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「シャロンじゃない! 本当に来てくれたのね!」
「素敵! 感激だわ、夢みたい!」

 プライべートで楽屋訪問に来た方が今から出演する役者たちにそう言われるものだから、それだけシャロンの人気が絶大であることを、その場にいた全員が改めて感じざるを得なかった。有希子曰く、この劇団の座長とシャロンが古い知り合いで、彼女が「陣中見舞いをする」と言えば、たったそれだけでチケットを簡単に準備してみせたのだという。やはり彼女はハリウッドを代表するトップ女優のひとり。ますますなまえは彼女のことが同じ女性として好きになる。

 今日、観劇予定の『ゴールデンアップル』は、かの有名なギリシア神話の一挿話『パリスの審判』を現代的にアレンジした演目だった。真っ先にシャロンに駆け寄り、飛びつくように喜ぶ褐色の女性がリラ・サンチェス。彼女は今日、ギリシア神話に登場する数多の女神の中で最も高い地位につくヘラ役を演じるという。その隣にいる勝気そうな日系の女性、アカネ・ニールセンは戦いの女神アテネ。そして豊かな金髪の女性がアフロディーテ役のローズ・ヒューイット、ということになっているらしい。劇場の前で新一たちを待っている間に、他の客のパンフレットを盗み見した甲斐あって、なまえは舞台を見る前からやけに詳しくなってしまっていた。


「あら、もしかして彼女……?」


 舞台女優たちに囲まれたシャロンがしばらく彼女らと会話を楽しんでいると、うちひとりがこちらに気づき、そんな驚嘆の声をあげた。それ呼応するように、今度はシャロンが振り向きざまに答える。


「ええ、そうよ。お茶の間で大人気の女探偵……」
闇の男爵夫人ナイトバロニス!」
「イエース!」


 調子のいい性格の有希子はそう呼ばれるや否や笑顔でピースを作って、女優たちの輪に堂々と割って入っていった。容姿的に見劣りしているというわけではないが、身内のそういった様子にはさすがになまえも新一もつい乾いた笑いを浮かべてしまう。ただ、きょとんと疑問符を浮かべている蘭には彼らの母が「闇の男爵夫人」と呼ばれている由縁を説明しておかなくてはならない。

 数年前、推理作家・工藤優作の妻として有希子がアメリカの特捜番組に出演した際、そこで披露した華麗なる推理が見事に的中。難事件を解決に導いたことがあるのである。まあそのマジックの種は、毎朝ニュースを見ていた優作がぼやく推理をそのまま披露しただけに過ぎないのだが、お茶の間は瞬く間に彼女を時の人として賞賛。そして夫である優作の代表作にちなんで「闇の男爵夫人」とあだ名をつけたのである。


「じゃあ、その子たちはあなたの子ども?」
「黒いワンピースのあの子と彼はそうだけど、彼女は違うわ。ま、もしかしたら『未来の』がつくかもしれないけどね!」
「まあ、素敵!」


 女優たちの視線は一気に、「未来の」娘である蘭の方に向けられる。一方のなまえはいつものことながら、有希子に娘と言われると一体自分は何歳に見えるのだろうかと細かいところが気になってしまうのであった。

 そこへ口を挟んできたのはようやく登場の、もうひとりの女神。奇しくも『パリスの審判』でパーティに招かれなかった争いの神エリスのように、遅れて会話に入ってきたイベリス・ハミルトンである。


「あらあら。てっきり例の奇妙な贈り物の謎を解くために闇の男爵夫人が来てくれたと思ったのに。子連れで楽屋に冷やかしにきただけだなんて。がっかりだわ」


 彼女は有希子を野次るようにそう言うと、心底うんざりといった冷たい表情で楽屋の端に立っていた。当然、気になるのはその「奇妙な贈り物」についてである。


「三日前にこの劇団宛に贈り物が届いたのよ」


 説明を続けたのは、意外にもシャロンだった。

 贈り物の中身は金色のスプレーでコーティングされた、この物語を象徴する黄金の林檎。そこには「For the fairest(最も美しい人へ)」というメッセージが動物の血で書かれていたといい、女優たちは気味悪がってその話を聞くだけですくみあがっている。それはこの舞台の演目である『ゴールデンアップル』で争いの女神エリスが、自分をパーティに呼ばなかった三人の美しい女神たちを妬んで贈った林檎になぞらえられているらしいが、ファンが贈るにしてはあまりにも笑えないジョーク。考えたくはないが、それは犯罪の予兆のようなものを孕んでいた。

 その話を聞いて、有希子もなまえも新一も、この楽屋に入ったときに感じた嫌な雰囲気を妙に納得していた。直接的な犯行予告ではないにしろ、そんなことがあれば外部からの侵入に過敏になることは当然であると思えたからである。


「まあまあ、落ち着いて。僕の女神たち。どうせただのいたずらに決まってるさ」
「でも、ヒース……」


 そう言って楽屋に入ってきたのは、金髪碧眼の美しい男性。どうやら今日の舞台俳優のひとりらしく、そこで立ち聞きをしていたようで既に舞台衣装に着替えた状態で颯爽と髪を掻き上げた。そしてその甘いマスクを最大限に活かした笑顔を見せ、うろたえる女優たちをなだめている。なんとなく、ではあるが、ここにいる四人の舞台女優全員が彼の登場に空気を和らげたようにも思えて、工藤家の人間はそれぞれに違和を覚える。


「彼は?」
「ああ、この劇団のトップスターのヒース・フロックハートよ。映画の主役の話が決まって、舞台は今夜が最後らしいけど」
「さあさあ、気を取り直して。シャロンの友人たちを舞台裏に案内しようじゃないか!」


 ヒースがそう言うと、女優たちはそうねと一様に同意した。なまえはこのまま何事も起こらないことを望みながら、つらつらと楽屋を出ていくみんなの最後尾につける。

 ところで。この中で、最も美しい人とは誰だろう。リラもアカネもローズも確かに美しいが、視線の先に目についたのはやはり、シャロン。彼女は他の女優にはない別格のオーラを身にまとい、誰も寄せつけることのできない美しさを放っている。

 きっと世界中の誰よりも「For the fairest(最も美しい人へ)」と刻まれた黄金の林檎は彼女にこそふさわしい。不謹慎ながら、今のなまえにはそう思えてしまったのだった。



case31. その謎は悲鳴が出るほど美味しい


「でも、いいの? 開演四十分前なのにこんなところにお邪魔しちゃっても」
「大丈夫よ。最初の二十分はこの舞台の元になったギリシア神話を語り手が面白おかしく話すだけだから」

 なまえたちはシャロンと有希子がそう話しているのを聞きながら、すっかり大所帯になってしまった人数で暗い舞台裏を歩いていた。まるで添乗員に連れられた集団旅行客の見学ツアーだなと自嘲気味に思っていれば、突然、蘭が頭上を指差す。


「天井のあれって何ですか?」


 そこにはまるでクローゼットが空に浮いているかのように、今回使われる様々な衣装が吊り下げられているらしかった。シャロンがそれについて説明し「場所を取るから上に吊ってあるのよ」と話す。

 そんな、舞台関係者でないとなかなか見ることのできない不思議な光景をしばらく眺めていると、ちょうど真上の位置に吊られていた何かがきらりと光る。何だ、と目を凝らすよりも先に、まるで空中分解を起こすように何かがこちらに降ってきたのだ。

 落ちてきたのは、鋼の甲冑。


「危ない!」


 誰のものともわからない声や悲鳴が聞こえ、一同はその場からとっさに離散した。しかし、ローズのスカートが何かに引っかかり彼女だけ身動きが取れないで大声をあげている。それにいち早く気づいたのは蘭で、持ち前の身体能力の高さを生かして彼女を助けるために飛びかかった。

 その瞬間、さきほどまでローズがいた場所に、激しい音を立てて鎧が落下する。衝撃でばらばらになった部品が四方に飛び散り、落ちていたらひとたまりもなかったであろうことに全員が息を飲んだ。


「蘭!」


 慌てて新一が大切なガールフレンドである蘭の傍に駆け寄る。ローズは顔面蒼白で、激しくうろたえていた。


「やっぱり私よ! 誰かが私の命を狙っているんだわ!」


 さすがに事件性を感じたなまえは、蘭の傍に駆け寄る新一の代わりにとっさにロープの切れ端を見た。一瞬はローズが言う通り、何者かによって自然と切れるように細工を施されたのだと思った。だが、見たところロープに真新しい切り口はなく、単に古いものが切れた劣化だという印象を受ける。気になったのは鎧の下敷きになったかなり長いテグスだが、それがもともとここに落ちていたのか、鎧についていたのかは後の祭り状態で判断しかねた。ここはひとまず、なまえはローズを落ち着かせる意味込めて、そのことを一旦、黙っておくことにする。


「ひとまず、ロープはただの劣化です。もともとかなり古いもののようですし、純粋に鎧の重さに耐え切れなかったようですね」
「でも不幸中の幸いね。傍にあった、あの大鏡が割れなかったんだから」
「ええ。あれは私たちの守り神ですもの……」


 そう言って鏡の心配をする女優たちを叱責するために、真っ先に近づいたのはシャロンだった。


「ちょっとあなたたち。感謝するのは神でも鏡でもないわ。この子にでしょ?」
「あ、そうね……ありがとう! 助かったわ!」
「いえ……!」


 またあとで楽屋に来てね! とローズから直々に礼を言われた蘭は照れたように笑う。しかし、その左腕は大きな擦り傷を作っており、見ているだけで痛々しい。

 もう時間だという俳優陣と別れた後、なまえはとっさに蘭の応急処置をしようと近づいた。しかし、それよりも先に傍に寄ったのはまたもシャロンだったのだ。


「やっぱり神様なんていないわね。いるならこんな惨い仕打ちしないもの」
「え?」


 惨い仕打ち。そう言われて、シャロンからハンカチを受け取った蘭は再び不思議そうな顔をしている。そして、話題を切り替えるように、俳優たちが誰もいなくなった舞台裏でシャロンは有希子に話しかけた。


「じゃあ、有希子。私、帰るわね」
「え? シャロンも舞台見るんじゃなかったの?」
「ええ。そのつもりだったけど、外せない用事が入っちゃったし。今夜はひどい嵐になりそうだからやめにしておくわ」


 シャロンはそう言うと、出口の方に近づく。そしてそのまま出て行くのかと思いきや、最後尾にいたなまえの背中を軽く押してひそやかに耳打ちをしてきた。

 一枚の紙切れを渡しながら。


「ねえ、なまえ。舞台が終わった後、私とこっそり落ち合わない?」
「え?」
「ウエストサイドの方に美味しいレストランがあるの。そこで食べる極上のステーキ、悲鳴が出るほど美味しいって噂なのよ。もちろんデザートはあなたがさっき好きだって言ってたレモンのケーキ。どう、興味出てきたんじゃない?」
「え、ええ……」
「このこと、みんなには内緒よ。なにせ、秘密は女を女にするんだから」


 A secret makes a woman woman. 意味ありげにくすりと笑いながらそう言うと、シャロンはその場から立ち去った。なまえの手中には、店の場所と思わしき住所と名前、それに時間が記載されていた紙が握られている。そして余白には彼女らしい茶目っ気を示すように「It's a secret!」と書かれていたのだった。

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