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高速道路を乗り継いで到着したのは東都湾に浮かぶ小さな人工島。開発が進むにつれて大きな娯楽施設が着々と出来上がりつつあり、完成すればきっと子どもたちが夢に見た理想のすべてを宝箱に詰め込んだような島なることだろう、と先日のニュース番組でコメンテーターが話していたことを思い出す。
その中でも唯一、昔からあるのがこの東都水族館。現在リニューアルオープンに向けて営業と並行した工事作業が真っ最中であり、人気は少なく、営業時間ぎりぎりのためデートとしてはかなりの穴場スポットである。なまえは、蘭とコナンと一緒にコーヒーショップで話し合いをしていたときに候補に挙がっていた水族館という場所に、まさか自分が連れてこられるとは思わず、実はちょっと感心していた。まさに「デートの王道」という感じがしたからだ。
「もしかして、水族館は初めてですか?」
車を降りると、安室はやはり降谷がめったに見せないような優しい表情でなまえにそう尋ねた。どうやら彼の方から提案したはずのタメ口での会話は、許可を出したもののやめにしたらしい。それでよかった。おかげでなまえはなんとか心の平穏を保ちながら、けれどしっかりそれを隠すように質問の返事をする。
「いえ。高校生のときに、一度。米花水族館には家族で行ったことがあります」
「そうでしたか。今、ここは見ての通りリニューアル工事中でかなりの穴場。あまり時間はないですが、人がいない分スムーズに見て回れると思いますよ」
まあ、もうすぐあそこに二輪式の観覧車なんかもできて完全に子どもの国になれば、ここもかなり混み合うのは必至でしょうけどね。と、事前にリサーチしていたらしい彼はえらく詳しげにそう話すと、腕時計で時間を確認し、また自然になまえの手を握った。さっきまではあれほど激しかった雨も今は予報を大きく外れて止んでおり、空気が澄み切って心地いいくらいの夜気が辺りを包んでいる。邪魔になる雨傘は、すっかり気を許した彼の車に置いて来た。
チケットカウンターにてナイトカップルチケットなるものを安室は購入し、そのうちの一枚、ペンギンの写真がプリントされた券をなまえに手渡してくれた。代金を払うと言ったが断られたので、性分的に申し訳なく思いながら後で何か奢ろうと決めて入場のゲートをくぐる。
それにしても「ナイトカップルチケット」って。正直言って、小っ恥ずかしいネーミングセンスだなあ……。
「こんばんは、順路はこちらです。足元にお気をつけてお進みください」
女性係員の指示通り、誘導されたエスカレーターに乗ってまずは二階へと向かう。穴場と言うだけあって前後に人は誰もおらず、館内はまるで貸切り状態。ロマンチックな電飾と、美しいヒーリングミュージックが心地よい音量で流れていて、カップルたちのムードを最高潮に盛り上げるための空気感を徹底して演出しているらしい。
あれは何年生のときだったか、高校の夏休み。当時、保育園児だった新一を含めた家族四人で、一度、米花水族館には行ったことがあった。そのときは当然デートだなんだと意識していなかったので、今日のように細かいところに気づくこともなく、ただ流し見するように魚たちを鑑賞して帰った覚えしかない。
ただ、確かそのときは、そこにいたサメが結構獰猛で、小さかった新一が怖いもの見たさにかじりつくようにアクリルガラスにへばりついていたという可愛い記憶がある。そんな彼も、その後、ガールフレンドとふたりきりで水族館へ行ったと聞くと、姉としてはつい思い出し笑いをしてしまうくらいに微笑ましい出来事だなとなまえは改めて思った。
そして、その話を聞いたときはらしくもなく、自分もいつかは「行ってもいいな」と思ってしまったのだった。もちろん寿司屋の方が好ましいという気持ちに変わりはないけれど、新一と蘭のように赤い糸で結ばれた誰かがもし自分にもいるのであれば、その人と一緒に行けばきっと幸せなのだろうなと。
生まれてこのかた、一度も恋なんてしたことないくせに。
……でも、まあ。旧友である降谷零と同じ顔をしたこの「安室透」という人が一緒なら、それはそれで運命みたいで、そんなに悪い気もしないな。なんて。なまえはそう思いながら足元に気をつけてエスカレーターを降りる。後ろにいた安室はその様子を見て、くすりと笑った。
「さっきからずっと笑ってますけど、もうそんなに楽しいですか?」
安室にしてみれば、それは何てことない質問だった。けれど、なまえはふと考える。
楽しい? ……そうか。この、ざわざわした落ち着かない胸の感じを楽しいと言うのか。それに気づくや否や、なまえは無意識的にとびきりの顔を彼に向けてまるで花が咲くように言った。
「うん、楽しい」
それを見た途端、安室はきゅっと胸が熱くなる。やばいな。反則すぎだろ、その笑顔。

case27. 星団を掴む
東都水族館は米花水族館よりも規模が大きく、リニューアルせずとも十分見ごたえがある展示様式ばかりだった。イルカショーは時間的に見られなかったが、世界中の海をイメージした水槽や、小さくて美しい熱帯の小魚たち。そして中央の最も大きい水槽にサメやクジラなどの大型海洋生物がいて、いちいち感嘆の声をあげながら指をさしてなまえは彼に話しかける。安室はかなり博識で、その度に魚に関する知識や学名などを披露したり、たまにするのだという釣りの話をしたりしていた。負けじとなまえも何か魚の話を披露したかったのだが、気がつけば新一とふたり暮らしのときに身につけた魚の捌き方の話になっていたため、水族館でする話ではないと照れ笑いを浮かべながら口を噤む。すると、安室はその様子を見てフォローするように「監察医が捌いた魚ならぜひ今度食べてみたいな」とおどけて笑いを誘ったのだった。
あっという間に順路は過ぎていき、最後のクラゲの展示を見て回っているとき。そこでふたりの距離が最も近くなる。円形に切り取られるようにできた青白い水槽に顔を近づけて、まるで無数の星団を眺めるようになまえはクラゲを観察するのに夢中になってしまっていたからだった。
「すごく綺麗……!」
なまえはそう言って星を掴むようにアクリルガラスに手をかざす。その美しい横顔を安室はドキドキしながら盗み見た。
「幻想的」
「ええ……」
そんな生返事を彼女に返したけれど、安室の胸の内は本当はそれどころではない。久しぶりに間近で見たなまえの瞳。そこに映る光の束の方がよっぽど綺麗で。もう二度と離したくない。誰にも渡したくない。そう思うや否や、安室は人気のないことをいいことに大胆にも彼女の腰に自分の腕を回そうとする。が。
その雰囲気をぶち壊すように、後ろから突然、大きな声が聞こえて来たのだった。
「見て見て、高木くん! すっごーく綺麗! 幻想的よねーっ!」
「本当ですね、佐藤さん!」
「クラゲって昔、海で刺されたことあってね。そのときすっごく腫れたから厄介な奴だと思ってたけど、種類によってはこんなに綺麗なのね? 海に浮いてるのとか、ゴミ袋に見えたこともあるわ」
「あはは……」
その、感想的にはなまえと大差ないはずなのに、後半のエピソードでムードをブチ壊すようなカップルの会話に若干の殺意を安室が抱いていると、なまえは激しく肩をビクつかせ、急に彼の手を強引に握って走り出した。さすがに予測不能なその行動に安室は驚きつつも、彼女から手を取ってきたことが嬉しくて。なんだかよくわからない感情のまま、ふたりは出口まで一直線に走る。
ありがとうございましたー、という係員の間延びした声を聞きながら、安室となまえは出口のゲート前で互いに息を整えた。そして、どうしたのかと尋ねる前になまえは高揚した顔色で理由をひとりごちる。
「危ないとこだった……! 美和子にバレるところだった」
「な、何が?」
「あ、急にごめんなさい。今のカップル、実は知り合いなんです。この前、彼氏の方の高木さんに昴くんが余計な話をしたせいで、ただでさえ美和子からしょっちゅう事情聴取みたいな電話が来ててこじれてるのに、この状況見られたら本当にまずい……」
穴場であることが逆にアダになったか。なまえはハッとしたようにそう呟きながら頭を抱え、とりあえず一刻も早くここを出なければという強い意思を見せる。だが、一方の安室は少し違った。
昴くんという名前がなまえの口から出たことで、今まで最高潮によかった機嫌が一気に急転直下で冷えていくのが自分でもよくわかった。あの男は悠々となまえと同棲して、キスして、デートして、添い寝して……自分よりも遥か高みに立って、まるでこちらを笑っているように思えてならない。そして、それがなんとなく、あの殺したいほど憎んでいる人間とダブってしまうような気もする。
それに、今日彼女がしているペンダント。最初見たときから違和感があったが、あれは某ブランドの有名なデザイン。傾くようについているハートの意味は「心を開いて」。一般的には、男性が女性に対してそういうメッセージ性を込めて贈るものだ。もし、あいつに贈られたものを今日つけてきたのだとしたら、それはさすがに空気を読めなさすぎるし、なまえの意志ではないだろう。ならばと推測すれば、それは明らかにあの自信家な男から自分に向けられた挑戦状である。
安室は再び強引になまえの手を取った。そして、余裕なく彼女に告げる。
「食事に行こう」
「え? でももう遅いですし」
「駄目だ」
それはまるで子どもが駄々をこねるような拗ねた言い方だった。なまえはその様子が、もう重ねないと誓ったはずの降谷とやっぱり被って、思わず息を飲む。
「今日はまだ、帰してやらない」
何を彼がそんなに怒っているのか。なまえには意味がわからず、ただ心が苦しくなる。その言動があまりにも粗暴で、打ち消したばかりである自分の友人の降谷にしか思えなかったからだ。