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長野行き、当日の朝。待ち合わせ場所である米花駅に到着した蘭とコナンは、既にレンタカーを借りて待っていたなまえにまるで合図でも送るように大きく手を降って挨拶をした。彼女が借りていた車はスバルのフォレスター。色はクリムゾンレッドというパール塗装の赤が眩しいSUV車で、完全に沖矢と赤井を意識して車種を選んだということが弟のコナンには一目見ただけで苦笑が漏れるほどお見通しとなる。まあ、それだけふたりの仲がいいということなので弟としては一安心なのだが、彼は彼で、最近の姉に関する気がかりな点がふたつほどあって、今日はそのことを聞き出す絶好のタイミングだと思い、その隙を鋭く見計らっていたのである。
「ごめんね、蘭ちゃん。待ち合わせ場所、探偵事務所の前にすればよかったんだけど」
「いえ! それだと園子と世良さんに悪いし」
「そっか、ありがとう」
そう言って苦笑いを繰り出すなまえの顔を、コナンは心配そうに見上げる。おそらく、待ち合わせ場所を探偵事務所の前にしなかったのは、下階にある喫茶ポアロに安室がいるかもしれないと危惧したせいだろう。だが、コナンが姉のことを気がかりに思うひとつめの点こそ、その安室のこと。今は赤井と円満交際中のなまえにとって、もはや黒ずくめの組織の一員であることが発覚していた安室への好意は過去のものとも言えるが、そんな彼を見つめるなまえの視線がここ最近になって少し和らいだのではないかとコナンは若干、不安視していたのである。
そして、もうひとつ。それは今日の彼女のこれからの予定のこと。
「おっはよー、蘭!」
「みんな、おはよう! なまえさん、今日は車まで借りてもらって悪かったな」
蘭となまえが楽しげに談笑していると、続いて園子と世良が揃って合流し、一行はさっそく車に乗り込んで出発しようという話になった。しかし、その際、コナンが常套句的によく使う「僕、ちょっとトイレ!」という言葉でなまえを無理やり巻き添えにして連れ出したかと思うと、女子高生組である三人からは見えない場所まで来た途端、彼は少年ながら神妙な顔つきを姉の方に向けるのである。
「どうしたの、新ちゃん? トイレなら米花駅の……」
「なあ、なまえ。オメー、あの花見のときに一緒にお守りを買いに行った男に、赤井さんのことなんて話してねえよな?」
「え?」
「高木刑事が言ってたんだよ。あの男の家に改めて聞き込みに行ったら『自分は妊婦の妻どころか結婚もしていないし、そんな掏摸師の殺人事件も知らない』って言われたって。つまり、あの男がバーボンで、妻だって言ってた女の方がベルモット。花見会場でジョディ先生に『火傷の男を見た』と言って近づき、赤井さんの生死に関する情報を聞き出そうとした可能性が高い」
「……」
「よく考えてみりゃ、あの銀行強盗事件のときに連れや知り合いがいない客に他の客を縛るように犯人たちが命令していたっていう話が本当なら、そもそもあの夫婦が一緒にいて、妊娠中の妻だけが嘘をついてジョディ先生を縛るために動いたっていう話はどう考えてもおかしすぎる。でも、それ以上におかしいのは、あの場にいたオメーならすぐにその嘘に気がつけたはずだろ?」
なのにどうしてそのことを、あの場で俺に言わなかったんだよ。まるで責めるようにそう言われて、なまえは思わず眉をハの字に曲げる。だってそんなの。そう言いかけて口を噤んだのは、その続きが言えなかったから。
もしかしたら安室が、自分の高校時代の友人であった降谷零という人物かもしれない、なんて。
なまえはコナンと視線を合わせるようにしゃがみ込み、苦しそうに笑った。そして、意を決して言葉を紡ぐ。だってね、新ちゃん。そう続けた声色はあまりにも悲痛だった。
「だってあの人。やっぱり私には悪い人に見えないから」
「!」
「新ちゃん、探偵でしょ? だったら安室さんについて調べてみてよ。私からの依頼として。彼が本当に私たちの敵なのか。それとも、悪い奴らの敵なのか」
そう言うと、なまえは空気を一変させるように顔色を明るく取り繕いながら立ち上がった。そして「どうせ本当はトイレじゃないんでしょ」と呆れたように言って踵を返そうとするので、コナンは慌てて再び彼女を呼び止める。
「あっ、なまえ! もうひとつだけ」
「何?」
「世良に聞いたけど。オメー、今日、長野で誰に会うんだよ?」
すると、なまえはすっかり機嫌を取り戻したようににっこりと笑う。
「私の運命の鍵を握る人」
「は?」
「なんてね」
後は鼻歌交じりに車へと戻って行く彼女を、コナンは呆然と見つめていた。そしてこう思う。
そいつが男なら問答無用で赤井さんに言いつけてやるからな、と。
case93. 運命の鍵を握る人
「本当にここでいいの?」
なまえは運転席に座ったまま、山道への入り口に立つ世良に向けて心底不安そうに声をかけた。蘭と園子、コナンは既に山の澄んだ空気と木陰の涼しさにうっとりして、ぐっと伸びをしたり、景色について何やら話し合って笑ったりしている。その様子はなんとも平和的だが、これから彼らが進もうとしているのはどう見たって獣道。年長のなまえはまるで保護者のように彼らを心配して、もっと近くまで車が通れる道がないものかと必死に気を揉んでいたのである。
しかし、世良はいつもの調子でからりと笑うと、その心配を堂々と一蹴した。
「ああ。見ての通り、車はもう入れないだろうし。それに、ボクらが行く貸別荘はこの道をひたすらまっすぐ進むだけみたいだから、なまえさんが心配するようなことは何もないはずだよ」
「じゃあ、一応ここをナビで地点登録してまた明日の昼過ぎに迎えに来るけど、それでいいのね?」
「もちろん! すっごく助かったよ! もし車じゃなかったら、重たい荷物を背負いながらバスを乗り継いでここまで来るの結構きつかっただろうしな」
世良がそう言うと、少し離れた場所で雑談をしていた蘭と園子も傍に駆け寄ってきて、なまえにここまで乗せてきてもらったお礼をそれぞれ律儀に口にした。なまえが誰かに会うために別行動をするということは世良に聞いてみんな知っていたが、具体的にその人がどこの誰で、何をしている人なのかなどは誰も知らない。ただ、ここに来るまでの車中で、色恋沙汰が大好きな園子によって質問責めのように沖矢との仲について話を聞かれてしまったなまえを見ていれば、そのあまりにも初心で照れまくる表情のおかげで、彼女が会いたいという人物がたとえ男であったとしてもケチをつける者などいないだろうと思われる。……蘭の足元で、何か言いたげにじっと姉を見つめるコナン以外は。
「じゃあ、なまえさんも気をつけて」
「ありがとう。みんな、また明日ね」
「はい!」
なまえはアクセルを踏み、山道を駆け下りるように発進させる。その車が向かうのは当然、県の中心部に建つ長野県警本部。景光の兄である諸伏警部との約束にはまだかなり余裕なくらい時間があって、気持ちは昂って焦っているものの、ここは意識的にゆったりと構えて安全運転で目的地へと向かおう。なまえはそう決心すると、今一度、気を鎮めるために興奮を逃すようなため息を大きくつき、カーステレオの音量を少し下げた。
残念ながら、あれから景光の夢は見ていない。けれど、ふとしたときに何度でも思い出してしまう。十二年前の五月三日。南東京駅まで向かう、東営バスに乗ったふたりを。
一方、そんななまえと別れた四人は、降ろされた車道の脇にあった一本の険しい獣道に入っていた。そして、さわさわと木の葉が擦れ合う心地よい音をBGMに話し始めるのは、ここまで送ってくれたなまえのこと。
「なんかなまえさん。最近、雰囲気やわらかくなったと思わない?」
「思う! 昴さんと付き合いだしてからだよね」
園子と蘭がそう言って安心したように笑い合う。その様子を見ていた世良は、目下のコナンに視線を移した。
「コナンくんはなまえさんから今回、彼女が会う人のこと、何か聞いてないのか?」
「え?」
「出発前、一緒にトイレに行ってただろ? あのとき、ボクにはてっきり、ふたりで何か秘密の話があるように思えたけど」
まるで鎌をかけるように鋭いことを言ってきた世良に対し、コナンは一瞬、言葉を失くす。しかし、とっさに続いて出たその場をしのぐための話題は、先日、赤井がコナンに尋ねてきた質問とリンクした内容だった。
「あー……この前、昴さんになまえ姉ちゃんを誘ういい店がないかって聞かれたから、前に蘭姉ちゃんを迎えに行った『米花センタービルの展望レストランがいいよ』って教えてあげたんだ。死ぬほど美味しいからってさ。だから、行ったのかなあって思って……」
「へえ?」
「で、行ったの?」
「みたいだよ。昴さん、プロポーズまがいの告白もしたって言ってたから」
「マジ!? あのふたりいつの間に付き合ったかと思ったら、もう結婚秒読みじゃん!」
その話をまるで自分のことのように喜ぶ園子と、それとは対照的にひとり赤面している蘭。なぜなら彼女のその脳裏には、プロポーズという言葉から、嫌が応にもかつて新一から誘われた同じ場所での出来事が思い起こされてしまうからである。ロンドンで彼に告白された今だから思うが、あのとき事件が起きなければ、新一はあの展望レストランで幼馴染の蘭に告白するつもりだったのかもしれない。そう思うと彼女は赤面せずにいられず、そしてその様子を見てすべてを察したコナンも、人知れず同じように顔を赤くしているのである。
しかし、唯一面白くなさそうにしていたのは、今日の主催であり、女子高生探偵としての顔を持つ世良だった。それもそのはず。彼女がなまえを姉として得るためには、上ふたりの兄のうち、どちらかと結婚してもらう必要性があると未だに諦めきれずに思っているからである。まあ、秀一は死んでしまったので叶わないが、とはいえ、秀吉にも少し彼女は似合わない。いっそボクがなまえさんと結婚するか! と馬鹿みたいなことを思ったが、彼女はそのくらい、いつの間にか魔法使いの姉のことが大好きになっているようであった。
「でも、プロポーズ『まがい』なんだろ?」
「まだ昴さん大学院生で学生さんだもんね」
「卒業と同時にゴールイン狙ってんじゃない? ねえ、ちょっと蘭。後で新一くんにも連絡入れときなよ? お義兄さんができるかもよって」
「もう、園子ってば」
はは、全部横で聞いてるっつの。そう思ったコナンは苦笑いを浮かべて、先へと進む。
どんどんと森の奥深くへと誘われるように進む彼らはこのときまだ知らない。この森を舞台にした恐ろしい事件は、実はもう既に十五年ほど前から始まっているということを。