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 なんとか時間通りお弁当を作り終えたなまえは、一度、阿笠邸で博士や少年探偵団のみんなと合流し、本日の花見会場である米花市内の神社へと到着していた。毎年、花見の名所として数多くのメディアで紹介されている場所ということもあり、境内の参道は思わず息を飲むほど見事なまでに桜が咲き誇っていて、既にたくさんの花見客たちで賑やかにごった返している。舞い散る桜吹雪を目を細めて眺めていると、昔、学年が上がる度に旧友たちと一緒に見上げた桜の木のことを思い出して。そういえば彼らと音信不通になったこの六年間でまともな花見は初めてだなと、なまえは人知れず自分の胸を締めつけるのであった。


「おお、桜が満開じゃ。神社で花見もいいもんじゃのう」
「本当! お天気もいいしね!」
「まさにお花見日和です!」
「俺のお腹も弁当日和だぞ!」
「もう、元太くん……」
「ハッハッハ。今日のお弁当はなまえくんお手製じゃから、期待しておくんじゃよ」
「はーいっ!」


 博士と、歩美、光彦、元太がそんな微笑ましい話をしながら歩いているのを一歩後ろで見守りながら、なまえは小さな灰原に歩調を合わせていた。もうひとりの参加者であり、彼女の弟でもある江戸川コナンはというと、なぜか一向に落ち着かない様子であたりをきょろきょろと伺うのに必死らしい。それは桜を眺めるというよりもまるで誰かを探しているような行動で、ふたりはそんな彼を尻目に放置しながら、相変わらずのガールズトークを続けるのである。

 内容はもちろん今朝の一件。恋人にお弁当を作ったことを何気なく灰原に話すと、彼女は愛情の込もった呆れた目でなまえのことを見上げるのであった。


「へえ。それで愛妻弁当をあの人にも作ってから来たってわけね」
「あ、愛妻なんかじゃ……」
「はいはい」


 よく言うわよ、相当愛されてるくせに。灰原は口には出さずにそう思いながら、愛妻であることを一向に認めない彼女にやれやれと肩をすくめた。なまえの安室への思いにいち早く気づいていた灰原ではあるが、沖矢との交際によってそれも完全に断ち切れたようで、自分が案じていたよりもかなり順風満帆な恋人生活を送っているらしいということがわかる。まあ、家に帰れば四六時中一緒にいるという同棲状態なので、それも当然と言えば当然。交際から同居に発展したわけではなく、同居がスタートだった時点で、その分、お互いの呼吸の合わせ方は重々承知していることであろう。それを、未だにきょろきょろと周囲の様子を伺い続けている恋愛下手な江戸川コナンが見越していたとは思わないが、彼らの同居を勧めた判断は間違っていなかったのかもしれないわね、と今さらながら灰原は思った。


「大学に通う彼のいい虫除けになりそうね。のりをハートに切ったり、可愛らしいお弁当にでもしてあげたりした?」
「そんなことしないよ、嫌われそうだし」
「あら、嫌われたくないのね」
「あのねえ」


 揚げ足を取るようにそんなことを言ってくる小さな彼女に、大人のなまえはたじたじになる。「乞うご期待」などと言った割に、赤井に持たせたのはいたって普通のお弁当。卵焼きと唐揚げとプチトマトとブロッコリー……と、羅列するのもおこがましいほどありふれた内容であり、その中身はサイズが異なるだけで、博士に渡した三段重と大した差はなかった。ただ、単なるカモフラージュとしての大学院生という肩書きを持つ彼がまさか本当に大学で食べるわけはないし、そもそもどこに出かけているのかも知らないが、こんなにも天気のいい日なのだから気持ちよく外で食べて欲しいなという母心のようなものはある。いや、むしろ今度の休みは彼を誘ってふたりでピクニックも悪くないかも、なんて。悠長に次のデートを考えていたなまえであったが、灰原はそんな彼女の考えを知らず、前を行く子どもたちに聞こえるように博士に提案をした。


「じゃあ、博士。私たち、おみくじでも引いてくるから。席を確保してシート広げててくれる?」
「ふむ、わかった」


 たちまち、行こう行こうと楽しげに駆け出す少年探偵団の子どもたちになまえは連れ添う。今日は保護者として、灰原を含めた彼らのことを注意深く見ていよう。そう決めていたのに、いつの間にか一緒に授与所まで駆けて行き、童心に返ってワクワクしながらおみくじを引いている自分がいたのであった。

 そして、その結果は。



case83. 九十四番、凶


「……死ぬのかな、私」

 よりにもよって凶。しかも、九十四番という、なんとも縁起の悪い数字を見た瞬間から、その結果は薄々ながらも予測ができた。くじを引く前、あんなにもワクワクしていた気分を、のしでもつけて今すぐ神様に返して欲しい気持ちになる。これまでの人生を思い返してみても、工藤邸に引き取られたこと以外は期待するような運など持ち合わせていないということはわかっていたつもりだったのに。

 おみくじを手にしながら明らかに気落ちするなまえに対して、苦笑いを浮かべていたコナン。その手元もそっと覗けば、なんと姉と同じく仲よく、凶。姉弟揃って苦い結果となってしまったらしい。おみくじなんて当たらないと思えばそれまでだが、確実に気分が左右されることは事実。しかも、なまえの場合、九十四番。「」るしんで、「」ぬってことだろうかと、語呂合わせ的にそう思わざるを得ないのである。


「俺、吉だってよ」
「歩美は中吉!」
「僕は末吉ですから微妙ですね」


 子どもたちもそれぞれ微妙そうな表情で、大人しく結び所までくじを持って行こうとする。しかし、突然現れた老人に「何でもかんでも結べばいいというものではない!」と口を挟まれ、渋々みんなポケットにしまっていた。


「じゃあ、結ぶのは江戸川くんとなまえさんだけかしら」


 余裕そうに笑いを含んだ灰原のそんな一言に、コナンは「盗み見しやがったな」と同級生の彼女のことを苦々しい顔で睨みつけていた。一方、なまえの結果については盗み見たわけではなく、気の落ち方が半端なかったので誰の目にもお察しである。

 ただなまえにとって唯一の救いは「失せ物」の項目。その名の通り、失くした物の行方を示すお告げではあるが、そこには凶らしからぬ言葉で「必ず出る 早く探せ」と端的に記載されていたのであった。なまえにとって失せ物とは、赤井がわざわざ部屋に入ってまで見たがっていた高校時代のアルバムのこと。それから、もちろん六年前から探し続けている諸伏と降谷の行方だった。


「確かに『凶』だったけど、結ぶのはいいかな。耳が痛いくらい戒めになりそうなことが書いてあったし……」
「そう」
「で。オメーは何引いたんだよ」


 苛立ちを隠さずにコナンが灰原に尋ねる。すると彼女は、ふふんと笑った。


「あら? 知りたい?」
「べ、別に」
「そんなに知りたいなら仕方ないわね」


 そう言ってドヤ顔で見せつけてくるのはなまえとコナンとは真逆の、おみくじ界の最上位。「大吉」のくじである。得意げに鼻を鳴らす灰原が、普段の彼女の冷静さとはかけ離れていて本当に普通の小学生のように見えた。

 幸運を引き当てた灰原を賞賛するように子どもたちが彼女に傍に駆け寄って輪を作る。その様子を見ていたなまえの背後から声がかかったのは、その後すぐのことだった。


「でも、凶は滅多に出なくて逆に縁起がいいとも聞いたからがっかりしないで、なまえ。それからクールキッド!」
「ジョディ先生!」


 思わぬ人物との遭遇に、その場にいたみんなが彼女のことを見た。先生もお花見? と無垢にも尋ねる歩美に、桜が好きなのと笑うアメリカ人のジョディ。しかし、彼女の目的が花見だけに留まらないことを知っていたのは、先ほどからコナンの様子を訝しんでいたなまえと灰原である。


「なるほど。ふたりでこそこそ密談するために先生をここに呼びつけたのね。公園や神社ってスパイとかがよく情報交換に使うって言うし」


 灰原がそう言うと、コナンとジョディは急にあたふたと慌て出した。そう。ここに来る途中、特にこの神社に入ってからのコナンの様子がおかしかったのはジョディを探していたからに違いない。それを見破っていた灰原は、立て続けに責めるように言う。


「さあ、みんな。少し離れてましょう? ふたりっきりで内緒の話がしたいみたいだから……でもまあ、それと同時に、公安警察も目を光らせている所でもあるから、精々気をつけるのね」
「オ、オーケー……」


 アメリカ人をもひるませてしまう灰原のクールさに、なまえはようやく微かに笑う。しかし、それよりも気になったのは、どうしてコナンがこのタイミングでこの場にジョディを呼んだのかという、話の内容の方だった。




 話があるというコナンとジョディから、宣言通り少し離れた位置で談笑をしていた子どもたちの中。なまえは歩美たちの会話を聞いているふりをしながら、その場でじっと考え込んでいた。コナンが話す内容については、おそらくFBIが居合わせなかったベルツリー急行のことだと察しがつくものの、本当にその話をジョディにしてしまうことがはたして彼女個人のプラスになるかどうかは疑問である。生存しているとはいえ、赤井を失った今のFBI的にはそれは確かに組織絡みの貴重な情報には違いない。だが、彼に好意を抱いていたジョディだけにはきっとそこに別の意味合いが生じるのではないかと思われたのである。

 すると、そんな不安げな表情を浮かべたなまえに対し、見かねた灰原が声をかける。


「気になるの? あのふたりの会話」
「ええ……。新ちゃんがジョディさんを呼び出すってことは、こちらが知っていてFBIがまだ知り得ていない情報を共有するため。つまり、あのベルツリー急行のことだとは思うんだけど」


 冷静な口調でなまえがそう言うと、灰原もそれに同調した。おそらくコナンの狙いは、あの一件があった後もなぜか身を引かない組織の一員であるバーボンが、何を企んでいるのかをFBIに探らせるため。しかし、その話をする前提として、コナンはジョディに「火傷の男」についての正体を説明しておかなくてはならないはずだった。

 以前、ジョディとふたりで米花駅付近のカフェで話をしたことがあったなまえは、そのとき、無神経を承知できっぱりと赤井が死んでいることを彼女に告げ、そしてその遺体を解剖したのが自分であることを教えたのである。当然、それを聞いたジョディは大きなショックを受けており、赤井に対して同僚という気持ち以上の好意があるということはその反応から見ても明らかだった。あのときは、まだ沖矢昴が赤井秀一であると睨み始めたばかりであったために仕方がなかったとはいえ、結果的には彼女から奪うような形になっていることが心苦しいとは思う。それでも、赤井との生活になまえが安らぎや落ち着きを感じ始めていることも事実。もともと振ってしまうはずだったくせに、今や身勝手にも、自ら手放すことはできそうにないのだ。


「彼女と私、銀行強盗事件で一緒に人質になったことがあるんだけど。組織の手によって殺されたFBI捜査官が本当に死んだかどうかを確かめるために、その捜査官に変装してFBIの周りをうろついていたベルモットも同じように人質になってね。そのときのジョディさん、本気で彼が生きていたことを喜んでいたみたいだったから、新ちゃんがその彼のことをベルモットの変装だって話すとしたら、とてもいたたまれなくて」


 真相を話して傷つけるということは、かつて自分もジョディに対して同じことをしてしまっただけにどうも気にかかる。そんな罪悪感から物憂げに話すなまえに対し、灰原は食い気味に返答した。それも否定の意を込めて。


「違うわよ」
「え?」
「確かにベルツリー急行のときにその捜査官に扮していたのはベルモットだけど、それ以前、つまり、FBIに探りを入れるために彼らの周りを変装姿でうろついていたのは、彼女の仲間の『バーボン』って男の方。私に変装した怪盗キッドに取りつけたマイクで、バーボン本人がそう言っていたのを聞いたから間違いないわ」


 まあ、その捜査官が死んでるっていうことには変わりないけど。灰原はそう言うと、なまえの思考が止まる。

 ベルツリー急行のとき、沖矢から逃げるように八号車へと走ったなまえがその先で見たのは、確かに安室透と宮野志保に変装した怪盗キッドが因縁めいた対峙をしている場面であった。しかし、彼が「バーボン」であることを明かした後、そういえばなまえはすぐに背後から追ってきていた赤井の手によって扉ごと閉められ、その続きを聞くことは妨げられてしまっていたのである。故に、銀行強盗事件のときや、米花百貨店の爆破未遂事件のときに見かけた火傷の男が、そのときに変装していたベルモットであると今までずっと勘違いをしていた。

 これがなまえにとって、最も真実に近づくために重要な意味を果たすことは明白だった。しかし、すぐにはその事実を信じることができない。何が、どうなっているのか。出来事を振り返るスピードは冷静さに欠け、頭が追いつかないのである。


「ちょっ、ちょっと待って? じゃあ、あの銀行強盗事件のときや、米花百貨店爆破未遂事件のときに見かけた火傷の彼は……」
「両方ともバーボンって男の方だと思うけど……って、どうしたの? あなた、顔色が悪いけど」


 心配そうな灰原をよそに、なまえは泣きたくなる気持ちを堪えていた。そして、溢すように口から漏れるのは、まるで誰かを責めるような一言。


「じゃあ、あの言葉は何だったの」
「え?」


 そう言ったきり、なまえは一切、口を閉ざしてしまった。焦った灰原は何か機嫌を直すような話題で話を逸らそうとするも、その言葉は「掏摸よーっ!」という叫び声にかき消され、彼女に届かせることはできなかったのだった。

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