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安室透に会うのが怖くてしばらく車を降りることができなかったなまえだったが、警察の到着時にはさすがに降りて、事件に関わっていた全員と一応顔を合わせることになった。どうやら沖矢が事前に口添えをしてくれていたらしく、事情聴取はスバル360に乗っていたなまえたち四人と、安室のRX-7に乗っていた蘭たち三人。それからバイクに乗っていた蘭のクラスメイトだという女子高生・世良真純に分けて実施されることになっており、犯人の車に乗っていたコナンを含む三人は、一旦、全員病院に送致となるらしい。身を呈して体当たりをした安室の車は大きく破損していたが、幸い乗車していた中に怪我人はいなかったと聞くから驚いた。
事前に体を張って停めることを覚悟した安室が、同じく運転席側の後部座席に乗っていた小五郎はともかくとして、ぶつけた側である助手席に乗っていた蘭を支えるように守る以外に怪我人を出さない方法はあり得ない。そしてそれが、いかにもなまえの知る降谷零のやりそうな行動で、つい失笑してしまったのである。
「こんばんは。先日はどうも」
やはり、と言うべきか。安室はまるで何事もなかったかのように呑気に声をかけてきて、なまえはとっさに身構えてしまう。すると彼は少し寂しそうに笑った。
「そんなに怯えなくとも、別に取って食べたりなんてしませんよ」
「わかってますけど……」
「あなたもあちらの車に乗っていたんですね。お怪我等ありませんでしたか?」
「私は別に。それより、蘭ちゃんは本当に大丈夫なんですか? 怪我はなくともガラスの粉がかかる可能性もありますし、ぶつけて停めるなんてやり方は少し強引すぎると思いますけど」
「ああ。つい、必死で」
「……」
笑ってごまかそうとする彼に苛立ちが募りそうになるので、なまえは会話をやめた。そして、事情聴取のために沖矢の傍に帰ろうとしたのだが、安室は何を思ったか、引き止めるように彼女の手を取る。
「……何ですか」
「実は、もう二度とあなたとはお話しできないのではないかと危惧していたので。事件があったことは残念ですが、もう一度こうしてお話しできたのがすごく幸運に感じます」
「あ、そう……」
「そして、僕はこの『幸運』を絶対に逃したくはありません」
そう言って、彼は指先に込める力を強めた。まるで、彼の言う幸運そのものを離さないように。
「今度、僕とデートしてくれませんか?」
「は?」
「また迎えに行きますよ。雨の強い日にね」
安室透は堂々とそう告げて、警察の事情聴取に参加するためにその場から離れた。なまえは頭の中で堂々巡りをする「デート」発言に、またも悩まされる。沖矢とは食材を買って料理をしたが、彼とそんなことできるはずもないし。それに、顔を見ているだけで今はこんなにもつらいのに。
痛む頭に悩まされながら、なまえは沖矢たちが揃った場所に戻った。人知れず、安室が拳を強く握り、小さくガッツポーズをしているとも知らずに。
case23. 探偵達の夜想曲-エピローグ-
見知った方達ばかりで恐縮ですが、調書を取るので住所と氏名をお願いします。そう言ったのは先日、医務院で会った佐藤美和子の彼。確か名前は高木渉刑事で、なまえは軽く会釈を交わす。その際、高木と沖矢は初対面だろうと思ったので、博士と灰原が名乗った後になまえは気を使って沖矢の名前も自分のと一緒に告げようとした。
「工藤なまえです。住所は米花町二丁目、二十一番地。で、こちらの彼が……」
「沖矢昴、大学院生をやっています。なまえさんとは同棲中なので住所は同じです」
「えっ」
その驚きの声は、なんと高木刑事とかぶった。
おそらく高木刑事は一緒に住んでいるという事実を知って驚いていたのであろうが、なまえは少しニュアンスが違う。なまえは「同棲中」という単語をあえて彼が使ったことに、驚いていたのだった。
しかし、当の本人はきょとんとして、何がおかしいのかわかっていないように首をかしげる。
「え? 違うんですか?」
「た、高木さん! 私と彼は同棲中じゃなくて単なるルームシェアで、ただのルームメイトです!」
「だって、あの日。キスした仲じゃないですか?」
「はあ!?」
あまりに淡々と暴露を決めるので、なまえは思わず真っ赤になりながら隠すように素っ頓狂な声をあげた。その大きな声に思わず、別の場所で事情聴取を受けていた蘭や小五郎、世良までそちらの方向を見る。
けれど、もはや沖矢は誰にも止められない。彼の悪気のない暴露は続いていく。
「デートも何度かしましたし。そういえば、先日は一緒に添い寝もしましたよね」
「あ、あれはっ……!」
なまえが必死で取り繕おうとした矢先。ガコンッ! という何かがぶつかるような大きな音が聞こえてきて、一同今後は思わずそちらの方向を見た。
そこには自慢の愛車に足をかけ、無言のまま不動で立っている青年がひとり。安室透は誰にも見せないように鬼の形相をしていて、なんとも近寄りがたい雰囲気をその背に漂わせている。かけていた、と思われた足の場所には(彼にしかわからないが)事故の衝撃とはまた違うへこみが思い切りついていた。
「ど、どうした、安室くん……?」
「あ……ああ、すみません。ちょっとへこみ具合を確認していました」
「確認していましたって……っつーか、そこまでへこんだら廃車だろ」
「いえ。いい板金屋があるので。このくらいで廃車にはしませんよ、先生」
にこにことそう答えた安室を、小五郎はまだ引きつるような苦笑いで見ている。そんなやりとりには一切気づかないなまえは、まだ必死で高木にすがり、美和子には絶対に言わないでと懇願しているのである。年下の大学院生と同棲してキスして添い寝だなんて、からかわれるのが見えていて口が裂けても絶対に言えない。……まあ、語弊があるだけでほとんど事実なのだが。
対する安室は人当たりのいい笑みを貼りつけてはいたが、内心でははらわたが煮えるような思いで赤面しているなまえのことを見ていた。自分が意を決して「デートしよう」と誘えたことだけで今は有頂天になれるほど満足していたというのに、キスだなんだと言われては無性に惨めになる。
それに。
高校時代からずっとなまえのファーストキスを狙っていたのに、あんなよくわからない男と、と。いっそブチ殺してやりたいくらいどす黒い気持ちが、安室の心には満ち満ちていくのである。
沖矢とか言ったな。絶対、別れさせてやる。
一方、安室から突き刺さるような恨みの視線を背中に受けていることは感づいていながらも、沖矢は自分の方が圧倒的有利のため微塵も気に止めていなかった。むしろ心の中で大きな笑いを決めていたいところだったが、これ以上わざと彼を刺激するのはやめておこうと思い直す。安室の視線がずっとなまえを追っていることに気づいて、無性にからかいたくなってしまった自分の性格が悪いことは沖矢自身が一番よくわかっていた。
なまえのグループはコナンを追跡メガネで追っていたという事実だけで、その他の事件に関わりがないために比較的早く事情聴取が終わる。すると、頃合いを見て沖矢が高木に切り出した。
「すみません、刑事さん。我々はもう帰ってもいいですよね。事故を起こしたのは一応、そこにいる彼と犯人の女性。それに、犯人とぶつかったあのバイクの彼女ですから」
「ええ。ご協力ありがとうございました。連絡先もお聞きしましたし、何かあれば呼び出させていただきます」
「わかりました。さ、みなさん。行きましょう」
「……」
そんな風に今さらこちらを気にかけるような優しいことを言ったって、絶対に許さないんだからね。と、秘密を次々に暴露されてしまったなまえは憎々しくそう思いながら、沖矢のことをじっと睨み、不機嫌を顔に貼りつけて当然のごとく無視を決め込んだ。そしてずっとそっぽを向き続け、知らん顔をして彼の前を歩き、無言のまま助手席に乗り込もうとする。
しかし、それは沖矢に制止され、なぜか彼は博士と灰原だけを先に乗せた。
「何? 謝罪ならお断りだけど」
「彼……」
「え?」
「あの金髪の彼。まるで『狼』のようで危険です。あまり近づかないようにしてくださいね」
ふたりの視線の先にいるのは、何かを話しながら警察に協力している安室透の姿。とっさに「狼」と言われて呑気にもぼんやり赤ずきんの童話を思い浮かべてしまったのだが、もっと鋭く恐ろしい存在であることはなんとなくなまえにもわかる。
安室透がただの私立探偵ではないことくらい。
「……わかった」
「では、帰りましょうか」
僕たちの家に。そう言ってほがらかに微笑む沖矢昴を、なまえはやっぱりしばらく許さない。