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 急な案件で解剖が回って来ると、家には帰宅できずにそのまま執刀しなければならないことも多く、その度に厚意で夕食を用意してくれている沖矢には謝罪の電話をかけなければならなかった。解剖には大体三時間から長くて六時間ほどの時間を有し、その間、ずっと立ち仕事であるため体力的にはかなりきつい。これが監察医の仕事における、所謂3Kのひとつ。なまえ以外に女性がいないことの、理由にも挙げられる点だろう。


「煮込み料理で本当に助かります。絶対に食べるので残しておいてくださいね。博士にあげちゃダメですよ」
「ええ。なまえさんが遅くなるかもしれないことを見越しての煮込み料理ですので」


 先日のレモンタルトを囲んだ親睦会の一件から、なまえと沖矢の距離はかなり縮んだと言っても過言ではなかった。帰りの車の中で、年下である沖矢が下の名前で呼んで欲しいと強請ったことも功を奏したらしい。たとえそれが「ネームコーリング」という好感度アップを狙った心理学上の効果だしても、一緒に住む間柄において、互いの親密度を上げておくことに損はないとなまえは判断したのである。

 確かに沖矢昴という人間は怪しいが、こちらに危害を加えてくるような相手ではない。それを新一も見越していたのだろう。


「しかし、なまえさん。これから臨時の解剖となると、翌日の業務もそのまま直行ということで帰宅できるのは明日の昼過ぎになりそうですね」
「昼過ぎどころか、夕方かも」
「大丈夫ですか?」
「休憩室もあるので、仮眠は取ります。体なら全然」


 やけにこちらの心配する沖矢に対し、なまえは嬉しくて眉を下げた。これも、監察医という仕事を選んだ運命として、受け入れなくてはならない試練なのである。

 しかし、沖矢は「そうじゃなくて」と話を遮り、確認するような言葉を繰り出す。


「僕が心配しているのは、今朝おっしゃっていた銀行支払いのことですが」
「あああ!」
「工藤くん。立会の警察官の方がお見えですよ」
「あー。今、行きます! ……えっと、そうだった。昴くん、ありがとう!」


 それきりプツリと切れた回線に、沖矢は笑う。そして、彼は先日の親睦会のときにした最後の質問を思い浮かべながら、こう呟いた。

「こっちはわりと、本気だったんだがな」



case07. 帝都銀行人質強盗事件


 なんとか仕事を早めに切り上げるや否や、なまえはバイクに飛び乗り、近くにある帝都銀行の支店に向かっていた。急に入った夜勤のために体は重かったが、それでも頑として向かった理由はただひとつ。隣人である灰原哀と一緒にインターネットで見て一目惚れした、有名ブランドの緋色のワンピース。その代金支払いのためだった。

 小さな支店でありながら行内のATMはかなり混雑していた。一番先頭の女性が何やら携帯電話を使いながら画面を操作しているのを、行員が優しく注意しているのが見える。お腹が空いていること以外は別に急いでいる理由もないので、なまえはその様子を眺めつつ、気長に自分の順番が来るのを待った。

 と、その列の途中で、見知った金髪の外国人女性を見つける。あれは確か、FBI捜査官の。


 なまえが彼女の名前を思い出そうとした、その瞬間だった。いきなり背後で一発の銃声が鳴り響き、つんざくような悲鳴が辺りにこだまする。

 振り返った視線の先にいたのは、目出し帽をかぶって武装した男が五人。


「出入り口にロックをかけてシャッターを閉めろ! 全員一箇所に集まってもらおうか!」


 銀行強盗。そんな嘘みたいな現実に、運悪く招かれてしまったようだった。




 客や行員たちは全員ATMの待機列があったスペースに固められ、犯人グループに完全に包囲されることになった。座れという命令に従って座る者が大半だったが、中にはショックで呆然と立ち尽くしてしまう人もいて、現場はかなり騒然としている。 

 なまえは後方部で大人しく座り、なんとかこの喧騒に乗じてバレずに新一に連絡を試みようとしていた。おそらく、営業時間内にも関わらず施錠された銀行を不審に思った通行人が警察には通報してくれるだろうし、新一なら何とか打開策を見つけて知恵を貸してくれるかもしれない。今日は少年探偵団のみんなと一緒に遊びにいくと言っていた覚えもあるから、近場にいればきっと駆けつけてくれるだろう。

 しかし、前方に座っていた勇敢な男性客が、単独で強盗犯を捕らえようとしている行動に気づいた瞬間、その計画は頓挫をきたす。


「うおおおおお、ああああっ!」


 同じくその行動に気づいた強盗犯が瞬時に彼の右腕を撃ち抜き、男性はその場に転げ回ってあまりの痛みに絶叫を始めた。一般客でもまったく躊躇のない発砲に、恐怖で戦慄する行内。即座になまえは男性に駆け寄って、大丈夫ですか、と声をかけた。監察医とは言えど医師免許を持っているなまえには、助けを求めるよりも目の前の患者の容体の方が大切だった。


「見たか! 痛い目に遭いたくなかったらさっさとしろ!」
「知り合いや連れがいたら一緒に固まるんだぞ!」


 犯人たちはまるで撃たれた彼を見せしめのように利用しながら、暴力と恐怖で縛り、何らかの目的に従って客たちを仕分けるという作業を始めた。あらかじめ武装した状態で銀行に入り犯行に及んだことを考えても、どうやらこれは周到に練られた計画的犯行らしい。

 でも、どうして知り合いで固める必要があるのだろう。なまえはそれを不審に思いながらも、すっと手を上げて、冷静に強盗犯に交渉を申し出る。


「あの、すみません。私は医者です。撃たれた彼の傷口を手当てしてもよろしいでしょうか」
「なに? どうせ致命傷じゃねえ! ほっとけ!」
「しかし。この男性を殺すこともできたはずなのにそうしなかったということは、あなたは余罪を増やしたくなかったのではありませんか? 銃で撃たれた場合、撃ち所が悪くなくても、失血死するということは十分あり得ます。指示には必ず従いますので手当てさせてください」


 強い口調で睨みつけながらそう言うと犯人たちは互いに顔を見合わせ、リーダー格風の男が舌打ちをする。


「……チッ! 勝手にしろ。ただ、指示には従えよ。いいな!」


 なまえは頷き、今一度、男性に寄った。そして、着ていたジャケットを脱ぎ、出血の兆候や、傷口の変色などを注意深く診察する。


「すみません。ありがとうございます……」
「いえ。とりあえず止血が先です。今は方法がこれしかないので、痛みますが我慢してください」
「は、はい……」


 そう言うと、なまえは持っていたハンカチを患部に当て、圧迫したまま脱いだジャケットの袖をきつく巻きつけていく。それが終わったら、男性を待合の椅子にもたれさせ、その腕を座席の上に置いた。これで一通りの応急措置となるが、あとは彼を、一刻も早く病院に連れていくこと。いくら致命傷ではないとはいえ、ショック状態に陥ればかなり危険だ。なまえはそう判断して、なるべく男性を落ち着かせるために声をかけながら傍を離れないようにした。

 集められた人たちから一歩下がったが故に、行内の様子はよく伺えた。人質となった客たちは、携帯電話の没収を言い渡した犯人たちの指示に従ってそれぞれ袋の中に入れていく。なまえも同じく、新一に連絡し損ねた携帯電話を取り出し、その袋に入れようとした。

 だがそのとき、妙な視線を感じた。

 辿った視線の先には黒い帽子を目深にかぶった、眼光の鋭い男。火傷の跡だろうか。右目を覆うように比較的新しいケロイドの痕がある。


「おい、女医! さっさとしろ!」
「え、ええ」


 あの男、どこかで会っただろうか。どこでだろう。思い出せない。

 それにしてもどうして、彼は犯人や怪我をした男性ではなく、私のことを見ていたのだろうか。それもまるで驚いたような、揺れる瞳で。

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