78...
「おっ、いたいた。なまえさーんっ!」
こっちこっちーっ! と飛び跳ねるように大きく手を振る世良の姿を見て、なまえは人通りの多い米花百貨店の前で安堵の表情を浮かべた。最後にここに来たのは、スポーツ用品店のある七階で爆弾騒ぎがあったとき。つまり、沖矢とのデート以降、初めてということになるが、一年も経っていないはずなのに何だかとてつもなく懐かしい気持ちになってしまう。あれから紆余曲折、本当にいろんなことがありすぎて。そして、その中の最たる出来事のうちのひとつが、そのとき一緒に来た沖矢、もとい、赤井と自分が恋人同士になってしまったという事実である。百貨店の外観を眺めながら、あまりにも違いすぎる当時との心境を対比して。そして、改めて機嫌よさそうに手を振り続けている世良になまえは苦笑しながら視線を移すのだった。
それにしても恋人の実妹である世良と、なぜかふたりきりで仲よくショッピングをする日が来ることになるとは。おそらく今も家にいるであろう彼にとっても、予想だにしていなかったことである。なまえはとっさに今朝の出来事を思い出した。
今朝。工藤邸を出る前に、赤井に言われた注意事項はただひとつ。世良は赤井が何らかの捜査中に命を落としたと思っており、その生死に疑問を抱かせないためにも、不用意に兄の話をしないことをなまえは直々に言い渡されていたのだった。組織の情報をわずかでも世良に掴ませれば、猪突猛進な彼女のことだ。たちまち危険な立場に陥りかねない。それでなくとも、ベルツリー急行の一件で火傷の赤井に扮したベルモットが世良に近づいたことにより、組織は彼女が「赤井の妹」であることを認識して、重要参考人として注視していることは目に見えているからである。
なまえは自分が赤井のことを絶対に口走ってしまわないように、今一度、気を強く引き締めた。それに、なんというか。うまくは言えないが、自分の交際相手の身内とふたりきりというだけでわずかばかり緊張してしまう節はある。赤井に「義理の妹」なんて言われた記憶が蘇り、なまえは思わずまだ早いと頭を振った。
そんなことを全然知らない世良は無垢な表情でなまえを上から下まで一瞥し、八重歯を見せて自慢げに微笑んだ。そして、やっぱりボクの推理は正しかったみたいだ! と笑う。なまえは疑問符を浮かべた。
「だって、なまえさんの格好。すごくボクの好みなんだもん。今日も相変わらず可愛いな!」
なまえはその言葉に、ぐっと胸を鷲掴みにされたような気持ちになった。赤井に言われるのとはまた違う、女の子に褒められるという特有の嬉しさがそうさせるのである。しかも、人懐こくて、どこをどう見ても嘘がつけなさそうな世良にそんなことを言われると、自分の格好が「可愛い」という信じられない事象も信じざるを得ないような、奇妙な信ぴょう性が差し迫ってきて、普通の格好をしているつもりなのにその日のコーディネートが特別なものになったような気がした。別に、ただの、ラフなセットアップなのだけれど。
「やっぱり血は争えないのか……」
「?」
「何でもない。行こっか」
そう言ってなまえはぐんぐんと世良の背中を押す。そもそも、今日の主役は自分ではない。この、どこからどう見ても少年にしか見えない世良真純という人物を、女の子らしく大変身させる。それこそ、今日のなまえに課された大切な使命だったのだ。

case78. もしも生まれ変わらなくても、
婦人服売り場を道場破りでもするように、なまえと世良は店をはしごする。しかし、その会話の内容はほとんどどこでも同じだった。
「これはどう?」
「ちょっと丈が短すぎやしないか?」
「じゃあ、これは?」
「うーん、あんまり好きな感じじゃないな」
「じゃあ、これ」
「ボクには派手だよ」
「だったら……こっちとか?」
「あっはっは! なんか超地味だな!」
「……」
失礼ながら、さすがにちょっとげんなりしてきた。さすがに。
せっかく百貨店に入った少し高めのブティックで品のいいブラウスやスカートを組み合わせて何通りも提示しても、世良はことごとく却下の判決を下し、本日のスタイリストを務めるなまえは早くも自分の心がぼきりと折れそうになっていた。世良に悪気は一切なさそうなのだが、難癖をつけて拒否しているというよりは、ずっとどこか興味なさげで他人事のような態度なのである。本当に女の子らしい服装が、必要に迫られているようには思えない。
「そもそも世良さんはどうして女の子らしい格好をしようと思ったの?」
「ああ。実は今度、園子くんに誘われて『どっちのスイーツでSHOW!?』とかいう番組の観覧に行くんだけど。そこではできるだけ目立たないように、女の子らしい服装で行った方がいいんだって、そう言うからさ」
「ええっ! 私、あの番組すごく好き!」
「本当か? ボク、見たことないんだけど、なまえさんが好きな番組ならちょっと楽しみになってきたよ!」
世良はそう言うと、腕組みをして考え込む。
「にしても、なまえさんが組み合わせてくれるコーディネート、確かにどれも可愛いんだけど、いまいち、自分が着てるところを想像できないんだよなあ。女の子っぽい格好って、やっぱり難しいんだな」
「ちょっと休憩でもする? 一階にカフェがあるよ」
なまえはそう言いながら頭の中で、以前、そのカフェに行ったときのことを思い出していた。爆弾騒ぎを見に行った沖矢と別れた後、夕食の買い物を済ませたなまえはそこでレモンスカッシュを飲みながら彼からの連絡を待っていたのである。しかし、なかなか返信のない沖矢に業を煮やしていると、その際、内向きについた店のガラス窓からは火傷の赤井の姿が見えて。なまえはまるで吸い寄せられるように、彼に近づいてしまったのだった。結局、転びそうになっているうちに逃げられてしまったのだが、思い返せばあの人物こそ、なまえが永遠に憧れ続けると決めた大女優シャロン・ヴィンヤード。ベルモットだったのである。
その前の銀行強盗事件のときに「無茶をするな」と身を呈して守ってくれたのだって、そう。あのとき、逃さないように捕まえていれば。ベルツリー急行のときよりももっと早く、彼女と話す機会に恵まれていたのかもしれないのに。
しかし、なまえのその推理は珍しくも大きく外れていたのだった。何故なら、その当時、火傷の赤井に扮していたのは、かつての彼女の思い人である「バーボン」。後に、ポアロで運命的な出会いを果たすことになった安室透だったのだから。
「カフェか! 行こう行こう! ボクが誘ったし、コーヒーくらいご馳走させてくれよ」
慣れない服屋巡りで明らかに疲労の色が伺えた世良が一変して見せた楽しげな様子に、なまえも安堵する。でも、ここで年上の自分が奢られるのは納得がいかない。なので、奮起するように声を上げた。
「大丈夫。私の方が社会人だし、世良さんは今日はとことん私に甘えて?」
「うう、なまえさん。やっぱりいい女だよなあ」
そんな、何とも男っぽい台詞になまえは思わず笑みを浮かべる。そんなに褒めてもらえるような「いい女」ではないが、そうやって気取らずに話す世良がとても好印象であることには違いない。
ふたりはひとまず一度、カフェのある一階までエスカレーターを使って降りることにした。その途中で、世良がこんなことを言い出したのである。
「そういえば。ボク、この間は『お幸せに!』なんて言ったけど、本当はなまえさんの彼氏の大学院生にちょっとだけ嫉妬してるんだ」
「え?」
「だって、なまえさんってうちの兄貴の奥さんにぴったりだなって思ってたから」
思いがけないその一言になまえの心臓が跳ねる。世良は続けざまに身の上話を始めた。
「ボクの家、三人兄妹でさ。ぴったりだと思うのは一番上の兄貴のことなんだけど。FBIに入るためにアメリカで永住権を取って、数年後にはちゃーんとその夢を有言実行で叶えちゃったんだ。どうだ、格好いいだろ!」
その表情はあまりにもきらきらとしていて、兄のことが大好きで大好きで仕方がないといったような瞳だった。それよりもなまえは、赤井と世良の間にもうひとり兄弟がいるということが初耳で、思わず少し考え込んでしまう。わざわざ赤井のことを「一番上の兄貴」と形容したということは、その真ん中の人物も世良にとっては兄に当たるのだろう。なまえは得意の推理力ですぐにそう察する。
つまり、赤井の弟。それがどんな人物なのか、かなり気になるところではあるが、今朝、赤井に釘を刺された言葉を思い出して口を閉ざす。不用意にその話ができないことをわかっていたなまえは、それはまた帰宅してから直接「彼」に突っ込んで聞いてみることにしようと、今はその旺盛な好奇心をなだめるのである。
にしても、世良はやはり女子高生探偵という名前の通り、凄まじい観察力の持ち主だった。むしろ、本当は既に赤井との交際がバレていてわざと試すようにそう言っているのではないかと疑うほどで、そんなわけもないのに、なまえはたじたじになる。もちろん、交際のことは絶対に言えやしない。
「でも、もうその兄貴もいないんだけどな」
「え?」
「亡くなったんだよ。だから、もし生まれかわって、またボクと兄貴が兄妹で生まれてくるようなことがあれば。そのときは、なまえさん。ボクの兄貴とどうか結婚してやってくれないかな? きっと兄貴のことだから、なまえさんのこと知ったら絶対に好きになると思うんだ」
「……」
「そしたら、なまえさんはもう歴としたボクの姉さんってことになるだろ? なんか、そういうの、ありえもしないのに、いいなあってつい思っちゃうんだよな!」
そうして、その話に区切りがついた瞬間。最後のエスカレーターを降りて、ふたりとも一階に下り立った。いつも元気いっぱいの世良が、最愛の兄の死を話すときだけ、とても寂しそうな顔をしたのが印象的で。なまえはとっさに言葉を失くす。
今の話、帰ったら絶対に赤井さんにも教えてあげよう。そして一刻も早く、生きているということを伝えてあげて欲しいなと、今はそんな風に思わざるを得なかった。

小休憩を挟んで再び試合開始。第二ラウンドのゴングが鳴る。
またも同じ階の婦人服売り場にて、もう一周巡回を決め込むふたりだが、それでもやはり無駄足で、一度も女の子らしいコーディネートが決まることはなかった。そんな箸にも棒にもかからない状況続きなので、どうにか試着だけでもと勧めてみる作戦に出たのだが、それすら世良は拒否である。
さすがにお互い諦めの色が見えてきて、半ばもう投げやりな気持ちでなまえは世良を連れて下着売り場に向かうことにした。それは、決して世良に下着を買えと言っているわけではなく、なまえの方がそろそろ数セット新調したかったからという完全な私用である。しかし、意外にもそれまでより遥かに興味ありげな世良は物珍しそうに店内をきょろきょろと見渡し、下着をいろいろ物色し始める。世良のことを少年だと思って多少不審がっている女性店員の気配を察知して、なまえは気まずさを隠すように彼女にたくさん話しかけることにした。
「服も大事だけど、直に身につける下着ってもっと大事だよね。明るい色だと気持ちも上がるというか。内面から明るくなれるような気がするから、いつも下着は結構、慎重に選んじゃう方だな、私」
「へえ」
「だから、寒色系よりも暖色系の方が多いよ。赤とか、ピンクとか。もちろん、レモンイエローも好きだけど」
そう言って、薄黄色のランジェリーを見ていたなまえの肩を、後ろからポンポンと世良が叩く。
「なあ、なまえさん」
「ん?」
「ボク、これにするよ!」
世良がそう言って見せてきたのは、花柄の可愛いブラとショーツのセットだった。確かに可愛いが、それじゃせっかくの女の子らしさは服に隠れて見えないだろう。そう思って、なまえは一歩引きながら返答する。
「う、うん。花柄、可愛いね」
「こんなの買ったこともないけど、これを着たら、ボクも内面から女の子っぽくなれるかなあ、なんて」
「!」
「……ちょっとは変われるかな?」
照れ臭そうに頬を染めながらのその一言が、あまりにも可愛すぎた。なまえは思わず、世良の手を取ってぶんぶんと振り回す。
「うん! そう、そうだよ、その息だよ、世良さんっ! その下着の女の子らしさなら私が保証してあげる!」
「本当か!?」
「うん! せっかくだから私もお揃いで買っちゃおう」
「おーっ! なんかいいな! 本当の姉妹って感じがするよ!」
なまえは世良が持っていたものと同じデザインのもので、サイズを探して手に取った。自分は彼女と違って、新一という小生意気な弟がひとりいるだけだが、女兄弟もいたらよかったのになと思ったことは実は何度もある。ちょうど、今の世良のように。可愛い妹なんてすごくいいな。
だからなまえは、先にレジへと並んだ彼女の背中に、聞こえないくらいの小声で呼びかける。
「……本当の姉妹に、いつかなれたらいいね」
なんて。こんなこと聞いたら、赤井さん、調子に乗っちゃうだろうなあ。そう思うと、彼と結婚どころか交際自体まったく進んでいないくせに、世良を妹にしたいという理由だけで、なんだかちょっと彼と結婚するのも悪くはないかもと思えてしまう現金な自分がいたのだった。