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お子様ランチのような大きなエビフライが乗ったオムライスをふたりして平らげ、食後にアイスコーヒーを飲んでいると、沖矢は何やら冊子状になった百貨店のガイドマップを眺めて腕を組み、うんうんと唸り始めた。つられてのぞきこむようになまえもそれを眺め、入っているショップ名などをひとつずつ確かめていく。多忙でここしばらくはショッピングをする余裕がなく、見てみたいお店も数件あったが、やはり今日の「デート」というメインからは逸れてしまうのでひとまず彼には言わずにおいた。
すると、沖矢がこちらを見てにこりと笑う。
「すみません、なまえさん。ちょっと七階に寄ってもいいですか?」
「いいけど。七階ってスポーツ用品のフロア?」
「ええ。首元のあるアンダーウェアがないかなと思いまして」
「昴くんっていつも首元がある服着てるよね」
「癖のようなもので。なんだか、ないと落ち着かないんですよね」
「わかる、そういうのあるよね」
短いやり取りが、信頼の証。なまえはそう思いながら、もう一度、改めて彼に了承の返事をした。じゃあ、私も同じ階で薄手の上着でも見ようかなあと、まるで独り言のようにそう呟くと、沖矢は鋭く目を光らせ、確認するように彼女に尋ね返す。
「そういえば、なまえさん。銀行強盗に遭われたとき、誰かのジャケットを着て帰ってきましたよね。あれはどなたのだったのですか?」
「ああ、あれ? 貸してくれたの。私のは怪我をした男の人の応急手当てに使ってしまって、血まみれだったし。それにあの日すごく寒くて……」
「サイズ的に男性ものでしたよね?」
「ええ。顔に火傷がある、男の人だったけど」
「へえ、火傷の……」
そう言ったきり、沖矢は何かを考え込むように黙りこくってしまった。なまえは一瞬、それを不審に思ったが、そこまで気にすることもなくアイスコーヒーのストローを軽く噛んで咥える。そうだ、忘れていた。
あれから仕事の方がかなり忙しく、まだ「火傷の男」の正体を暴くために、ジョディとの接触も果たしていなかった。新一からの連絡もなかったことを考えると、きっと彼も忘れているのだろう。あちこちに首を突っ込んで事件を解決していると聞くし、そこは血の繋がりがないとは言え、やはり姉弟と言うべきなのかもしれない。
もう一度、新一に連絡してみよう。そう思いながら洋食店の席を立つ。
「そろそろ行こっか。あ、昴くん。ここは私が」
「ああ、それなら先ほど僕が払っておきましたよ」
「え?」
「デートですから、ね」
行きましょうか、とまるで手を取るようにそう言われて、なまえは呆然とした。まったく蘭の言っていた通りで、返す言葉が見つからなかったからだった。
case11. デートですからね
七階のスポーツ用品売り場は、日曜日ということもあって子ども連れも多く、かなりの賑わいを見せていた。大階段寄りにある店で商品を見ていたふたりは、見かけた帽子を見境なくかぶってみたり、ウェアのデザインについてお互いの感想を述べたり、一般的なショッピングを楽しむことにする。そのうち、沖矢は濃色のハイネックウェアを数点買い込み、なまえも白のマウンテンパーカーを試着して購入した。しかし、沖矢が「見ていたら自分も欲しくなった」などと言いながらお揃いで黒のパーカーを買うと言い出したので、さすがに恥ずかしくなったなまえは全力で断る。母である有希子は事あるごとにしたがったが、新一とですら服を揃えるなど、残念ながらしたことはない。
事態は、そんな平和的押し問答を続けている最中に起こった。エレベーターホールの方で大きな悲鳴が聞こえ、客たちが我先に避難しようと階段へと走って行く。さすがに何事かと思い、なまえが見物に駆けつけようとすれば、いなすように沖矢が前に出た。
「ここは僕が見てきますよ。よろしければなまえさんは先に階段で地階まで行って、食材を購入しておいてください」
そう言って笑顔で走り去ろうとする彼のジャケットを、なまえはとっさにきつく掴んだ。行かないで、と言うには少しおかしいような気もして。何かを言おうとするも、なかなか上手く言葉が出ない。これじゃ単なる子どもの駄々だ。
だが、それを察した沖矢が柔和に笑う。
「大丈夫。僕は絶対に連絡しますよ」
不思議なことだったが、それはまるで、彼女が説明できない無言の理由までも見通しているような口ぶりだった。
行ってしまった沖矢と別れ、なまえは言われた通り先にひとりで階段を降りた。食材を購入、と言われてもメニューは話し合って決めるつもりだったし、何を買えばいいのかわからない。とりあえず、振る舞おうと思っていたレモンパイを作るための材料と、サラダ用の野菜を適当に買い込むことにする。時間はゆっくり見て回ったはずなのに、買い物がある程度終わった後も沖矢から連絡はなかった。
業を煮やしたなまえは、さっき見ていた肉屋の前で立ち止まる。
「高級黒毛和牛A5ランクシャトーブリアン……」
まるで呪文のような、それである。
百貨店内は意外にも平常営業を続けていたが、警察関係者や、忙しなく電話をする一般人客の声がときどき飛び交っていた。七階のスポーツ用品フロアで爆弾騒ぎがあり、その階にいる人間はもれなく容疑者としてひとりも脱せなくなったこと。外にはテレビ中継も来ており、百貨店の中には一切立ち入りができなくなったこと。偶然居合わせたらしい名探偵の毛利小五郎が、その事件の解決に全力をあげていること。などである。
しかし、なまえはその話をほとんど聞いていなかった。理由は、一世一代の決断を今、しようとしていたからである。
「あ、そうだ。メニュー、あれにしよう」
そう決めるや否や、なまえは肉屋の主人に注文を繰り出す。
「すみません。この高級黒毛和牛A5ランクシャトーブリアン、200gください。……カードで」
結局、沖矢から連絡が来ないまま、なまえは一通り買い物が終わった後、正面玄関付近にあったカフェでレモンスカッシュを飲んでいた。高校時代によく買った、自動販売機のレモンスカッシュ。あれよりはずっと甘さが控えめで、上品な大人の味がする。いや、ただ単に自分が大人になった気になっているだけなのかもしれないが。
あれから何度か沖矢にメールを入れてはいるが、彼からの返信は一向にこなかった。さすがに心配にはなってくるものの、絶対を約束してくれたし、頭の切れる沖矢ならきっと大丈夫だという過信もある。爆弾騒ぎが起こっているわりには店内が日曜日らしい平穏を保っているということも、そんなに危険性がある事件ではないのだろうと判断してしまう要因のひとつだった。
なまえは数分おきにSNSを再読読み込みしながら、情報だけは逐一仕入れるようにしていた。これらのツールで情報を仕入れられるという点も、この事件があまり緊迫した状態にないと思われる理由だ。普通なら、外部へ情報を漏らさないために、犯人が携帯電話を取り上げる作業というものは必須である。
かつて巻き込まれた銀行強盗事件のように。
……と、そんなとき。ようやく沖矢から待ち望んでいたメールを受信する。
「『正面玄関で落ち合いましょう』……だって」
小さく声に出して読み、まるでどこかの勝手な名探偵を相手にしているような気分でため息をついた。蘭ちゃんはいつもこんな気持ちで新ちゃんと接しているのだろうか。そう思うと、彼女を哀れむ以外の感想がまったくと言っていいほど思いつかない。
カフェのガラス窓から百貨店内を見渡す。疲労の表情を浮かべた客たちが続々と出て行くのが見えて、事件は無事に解決したのだろうと察することができた。ドリンク代は先払いしていたため今すぐ席を立つだけでよかったのだが、店の居心地がいいせいか、眠くて、しばらくぼんやりと客の流れを眺め続ける。
その人ごみの中に、見知った顔を見つけてからは一気に意識が覚醒した。目深に被った黒の帽子に、右目の火傷の痕。
「あの人……!」
間違いない。銀行強盗事件で会った、あの男だ。
なまえはそう思うや否や、急いで店を飛び出した。しかし、何しろ足止めされていた人たちで出入り口はごった返し、なかなか彼に近づくことができない。このままではせっかくのターゲットを見失ってしまう。
そう危惧した瞬間に、黒い帽子のつばの先がこちらを向いた。あっ、と短く声を漏らしたときには、なまえは誰かの足に自分のを引っ掛けて体が前へと傾いていく。
「なまえっ」
名前を呼ばれた矢先、腰を抱いて助けてくれる人がひとり。
「大丈夫ですか? お姫様」
「……あ、っと。昴くん、ありがとう」
すぐに手を離されたものの、自然と気を使って荷物を持ってくれる沖矢との距離に少し緊張した。しかし、すぐに火傷の男のことを思い出し、なまえは周囲をきょろきょろと伺う。いたはずの場所に、いない。見間違いだったのだろうか。
でも、さっき私のことを呼び捨てにしたのは、絶対に昴くんじゃない。
「なまえさん?」
「あ……知り合いがいたような。でも、気のせいだったのかも。昴くんこそ、大丈夫だった?」
「ええ。少々、足止めは食らいましたが、毛利探偵の名推理で事件は解決しましたよ」
「そっか」
「さあ、帰りましょう。一緒に料理しないとですしね」
「そうだね」
なまえが返事をすると、沖矢は持っていた荷物を片側だけに集め、空いた方の手で彼女の手を強く握る。それも、いわゆる指を絡めた「恋人繋ぎ」で、なまえにはその意味がわからず、つい眉間にしわを寄せた。
「え。手、な、なんで……?」
「それはもちろん」
すると、沖矢は絡めた指を、さらに深く絡めるように握り直した。その笑みは、まるで誰かへの当てつけのように。
「デートですから、ね」
降谷零は苛立っていた。またも赤井秀一に変装時に偶然出会った、工藤なまえ。人混みに押されてよろめいた彼女を自分が抱き止めようとした、そのとき。先に彼女を支えたのは見知らぬ長身の男だった。その男がなまえのことを「お姫様」などとキザったらしく呼んだこと。そして「帰ろう」やら「一緒に料理しないと」やら、ふざけたことをのたまったこと。その口ぶりから伺えるのは明らかに親密な恋人関係。しかも、同棲中のようにも思える。
考えなかったわけじゃない。なまえは口下手で、いつも降谷や諸伏の後ろに隠れているような少女だったが、それは高校時代の話だ。大人になれば、それも変わる。彼女の魅力に気づいて近づく男は当然いるだろうし、彼女もまた、自分たちではない誰かに恋をしたりするかもしれない。
だが、実に不愉快だった。まるで当てつけのように、なまえと指を絡めたあの男の表情が。
憎き赤井のマスクを荒々しく剥いで路地裏のゴミ箱に投げ捨てる。そして、どうにも収まらない苛立ちをぶつけるように、降谷用の電話を手に取った。
繋がるまでのコールは一回のみ。相手はすぐ緊迫した声で電話に出る。
「はい、風見です」
「僕だ。一件、急ぎで調べて欲しいことがある」
部下である風見裕也は電話に出るなり、凍えるように冷え切った降谷の声で震えそうになった。目の前にいないのにこの威圧感。完全に怒っている。ただ、理由にはまったく身に覚えがないが。
「は、はい。何でしょう」
「工藤なまえの恋人について調べろ」
「は……」
「あいつの恋人だよ! もしも僕よりスペックが低くてつまらない男なら、裏でどんな手を回してでも絶っ対に別れさせてやる。無性に苛つく顔しやがって一体何なんだあいつは」
降谷は渾々と風見に男の悪態をつきながら、壁をドスドス殴って憂さ晴らしをしていた。しかし、風見は至極冷静に「工藤なまえ」という人物が以前、降谷から聞いたことのある彼の高校時代の旧友で、組織に関係のない人物であることを判断すると、恐れを承知で上司に返答を試みる。
「降谷さん、それ、職権乱用では……」
長い、沈黙。その後、降谷から絞り出すような声がする。
「……もういい。自分で調べる」
「降谷さ」
ピッ、と短い音とともに切った電話に、降谷はその場で頭を抱えた。らしくない、何をやってるんだ僕は。
ただ、ひとつだけ思う。
「……あんな顔、するな」
僕とヒロ以外の前で。
降谷はそう思いながら、見知らぬ男に対して見せていた顔に、必死になって高校時代の彼女の笑顔を思い出して上書きをする。そして、自分の方が彼女を幸せにできると、うぬぼれに似た思いを抱きながら組織の人間と合流するためにバーボンとしての顔を作り直した。