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 聞き込みを終えた三人は急いでパチンコ店から出ると、まるで勢いよく弾かれるようにコナンたちがいる貸別荘の方へと車を向かわせていた。なまえはあまりの状況のまずさに、後部座席で珍しく恐怖心さえも抱いて大人しく自分の身を抱きすくめている。死体は普段から見慣れているし、幽霊も別に信じていない。ただ、生きている人間が一番怖いものだということはよく知っていて、それを今まさに目の前で体感しているのだと思うことが恐ろしかった。

 大和はさっそく現場にいる上原に情報共有のための電話をかけている様子であった。向こうの話し声は彼以外には聞こえていないため、なまえにはその刑事の反応がどうだったのかはわからずじまいであったが、三人によってほぼ断定されたこの恐ろしい真実を聞けば、おそらく相手が誰であったとしても身の毛がよだつ。

 第三者の狂人がその森に今も潜んでいるかもしれない、だなんて。蘭と園子が怯えなければいいがと心配したが、今のなまえにはどうすることもできなかった。

 車内では、相変わらず部下を激励するかのような雄々しい大和の声が飛ぶ。


「……ああ、そうだ。赤女事件の現場に駆けつけた制服警官がビビって書き間違えちまったんだとよ! とにかく。今、コウメイとそっちに向かってるが、用心しろよ、上原!」
「────?」
「馬鹿野郎! わかんねえのか! その森にはまだっ!」


 その続きを言いかけた彼の耳には、突然、不穏にもブツリと回線が途切れる無機質な音が聞こえてきて、大和は忌々しそうに握っていた携帯電話を放り投げた。チッ! 切れやがった! と悔しそうに声を上げたところを見ると、向こうで何があったのかは知らないが、とにかくその上原という刑事とは急に連絡手段が途絶えてしまったらしいことを知る。

 それを後ろで見ていたなまえはさすがに落ち着かない様子で、一応、コナンに連絡を入れておこうかと思案していた。だが、それを静観していた高明が、彼女を安心させるために極めて穏やかな口調で語りかけるように話す。


「大丈夫ですよ、彼らなら」
「え?」
「あの少年がいるということは上原刑事から報告を受けて我々も知っています。もし今の話を聞いていれば、聡明な彼にならその意味は自ずと理解できるでしょう」
「……」
「残酷な話ではありますが、いくら我々がここで焦燥に駆られていたとしても事態はどうともなりません。事を謀るは人にあり、事を成すには天にあり、とも言いますし。すべては我々の人智を超えたところで決められ、結果となるわけですから」
「そんなっ……!」


 なまえは唇を噛み締めてとっさに高明を睨みつけた。じゃあ、あなたは指を咥えて彼らの命を天に任せていろとでも言うの、と。しかし、バックミラー越しに視線が合った彼の目はなまえの心を射抜くように強く、そして続ける言葉ははっきりと、彼らの無事を確信するかのように笑みを含んでみせていたのである。


「でも。その天命、追いつきますよ」
「!」
「あの少年ならね」


 風雨は次第に強まって、いつの間にか風の音は暗い夜の森を吹きすさぶ巨大な獣の呻き声に変わっていた。天命に追いつく。なまえはその言葉を刻み込むように胸にしまう。

 自分にもいつか、追いつきたい天命がある。大好きなふたりの友人たちの、真実に。



case97. 天命に追いつく


 地元民だけが知るような抜け穴的な道を通って貸別荘の前までたどり着けば、上原のものと思われる車が現場の入り口付近には既に停まっていた。しかし、言葉は悪いが、気味が悪いほど人の気配はない。ヘッドライトを消せばあたりは途端に暗闇に包まれ、激しい嵐と相まり、車外に出るのも一瞬ためらってしまうほどである。

 後部座席に常備されていた懐中電灯をあらかじめふたりに渡していたなまえはそれでも自身を奮い立たせながら車から降りると、予想よりも遥かにすさまじい風の勢いに吹き飛ばされそうになってつい体がよろけた。ぬかるんだ地面にパンプスのヒールがはまり込む気持ち悪い感覚を味わい、人知れず立ち往生していれば、それをぐっと支えてくれたのは高明で。暗がりで顔はよく見えないが、頭上からかかる声が紳士的に「大丈夫ですか」と問いかけてくれるので、なまえはとっさにそんな彼に対し、まるで赤井に感じるときと同じような心強さを覚えて赤面してしまう。って、こんなときに勝手に何を考えているのだろうか。


「このあたり一帯は変電所に雷が落ちて停電になってるらしい! 表の玄関が開いてるかどうかわからねえが、ぶち割ってでも中に入るぞ!」
「そのつもりです」


 三人は息を止めるように風雨の中を突き進み、激しく揺れる手元のか細い光とともに別荘の扉の前まで到着した。照らされたその扉は、なぜか赤女を想起させるように異様なほど真っ赤に塗り上げられており、なまえはとっさに高明のスーツの裾を握りしめる。すると、彼の方も励ますように、他意もなくなまえの腰を自然に抱いてくれた。


「敢助くん。扉は」
「開いてるみたいだな、行くぞ」


 高明が頷いたと同時に、三人はそっと暗闇の貸別荘の中に立ち入った。瞬間。鼓膜をつんざくように響いたのは、向かって正面の部屋の奥でガラスのようなものが割れる激しい音。


「こっちだ!」
「なまえさん、絶対に私の傍から離れないでください」
「はいっ……!」


 大和は手負いとは思えないほどのスピードで音のする方へと走って行った。なまえと高明もそれに続く。

 部屋に入れば、どうやら今の音で割れたらしいガラス窓から吹き込んでくる激しい風が打ちつけて痛いくらい髪をはためかせた。全員が揃ったその場で見えたのは、眩しい雷光とともに浮かび上がる振り乱した髪の長い女の顔。


「うおおおおおおっ!」


 女が叫びながら振り上げた包丁の切っ先は、ひとりの女性を標的として向けられていた。しかし、間一髪のところでその凶器を跳ね除けたのは、大和の金属製の長い杖である。


「そこまでだ! ここには赤女なんていねえ!」
「!」
「あんたの復讐は十五年前に片がついてんだからよォ!」


 大和の一喝とともにライトで照らされたのは、この十五年間ずっと森の中を彷徨い、不倫とはいえ愛する男を突然その妻に殺されて発狂した、恐ろしくも悲しい女の泣き顔であった。なまえの傍にいた高明も一歩前に躍り出て、その現場に踏み入り、彼女に教訓をたれる。


「過ちては改むるに憚ることなかれ……過ちを犯したときはすぐに改めよ、遠慮する必要は微塵もありません。我々、長野県警も明日の記者会見で十五年前の殺人事件の報告書の誤りを公表する所存。だから矛を収めてください。香川志信さん。あなたも赤女事件の被害者のひとりなんですから」
「うっ……」


 高明のその言葉で力なく包丁を落とした女は、その場で泣き崩れて大きく嗚咽した。

 こうして十五年前の惨劇は、十五年後の殺人事件とともに、完全に幕を下ろしたのである。




 その後、無事に電気が復旧し、なまえは怯えていた蘭と園子に駆け寄って、彼女たちを抱きしめるように無事かどうかを確認した。なまえ自身も確かに怖かったが、現場にいてその恐ろしさを最初から体感していた彼女たちには敵わない。特に蘭と園子は、事件慣れした世良やコナンとは違う。ただの、普通の女の子なのだから。


「蘭ちゃん、園子ちゃん! 世良さんも、コナンくんも大丈夫!? 怪我とかない?」
「なまえさん!」
「あたし、怖かったァ!」
「よしよし。もう大丈夫だよ」


 今にも泣き出しそうな園子を抱きしめて、どうにか彼女の気持ちを落ち着かせようとなまえはできる限り優しい笑みを浮かべることを心がけた。だが一方で、そんななまえの様子をじっと見守るように見つめていたのは、先ほどまで懸命に彼女のことを傍で守り抜いていた高明の方。応援に呼んだ他の刑事が来るまで、事件の調書や詳しい話を関係者たちから聞きながらも、彼の視線は、事件に巻き込まれた女子高生たちにではなく、先ほどまであんなに不安げにしていたはずの心を今は必死で押し殺して笑っている痛々しいなまえに向けられていたのである。

 十五年間、森の中を彷徨っていた香川志信という人物は今回の事件において、心神喪失の殺人未遂ということで比較的軽く片がつくだろうとは思われた。だが彼女は、今日、蘭たちの前で同じくこの貸別荘に来ていた男を無残にも溺死させた犯人とはまったくの別人。そしてその犯人とは、蘭や園子と一緒に風呂に入るふりをしてアリバイ工作をしていた遺体の第一発見者である河名という女であった。

 河名は森の中でわざわざ赤女を想起させるような赤い服を着てひとりたたずみ、その姿を見せつけることで、過去に底なし沼で死んだ友人を見殺しにした人物を恐怖を用いてあぶりだそうとしたのである。結果、殺された薄谷が見殺しにした人物であるとは判明したものの、逆にそのせいで森に潜んでいた香川志信に目をつけられて、赤女だと思い込んだ彼女に殺されそうになったということだった。

 なまえたちが踏み込むよりも先に河名はコナンと世良によって犯人だと名指しされ、その罪を既に認めていたようであった。よって、別々の事件の容疑者ながら、ふたりは一緒に送致されることになり、それぞれ手錠をかけられた後、応援のパトカーで粛々と連行されることになったのである。

 当然、その送致に付き合うのは大和と高明であると思われた。何故なら上原は、香川志信の事件の方に関しては現場に居合わせた関係者ということになり、実況見分が残っていたからである。だが、高明は最初からそれを見越して、送致に付き合うのを拒否するために同期でもある大和に向けて声をかける。


「敢助くん。申し訳ありませんが、私の代わりに他の刑事とともにパトカーに同乗して被疑者を署まで連行してもらえませんか」
「別に構わねえが、コウメイ。お前はどうするんだよ?」


 すると、彼はふっと笑って、誰もが驚く行動に出た。

 彼は、蘭と園子、それから世良に囲まれていたなまえの手を突如として強く引っぱると、先ほどまでそうしていたようにその細い腰をおもむろに自分の方に抱き寄せたのである。しかし、先ほど違うのは、その行動に落ち着かせるという意味合いはもう含んでおらず、まるでダンスのパートナーを選ぶようにしなやかで、色香を含んだもののように傍目からは見えたことだ。


「私は彼女と話があるので」
「えっ」
「あまり時間は取れませんが、行きましょう」
「あ、ちょっと……っ!?」


 そう言うと、高明は堂々と現場から彼女を連れ去ってしまう。まるでその場から、宝物をあっさりと奪い去ってしまうどこかの気障な怪盗のように。

 その様子に真っ先に反応したのは、当然と言うかやはりと言うか、色恋沙汰にめっぽう目がない鈴木園子。彼女以外にはいなかった。


「……見た、蘭? 今の、既視感ばりばりのやつ!」
「……園子の言う通り、連れ出されちゃったね?」


 それは先ほど園子が言っていた通り、ベルツリー急行内で安室が彼女を連れ出す場面とかなり似通っていたのである。

 あっけにとられている彼女たちとは対照的なほど、コナンはその行動にかなり焦っていた。しかし、子どもの身で彼らに口出しすることはできず。追いかけることも叶わないままで、彼はただ昼過ぎに姉から届いた可愛げのないたった一文のメールを思い出して、誰にも聞こえないように悪態をつくのである。

 あいつ、俺の忠告なんて全然聞いてねえじゃねえか……、と。

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