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愛車であるRX-7の中で、安室は冷え切った目を細めながら冷静にスマートフォンを操作していた。助手席で無造作にも散乱していたのは、ベルツリー急行での作戦後、ベルモットから受け取った赤井が死んだ前後の詳細な資料ファイル。律儀にも、キールの首元についていたカメラから撮影されたものだという動画をわざわざ静止画にした写真が数枚添付されており、それはやはりどこからどう見ても赤井が死んだことを指し示す証拠にしかならないように思える。しぶとく調べても覆りそうにないその事実に激しい苛立ちを覚えつつ、安室が回想するのは当然、あの一件。
八号車と貨物車を繋ぐ扉が閉まりかけた際に見えた、この世で最も憎たらしいあの男の笑みと、不安げに揺れる女のシルエット。そんな世界で一番見たくなかった組み合わせに、激務の中でようやく取れた短い睡眠の中でも、しっかりとうなされてしまうくらいには珍しくやられてしまっていた。それを、らしくないと笑う気力も今の彼には残っていない。
喫茶ポアロ、という名が表示された画面を安室はしばらく見つめる。そして、片手で鼻を押さえながら発信ボタンを押すとすぐに応答があった。
「はい。喫茶ポアロです」
「ああ、もしもし。梓さんですか? 安室ですが」
「安室さん! ……にしても、すごい鼻声ですね。その分だと、風邪はまだ長引きそうっていう連絡ですか?」
素直に信じているらしい梓につい笑みをこぼし、ええ、と彼は肯定の返事を続ける。
「毎晩、悪夢にうなされてしまうほどしつこい夏風邪を引いてしまったようで。まだもう少し、ポアロのバイトを休ませて欲しいのですが」
「了解です。マスターには私から伝えておきますね」
「助かります。週明けには出られると思うので。では」
そう言って電話を切った瞬間、普段通りの声色に戻した安室はまるで消え入るようなため息とともに小声で自嘲を呟く。
「僕は、嘘つきだな」
それはベルツリー急行を降りた瞬間にベルモットに言われた言葉の通り。嘘つきな自分では、いつまでも彼女にはふさわしくないと思い知る原因になったのだった。
case57. 嘘つきは恋の終わり
後日。ベルツリー急行乗車後の阿笠邸。灰原はコナンが自分に黙って秘密裏に進めていた作戦についてすべて彼から聞き終えるや否や、激しい憤りを発散させるようにいつにも増して語気を荒らげた。
「それならそうと、先に説明しといてくれない!?」
あ、いや……、と思わずたじたじになるコナンにも一切動じず、むしろ依然として怒りのパワーを増長させながら彼女は噛みつくように突っかっていく。
「驚いたわよ! 空いてた七号車のB室に死ぬ思いで逃げ込んだら、そこにあなたのお母さんが待ち構えてて『あとは任せて』って言われたって何が何だかわからないじゃない!」
「……」
「その上、あとでその部屋に入ってきたあなたが携帯電話を押しつけて『お前に変装した怪盗キッドが黒ずくめの仲間と会ってるから、何て答えればいいのか教えてやってくれ!』って、何かの冗談かと思ったわよ!」
確かに灰原の言っていることに何ら間違いはないのだが、一応はチーム全体が一丸となって彼女の命を最善とし、守るために攻防した結果。黙っていたことも含めて、あの場はああする以外に道がなかったのである。
一方的に攻め立てられているコナンを不憫に思ったらしい博士が、見かねて灰原の怒りを鎮めるために口を挟む。
「ま、まあ。奴らがあの列車に乗り込んで来るかどうかはまだ半信半疑じゃったからのう……」
「俺も、母さんから『ベルモットが列車に乗り込んでいる』ってメールもらうまで、油断してたし。俺らの部屋は盗聴されてたみたいだから、下手なこと言えなかったんだ」
それを聞いてもなお、灰原は「ふんっ」と鼻息荒く素知らぬ方を向き、今までにないくらい最高潮に機嫌悪く拗ねていた。そんな彼女にとっては、もはや何を言おうとすべてが言い訳にしかならないのかもしれないが、コナンはとりあえずありのままを伝えることで釈明代わりとするより他にない。
「オメーの携帯をハッキングしてた昴さんがベルモットからのメールを見て、さすがにやばいと思って迎えにいったらしいけど。予想通り、七号車のB室にオメーが逃げ込んでくれて助かったよ」
しかし、その一言が余計に灰原に火をつけた。ハッキングなんて初耳だ。聞いてない。人権侵害も甚だしい。
いや、それよりも気になるのは……。
「その昴って人、何者なのよ!? なんでなまえさんや、あなたのお母さんと一緒にあなたの家で暮らしてるわけ?」
「ああ、大丈夫。彼は味方だから。それに母さんが来るのはたまの週末だけだし、なまえとはもうじき……」
「は? もうじき?」
わずかに口ごもった彼の反応を不審に思い、灰原は怒りの表情のまま恫喝するように質問を続ける。しかし、なぜか姉のこととなると途端に照れたように頬を染めるコナンが言うのは、話を元に戻すための「まあ」という単なる二文字であった。
「今回の一番の収穫は喫茶ポアロでバイトしていた安室透が奴らの仲間のバーボンだってわかったことだな」
「そういえば。彼はあれ以来、体調不良とかで店を休んでいるらしいが」
「ああ。なんでポアロのバイトだったのかは謎だけど、もう戻って来ねえんじゃねえか? ラッキーなことにオメーがあの爆発で死んだと思ってくれてるみてーだしな。のこのこ現れたら、今度はこっちから探りを入れてやろうと思ってたんだけどよ」
そう言って、バーボンという組織の一員を撃退したことを誇るように話し、屈託なく笑う彼。すっかり流されるような会話の雰囲気になってはいるが、相変わらず腹に怒りを抱えたままの灰原は、その同級生の困った名探偵に呆れたように言い放つ。
「とにかく。今度私に黙ってこんなことしたら許さないわよ! 騙されたって感じで、全然嬉しくも何ともないんだからっ!」
しかし、コナンが次に続けたのは、またもその神経を逆撫でるような一言であった。
「それ。オメー流の言葉でありがとうって意味か?」
「馬ッ鹿じゃないの?」
怒りの沸点がとうとう超えたらしい彼女はまるで吐き捨てるようにそう言うと、どすどすとわざとらしく足音を立ててその場から立ち去っていってしまう。すると、博士がそっとコナンに耳打ちした。
「ほれ。哀くんはツンデレさんじゃから」
「……どの辺がデレなんだよ」
「にしても、新一。君がさっき言いかけた『なまえはもうじき』って。なまえくんに何かあったのか?」
「ああ。それな!」
すると、今度はコナンが逆に博士に耳打ちをする。それはベルツリー急行を降りた後、この作戦の立役者である母・有希子から、いつになく機嫌のいい調子で直接聞いた耳寄りな話。
あの沖矢昴こと赤井秀一が「このベルツリー急行を降りたら『一生をかけて大切にする』となまえに伝える」という約束を堂々と有希子にしてみせたのだという。それって実質プロポーズじゃねーか! と、その話を聞いた瞬間、興奮冷めやらぬ様子で口走ってしまった彼の一言に、有希子も満面の笑みでピースして何度も何度も嬉しそうに頷いていた。血の繋がった親子同士、もはや口元のにやつきを止めることは不可避。なんともめでたい話である。
ついに、あのなまえも結婚か。しかも、コナンが全信頼を置いている赤井秀一なら、彼女の強がりな不安定さも優しく包み込んで、何もかも安心して任せていられるに違いない。それに、だ。
少し前、コナンはポアロで偶然遭遇した安室となまえの奇妙な繋がりを得意の観察眼で疑っていたこともあった。だが、おそらくこのベルツリー急行でそのフラグはきっちり取り壊せただろうと思う。たとえなまえの方から好意を寄せていたとしても、彼女は日向にいることを好む人種。少ないながらも高校時代の友人たちの恩恵で正義感も強いし、バーボンだとわかった相手をわざわざずっと好いているとは考えられない。
いや、それこそが赤井の狙いだったと考えた方がしっくりくるほどであった。なまえを実名で呼び出さない方法ならいくらでもあったはずなのに、手早く連絡を取ったときに彼がそれを拒否したことも、その証拠だと思えば納得できる。まあしかし、その推理がもし正しい場合は末恐ろしい男だとは思うが。
それよりも今は、この家の隣に住むふたりがどういう雰囲気にあるのかということが気がかりだった。コナンは博士とともに窓から工藤邸の方角を眺め、心から彼らについて祝いたくなる気持ちをひとまず抑えて思う。
赤井さん、不束な姉だけど俺にとっては自慢の姉貴だから。だからなまえのことよろしく頼むぜ、と。