38...
蘭、園子、世良はその後、電話で工藤新一からの助言を受けて謎のダイイングメッセージが残されていた現場へ赴くために、コナンとともに工藤邸を後にした。まあ、その工藤新一の助言も、沖矢が話した何気ない会話で引き出したようなものであったが、おかげでコナンが新一であるというはっきりとした確証が改めて得られて、彼としては非常に満足である。ただ、やはり気がかりとして残っているのは、一筋縄ではいかないその姉のこと。一緒に暮らし始めてしばらく経ったというのに、未だに親密度が一進一退を続けている工藤なまえのことだった。
ひとり残った沖矢はキッチンの換気扇の下で、腕組みをして紫煙を燻らせながらなまえに電話をかけていた。今朝、彼女は職場の飲み会があるからと電車で出勤したが、酒を飲まないはずの彼女がバイクを選ばなかったことをそもそも不思議に思っていたのである。合コン、というのはかなり予想外だったが、それを聞いて諸々の理由を納得している自分がいた。つまり彼女は合コンで出会った相手との不測の事態に備えて、公共交通機関を選んだのだ。バイクだと、グループでの移動には不向きだから。
呼び出しにはやけに長く時間がかかった。やきもきしているうちに苛立ちが募り、沖矢は舌打ちを交ぜてなだ長い煙草の火を揉み消す。その顔は完全に赤井の顔をしていた。
「はい、もしもし……」
恐る恐る、というような声でようやく彼女の声がスピーカーから聞こえてきた。もうすでに繁華街にいるらしく、雑踏の音がノイズとして鼓膜に入る。それが不愉快だった。
だが、沖矢はそれをうまく隠し、あえていつも通りの柔和な態度で彼女に接することにしたのだ。その方が、今の彼女には効果的だろうと考えて。
「ああ、なまえさん? これから夕食を作ろうかと思うのですが、今日は職場の方と会食でしたよね?」
その普段と変わらない声色を聞いたなまえは、てっきりコナンから合コンのことを聞いて怒りの赤井モードで電話がきたかと思っていたために、かなり拍子抜けしていた。温厚な彼の口調と言葉からそんなに怒っていないと思えて、まだ彼の傍には蘭や園子がいるのだと察する。どうかそのまま一生いてください、お願いします、と神に祈りながら、ひとまず適当に相槌を打とうとする。
しかし、その質問の内容と心境的にこれ以上嘘がつきにくいことは事実で、なまえはとっさにうやむやに間延びした返事をしてしまう。これがいけなかった。
「あ、あー……うん、まあ、あの……」
すると、急に彼の声色が変わった。
「で、何時に終わるんだ?」
「え」
「安心しろ。もうここには誰もいやしないさ。それより、会食、何時に終わるんだ? 迎えに行くからさっさと言え」
はめられた。なまえはそう思いながらまるで泣きそうで、小声で彼に返事をする。
「わ、わかんないですよ、そんなの……合コンなんて初めてで、その……」
「じゃあ、終わったらすぐに連絡しろ。逃げるなよ。俺に嘘をついた罰として、納得いくまで説明してもらうからな」
ブツリと切れたその回線に、なまえは冷や汗が止まらない。やっぱり彼に嘘をついて合コンなんて到底無理だったのだ。

case38. 閉じ込めてしまいたい
合コンは定刻通り、由美を除いたせいで女性の数がひとり足りないという四対五の構成のまま始めることになった。店に入る前に少し挨拶を交わしただけのなまえと安室は、なぜか流されるまま一番遠い両端の席に座ってしまい、たまに目が合ったときに目線で会話する程度。そもそも由美を介して集まった他の七名は同性でも互いに知っている人間がいないらしく、その中で唯一顔見知りであることが知られればさすがに気まずい。なので、彼と知り合いであることは黙っておく雰囲気になっていたのである。
それにしても、安室はこういう場に慣れているようで、すぐに周囲と溶け込むように自ら率先して会話を上手く展開していた。他の女性陣たちはそれに沸き立って、既に安室に心を開いしているように見える。みんな、この日のために新しい服を下ろしてきたのかと思うほど華やかで美しく、なまえは自分の質素な服装に視線を落とした。パンツスタイルは自分だけ。これが由美の言う抜け感のなさ、なのだろう。
それぞれ名前と年齢だけの簡単な自己紹介の後、乾杯用にドリンクを頼もうということになってメニューを開く。安室を含めた男性陣は全員がビール。女性陣は由美の助言通りのようなドリンクを選んでいく中で、なまえはひとり「ウーロン茶」を頼もうとした。
しかし、そのとき、前に座っていた男性が話しかけてきたのだった。
「あれ? なまえちゃん、お酒は飲めない系?」
彼は今日いる中では、もっとも軟派そうな男だった。既になまえのことを馴れ馴れしくもちゃん付けで呼んでおり、安室は隠すのも忘れ、とっさに冷えた目で睨んでしまう。
しかし、誰かにそう言われてしまうと、なまえは先日のように再び下戸を恥じたような気持ちに陥って何も言えなくなってしまっていた。そしてとっさに由美様の合コン三か条を思い出してみるものの、聞き流したせいでなんという酒か思い出せず、とりあえず目についた「レモンサワー」なるものに注文を変える。レモン、というところだけに救いを見た自分の短絡的思考を笑いたい。
そんな彼女を心配そうに見つめていたのはやはり安室だった。もともとこの合コンは恋人が欲しいとかそういうことではなく、参加するという彼女に他の男を近づけないため護衛としてとっさに参加を申し出たまでのこと。まるで高校時代に景光からよく言われた「工藤なまえ専用警備会社」の延長のようで、こんなことを未だにしていると彼にバレたら呆れられてしまうなと内心、苦笑する。
だが、想定以上にさっきからなまえ以外の女性陣に猛攻撃のような会話の嵐を受けており、安室はなかなか彼女に近づくことができないでいた。慣れない合コンに、慣れない酒で彼女は相当参っているだろう。しかも、前に座っている男がなまえにばかり話しかけていて、状況的にはかなりまずい。
……っていうか、その席に座っていいのは僕だけだろ。もしくはなまえ、お前がこっちに逃げてこい。早く。僕の隣に座れ。
そういう安室の静かな怒りの念も虚しく、乾杯後、軟派な男がなまえに狙いを決めて話しかける。
「そういえば、なまえちゃんって何の仕事してるの?」
その質問に、なまえはとっさに言葉に詰まってしまった。さっきの酒の種類とは違い、由美曰く、自分の仕事が男性にとって「ドン引き職業」であることだけははっきり覚えていて絶対に言えやしない。そして、その受け答えだけは印象的なマニュアルとしてインプットしていたため、女王の指示通り医療関係だとうそぶこうとする。
しかし、安室はとっさにその会話に割り込むために、一番遠くの席から声を張って言ったのだ。しかも、関係を悟らせないあえての名字呼びで。
「工藤さんは監察医をなさっているらしいですよ。死体解剖のスペシャリストだと、さっきおっしゃっていましたから」
安室の空気を読まないその発言になまえはかなりのショックを受けていた。由美に「ドン引き職業」と称された監察医を、しかも一番遠くの席から全員に聞こえるような声でバラされ、もうこの合コンは終わってしまったと思ったほどである。しかし、そこに安室の狙いがあった。
「え……? じゃあ、もしかして。今日も死体見てからここにきたってこと?」
「やだあ、こわーい!」
「気持ち悪いとか思ったりしねえの?」
「うえ。その手で触ってきたってことか!?」
全員、一気にその話で持ちきりとなり、酒を飲んでいるせいもあって好き勝手に言いたい放題である。なまえは短く、あ、とか、う、とか声を漏らしていたが、再び口を開いたのは安室だった。
「いいじゃないですか、監察医!」
「……え?」
「他の誰にもできない仕事ですし、僕はすごく素敵だと思いますけど。それに」
「……」
「工藤さんの瞳の中に、正義という名の『光』が見えるようですしね!」
なまえはそう言われて、とっさに顔が熱くなった。いや、顔が熱いのは舐めるように飲んだわずかな酒のせいなのかもしれないが、とにかくその言葉が今はすごく心強くて、思わず感情が高ぶってしまう。
それは昔、零と景光に感じた「光」を、安室がなまえの中に見つけて救い出してくれたような気がしたのだ。
そして安室の方も、彼女のその熱に浮いたような表情を見逃すわけがなく、ポーカーフェイスを装いながらも本当は自分の鼓動が早くなっていくのがわかった。絶対に降谷零じゃ照れすぎて言えないことを言ってしまった、と思う。こんなこと、安室透でないと言えないだろ。
「ありがとう、安室さん」
そう言った彼女の笑顔は、自分がずっと守っていきたいと思えるほど美しかった。

しばらくして合コンは何事もなくお開きとなった。二次会に行くという話にもなったが安室もなまえもここで帰ると言うので、女性陣たちもつられて帰ると言い出し、飲み足りない男性陣は恨めしそうに口を尖らせている。それもこれも、安室が女全員を取っていってしまったようなものだった。
案の定、安室は他の女性たち全員と連絡先を交換させられてしまったが、もちろん、その情報はまったくのダミー。数日後、彼女たちからブーイングが巻き起こることが目に見えるようである。だが、彼にとってそんなことはどうでもいいことだ。とりあえず、なまえに変な虫がつかないように守ってやれさえすればよかったのだから。
一方のなまえも愛想のように男性陣から連絡先を聞かれていたが、携帯電話を持っていないという嘘をついてごまかしているようだった。それは一見、見え透いた嘘ではあったが、監察医という彼女の特殊さから自然と疑う者はいない。なまえは終わったことに胸を撫で下ろし、もう二度と合コンに来るのはやめようと思っていた。
安室ははやる気持ちを抑えながら、大切に取っておくような気持ちで最後になまえに声をかけた。結局頼んだレモンサワーを口に含む程度にしか飲んでいないくせにその頬は赤く、その表情が可愛すぎて今すぐにでもどこかへ閉じ込めてしまいたくなる。愛しい。離したくない。好きだ。そういう言葉をいくつでも彼女に与えて、自分に溺れさせてしまいたい。
そんな思いを抱えたまま、安室はひときわ優しい顔をして、赤くなった彼女の耳にこう囁く。
「なまえさん、一緒に帰りましょう」
僕が送りますよ。と、彼は言った。けれど、なまえの返答は反して釣れないものだった。
「ありがとうございます。でも、昴くんが来てくれる約束なので」
「……」
「もう少しみんなと離れてから電話します。電話持ってないって、嘘ついちゃったし」
そう言って、いつもは絶対に見せないゆるい顔で舌を出して笑う彼女。その表情を見て、安室はまた一気に、自分の気持ちが冷えていくのがわかった。このまま彼女を奴の元に帰すなんて、みすみす狼に餌をやるようなものだ。そんなことできるわけがない。
だからと言って、もう先日のようにみっともなく拗ねたりはしなかった。安室はその手を強引に取り、堂々と周囲の輪から抜ける。知り合いであることを隠し通していたのに、合コンの参加者たちからは最後の最後で非難の悲鳴を受けた。
「じゃあ、彼に少し遅れると伝えてください」
「え?」
「しばらくあなたのことを独占します」
その言葉にはさすがに鈍感ななまえでも胸が高鳴った。好きになってはいけない相手だし、好きになる気もない。でも、今はまだもう少し彼と一緒にいたいと、許されないことを思ってしまったのも事実だったのだ。