09...


「ったく、なんでオメーまであそこにいんだよ」
「仕方ないじゃない。銀行支払いがあったのよ。それも急ぎの」

 結局は払い損ねたけど、となまえが不服そうにつけ加えると電話口の向こうから大きなため息が聞こえてくる。話し相手である江戸川コナンこと工藤新一は、姉に対して半ば呆れながらも、まるで事件の解説をするように推理の続きを語り始めた。


「でも。まったくお粗末な強盗犯だったぜ。計画から実行までに時間がかかりすぎて、今じゃ大きすぎる金額は海外送金できねえことを知らなかったんだからな」
「どのみち計画は失敗してたってことね」
「ああ。なまえが手当てしたあの男性以外に、怪我をした客は出なかったし。 あの男性も命に別条はなかったって、高木刑事が教えてくれたよ。結果、犯人も含めて誰も死なせなかったぜ!」
「さすがね……コナンくん」


 なまえは傍で本を読んでいた沖矢をぼんやりと眺めながら、弟の仮の名を呼んだ。普段から気軽に「新一」と呼んでいるため、どうも「コナン」呼びが慣れない。まるで取ってつけたような気持ちになっていると、ふいにこちらを見た沖矢と目が合って、なまえは苦しい笑顔を浮かべた。


「にしても、なまえ。頼むから無茶すんなよ」


 無茶するな。その言葉に思わず、息を飲む。


「犯人を銃で撃ったの、どうせオメーだろ? ジョディ先生は拘束されてたらしいし、客の中で唯一、ガムテープ解けてたっつー話じゃねえか」
「それは。私にテープを巻いてくれた女性が恐怖できつく縛れなかったから、だけど……」
「?」
「だけど、それは」


 火傷の男が撃った弾丸だと、なぜかコナンには言えなかった。完全に思い過ごしだとも思うし、確証がないことは言えない。けれど、あの男はまるでなまえのことを、ずっと以前から熟知しているような態度だと感じた。それに、口が訊けないはずの彼が怒りを込めて放った、最後の一言。


『頼むから無茶するな』


 あれは一体、どういうつもりだったのだろう。思い返すほど迷宮にはまるようで、何が何だかわからず、なまえは混乱していた。しかし、真実はこの手に掴みたい。あの男性が何者なのか、早急に調べなくては。


「ねえ。今度、ジョディさんに会わせてくれない? 聞きたいことがあるんだけど」
「え? ああ、別にいいけど」
「じゃあ。また連絡して」


 そう言って電話を切ろうとした矢先、コナンは慌てて食い下がる。


「あ、オイ! ちょっと待て。昴さん、そこにいるか? いるなら、代わってくれ」
「え? 昴くん?」


 なまえに名前を呼ばれたことで、沖矢はこちらに顔を向ける。そして、電話を受け取るために彼女に近寄った。


「はい。もしもし。沖矢ですが」
「あ、昴さん、こんばんは」
「こんばんは。どうしたんだい?」
「いやあ、その……なまえ姉ちゃんと、上手くやってるかなって」
「ああ。よくしていただいているよ」


 沖矢はそう言いながらなまえを暖かく見つめる。彼女はあまり電話の内容に興味がないようで、ぼんやりとリモコンでチャンネルを回しながら、今日起こった銀行強盗のニュース以外が映っている番組を探しているらしかった。最終的に時代劇でチャンネルが止まったので、沖矢は静かにテレビを消し、むくれる彼女の隣に座る。

 一方のコナンは、沖矢から友好的な言葉が返ってきたことにまず安堵していた。そもそも、なまえが沖矢のことを「昴くん」と呼んでいたことがかなり意外だったが、この短期間でふたりが仲よくなることは実に微笑ましい。なぜならコナンには、工藤なまえの弟として、この工藤邸に沖矢を住ませる際にひとつの思いがあったからだ。


「それでね、新一兄ちゃんからの伝言なんだけど。昴さんに、なまえ姉ちゃんのこと頼みたいんだって。傍にいて、守ってあげてほしいって」
「守る?」
「三年前……特にアメリカから帰国してからなまえ姉ちゃんの雰囲気が変わったって言うか……。上手く言えないけど、生きることなんてどうでもいいって思ってるんじゃないかって、たまに思うときがあって……」


 ソファで膝を抱いて座るなまえに、沖矢は軽く視線を移した。疲れているのか、今度はまどろんでいて、まばたきの回数が多いことに気がつく。当たり前か。夜勤明けから銀行強盗に巻き込まれ、長時間の事情聴取。帰ってきてからは、一日ぶりの食事だ、と言いながら残しておいたビーフシチューをお腹いっぱい食べた後だったのだから。

 その表情がまるであどけない少女のように可愛らしく見えて、沖矢はちょっと笑った。


「わかった。注意して見ておくよ」
「ありがとう。じゃあ、またね」


 回線はそれで切れる。携帯電話を返されたなまえは、大して興味はないが、礼儀として沖矢に尋ねた。


「コナンくん、何て?」
「なまえさんと仲よくしてくださいねって」
「そんなことだろうと思った」
「十分、仲いいですけどね」


 そう言うと、途端に沖矢は大きな体で組み敷くように彼女に手を伸ばす。軋むソファ。反動で落ちた、テーブルの上のリモコン。驚きで短く漏れたなまえの声。

 彼女の視界いっぱいに、逆光の沖矢が楽しげに笑う表情が映る。


「なまえさん。今度、デートしてみましょうか」
「は?」


 意味のわからない提案が、また始まった、と思った。



case09. だから傍にいてほしい



 メゾン・モクバの、アパートの一室。

 この部屋で暮らしている降谷零は、定期的に行なっている銃の手入れに時間を割いていた。一週間。メンテナンスがそれだけの期間ひらけば、確実に照準は狂う。それほどまでに繊細な銃器を扱っている意識を、我々公安警察は常に忘れてはいけない。


「あいつ、医者だって言ってたな……」


 降谷はそう呟きながら、今日の出来事を回顧していた。FBI捜査官の周りをうろついて反応を見るためにベルモットに頼んで赤井秀一に変装していたが、その際、巻き込まれた銀行強盗事件。

 犯人に撃たれて負傷した男性の治療のために手を挙げたのは、もう二度と会うことはないと誓っていた彼女だった。工藤なまえ。最後に会ったのはもう六年も前で、彼女はまだアメリカで法医を学ぶ医学生だった。友人であり、同僚でもあった諸伏景光と、彼女の帰国時は空港まで迎えに行ってすべてを打ち明けようと決めていたのに。

 叶わなかった。赤井秀一のせいで、彼女が慕っていたヒロが死んだからだ。

 銃のメンテナンスが終わった後、ゴツン、と額を机に打ちつけ、降谷はその場に力なく伏した。手に、彼女に触れた感触が未だに残っている。ほんの少しだったが、あの場で無茶をしようとしていた彼女をひきとめるためにとっさに出した、右手。それを見つめて、拳を握った。


「本当は、めちゃくちゃ抱きしめたかった」


 未練がましいにもほどがある。そう思いながら、孤独な彼の夜は更けていく。

 - back/top -