08...
やがて銀行のウインドウ全体にシャッターが降り、これで強盗団の思惑通り外部からの接触は完全に遮断されてしまうこととなった。行内は依然として客の携帯電話を没収する作業が続いており、事態は完全に八方塞がりに陥っている。
なまえが火傷の男と目が合ったすぐ後、ATMの列前方に並んでいた顔見知りの外国人女性、FBIのジョディ・スターリング捜査官が犯人とやり取りを始め、その流れで、火傷の男と彼女が知り合いであったらしいことがわかった。一連の様子を見ていたなまえは、彼もまたFBI捜査官であるが故に、ジョディを経由してどこかで出会ったことがあるのだろうと結論づける。
彼女から見てこの状況を打破する台風の目となりうるのは、現状、このふたりだけだった。
case08. 火傷の男
素性は隠しているものの、FBIである彼らも他の人と同様に携帯電話を出すように言い渡され、ジョディは日本語に不慣れな外国人女性を演じながら、犯人を刺激しないよう携帯電話を袋の中に入れた。しかし、火傷の男の方は一貫して態度を変えず、まるで指示が聞こえていないかのように何の行動も示さない。怒り心頭の犯人に胸ぐらを掴まれても、その態度は変わらなかったので、さすがに周囲には緊張が走った。撃たれた彼の、二の舞になるのではないかと思えたからだ。
しかしその理由は、連れであるジョディが必死で釈明する。
「NO, NO! 彼は事故のショックで、口が訊けないんデス。火傷の痕、その証拠ネ! 口が訊けない人、電話持っててもしょうがないと思いマスヨ!」
そう説明されると、犯人は面倒くさそうに男から渋々手を離した。
事故のショック。その単語に、なまえはつい深く考え込んでしまう。もしかすればそれは彼らなりの策であって、本当は携帯電話を持っておくための嘘なのかもしれない。
でも、事故、火傷。妙に何かが引っかかる。
「おい、この銀行の支店長はいるか!」
「あ、は、はい……」
「よし、こっちへ来い! ……ビビるなよ。このケースにここにある金を全部詰めてもらおうか。お前なら、金の在りかに詳しそうだしな」
犯人グループの男のひとりが支店長を呼びつけ、往々に金を用意させるつもりらしかった。確かに、支店長クラスともなれば一見すれば金の在りかには詳しいように思うだろう。しかしそれは素人の考えだ。犯行時間を短縮するためなら、複数の行員を使って金を詰める作業をさせる方がはるかに効率がいい。……なのになぜ、そうしないのだろう。五人もいれば、行員を監視する人員も割けるはずなのに。
それに、武装した状態で銀行に乗り込んでくるような用意周到の人間たちが、そんな素人考えを持っているとすればかなり変だ。
この事件、一貫して何かちぐはぐな感じがする。
なまえがそんな違和感を抱いている間にも、犯人たちから客への要求は続く。
「次は連れや知り合いがいない奴、その場に立て! こいつで、連れや知り合いがいる奴の目と口を塞ぎ、両手を後ろで縛るんだ! ……もちろん、お前らは後で俺らが塞いでやるよ!」
そう言われてざっと十五、六人ほどの客たちが犯人たちの傍に近寄り、順にガムテープを手渡されていった。
口が塞がれるということは、これから当分の間は話せない。なまえはとりあえず疑心を払拭しながら、隣にいる負傷した男性を安心させるために小声で話しかける。
「今後は容体が見えなくなるので、もし体調が悪くなったら遠慮なく私に寄りかかってください。縛られても腕はできるだけ心臓より高い位置に。大丈夫、必ず助かります。頑張りましょう」
「ありがとうございます、先生……」
「先生だなんて」
日頃、物言わぬ死体を相手にしているせいか、患者から「先生」という言葉を聞くことはない。だから、それが少しこそばゆかった。
「あの、すみません。テープ、貼ります……」
「ええ。ですが、彼は負傷しているのでなるべく優しくお願いします」
「わ、わかりました……」
なまえたちのところには、ガムテープを手にした若い女性が近づいてきた。彼女の手は恐怖でガクガクと震えており、顔は極端に青ざめている。おかげで男性だけではなくなまえへの手の縛りもかなり緩く済み、これなら何かできることがあるかもしれないと改めて自分を奮い立たせることができた。でも、一体どうすれば。
……こんなとき、零やヒロが傍にいてくれたら何て言ってくれるのだろうか。きっと「頼むから無茶するな」って、真面目に怒るだろう。特に、零はいつもそう。怒ってばっかり。そう思うと、なまえからは自然と悲しげな笑みが漏れた。
それからは音しか聞こえない時間が始まった。何か一計を案じたらしいジョディが「トイレに行かせて」と言ったかと思えば、一向に返ってくる気配はなく、不安を煽るように外からはけたたましいほどのサイレンの音が聞こえてくる。心配に思うも目立った動きはできず、なまえは後ろ手で秘密裏にガムテープを剥がす作業に没頭しながら、歯痒い時間を過ごさなくてはならなかった。
にしても、犯人たちはやけに静かだった。支店長が作業しているらしいATMなどの操作音は忙しなくするが、警察に何かを要求したり、人質を使って逃走手段を確保したりすることは一切ない。このまま彼らがどのような計画を持って金を奪い、ここから逃走するのか、なまえにはまったくわからなかった。立てこもり事件の大半は、逃走手段の要求で帰結するはずなのに。
そうこうしているうちに、床に何かを置くような音が聞こえてきた。犯人の下衆な声が聞こえる。
「とんだ狐だったぜ、この外国人女!」
「今、やっちまってもいいが、銃声聞いて外のサツが突入してきたらやべえしな」
「!」
どうやらトイレに行っていたジョディが犯人に連れてこられたようだった。足音がしなかったことを考慮すると、おそらく気絶させられている。切り札として密かに期待していた分、余計に気持ちが焦った。
続いて、今度はバチバチという激しい電撃音とともに男性のうめき声が聞こえてきて、周囲は再び騒然とした。おそらく、今度は金の手配を終えた支店長がスタンガンにより気絶させられたらしい。事態はどんどん悪い方向へと舵を切る中、それからすぐにこんな言葉が聞こえてくる。
「クソ! こうなったら金庫ごと吹き飛ばしてやる! 野郎ども、手伝え!」
目は見えなくとも、客たちがその言葉で深いパニックに陥っているということは肌でわかった。なまえも一瞬、犯人たちは金の手配に失敗し、隠し持っていた爆弾で金庫ごと吹き飛ばす算段かと思い、血の気が引く。
しかし、威勢のいい言葉が聞こえたわりに、犯人たちが急ぐような音はいつまでも聞こえてこなかった。先ほどから感じていた、あまりにちぐはぐな行動。それらに思わずピンとくる。
もしかしてこの事件。犯人の逃走経路は最初から真っ向正面。あらかじめ分けていた連れのいない客の中から無作為に五人を選んで罪をなすりつけ、爆発に巻き込まれたように見せかけて殺害した後、自分たちの手でガムテープを巻きつけて犯人たちはまんまと客に紛れて逃げ果せるつもりなのでは。金を支店長だけに集めさせたのは爆発までの時間を稼ぐための工作で、本命は海外口座への送金。……そう考えると、すべて辻褄が合う。
なまえがその計画に気がついた瞬間、もがいていた後ろ手のガムテープが解けるのと、爆発音は同時だった。
一帯は、めまぐるしく変動する展開についていけず、逆に沈黙していた。うるさいくらいの静寂の中、なまえが目と口のガムテープを取ると、そこにはどういうわけか犯人ではなく、自信満々な自分の弟と、その小さな友人たち三人がおずおずと出てきたのだった。
「し、新ちゃん……?」
「よし、次は全員立って、俺の声がする方にゆっくりと歩いて来てもらおうか!」
蝶ネクタイ型変声機で犯人の声を使い、客たちを一旦別の場所へ集める作戦のようだった。それを見て、すべてを理解したなまえはあとは新一に任せ、負傷した男性を支えながら歩き出す。
計画にない指示に戸惑うのは当人だけ。つまり、その場にとどまっていた人間があぶり出され、自ずと犯人がわかる。新一はそれを証拠として突きつけて、なまえが考えていた推理と同じものを困惑した犯人たちに披露し始めた。
事件はこうして終結する、かに思えた。
「誰が伸びてるって?」
どこかで倒れていたらしい仲間のひとりが、小さな新一を捕まえたのはほんの一瞬の出来事だった。
「おい、ガキども! こいつの首をへし折られたくなかったら、カウンターに置いてある拳銃を持ってこい!」
少年探偵団の子どもたちに向かって、頭に血が上っている太った男はそう吠える。
現状、周囲の客の中で自由に動けるのはガムテープを解いていたなまえだけだった。子どもたちを危険な目に晒すわけにはいかない。自分はアメリカで射撃の経験もあるし、先に銃であいつに命中させればこちらの勝機は十分あるだろう。
そう思い、なまえが動き出そうとしたまさにそのとき。自分の身を呈して彼女を危険から守るように、突然、何者かが前に立ちふさがる。そして、ふわりと抱きかかえられるように後ろ手で押さえ込まれたのだ。
拳銃を持った、火傷の男に。
「え……?」
男が躊躇なく撃った一発の弾丸は、なまえがそうしようと思っていた行動とまったく同じように、新一を殺そうとしていた犯人の肩を正確に撃ち抜いた。その銃声を聞いて突入してきた機動隊が、犯人グループに突撃しながら確保する。
一躍、事件解決の功労者となった火傷の男は、その喧騒に紛れてなぜか逃げようとしていた。なまえはとっさに彼の上着の裾を掴み、ぐいと傍に引き寄せる。
「あなた、どうして」
「……」
「何者なの」
すると、彼は口についていたガムテープを乱暴に剥がし、怒ったような口調でこう言ったのだ。
「頼むから無茶するな」
「え……?」
口が訊けないはずだった火傷の男は、はっきりと彼女にそう言い残し、着ていた上着をなまえの肩にかけて喧騒に紛れて消えたのだった。