私に相談ってどうかしたんですか?」
「ああ、うん。それがね」
渋々、なまえは蘭に順を追って話すことにした。沖矢昴とデートをすることになった、その経緯についてだ。
「ええっ! なまえさんが沖矢さんとデート!?」
蘭の絶叫につられるように、コナンはついオレンジジュースを吹き出しそうになった。こうなることが目に見えていたから、蘭にはふたりきりで会おうと連絡していたのに、新一め。どこにでも目ざとくついてくるんだから。なまえはそう思いながら、罰悪くコーヒーに口つける。第一、なぜ弟に異性とのデート話の相談事を聞かれなければならないのだろうか。
「なんか、成り行きで」
「で、なまえさんはどこに行きたいんですか?」
「行きたいところなんてないよ。監察医は激務だから休日はできるだけ部屋で寝ていたい」
色気ねー、という失礼な言葉がコナンの顔には書いて見える。
まあ、弟である彼としては、沖矢と自分の姉がつき合うことにまったく異議を持たなかった。むしろ沖矢なら世界で一番頼れる相手だろうという思いもあるし、前に少しだけ話を聞いたことのある、どこの馬の骨ともわからないなまえの音信不通の友人たちよりはよっぽどいい。
とりあえず、大切な姉を悲しませることのない人物であれば誰でもいいというのが彼の本音だ。それ故に、先日、沖矢に電話で話したことを見越して、工藤邸に彼を住まわせることを了承したという経緯もある。もちろん、灰原哀に対する護衛の意味が大きかったが。
しかし、なまえはそんな弟の思いにまったく気づかず、むしろ意趣返しのつもりで蘭に話を続ける。
「蘭ちゃんは、新ちゃんとどこにデートしたことあるの?」
「ブッ!」
「あ、もう! コナンくんったら。オレンジジュース、シミになっちゃうんだからね」
ついにこらえ切れず吹き出したコナンの洋服を、蘭はハンカチで優しく拭きながら答えた。
「私と新一は別にデートってほどのことは」
「そういえば、水族館に行ってたこともあったよね? そのときも何か事件があったって新ちゃんから聞いたし。蘭ちゃんの携帯電話水没させちゃったって気にしてたから」
「あれはうちの両親の復縁を目論んだ、ただの下見で……」
「でも、下見とはいえ水族館か」
確かにドラマや映画なんかで男女が水族館に出かけるのを、定番としてよく見かけたことがあった。しかし、なまえにはあまり興味があるとは思えない。それならよっぽど、寿司屋の方が興奮しそうではある。
そう考えると、なまえはどこかへ遊びに行くと言うよりは、食事に行く方が数段楽しいのではないかと思えた。先日の親睦会。あのとき行ったカフェも、雰囲気にこそあまり慣れなかったが、沖矢と一緒なら悪くはなかったし。それに、最近は普段から沖矢が料理を作ってくれるせいで甘えているが、たまには彼を労う意味で外食も悪くないだろう。その考えに行き着いたのは、コナンも同時だった。
「なまえ姉ちゃんは、そういうお洒落なデートスポットって言うよりも、お食事に行く方がお似合いだね」
「それもそうね。日頃お世話になってるから、私が昴くんにご馳走してあげるのが、一番いい考えかも」
「でも、男性ってそういうデートのときは気を使ってご馳走してくれる場合が多いんじゃないかな。ほら、沖矢さんってスマートな感じがするし。割り勘にしようって言っても、あまり聞いてくれなさそうっていうか」
「それは困るなあ。はあー、もう。面倒くさい。デートやめたい」
おいおい。コナンはそう思いながら、だったらと解決策を思いつく。
「だったら、こうすればいいんじゃない?」
その解決先はまさに、名探偵の答えだった。
case10. 名探偵の答え
日曜日。米花百貨店地下一階。食料品売り場。
「昴くん、見て! すごい! 肉だ!」
「本当ですね! これは煮込み甲斐がある……!」
なまえが指をさしてそう言うと、沖矢は感嘆の声をあげる。高級黒毛和牛A5ランクシャトーブリアン。まるで霜が降ったかのような牛肉の断面に、ガラスケースごしに釘付けになっているこの行動こそが、名探偵の導き出したデートの解答だった。
「にしても、全然時間が合わなくてごめんね。せっかく誘ってくれたのに、結局、延期延期ばっかりで季節まで変わっちゃってさ」
「いえ。ここのところ事件も多かったですし、監察医が激務であることは承知の上ですから」
「そうそう」
「あと、休日は寝ていたいと思うのが普通の社会人の考えですしね」
「そ、そうだね……」
なんだかいろいろ見透かされているような気がしないでもないが、あまり気にしないでおこう。
「簡単に目星だけつけておいて、食料品は後で買おっか。少し早いけど先にお昼食べよう」
「ええ。何にしますか?」
「洋食がいいな。お子様ランチみたいなやつ」
沖矢はなまえの解答がいちいち可愛らしくて、つい隠れて笑ってしまう。それにはまったく気づかない彼女が楽しそうにしているのを見て、改めてデートを申し入れてよかったと思った。
なまえがデート先に指定して来たのは「米花百貨店」。それもウインドウショッピングを楽しむのが目的ではなく、単なる買い出し。ちょっといい食材を入手して、あとで工藤邸にて一緒に料理をしようという話になっているから、これにはさすがの沖矢も純粋な楽しみになっていた。
まあ彼の場合は、ここに来る前に、目的の銀行へも寄れたから余計に満足度が高いのかもしれないが。
「そういえば昴くんの会いたい人に会えなくて残念だったね。銀行マンか何かなの?」
「いえ、そういうわけではないのですが。……なまえさんは気にしないでくださいね。会えたらいいなと思った程度でしたので」
「そう? あ、あのお店がいいな」
指差した洋食店に走っていくなまえ。それを追う沖矢。
このとき、すでに事件は始まろうとしていたのだが、そんなことをふたりは知る由もない。