20...


「蘭ちゃん、この前は本っ当にごめんね!」

 すっかり元気を取り戻したなまえは次の休みに博士の家に蘭を呼び出し、改めて、両手を顔の前でパンッと合わせて彼女に強く謝罪した。なぜ博士の家だったかと言うと、どうしても今日は一緒に連れて来てほしかったコナンがもともと子ども達とそこで遊ぶ約束をしていたからで。なので、呼び出したと言うよりは、蘭の予定を合わせてもらったと言った方が正しいかもしれない。おかげでくたくたになるほど子ども達と駆け回り、明日からの仕事用に温存しておきたかった体力を使わなくてはならなかったのは結構な誤算だった。


「いえ、なまえさんが元気で何よりです! もう体調はいいんですか?」
「うん。昴くんに看病してもらってなんとか」


 沖矢との仲直り話も暗に含めて、なまえは蘭を安心させるために「看病」という言葉をとっさに使った。そうすればきっと、説明なしでも彼女には伝わるだろうなと長い付き合いを理由に思えたからである。

 本当は、正直言って看病らしいことなどは何もされていない。ただ、思い出すと叫びたくなるほどのひどい醜態を沖矢に晒し、彼がそれに寄り添って添い寝をしてくれただけだ。さすがに翌朝は気まずすぎて、シャワーを浴びるためにブランケットから抜け出すのもこそこそしてしまった。まあ、どうやら彼は、最初から起きていたらしいのだが。


「いえいえ、ご謙遜を。なまえさんの高い自己治癒能力の賜物ですよ」


 そう言って、急にふたりの会話に割って入ってきたのは話題にのぼったばかりの張本人、沖矢昴。今日に限ってなまえが博士の家に行くと言えば珍しくついて来たがって、なのに子ども達と遊ぶことはなく、時折博士と雑談を交わす以外は休日の優雅なティータイムを阿笠邸で楽しんでいるのである。蘭は沖矢が突然、会話に入ってきたことがなぜか嬉しそうだったが、対してなまえは思わず苦笑いを浮かべた。

 高い自己治癒能力って。それじゃまるで、こっちが図太いみたいな言い方だ。失礼な。


「まあ、栄養のある食材を選んで振舞っている僕も、その治癒力をいっそう高めるために一枚噛んでいるのかもしれませんがね」
「そうだよ。昴くんの煮物とかシチューとかカレーとか」
「なまえさん。今日はトマト煮ですよ」
「えっ、嘘! やったー!」


 蘭はそれを隣で聞きながら「煮込み料理ばっかり……」と思うのだが、それにしてもなまえと沖矢が笑い合ったり、話をしたりするそのやわらかな雰囲気を見て、仲直りできたらしいことが微笑ましくそっと胸をなで下ろした。密かにふたりの恋の進展を応援していた彼女からすれば、それは手放しで喜ぶべき事柄である。

 しかし、その光景があまりに胡散臭すぎて、いまいち納得できていない女子が傍にひとり。


「ねえ、工藤くん。何なのあれ……?」
「さあな。俺もよくわかんねえけど、仲直りしたってことだろ……」


 灰原は複雑な表情を浮かべながらふたりを指差し、げんなりといった口調でコナンにそう言った。彼らがどういった方法で仲直りをしたのか。そのあたりの事情は弟の彼にもよくわからないが、気持ち的には蘭と同じ。姉の元気そうな顔が見れることが何よりなのである。

 それよりも、コナンには少し気になることがあって、灰原からそっと離れて沖矢の傍に近づいた。話題はもちろん先日話していた「白のナイト」についてだ。


「ねえ、昴さん。なまえ姉ちゃんのこと尾けてた例の車のことだけど。何かわかった?」


 すると沖矢は短く、ああ、と答える。そして、まるで取るに足りないといったように、すぐに爽やかな笑顔を小さな彼に見せたのだった。


「尾行ならもうないと思うよ」
「へ?」
「でも、もしまだ往生際悪く相手がなまえさんに接近してこようとするのなら、今度はもっと正攻法を取って来るだろうけどね。なに、心配には及ばないさ。彼女のことは必ず守ってみせるから」


 君に言われた、新一兄ちゃんとの約束なのでね。そう言うと、沖矢はまた不敵に笑ってみせた。本当はコナンが新一だと言うことには薄々気がついているが、彼はそれを逆手にとって、あえて冗談めかして言ったのである。



case20. 大人と子どもの共犯


 沖矢の表情に強い意思と自信を見たコナンは、あまりの頼りがいと、その格好良さに実は少し照れてしまうくらい当てられてしまっていた。少し前まで、沖矢がなまえに対して本気かそうでないのかは正直よくわからない状態が続いていたのだが、今の言葉ではっきり確信する。沖矢昴は本気だ。本気で、姉のなまえを好いている。それがコナンには嬉しくもあり、そして少し寂しい気持ちもした。

 きっとなまえは、今まで家族にも隠れて泣いていた。いや、そもそも泣いてもいいと知らずに今まで生きていたのかもしれない。うろ覚えながら高校時代の姉はまだマシで。当時、親交のあった友人のおかげかよく笑う優しい性格だった。だが、その友人たちと理由なく音信不通になり、帰国してからは特に、以前にも増して笑みを見せなくなったと両親はかなり心配していた。当然、それは新一も同じ。

 生まれつきの境遇ももちろんあるかもしれないが、彼女は感情を我慢することに一貫して慣れすぎていた。家族としてそれをうまく緩和して取り払ってやるのが役目だと感じていたが、それはもう沖矢に譲ってもいいのかもしれない。なぜなら、あんなに楽しそうに話すなまえを久しぶりに見たから。そういう意味で、少し寂しかったのだった。

 楽しそうに沖矢を交えた蘭と話をするなまえの横顔をコナンが眺めていると、灰原が再び、にこにことからかうような顔つきで近づいて来る。


「あら? そんなにふたりの仲が心配なの? シスコンの探偵さん」
「うるせー……」
「ま。私もお姉ちゃんがいたから、気持ちは十分、わかるけど」


 灰原はそう言って、テレビのリモコンを手にするとチャンネルを適当にザッピングした。すると、上空から撮影中である、何やらものものしい雰囲気のライブ映像が画面に映る。彼女はそこでリモコンから手を離した。

 テレビ画面の右端に「銀行強盗発生」のテロップ。画面は切り替わり、今度はその銀行の正面から女性のリポーターが現場の状況などを詳しく中継している。


「……銀行強盗か」
「そうみたいね。行員の男性が撃たれたって」
「銀行強盗って言えばよーっ!」


 急に小嶋元太がそう声を上げて、その場にいた全員がそちらを向く。


「なまえねえちゃんもオレたちと一緒に、前、巻き込まれてたよなっ! 帝都銀行で!」
「え、ええ。あのときは君たちの活躍で助かったんだから」
「えへへ」
「あ、そうだ。コナンくん。ちょっと顔貸して。話あるから」
「え?」


 なまえはそう言うと、話を中座することを蘭に断って席を立った。そして弟を捕まえるように軽く抱きかかえて、阿笠邸の玄関へと続く廊下に出る。もちろん、話を立ち聞きされないようにドアはきっちりと閉めて。

 蘭と一緒にコナンを連れて来てほしかった理由は、何も、沖矢と仲直りができたことを見せつけるためじゃない。ずっと聞きたかった、あることを尋ねるためだ。


「んだよ? せっかく今、ニュース見てたのに」
「……『赤井秀一』」
「!」
「そう言えば、もう何の話かはわかったでしょう?」


 コナンはよもやなまえからその名が出て来るとは思いもしておらず、驚いて声を失くしてしまう。しかし、その態度が逆に仇となり、彼女の確信はさらに増した。

 以前、ジョディから聞いた話と総合して考えても、やはり彼女の推理通り。以前なまえが解剖を担当した赤井秀一という男の死に、新一が深く関わっている。そしてそれを探っていけば、あの銀行強盗事件のときに出会った火傷の男のことも、降谷零についても、何かわかるかもしれない。なまえはそう踏んでいたのだ。


「来葉峠で発見された焼死体のこと、FBIのジョディさんに会って聞いたわ。その死体が『赤井秀一』という名の男のもので、元FBI捜査官だっていうこともね。……新ちゃん、前に聞きたがっていたでしょう? 私が彼の解剖を担当し、その結果、どこまで知っているか知りたいって。それってどういう意味だったの」
「……」
「答えたくないなら、質問を変えるけど」


 なまえは彼の返答を待つように、少し息を飲む。そして、弟から何の答えもないことを見て、宣言通りに質問を変えた。

 もっと、確信を突く質問に。


「その人、本当に死んだの?」


 コナンは答えない。答えられないのだ。けれど、近々それも説明しなくてはならないだろう。沖矢昴の、正体も含めて。

 血の繋がりはないとは言え、やはりなまえは工藤家の娘だ。推理力は優作や新一には劣るが、それでも嘘は貫き通せない。

 どうやってこのピンチを切り抜けるか必死で計算していた名探偵に、助けがきたのはその後すぐ。ドアが突然開いて、そこから恐る恐る沖矢が顔をのぞかせたのだった。


「なまえさん。そろそろお暇しましょうか?」
「え」
「そろそろ夕食を作り始めないと。それに、今日は子ども達と走り回ってお疲れでしょうし」
「あ、うん……」


 今、いいところだったのに。そう思いながらなまえは間の悪いルームメイトに生返事をし、そしてしゃがみこんでコナンに耳打ちした。


「今日はこれで勘弁してあげるけど、次会ったら絶対教えなさいよ」
「あ、ああ……」
「じゃあ、行こっか。昴くん」


 気持ちを切り替えたように、なまえは今一度、みんなの元に戻り、そして帰ることを告げて挨拶しているらしかった。その間、廊下では沖矢とコナンが顔を見合わせて笑い合う。まるで共犯だ。それも大人と子どもの。

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