16...


 爽やかな月曜日の朝。米花市内、某所にて。

「おっはよー、蘭!」
「園子! 世良さんも、おはよう」
「おーっ、おはよう!」

 自分たちの家、およびホテルがちょうど交差する地点で待ち合わせをしていた鈴木園子、毛利蘭、世良真純の三人はそれぞれ互いに挨拶を交わすと、いつも通りの慣れた通学路を足並み揃えて歩き始めた。彼女たちが噂されているということすら知らない「帝丹高校裏人気投票ランキング」。そのトップ10の中に入る三人が集えば、さすが見た目にも華やか。誰しもが振り返る麗しのJKトリオ。で、話も年相応にかしましい。旅行・グルメ・ファッション・雑貨・コスメなど、女子高生らしい話題に花が咲いて、いつも三人の周りは明るい雰囲気で持ちきりになる。

 その中でも、特に今日は恋の話。鈴木財閥のお嬢様として持ち前の社交性を発揮し、三人の中で最もおしゃべり好きな会話の進行役。そして自身も400戦無敗という最強の空手家を恋人に持つ園子は、もう待ちきれないといったような様子で、蘭に昨日のことを尋ねた。

 昨日のこととはもちろん。クラスメイトである工藤新一の姉ことなまえと、その家に居候として住み始めたミステリアスな大学院生・沖矢昴の、目が離せない大人な恋の行方についてである。


「蘭。それで昨日、なまえさん何か言ってた? 主に、惚気話とか惚気話とか惚気話とか!?」
「なまえさん?」


 初めて聞くその名に、まずは世良が反応を示した。園子は彼女のその様子に、ああと相槌を打つ。世良は先日転入してきたばかりで、まだなまえとの面識はない。だからその存在を知らなくて当然だった。


「なまえさんっていうのは、工藤くんのお姉さんのことよ。監察医やってて超!美人なんだから。で。そんな彼女が今、いい感じの男と一緒に住んでんのよ!」
「へえ、工藤くんのお姉さんって監察医やってるんだ。それで? その人、恋人と同棲中なのか?」
「そーそー。最初は男の方が居候って言ってたけど、結局、付き合ったんなら同棲よねえ? ま、アタシは最初から何かあるって睨んでたけど?」


 冗談めかして高笑いをする推理クイーン・園子に、さすがの蘭も苦笑いを浮かべた。昔からよく知っているなまえと、そんな彼女の前に新星のごとく現れた沖矢。ふたりの微笑ましい動向を逐一気にしていた園子には、いつかその話を絶対にしなければならないと思っていたが、正直、話題に登場するのが早すぎて荷が重い。それに、なまえのあんな顔を初めて見てしまった後でベラベラしゃべってしまうのは、彼女に対して申し訳ないような気がして少し胸が痛んだ。

 しかし、そうは言ってもいつかはどうせ詳しく話さなくてはならないことでもある。蘭はそう決心し、ふたりの友人に重々しく口を開いた。


「そのことなんだけど……なまえさん、沖矢さんとはちょっと喧嘩中だったみたいで」
「えっ、マジ?」
「うん……。昨日、私を誘ってくれたのも、休みの日に彼と同じ家にいるのが嫌だったからみたい。ただの喉風邪だって本人は言ってたけど、相当調子悪そうだったから……。もともと、ポアロで話をするついでに、お父さんの弟子の人を紹介するってことになってたんだけど、彼になまえさんのことを紹介するときになって急に体調が悪いからって帰っちゃったんだよね」
「ありゃりゃ。体調悪いのに蘭を誘ったんなら、そりゃよっぽどだね」
「うん。それに……」
「それに?」


 今度は世良が気にしたように尋ねる。蘭は昨日見たなまえの涙の意味を考えながら、心配そうに目を伏せて言った。


「帰るときに、その弟子の人がなまえさんのことを追いかけたら、彼女、すっごく泣いてて。私、なまえさんがあんなに泣いてるの見たことなかったからビックリしちゃって……。きっと、相当の喧嘩なんだろうな」
「……」


 久しぶりに身近な人物の恋愛話を聞くのを楽しみにしていた園子はその話を聞いて、息を飲んで静まり返った。一度でも恋の経験がある女子なら、誰しもがわかる気持ち。恋人と大喧嘩し、さらには体調も悪く、心は乱気流に巻き込まれるかのように不安定。ついには泣き出す。しかも、あのなまえが、だ。そういう切ない彼女の気持ちを汲み取って、園子は色恋沙汰にはしゃいでいた自分が少し恥ずかしくなった。

 しかし、世良はその話に園子や蘭とは少し違った印象を抱いていた。風邪を引いているにも拘わらず蘭を誘ったのは、確かにその沖矢という人物と喧嘩をして、家にいたくなかったからで間違いはないだろう。しかし、紹介の途中で席を立ったというのは何か気にかかる。

 普通の順番なら、親しさの深さ的にはまず自分が連れてきたなまえに対して、出会ってまだ日が浅いその弟子の名前を教える方が先だ。つまり、蘭の「彼になまえさんのことを紹介するときになって」という発言から考えて、その弟子の人の名をなまえに教えるということは終わっていたのだろうし、その後の紹介にかかる時間はどう考えてもほんのわずか。いくら体調不良でも、人間の心理的にお互いの紹介が終わるまではどうにか中座も我慢できそうな気がする。まあ、そこまで気が回らないくらい気分が悪ければもちろん話は別だが、それならそうと、誰にも会わないよう自室で大人しく引きこもって寝ることを選ぶだろう。監察医とはいえ、医者なんだし。

 だから、世良は内心、こう仮説を立てていたのだ。蘭の言うなまえさんは恋人との喧嘩を悲観して泣いていたわけじゃない。毛利探偵の弟子を見て、何らかの理由で泣いたのではないか、と。


「……まあ、あくまで仮説だけど」
「えっ? 何か言った、世良さん?」
「ううん、なんでも。っていうか、やばっ! 時間ギリギリだ!」
「えええ!? 嘘! もうこんな時間!? 走るわよ、蘭!」
「あ、うん!」


 そうして、麗しの女子高生三人組は各々、心に思いを秘めながら走り出す。

 一方でその話を聞き、世良とまったく同じ見解を打ち出す名探偵もいたのだった。




case16. 白のナイトに関するそれぞれの見解


「だからよ、灰原。何かなまえから聞いてねえのかよ」
「さあね。そんなに知りたいなら、自分で聞きなさいよ」

 子どもたちが博士の作ったパソコンゲームで遊んでいる中、普段から小学校一年生のふりをしている江戸川コナンと灰原哀の両名は、電子ゲームではなく対面したリビングのソファで暇つぶしにチェスを興じながら工藤邸に住むなまえと沖矢の話をしていた。あらかじめトスで決めた役では、先手の白が灰原、後手の黒がコナンという、彼らのイメージカラー的には対照的な戦いである。

 ちなみに戦局はコナンが優勢。灰原はもはや諦観気味だ。

 昨日、なまえと会うと言っていたはずの蘭の帰宅時間がやけに早すぎたことを不審に思い尋ねると、蘭から直々に、なまえが沖矢と喧嘩したことや、彼女がポアロから飛び出して泣いていたことを教えられたのである。当然、弟としては姉を泣かせる不届き者として沖矢に嫌悪感を抱いたが、よくよく蘭の話を聞いて冷静に考えると、それはあの謎多き男「安室透」に向けられるべきものなのかもしれないと思えてきたのだった。

 毛利小五郎に弟子入りなどと言って意味深に近づき、周辺をうろつく安室。そんな何を考えているのかよくわからない人物と、自分の姉に繋がりがあるとは思いたくもないが、可能性のひとつとして探っておくべきだとコナンは判断していた。そこで、かねてより隣人としてなまえと仲の良い灰原に、自分の姉のことを尋ねたのである。


「自分で聞けって言われても、それが聞けたら苦労しねえっつの……」
「でも、なまえさんが最近、忙しそうにしていたっていうのは知ってたから、その話を聞いて納得したわ。なるべく彼を避けてたってわけね」
「え?」
「だって。毎朝六時頃に出勤して、帰ってくるのはいつも夜中の二、三時よ。休日も大抵家にいないみたいだし、あれじゃ身体も休まらないわ。……まあ、どこかの誰かさんに急に『見知らぬ男と一緒に住め』なんて言われても、信用ならない人間がいれば気が休まらないのも当然よね」
「うっ」


 コナンはぐうの音も出ない。いや、しかし。自分は一応、沖矢には釘を刺したつもりではあった。「なまえ」のことを守ってやってくれ、と。


「ああ、そう言えば。その話に関係があるかどうかはわからないけど、妙な車なら見たわよ」
「妙な車?」
「夜、三時頃だったと思うけど。夜中に目を覚まして窓からあなたの家の方向を見たら、なまえさんが帰ってきたのが見えたのよ。それから少しして、彼女が家に入ると同時に一台の車が停まったわ。暗くて車種や色はわからなかったけど、まるで、彼女を監視してるみたいにね」
「それってどう考えてもストーカーじゃねえか! そんな重要なこと、なんでもっと早く言わねえんだよ!」


 あまりの大声に、少年探偵団の子どもたちがふたりを見る。そして、事件か事件か、と好奇心旺盛に騒ぐので、灰原は機転の効いた嘘で彼らを静止した。昨日見たドラマの話よ、と。


「私もあの沖矢って人と彼女は恋人同士だと思っていたし、それに彼と一緒に住んでるんだから任せておけばいいと思っていたのよ。組織かれらの車には思えなかったし。……それにねえ」
「あ?」
「文句なら、直接、あの人に言いなさいよ」


 そう言うと、灰原はじとっとした目つきで睨むように、いつのまにか阿笠邸の入り口にて鍋を持って立っていた沖矢昴を指差した。彼はそれをダイニングテーブルの上に置くと、ふたりの話に気づいて声をかけてくる。


「文句を言われるのはご免被りたいところだが、その車なら僕も見たよ」
「す、昴さん……!」
「今日は煮込みハンバーグをお持ちしましたよ、博士。最近はせっかくの料理も余ってしまうのでお裾分けに」
「おお、昴くん! いやあっこの前のカレー、なかなか美味かったぞ! それになまえくんのレモンパイもな! 特にあの肉が最高で……」
「ああ、何しろなまえさんが選んで購入してくれた高級黒毛和牛A5ランクシャトーブリアンですからね」


 くすりと笑った沖矢は博士にそう言うと、何の了承もなく灰原の隣に座る。まだ少し警戒心の残る小さな彼女にかすかに距離を空けられるが、彼はまるでお構いなしといった具合に盤面を静観しつつ、コナンに言った。


「車種は僕にもわかりかねるが、車の色は白だったような。最近、特になまえさんが遅くに帰宅した際は、必ずと言っていいほど家の前で停まっているね」
「白か……」


 なら、灰原の言う通り組織の車ではないのか、とコナンは考え込む。ストーカーである線は相変わらず消えないが、少なくともジンの愛車であるポルシェ365Aではないらしい。


「でも、僕には。あれは監視というよりはまるでナイトの『護衛』に見えたけど」
「え?」


 すると、沖矢は灰原のターンで勝手に白のナイトを取ると、厳しい一手で一気に黒を追い詰める。まるで、今まで睨まれていた白のクイーンを固く守るように。


「なまえさんはまったく気づいてないみたいだけどね。でも、そろそろ目障りなので僕も注意して見ておくことにするよ」
「ゲッ! やべえ一手打たれちまった……」
「ねえ。それより、あなた。なまえさんと喧嘩中って聞いたけど」


 灰原の質問に、沖矢はああと答える。そして、なまえのことをずっと心配していたコナンをまるで既知していたようにニッコリ微笑み、不敵な顔をした。


「喧嘩のつもりはなかったんだが。この前、彼女を口説こうとしたら見事に失敗してしまってね」
「は!?」
「え! 昴のにいちゃん、なまえねえちゃんのこと好きなのかよ!」
「えー! うそーっ!?」
「すごくお似合いですね!」


 どうやらいつのまにか会話を聞いていたらしい少年探偵団のメンバーが、わらわらとソファの傍にいたらしく楽しげに騒ぎ始めていた。お似合い、と言われた沖矢はまんざらでもなさそうに微笑んで、その言葉を喜んでいるようにも見える。そのあまりの堂々とした態度にさすがのコナンも赤面していれば、代わりに灰原が呆れて睨みつけながら言った。


「それ、本気なの?」
「いけないかい? こんな僕が本気じゃ」
「別に、ただ彼女が傷つくようなことは絶対にやめてよね」


 その灰原の一言には、コナンも同感だった。そして、今一度、眼光鋭く沖矢を睨みつける。

 だが、先に雰囲気を緩めたのは厳しく忠告したはずの灰原の方からだった。


「でも、ま。彼女の場合、恋人との甘ーい時間よりも死体と一緒にいる冷たい時間の方が長そうなのがネックだけど」
「あいつ、天職だと思ってっからなあ……」
「あいつ?」
「あ、いやっ! ……あはは」


 笑いでごまかしたコナンを、沖矢は深く追求しない。その理由は彼が「真逆」だと思っていたからだ。工藤なまえは監察医を天職だと思っているわけではない。むしろ、誰かを思うあまりに縛りつけられている足枷なのだと。彼は彼女と生活するうちに、そう思うようになっていたのだった。

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