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 東京駅発ミステリートレイン・ベルツリー急行。沖矢とはあえて別入りで駅に到着したなまえは既に列車内の自室にて待機し、その出発を今か今かと待ちわびていた。乗車記念品も兼ねているチケット代わりのパスリング。真鍮製のそれを黙ってじっと見つめていれば、部屋に設置されたアンティーク風の電飾灯の下、右手の薬指で艶っぽく輝いて見える。にしても、さすがは鈴木財閥が作った豪華列車。一等車に劣るには違いないが、一般車両でもその内装は十分すぎるほど美しく、作戦さえなければこのまま純粋に優雅な旅行を楽しみたいとさえ思えるくらい居心地のいい客室である。

 ここに乗り込む前、なまえは蒸気機関車を模して作られたベルツリー急行に感動する子どもたちに混じって、弟であるコナンの姿をちらりと見かけていた。そしてこの作戦で最も守るべき重要人物・灰原哀も、確かにそこにいることを認識したのである。組織の人間が乗り込んでくる可能性があると知れば大きなショックを与えかねないため、灰原には一連の計画を伏せているのは当然のことであったが、なまえが乗車していることはあのコナンでさえよもや思っていないらしく、まるで悪戯をしかけているような気持ちになって思わず笑みが漏れてしまう。ともあれ、いらぬ心配をかけないように発車するまでは闇雲に出歩かない方がいいだろう。蘭や園子もいるので、誰かひとりでも知り合いに会えば確実に自分の情報は回る。

 しかし、列車がひとたび動き出せばこちらのものだ。身を案じて新一に途中下車を乞われたとしても、目的地に着くまで、ここが「走る密室」であることは誰に対しても平等である。

 もちろん、それは組織かれらにとっても。

 おそらく今頃、有希子や沖矢も既に自室で待機していることに違いない。そして自分と同じことを思って、暇を持て余しながら部屋で閉じこもっていることだろう。なまえはそう思い、大人しく携帯電話を操作してネットニュースでも読みながら出発までの時間を待つことにした。

 すぐに気になったのはサイトのトップページにでかでかと掲げられていた最も身近なニュース。この列車のオーナーである鈴木次郎吉氏が近々ベルツリー急行の一等車にて「赤面の人魚ブラッシュマーメイド」なる宝石を展示すると発表したらしい。それだけならニュースサイトのトップにはならなかっただろうが、尾ひれをつけるようにその話題に乗ってきたのは、巷を騒がせ続けている怪盗キッド。彼がその宝石に対して直々に予告状を出したのだという。いつも新一から話を聞かされているだけでその気障な怪盗に会ったことは一度もないが、何度も対決している彼の姉としてはかねてより挨拶したいと思っている人物でもある。


「きっと新一に似て、すっごく生意気なんだろうな。この子」


 過去の事件のときに撮られたものらしい遠目の彼の写真を、指先二本で拡大しながらそうひとりごちる。と同時に、列車はようやく出発の警笛をけたたましく鳴らして動き始めた。まるで運命の歯車を噛み合わせるように。

 なまえは自分の鼓動がいよいよ大きく高鳴っていくのがわかった。一年越しにシャロンとの約束が果たせますように。心の中にいつもいる神様にそう祈るよう胸に手を当てていれば、先ほどまでニュースを見ていた携帯電話が小刻みに震え出す。

 通知に現れたのはメッセージが一件。差出人は沖矢だった。

『なまえさん。くれぐれも気をつけて』

 そんな彼らしい気遣いになまえはつい笑ってしまった。心配性だな、昴くんも。そう思い、まるで今朝の冗談を引きずるようにすぐさま彼に返事をする。

『昴くんのことは私が守ります』

 なぜかそれを送った後、脳裏に赤井の笑い声が思い浮かんでは消えた。車窓から見える景色は流れの速度を増し、どんどんスピードを上昇させていく。

 こうして、それぞれの目的を果たすために整った舞台がようやく幕を開けたのだ。



case48. その列車は何者にも平等な「走る密室」


 とりあえず無事に発車という第一関門を終えたなまえは、張り詰めていた気を逃すように深く息を吐いた。そして、からからに渇いていた喉を潤すために、さっそく散歩や偵察も兼ねて食堂車へ向かおうと思い立つ。組織の人間が悠々と食堂車にいる可能性は低いと思えたが、その途中で何か思わぬ収穫を得られるかもしれないと思ったのだった。

 護身用とばかりにサングラスだけ装着したまま、なまえは静かに部屋を出た。すると部屋を出たタイミングが奇しくも隣室の客と同じだったようで、嫌が応にも顔を見合わせてしまう。

 そしてその人物とは、なんと顔見知りでもあった。


「あれ」
「え?」
「あなた……世良さん?」


 警戒心もなく、思わずそう声をかけてしまったのはなまえの方からだった。サングラスをずらして裸眼で改めて確認してみるも、そのボーイッシュな姿は先日、コナンが誘拐された事件のときに見かけた顔そのものである。


「確か、うちの新一と同じクラスに転入して来た……」
「ああ! 工藤くんのお姉さん! 隣だったのか!」


 彼女はそう言うと、尖った八重歯を見せつけるみたいに大口を開け、とても驚いているようだった。しかし、すぐにその表情を一変させ、急にしょげたような、決まりが悪そうな顔でなまえから視線を逸らす。


「えっと……この前は本当にごめんなさい。ボク、ついカッとなっちゃって……」


 この前とはおそらく、奇妙なダイイングメッセージを残しながらも優作が解決しなかった唯一の事件について電話で話をしたときのことを言っているようだった。あのときの被害者は……いや、被害者というよりただ持病の肝硬変で病死した男だったのだが、きちんと窃盗事件の被害者として処理されたらしいし、その事件については無事に解決したと沖矢から聞かされている。そういえば、そのとき新一に合コンに行っているとみんなにバラされたことに関してはまだ追求できていなかったなと、なまえは世良のその言葉で嫌な記憶を掘り返してしまった。その同時刻、コナンは部屋でぶるぶると嫌な寒気がしたらしいのだが、同じ列車に乗り合わせている姉がそのことを思い出しているとは夢にも思っていない。

 ともかく、そのときのことはもう解決済みである。むしろ、あの電話で叱責した後すぐにちゃんと謝罪の言葉を口にできた世良を、なまえは前々から褒めてあげたいと思っていたくらいだった。


「ううん、いいの。必死になってるとそういうこともあるよ。ね、可愛い探偵さん」
「!」


 普段から容姿的に男性として見られがちな世良は「可愛い」と言われたことに対して、途端に頬を真っ赤に染めてしまうほど照れてしまっていた。しかし、その表情になまえはきっと緊張しているのだろうと勘違いをし、彼女の心を和ませるためにまたにこりと笑う。怒られた身として気まずく思うのは当然だろうし、ここは年上の自分がリードしなくてはならない。そんな使命感に駆られた挙句、こんな提案を彼女に繰り出す。


「それより今から散歩がてら食堂車にでも行こうかなって思ってたんだけど、よかったら一緒に行かない? そこでお茶でも飲みながらちょっと話そうよ」
「あ、実は蘭くんたちの部屋に行く約束があって」
「そうなんだ。じゃあお隣だし、また後で遊びに来て! 君とは仲よくなりたいし」
「えっ、いいのか!? ボク、ひどいこと言ったのに?」


 食い気味でそう言う世良が可愛くて、なまえは笑う。


「きちんと謝れて偉いなって思ってたから。君、きっといい子なんだろうなと思って」


 すると、途端にまた花を咲かせるようにパァッと笑った彼女。背後にぶんぶんと振る尻尾が見えそうで、それについ心が和んだ。


「後で絶対行く!」
「うん」
「絶対の絶対な!」
「うんうん」


 念押しされてニコニコしていると、彼女はぺこりと軽く頭を下げ、足取り軽く後方車両へと駆けていった。なまえもつられるようにニコニコして彼女とは反対に前方車両へと歩き出す。蘭や園子と友人ということもあっては、仲よくなりたくないわけがない。貴重な癒しのJKなのだから。そんなことを考えてしまうなまえは、今度から新一にお菓子を持たせるときは三つにしようと心に決めたのである。


 一方、世良の胸にも、とある考えが思い浮かんでいた。


「……ボクにもし姉さんがいたら、あんな感じなのかな」


 二男一女の末っ子である世良が姉を得る方法はただひとつ。上の兄にいち早く結婚してもらい、義理の姉という存在を得る以外にないのである。しかし、聡明で優しい工藤なまえという人物には、秀吉の、というより一番上の兄である秀一の嫁としての方がお似合いだろう。そうすれば工藤新一と自分は親戚関係になり、また彼の魔法が気軽に見られるかもしれないな。なんて。それはもうこの世にはいない秀一が今も生きていればの話で。そのことを度外視しても、兄と接点のない彼女に期待することなどありえない話なのだが、世良は工藤なまえのことを是非とも自分の姉にしたいとそんな風に強く思ってしまったのだった。

 帰ったら、彼女のこと、ママに報告だな。

 そう思いながら七号車へ続くドアを開ける。そこにはB室の前で男と部屋を入れ替えている蘭と園子の姿があったのだった。

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