37...
赤井との不毛なやりとりがあった後も、彼はなまえが出した「必要なとき以外、赤井になることを禁ず」という条件を律儀に守っているようで、以前と変わらず普段から沖矢の姿のままでいてくれるつもりらしかった。しかし、前ほど頑なに隠すことをしなくなったのは事実で、堂々と首元の開いた服を着たり、変声機を使わずに話をしたり、なまえの前でも気を使わずに煙草を吸ったりしている。もしも赤井の姿で堂々としているような場合には、最悪、大家として彼を追い出す理由にもなったはずなのに。その最低ラインを上手に見極められているような気がして、ずる賢い彼のことを腹立たしく思ってしまうのだった。
しかしなまえ自身、沖矢との生活に楽しさと慣れを感じていることも事実だった。彼がいなくなれば、自分はまたこの広い家にひとり。それは新一が幼児化していなくなったときと同様、寂しいだろうなと思ってしまう。
そんな折のこと。
『なまえさん、今日もお仕事お疲れ様です』
なまえは先日、連絡先を交換した安室透と二、三日に一度くらいのペースでなんとなくメッセージのやり取りをするようになっていた。もちろん、由美から送られてくる合コンの日程や場所の共有が主な目的ではあったが、安室から届く言葉はいつも明るく前向きに自分を応援してくれる内容が多く、ついメッセージが来ていないかを期待して携帯電話を見る回数が増える始末。まったくもってらしくない。まるで女子高生のようだ。
『ありがとうございます。安室さんもお疲れ様』
けれど、降谷零と同じ顔をした安室から音信不通にされることだけはどうしても怖くて、必要事項以外の話を自分から送ることは一度だってできなかった。彼にはそれを、素っ気ないと思われているかもしれない。そう危惧しつつも、なまえはどうしようもない臆病風に吹かれて、今日も、安室のアドレスが記載されたメッセージの作成画面から余計な文面を削除して送信するのである。
一方の安室も、なまえのその態度にはさすがに気がついていた。いくら彼女の気を引く話題を送ろうとも、仕事を応援する優しい内容を送ろうとも、自分が声をかけない限りは絶対に彼女からの反応はない。まるで安室のことをわざと視野に入れないよう、努めているかのように。
だが、それを寂しいと思う資格は彼にはない。なぜなら彼はすべてを彼女に打ち明けたとき、自分自身がこの世でもっとも彼女を傷つける残酷な存在であることを知っているからだ。
「ごめんな、なまえ……」
こんなにも、ずるくて。メゾン・モクバのアパートの一室で、彼のその声は闇に溶ける。当該の合コン決行日は、明日に差し迫っていた。

case37. 合コン三か条と未解決事件
人生で初めての合コン場所は、南東京駅にある一般的な和食居酒屋で午後七時から。不測の事態を見越して早めに移動していたが、華の金曜日ということもあって街は相当賑わい、バイクを置いて来ていたなまえは久しぶりに混み合う環状線に乗っている。以前、安室と見た東都タワーが車窓から見えて、西日を吸って赤く輝くのがいっそう美しく見えた。
電車に揺られながら、今朝、家を出る際に、沖矢にはなんとなく言いづらくて職場の飲み会であるとごまかしてしまったことになまえは罪悪感を覚えていた。しかし、あの沖矢に言ったところでさすがに反対されることが目に見えるような気もするし、黙っておいて正解だったのかもしれない。「合コンなんかに行くくらいならここにいろ。お前の目の前にはこんなにもいい男がいるだろう?」とかなんとか。歯の浮くような台詞を赤井に言われるところを想像してしまう。駄目だ、考えただけで頭が痛い。忘れよう。
次は南東京駅、南東京駅です。そんな鼻声のような車掌のアナウンスを聞き電車を降りる支度をしていると、ふいに着信を知らせるバイブレーションを感じた。
きっと主催の由美か参加者の安室からだろう。そう思っていたのに、相手はなんと佐藤美和子。驚きのあまり手が滑りそうになりながら、ひとまず降車後に通話ボタンを押す。
「もしもし、美和子?」
「ごめん、なまえ! 由美の馬鹿が!」
「え?」
出るなり謝罪の美和子に驚き、声を失くしていると、彼女がその理由について説明を続ける。
「実は由美、昨日、また刑事連中と徹マンしたらしくてさ。そのせいで風邪引いて、今日の合コン行けないらしいの」
「え」
「高木くんに断ってどうにか私が代わりに行けたらよかったんだけど、今日は一課全体の飲み会で抜けられなくってね」
すると、電話口にいる彼女の向こうから「おーい、佐藤くん行くぞ!」という目暮警部の声が聞こえてくる。マイクの部分を押さえて、今行きます、という返事をしているようだったが、完全に筒抜け。それが嘘ではないことは明白だった。
「とりあえず、合コン女王・由美様からなまえ宛にって預かった三か条心得メモってのがここにあるから、今から代行で開けて読み上げるわね」
「え、ああ、うん……」
そう言うと、美和子はそのありがたいお告げを手早くなまえに代読する。それにしても合コン女王を自称しているなんて。由美さん、さすがだ。
「まずはその一、合コンに来るときはちょっとばかしのおしゃれをすること。あんまり背伸びしない。ごてごてした服は着ない。TシャツにジーンズはNG。ほどよい抜け感とこなれ感が重要」
「ほどよい、抜け感……?」
なまえはとっさに駅のホームの壁際で立ち止まり、自分の服装を顧みることにした。お気に入りの緋色のワンピースはさすがに着てこなかったが、NG認定されたTシャツにジーンズというバイク通勤時のような服装というわけでもない。黒のパンツに白いブラウスという面白みもない今の格好は、精々オフィスカジュアルという形容が妥当だろう。正直、服装を気にするということは盲点だった。
「その二、飲み物はビールを控えて可愛い感じのカクテルを頼むこと。カシスオレンジとか、ファジーネーブルとか、カルピスサワーとか……ってか、なにこれ? 由美っていちいちこんなこと考えて頼んでんの?」
美和子はそう言いながら、アイツいっつもビールばっかじゃん! と悪態をついている。一方のなまえは酒が飲めないので、その事項はあまり参考にならないなと苦笑いで聞き流した。
「最後ね。その三、監察医って仕事は婦警と同様、男からするとドン引き職業なので、絶対に仕事の話は伏せること。女医って言うと高飛車っぽいし、一番いい模範解答は『医療関係者』かしら、だってさ……」
「ドン引き職業……」
その「ドン引き職業」に就いているふたりは、電話口で揃って女王様のメモに沈黙した。なまえはそのとき初めて知ったのだ。監察医という仕事が男性にとってはドン引きだということに。
そのとき、プププという聞きなれない音が聞こえて思わず電話から耳を離した。画面を見れば別の人物から着信があることを新たに知らせている。その相手とはやはり予想外の人物、毛利蘭からだった。
「あ。ごめん、美和子。キャッチだ」
「ううん、私も行かなくちゃだし。じゃあ、合コン気をつけて。変な男には絶対に持ち帰られないようにほどほどで楽しんできてね」
「うん、ありがとう」
礼を言うとすぐに切ろうとしたが、美和子が慌ててそれを制止した。なまえは再び電話を耳に当てて、彼女の言葉に耳を傾ける。
「ん、どうしたの?」
「なまえ、あのさ。実はあのとき、由美が割って入って来たから最後まで言えなかったんだけど」
「うん」
「自分の気持ちにいつも正直に生きてね」
美和子はそれだけを伝え、電話を切った。なまえは、唯一と言ってもいい同性の友人からの親身な言葉を受け、もっとその意味について深く考えたかったのだが、急ぐように鳴り続ける蘭からの着信を今は繋げることしかできなかった。
「あ……もしもし、蘭ちゃん? どうしたの?」
「あ、なまえさん。今、大丈夫ですか?」
「うん。平気だけど」
「実は今朝、殺人事件に遭遇しちゃって……」
蘭が言うには、その殺人現場に残されていたダイイングメッセージと、十年前、優作が匙を投げた唯一の事件で残されていたダイイングメッセージが同じだったのだと説明した。そして、その十年前の資料を見るために、今、工藤邸に友人たちと一緒にいるのだと言う。どうやらコナンも沖矢も近くにいるらしく、うっすらと彼らの声も聞こえてきた。
十年前の事件といえばなまえは留学中で詳しく知らないが、確か新一が以前そんな話をしていたことを思い出す。しかし、蘭が聞きたいのはその十年前の事件のことではなく、今日の事件の被害者の死因の方であるらしい。
「さっき高木刑事に電話したら被害者は病死だったって聞いたんですけど、一応、なまえさんにも確認したくて」
「ああ。その死体なら解剖したの私だけど、肝硬変による静脈瘤破裂でまず間違いないよ」
すると納得したような蘭の相槌の後、聞いたことのない声が急になまえに怒声を浴びせてくる。
「おい、そんなわけないだろ! あんたも嘘ついてんじゃないだろうな!?」
どうやらその声の主は女の子のようだが、あまりに突然の言いがかりにびっくりしすぎてなまえは言葉に詰まってしまった。そして、くどくどと事件の説明をする彼女の話がひと通り終わってからようやく口を挟む。
「えっと。君、誰……?」
「蘭くんのクラスメイトの世良真純だよ。ほら。この前、コナンくんの誘拐事件のときにちらっと会ったろ? 女子高生探偵の」
「ああ、バイクで犯人のこと殴ったあの子ね……」
なまえはそう言いながら、ようやく改札を抜けた。そして電話を当てていた耳を変えて冷静に言い放つ。
「でも、口の利き方には少し注意した方がいいわよ。私は監察医でこの仕事にプライドを持ってるし、わざわざ死因を隠してあなたに嘘をつくメリットもない。それに、真実を暴き出したいという意味では探偵と変わりないわ。それがわかったらもう二度と疑ってかかるような真似しないで」
すると、さっきまであんなに威勢のよかった世良は急にしょげたように謝罪を口にする。それが聞ければもう何も責めることはない。なまえは世良が素直に謝罪ができたことをまるで実姉のようによしよしと褒めると、今度はその背後から無邪気なコナンの声が聞こえてきた。
「そ、そういえばなまえ姉ちゃん。今日は確か由美さん主催の合コンに行くって言ってたよ。だからほら、世良の姉ちゃんも早く電話切ってあげてよね、あはは……」
おそらくそれは、なまえが世良に怒っていることを察したらしい新一が気を利かせて早く電話を切り上げるために言ったにすぎなかった。しかし、その何気ない発言が明確な地雷になる。
それにいち早く反応したのは、やはり色恋沙汰に目ざとい鈴木園子。それから蘭も同様だった。なまえの合コン出席を相当驚いて、悲鳴に近い大声を上げている。そしてそれは、今も彼らの傍にいるであろう沖矢昴にもバレてしまったことだろう。
よくもまたややこしいことを増やしてくれたな。なまえはそういう気持ちで、世良に代わってもらった新一に電話口でこう叫ぶのだ。
「新ちゃんの、馬鹿!」
南東京駅のド真ん中で、怒涛の叱責。その日一番の注目の的であった。

その頃、新一はブツリと切れた電話を片手に踏み抜いた地雷をどうするか冷や汗をかきながら考えていた。先日はどうにか殴られ回避できたが、今回はもう無理そうである。大人しく彼女のサンドバッグになるより他にないだろう。
新一が大人しく殴られる覚悟を決めていると、女子高生の幼馴染ふたりは連れ立って沖矢に詰め寄っていく。
「昴さん、いいんですか? なまえさん、合コンらしいですけど!」
「いいわけないでしょ、蘭! ここはすぐに彼女を追跡して怪しい男をブロックよ! なまえさん、美人なのにそこんとこ妙に鈍感だから、変な男に言い寄られるのが目に見えてるわ」
「だよね!?」
しかし、沖矢は冷静にふたりをなだめると、とりあえず今朝遭遇した事件の話を進めるようにと説得した。ここでなまえのことで熱くなっていては本末転倒。助言をしながら今度は蘭に新一へ電話をかけさせ、事態の収束を測る。それに。
ここにいる全員を検証のために現場に出向かせた後の方が、彼女をとことん追い詰めやすいじゃないか。どうして嘘までついてまで、合コンに参加することにしたのか。その理由を洗いざらい問い詰めてやる。沖矢はそう思い、口角を上げる。
「お仕置きだな」
「え?」
「いえ、なんでも」