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なまえが車に乗り込み、ようやく四人が揃ったところで灰原は追跡メガネのスイッチを入れた。赤く点滅する地点が探偵バッチを持ったコナンが今いる場所。阿笠邸からはまだずっと遠いらしく、ガラスレンズに映し出された円の外側にてポイントライトが光っている。詳しい地図がメガネに表示されているわけではないので、灰原はスマホの地図アプリと位置関係を照合し合いながら詳しい場所を特定する作業に没頭していた。
「それでは、まずはどこへ?」
「とりあえず王石街道へ向かってちょうだい。詳しい場所は近づいてから」
「わかりました」
沖矢と灰原の短いやりとりを機に車は発進した。なまえは助手席で手を組んで目を閉じ、弟の無事を神様に祈る。天にまします我らの父よ、願わくば御名をあがめさせたまえ。工藤家に引き取られてからは教会に行くことなんてなくなったくせに、こんなときだけ神を信じるのもどうかとは思うのだが、心を落ち着かせるための癖として未だに祈りの言葉を口にしてしまうのだった。そしてそれは、旧友達が突然音信不通になったときも、同じ。
しかし、その祈りの途中で沖矢が重ねた手に触れる。
「大丈夫ですよ。彼なら」
「そ、そうだね……」
そうだ。新一ならきっと大丈夫。なまえはそう考え直し、その温かな体温を心強く思った。
と、端から見れば赤面してしまうほどの甘い空気が車内には満ち溢れているが、しかしこの状況の難点は、沖矢はさておき、なまえ当人には一切そんな気がないところであった。あまりの空気に、酸素の薄さすら感じそうで耐えきれず、灰原はまたもじっとりとした目つきで沖矢を睨み、そして「んんんっ!」と思い切り咳払いをする。そこで彼の手はやむなく離れ、博士は照れたような苦笑いを浮かべていた。
「動き出したわ。今度は王石街道を南下して鳥矢町方面に向かってる」
「了解。まだまだ追いつけそうにありませんね」
「しかし、犯人はどこに向かっておるんじゃろう。うろうろ迷っているようにも思えるが」
「案外、本当に迷っているのかもしれませんよ。自分の望む血にまみれた着地点が見つからずに」
迷っている。なまえはその言葉につい深く考え込む。何を迷うと言うのだろうか。自分が起こしている罪であるはずなのに。
沖矢はその様子を横目に見て、やはり彼女を連れてきて正解だったと思った。当然「先の先まで見通すことのできる神がかり的な才能」を持つあの少年には敵わないが、それでも彼女もまた推理している。この事件の真相を。彼女なりに。
case22. 探偵達の夜想曲-第2番-
その後も、犯人と一緒に行動していると思われるコナンは、点滅の移動スピードが早くなったり遅くなったりを繰り返しながら、都内を右往左往に周回していた。早いときは車、遅いときは徒歩、という違いだということは安易に推察されるが、その目的がよくわからない。逃走目的であればずっと車に乗っていればいいわけだし、身を隠すならどこかで立ち止まるだろう。なのに、わざわざ車を降りて歩くという危険を冒すのは変だ。それも、車と徒歩が交互に何度も続くなんて。まるで、何かを探しているように感じる。
……何かを、探している?
「何かわかりましたか、探偵さん」
必死に眉根を寄せて考え込む彼女に見かねて、沖矢は優しい口調のまま尋ねた。なまえは自信なく首を振りながらも、現状の考えを整理がてらに話を聞いて欲しくて、頭の中の推理を口にする。
「犯人は何か探してるんじゃないかと思って」
「探している?」
「わからないけど、例えば……人とか。そう、人……犯人が次に狙っている人物、とか。それをコナンくんと一緒になって探していたりして」
「あり得ますね。あの少年の並外れた推理力なら、犯人でなくとも利用したいと思うのは事実」
「なるほど。それで連れ回しておるように見えるわけじゃな」
確かに筋は通る話で、誰もが正解のように思えるだろう。けれど、その推理の中でなまえには腑に落ちないことが一点だけあった。それは、新一が絶対に犯罪に加担するような性格じゃないこと。他人の命がかかっていれば話は別だろうが、今は彼ひとりが人質のはず。なのに犯人に協力しているということは。
逆にこの犯人が、すべての殺人劇を終えた後に死ぬ気であり、それを新一は止めたいと思っているからなのかもしれない。
「……新一」
その推理が正しければ、やはり新一は根っからの探偵だ。姉として、なまえは彼を誇りに思う。
追跡メガネのナビゲーション通りに車を進めていると犯人が徒歩を挟んでいる間に距離はかなり詰まり、随分とその距離は近づいてきていたらしかった。後部座席の灰原は注意深く位置を見比べ、重々しく口を開く。
「もう少しよ。この先の角を右に曲がって、少し行ったところにいるわ」
「わかりました」
ここから先は慎重に。沖矢が少し車のスピードをあえて落とし、偶然通りかかった一般車両を装いながら犯人の車を探す。博士ははやる気持ちを抑えきれずに、自分の携帯電話を取り出した。
「とにかく、このことを蘭くんに……!」
「いや。まだやめておいた方がいいでしょう。コナンくんがどういう状況かわかっていません。まさかとは思いますが、ぬか喜びに終わってしまう可能性もないわけではありませんから」
「そ、そんな……」
「とにかく、連絡は現状を把握してからに」
「わかった……」
それと、と沖矢はつけ加えたように口を開く。バックミラー越しに彼が鋭い視線で見抜いているのは、大人と子どもの顔を併せ持つ少女・灰原哀。
「君にも念のために言っておきますが、彼もしくは、彼の乗る車を発見しても無茶な行動には出ないように。彼の命を危険にさらすことになりかねませんから」
「それぐらいわかってるわ。子どもじゃないんだから」
「確かに」
沖矢と灰原のやり取りに、なまえは驚いた。まるで、灰原のことを幼児化していると知っているような口ぶりだったからだ。気にすることをやめたはずの沖矢の正体が、再びなまえには気にかかってしまう。
けれど。人一倍、組織の匂いに敏感な灰原の今の反応を考えてみても、やはり沖矢は「バーボン」ではない。彼女が安堵しながらそう結論づけた瞬間、月光美しい夜をむやみに切り裂くような鋭い発砲音が聞こえてきた。
「い、今、銃声のような音が……!」
「あの車よ! あの車に江戸川くんが乗っているわ!」
灰原が指差した先に、一台の濃紺の自動車が横切っていく。沖矢はとっさにアクセルを踏んで追跡を開始し、連絡を取りたがっていた博士に的確な指示を出した。
「博士。このことを毛利さんに知らせてください」
「え、警察じゃなくて……?」
「こうなった経緯を正確に警察に説明できるのは彼らのみ。車種と色とナンバーを伝えて検問を張れば、停められますよ」
「じゃが、人質をたてにとって検問を突破されたら」
「そのときは……」
その場にいた全員が、沖矢を見る。そのときは。その続きに、彼は自信ありげにはっきりとこう言い放ったのだった。
「そのときは、力づくで停めるまでですよ」
見通しのいい直線道路である王石街道は、無茶な運転で爆走する逃走車とのカーチェイス状態に陥っていた。犯人の車を背に続く一番手は沖矢の車。それからその後方200メートル付近。バックミラー越しに全速力で距離を詰めてくるのが小五郎の乗る車だろう。
後ろから犯人の車を見てわかったことは、助手席の女が何かを言いながら運転手の女に拳銃を突きつけて、脅して走らせている状態であるということだった。ふたりが仲違いをした共犯であるという可能性もないわけではないが、それまでの比較的穏やかな車のスピードと、時折悠長に挟んでいた徒歩移動から察するに、もともとコナンを誘拐したのは運転席に座る女ひとり。わざわざ閑静な住宅街で発砲し目立つ行動をした助手席の女が、彼らが探していたと思われる真犯人で、逃走のために彼らの車に乗り込んだと思われる。
ただ、ここからでは小さなコナンの姿は一切確認できず、なまえは激しい焦燥にかられていた。それは灰原も同じだったようで、彼女は何やら後ろを気にしながら恐ろしいものを見たような顔をしている。
「そんな顔をするな。逃しはしない」
その言葉はなまえか、それとも、灰原に向けられた言葉なのか。結局、そのどちらかわからなかった。ただ、沖矢は冷静にそう言うと、走行中にも関わらずおもむろにドアを開ける。
「なまえさん、ハンドルを!」
「え!?」
この車の最大の特徴であるスーサイド・ドア。つまり、ヒンジが後ろ、ラッチが前。ドアの前側から乗り降りできる今となっては珍しい構造となっており、彼はハンドルから手を離し、ラッチに指をかけたまま内ポケットを探っていた。
なまえはいきなり任されたハンドル操作に気を取られていたが、それだけはしっかりと見る。
ジャケットの内ポケットに、入っていたのは。
あまりの驚きで声を上げようとした瞬間、今度はこの車が走るすれすれの位置を後ろにいた白い車が猛スピードで追い抜いていく。運転席には見知った人物。
「零ッ……!?」
「!」
降谷零。いや、安室透の運転する車だったのだ。そして、その隣にいるのは同じく焦燥気味の毛利蘭。後部座席には小五郎の姿も見え、彼らが一緒に行動していたのだとなまえはそのときはじめて知る。そして、彼のRX-7が犯人の車よりも一歩前に踊り出ると、強引に体当たりで衝突をふっかけ、強制的に逃走車を停めたのだった。
驚いている暇はない。もう一台、今度は背後から迫っていた謎の二輪車が、当該の軽自動車から出てきた真犯人の女を前輪で殴りつけ、勢いに任せて吹き飛ばす。女の小脇に抱えられていたらしいコナンは無事に解放され、バイクに乗っていた人物が彼を強く抱きしめた。
一連の事故。および、事件解決を見て、沖矢は安室透が意図的に作り出した事故現場のすぐ脇で車を停めた。運転席の女性も事故のはずみで怪我をしているようだったが、エアバックが出ていて意識もあり、命に別条はないと思われる。しかし、吹き飛ばされた犯人の女はしばらく起きることもできないだろう。顔にタイヤ痕までついていて、下手したらバイクの人物の障害罪だが。
「……よかった」
遠くにパトカーのサイレンが見えた。安室に会うのが怖くて降りるに降りれなかったなまえは、サイドミラー越しに移るコナンの元気そうな姿に安心していると、沖矢が優しくその頭に手を置く。
「よく我慢しましたね」
そう言って事情を聞くために、博士とフードを目深にかぶった灰原と共に、先に車を降りてしまった。なまえは自分の頭を触りながら、小さく呟く。
「子ども扱い、だなあ……」
よくできました。まるでそう言われたような気がして。なんだかすごく悔しいような、誇らしいような気持ちになったのだった。