24...
音楽室の窓際にはレモンスカッシュの缶がふたつ。今年初の夏日を観測したその暑さに負けて、缶の肌には無数の汗が吹き出して流れている。
彼らが出会ってちょうど一年が過ぎた高校二年、春の終わり。そろそろ夏服でいいなと確認するように話しながら、ベースとピアノを投げ出して、なまえと諸伏は窓辺で椅子を寄せ合い、委員会があるらしい降谷の到着を今か今かと待っていた。
開け放った窓からは時折涼しい風が入ってきていて。さっきからずっと鼻歌をうたっているなまえの髪は、その度に軽やかにはためいていた。それを諸伏はぼうっと眺めながら、改めて「いい女だなあ」と思う。あのゼロが本気で好きになるのもわかる。しかも、お前はなまえ専用の警備会社か! ってくらいめちゃくちゃ嫉妬深くて、素直じゃないところが、傍で見ていて実に面白い。早く告白しろと言ったところで、好きじゃないを連発する。まったく。オレたちがどれだけ長い付き合いだと思っているのだ、と言ってやりたくなるくらい見え見えの嘘をつくばかり。
……まあ、それは。こっちもだけど。
「あ。そうだ、ヒロ。今度のゴールデンウィーク。最初の日、暇?」
「え?」
突然、そんな風に予定を聞くなまえが珍しくて、諸伏は驚きで少し言葉に詰まる。学校があるときは、ほぼ毎日のように放課後までずっと一緒だが、休日を三人一緒に過ごしたことは、実はまだ数えるほどしかない。それも、今回は愛しの彼女の方から予定を尋ねてきたのだ。正直、期待でちょっと胸が踊ってしまう。
「あー……別に何にもない、と思う」
「本当? 零はどうかな?」
その彼女の言葉は何の悪意もないとは言え、今の諸伏には落胆するほど面白くなかった。なので降谷には悪いが、至極どうでもよさそうに、別にないんじゃないか? と言うと、なまえは心底嬉しそうに笑った。
「あのね。誕生日プレゼント買いに行きたいの」
「……誰の?」
「弟! 五歳になるんだよ!」
そう言って指を大きく広げて、こちらに突きつけるように見せてくる。つまり、五歳の「五」を意味するらしいが、諸伏はその動作に少し笑って、なまえの弟のことを思い出した。顔を見たことはないが、確か名前は「新一」くん。子どものくせにシャーロックホームズが好きな、ちょっと変わった少年らしい。
「へえ。五歳だったら可愛いだろ? しかもなまえの弟ってことは、顔も整ってそうだし」
「あー……でも、新一と血は繋がってないから」
「え?」
「私、養子だし。もともと苗字も工藤じゃないんだ」
その告白を聞いたのは初めてだった。なまえは大して気にしていなさそうではあったが、空の青に映える横顔はやはり、どことなく寂しそうに見えて。そして、つい諸伏は自分の境遇と彼女を重ねてしまう。
「……実は、オレも兄さんがいてさ! 東都大首席で卒業したくせに、キャリア試験なしで警察に入ろうとしてるんだけど。えっ、と……両親が! 事故に逢って亡くなってからはずっと離れて暮らしてて……!」
「え、そうだったんだ……」
「ああ。だからオレも兄さんと同じように警察官目指してるんだ。実は、ゼロもそうなんだけどさ」
「警察……」
なまえはその話を聞き、少し将来のことを考える。漠然とこのままの学生生活が続き、三人でずっと一緒にいられると思っていた。けれど、諸伏と降谷は警察官を目指しているといい、自分だけが取り残されるのではないかと不安に思う。そろそろ進路相談の時期だし、本気で考えなくてはならないときに差し掛かっているのかもしれない。
彼らと、ずっと一緒にいられる方法を。
「それより、弟の誕生日プレゼントの話だったな! 行こう行こう! ゼロも誘ってさ。んで、三人でもデートしよう!」
「デート?」
「男女が一緒に出かけるんだから、デートだろ。例え三人でも!」
爽やかな彼の笑い声が音楽室には響く。それと同時に、後方の扉から委員会終わりの降谷が入ってきた。その手には、まだ汗をかいていない、購買の自販機で買ったばかりのレモンスカッシュの缶を持って。
case24. プレゼント・フォー・ユー
五月三日。ゴールデンウィーク初日の憲法記念日。南東京駅、中央改札口前にて。
「遅い!」
降谷がそう一喝すると、諸伏となまえはへこへこ腰を折って謝った。約束の時刻からは一時間を過ぎていて、心配したんだからな! と降谷は眉間にしわを寄せる。遅刻した理由は単純明快。なまえが乗るバスを間違え、それを知った諸伏が助けに行った。が、ミイラ取りがミイラ取り。ふたり揃って大遅刻となったのである。
「大体、なまえがヒロに連絡するのが悪い」
「だって、バスからヒロが見えたから」
「その時点でバス停間違ってんだよなあ……」
呆れたように笑う諸伏。一貫して申し訳なさそうにするなまえ。そして怒っている降谷。と、ようやく全員が揃ったところで、三人は目的の場所へと歩き始めることにした。人で賑わうゴールデンウィーク初日。なまえの可愛い弟のために、幼児向けの雑貨店が入る商業ビルに行くことになっている。
降谷はその容姿のよさから、自然と人の目を引くタイプ。そこへ諸伏も並べば、降谷とは対照的な黒髪イケメンとして目につきやすい。そして、最後にその間を歩く頭ひとつ分小さいなまえも十分整った顔つきをしているので、三人は駅でかなり目立っていた。ざわざわとした喧騒の中を歩けば振り返る人もいるほどで、唯一それに気づいている諸伏は少し得意げになる。
「それで。買うものの目星はもうついてるのか?」
「ううん。でも、新ちゃんって変なところ大人びてて。あんまり子どもっぽいものあげると『ガキじゃあるめーし!』とか言ってくるんだよ。私は結構……可愛いものとか……好きなんだけど」
可愛いもの、と言うのが恥ずかしいらしいなまえはその部分だけを小声にしてうやむやにしていた。その言動が逆に可愛すぎて、降谷はつい口元を隠す。諸伏に見られた。あとで殴る。
目当ての雑貨店はビルの三階にあった。高校生が入店するには少し躊躇してしまうくらいのファンシーさだが、五歳の少年にあげるものというならちょうどいいものがあるだろう。三人は足並み揃えて店内をうろうろと巡り、目ぼしい商品を探していく。
そんな中、なまえはひとつのぬいぐるみに感嘆の声を上げながら触れた。首元にリボンのついた、だるそうな表情のクマのぬいぐるみ。それをとっさに持ってきつく抱きしめると、ふたりの友人に見せる。
「これ、可愛くない?」
笑っている表情や、せめて無表情であれば可愛いのだが。如何せん、そいつは一際だるそうな表情である。降谷と諸伏は顔を見合わせ、苦笑いをしながら売り場に戻した。
「今は新一くんのプレゼントだろ」
「あ、そうだった!」
「あっちに文房具があったから見てこいよ。実用性があればガキっぽいって思われることもないだろ」
「そうだね!」
そう言って、なまえを文房具売り場に行かせたと同時に、降谷と諸伏両名が、今しがたなまえが抱えていたぬいぐるみを取ろうとする。偶然手が重なったが、決して恋が始まるわけではない。
「……おい」
「ゼロ。やっぱ、考えること一緒だな」
「僕が買う」
「抜け駆けするなよ。オレたち『さんこいち』だろ?」
さんこいち。やけに一音一音の発声をよくして、諸伏は顔に似合わない言葉を言った。すると、降谷は手を離し、はあ、とため息をつく。そして絶対に敵にしたくない長年の相棒にこう言うのだ。
「……じゃあ、折半だな。それでいいか?」
諸伏は悪い顔をして笑う。交渉成立、という意味だった。
「ありがとう、ふたりとも! いいの買えたよ!」
いつのまにか店外に出ていたふたりに合流するように、なまえは彼らに駆け寄った。買ったのはアドバイス通りの文房具。それも、虫眼鏡や鹿打ち帽などの探偵をイメージしたイラストがプリントされた鉛筆が売っていて、まさしく新一にぴったりだと思ったのだ。
いいものが買えてほくほくした表情を浮かべるなまえに、降谷と諸伏は一旦、顔を見合わせる。そして、頃合いを見計らって後ろ手に隠していたプレゼントの包みをさっそく彼女に手渡した。
薄ピンクのセロファンでラッピングされたその中身はもちろん、ユルリックマなるだるそうなぬいぐるみ。
「これ、なまえに」
「プレゼント・フォー・ユー! だな」
「えっ、どうして……私、誕生日じゃ……?」
困惑の表情を浮かべるなまえにふたりは言った。
「新一くんが誕生日なら、五月四日はなまえ『お姉ちゃん』の誕生日だよな!」
「ハッピーバースデー、お姉ちゃん」
まさかふたりにそんなことを言われるなんて思ってもいなかったなまえは、新一が生まれた五年前のあの日のことを思い出す。工藤家に引き取られて数ヶ月後に生まれた弟。病院でそのぷくぷくとした赤い顔を眺めていると、今ふたりに言ってもらったことと、まったく同じことを有希子にも言われたのだった。
開けろとせがまれるので、店の前でガサガサと取り出したぬいぐるみ。なまえはそれを大事そうに抱えて、満面の笑みで彼らに言う。
「可愛い! ありがとう!」
けれど、当のふたりは「お前がな」と思うばかりで。降谷と諸伏はいっそう照れ臭そうに笑ったのだった。
それが十二年前の出来事だった。なまえは毛利探偵事務所の階段を降りながら、幸せだったその出来事を思い出す。そしていつかの鼻歌をうたいながら、初夏の風を浴びて歩き始めるのだ。
『コナンくん、誕生日おめでとう!』
探偵事務所のデスクの上に今年のプレゼントは置いてきた。弟の大好物である焼きたてのレモンパイと一緒に、ユルリックマのメッセージカードにそう言葉を添えて。
2019.05.04 HAPPY BIRTHDAY!