115b...
それは今から四年ほど前。単身で住み慣れた日本を離れ、アメリカ屈指の医大で法医学の勉強に励んでいたなまえは、ランチタイムのときに友人から突然とある場所に行かないかと誘われたのである。
「えっ、ガンクラブ?」
言われた単語をそっくりそのままお返しするように尋ね返せば、目の前にいたニューヨーク出身の典型的アメリカ人である女友達はその反応を待っていましたと言わんばかりに「yes!」と満面の笑みで答えた。
「そう! 嫌なことも、撃つとスカッとするわよ!」
彼女はそう言うと、まるで敏腕刑事を装うみたいに銃のハンドサインを作っておどけてみせる。そして勢いよく「Bang!」という破裂音を口走ったかと思うと、その指が撃ち抜く先には何かと彼女のことを目の敵にしている法医学教室の名物教授がいて、なまえは不謹慎ながらもちょっとだけ笑ってしまった。黙っていれば女優かモデルかと見紛うほど麗しい風貌をしているのに、たまにやることが子どもっぽい。なまえは彼女の、そういうところが大好きだった。
なまえにとって彼女は、この大学に入学してすぐにできた初めてにして唯一の友人であった。工藤家に引き取られてすぐの頃は推理小説以外にまともな友達もおらず、優作や有希子の心配も余所にそのままマイペースな性格で高校に進学。そこでは降谷たちのおかげか確かにクラスメイトと話す機会は中学の頃よりも格段に増えたが、それでも特に女子の友達をどうやって作ればいいのかについては、結局のところよくわからずじまいとなってしまったのであった。ましてやアメリカにいれば自分は外国人であり、しかも日本という小さな島国の出身でもある。文壇においては父の名も通じるが、世界的によっぽど有名な賞でも取らない限りかなりの読書家でないと知らない者が大半だろう。そういうわけで、孤立には慣れっこだから大学では勉強だけに執心しようと決めていた矢先、ニューヨーカーの彼女だけが持ち前の社交性ですぐに距離を詰めてきてくれたのである。
そのとき、なまえは思った。弟の幼馴染で、ガールフレンドでもある蘭にとっての園子とは、こういう存在なのかもしれない、と。
講義や実習の姿勢はさすがのものだが、パーティと男好きなところが玉に瑕だという点も、やはり彼女と園子を重ねて見てしまう要素のひとつになっていた。なまえは勝手にそんなことを思いつつ、ランチタイムにはいつも吐くほど甘いグレイズドドーナツをミルクたっぷりのラテで流し込んでいく彼女のルーティンを呆れたような目で見つめながらこう尋ねる。
「でも、どうしたの? いきなりガンクラブに行こうだなんて……。さてはこの前の試験やばかった?」
すると、彼女が手で作っていた銃口が容赦もなくこちらを向いた。
「いい、なまえ? それ以上余計なこと言うと、あなたのこと撃って解剖するわよ?」
「……」
さすがの法医学ジョークだな。そう思って肩をすくめると、彼女はくすくすと笑う。
「冗談よ! この前、パーティでそこのガンクラブで働いてるイケメンと知り合って誘ってもらったから行ってみたくて。彼って軍隊出身で超マッチョなの! よかったら彼との仲をアシストしてくれない?」
「……なるほど、そういうことか」
「それに、日本では銃が規制されているんでしょう? だったら一度撃ってみるのもいい経験になると思うんだけどな」
彼女はあまり釣れなさそうな態度を続けているなまえを説得すべく、ありとあらゆる理由をつけてなんとか口説き落とそうとしてくる。しかしその魂胆は隠すこともなく見え見えで、ひとりで行くのが気恥ずかしいのだろうということは即座に察せられた。彼女のことだから「友達を誘って行くね」と、既に勝手な返事までその彼に出した後なのかもしれない。
しかし、邪な理由だったことはさておき。正直に言ってしまえば、なまえは射撃場に行きたくないわけではなかった。それはもちろん、友人である彼女が新たに狙っている男を値踏みするためではない。
純粋に、銃を撃ってみたいと思ったのだ。それも、とても久しぶりに。
「そうね。でも」
「え?」
「こう見えて、射撃なら結構自信あるんだから」
ハワイで父さんに散々仕込まれたからね。と、そうとは言わず。なまえはとりあえずふたつ返事で彼女とともに射撃場に向かうことを了承したのであった。
case115b. 四年前、メリーランド、ガンクラブにて
組織に潜入してから、もう一年が経っていた。赤井は久しぶりにアメリカに帰国し、空港でレンタルした黒のシボレーC/Kでハイウェイを疾走する。帰ってきた理由は複数の犯罪者を洗うためではあったが、それは何も本業の方ではなく、組織から頼まれた「ライ」としての仕事の方。何に使うかは知らないがアメリカで未だに生存及び逃亡している殺人犯の顔写真入りリストが必要だそうで、国籍がアメリカであるライにならその入手が他者よりも容易いと見込まれて直々に上層部から命じられたのだろうと思う。しかし、そんなリスト、本業がFBIである彼にかかれば本当はわざわざ帰国などせずとも簡単に入手できるもので、この渡米自体、任務遂行中であるとのカモフラージュ以外には最初から何の意味もなしていなかった。
故に当然ではあるが、与えられたリミットまでの時間は彼にとって十分すぎるほど余ってしまったのだった。しかし、だからといって本当の仲間であるFBIとの合流を気軽に謀ることなどできるわけがない。実は先日、組織に潜り込んでいたイーサン・本堂という名のCIA諜報員がキールの手によって抹殺されるという事件が起こり、組織の雰囲気は未だにどこかピリついている。NOCと呼ばれるネズミが、まだこの組織内にいるのではないかと。日本の公安やFBIも槍玉に挙げられてかなり警戒されているようだし、そんな状況下では、当然、FBI捜査官・赤井秀一としての立ち回りは難しくなる一方であった。
それに、赤井にはFBIと合流する上でひとつの大きな懸念事項があった。それは組織に潜入する前に恋仲であったジョディと、今だけは顔を合わせることができないと思えたからである。その要因こそ、日本に残してきた彼の現在の恋人でもある、宮野明美。出張という名目で置いてきた彼女が健気に帰りを待っているのは赤井秀一でも、ライでもなく、諸星大という偽物の自分。組織に潜入するためとはいえ、彼女と交際関係にあるうちはジョディの心境を考えて気安く会うべきではないと思うのは当然のことであった。
『ふたりを同時に愛せるほど、器用な性分じゃない』
一年前。同乗した車の中でジョディにそう言った自分の一言が、フラッシュバックするように思い起こされる。全開にした運転席の窓から逃すように盛大なため息をついて、彼はわずかに痛む頭を抱えた。
異様に煙草の減りが早かった。赤井は半ばげんなりした気持ちでこの宛てもないドライブを続けていく。帰りの飛行機の時間まで車を走らせるだけの、本当に無駄で退屈なドライブ。単調なハイウェイを滑るように走っていく行為が、やけに平和ボケを誘いそうだと思えて自嘲する。
だから、普段は絶対に降りることのないメリーランドで州間高速を降りたのは、本当に単なる気まぐれであった。首都であるワシントンD.C.に隣接している州のためいつもなら通過点でしかないが、メリーランドが古い街というイメージから大して興味もないくせに急に歴史ある街並みをぼんやりと眺めてみたくなったのかもしれない。そのくらい暇を持て余しているということに違いなかった。
しかし、そうした由緒ある建築物を見学する前に、赤井は偶然、車の中から気晴らしにはもってこいの「ある場所」を見つけてしまう。それこそ、運命を引きつけるように。
流れ過ぎる立て看板を横目に見て、わずかにブレーキを踏んで失速した。そしてそこに書かれていた文字を、まるでうわ言のように唇を開閉して音読する。
「ガンクラブ、か……」
彼はそう呟くと、そのままウインカーを出して射撃場へと入っていった。その気まぐれが、神様に導かれた結果だったとも知らずに。
「あーんっ! また外れたんだけど!」
なまえの友人であるアメリカ人の彼女は射撃場内に響くほどの甘ったるい声でそう言うと、インストラクターとして横についていた当該の男性に豊満なバストを押し当てるようにむぎゅうと寄り添う。さすがの男性もこれにはたじたじの様子で、わずかに引き気味ではあったが、軍人譲りの生真面目な気質とともに相変わらず熱心な指導を続けていた。
ONE TARGETという名の小さなガンクラブは、平日の夕方ということもあって割に空いていた。普段は寮生活をしている苦学生ということもあって一番安価で弾数が少ないコースを選択したが、友人は隠れて既に弾を追加しているらしい。それで彼の給料が直接的に上がることはないだろうが、彼女は「売り上げに貢献しているぞ」というマウントが取りたいようで、それはまるで日本のホストクラブのそれだった。
一方、彼女の隣のブースでは、マイペースにレンタルした銃を構えて無言のまま弾丸を発射させているひとりの東洋人がいた。その人物こそ、工藤なまえ。銃規制のある日本が出身地であるとは到底思えないほどの落ち着きを払い、あまりに物怖じしない勇ましい様子に、その場に居合わせた客を含めた全員がしばしば釘づけになっている。それはインストラクターを務める男性も例外ではなく、彼は引き合いに出すように指差しながら傍にべったりと寄り添うブロンドの彼女に向けてニヤつきながら話しかけた。
「あの子を見てごらんよ。大丈夫。日本人でも扱えるんだ、銃なんてすぐに慣れるさ」
からかいのような蔑視の意も含まれたその発言は、生憎、なまえの耳には届いていない。
彼女が淡々と撃っているのは、IMI社が生産しているいかにも雄々しくて無骨なデザートイーグル。女性にとってはグリップも太く、重さもかなりあるはずだが、体幹がしっかりしているためか発射後もあまりブレがない。強力なマグナム実包で反動も大きいし、太い空薬莢が撃つごとに足元に転がるはずなのに、彼女は何も動じていないのだ。ある意味、それが当たり前であるとでも言うように。
「本当だわ、なまえ! 言うだけあるわね!」
「……」
「真剣ね……」
遮音性の高いイヤーマフに加え、耳栓もしている。そのため、友人の歓声も残念ながら届かなかったが、なまえにはそれ以上の鬼気迫る真剣みがあったのだ。
人型が描かれた標的の紙。そこを撃ち抜く度に頭を過るのは、以前、拳銃を扱った経験のあるハワイへの家族旅行ではない。
零とヒロも、警察学校ではこういう練習をしたのだろうな、と。今は音信不通になってしまった彼らのことを恋しく思って、人知れず心が千切れそうになるくらいには切なくその胸を締めつけていたのであった。
「いい腕だな」
英語でそう声をかけられたとき、当然、なまえは聞こえていなかったが、弾丸を装填中に横から顔を出されてはさすがに手を止めざるを得なかった。ニット帽を被った、長髪の、知らない男。日本人だろうか。上から下まで全身黒ずくめの衣服を身にまとってはいたが、その体格のよさはまったくもって隠しきれていない。彼はわずかに眉間にしわを寄せ、目を凝らしてなまえの目先にある的を見つめている。どうやらその紙に開いた数発の銃創を見据えているらしく、なまえはさすがにイヤーマフを取った。
「あなたは……? インストラクターの人?」
「いや、残念ながら単なる暇人さ。それより日本人か? しかも女。デザートイーグルでここまで撃てるなんて、なかなか恐ろしいほど筋がいい」
「あ、ありがとう……」
「何より銃の構え方が実に精悍だ。ボクシングの構えでも心得ているかのように見えるが?」
「……」
それを言われて、なまえはさすがに戸惑った。確かに日本人で、女だが、拳銃は初めてじゃない。でも、好きなボクシングまで見抜かれるとは思ってもいなかったのだ。数年前に降谷から教わったことが自分の中でまだ生きていたこと。それが、彼らと音信不通になった今でも、やはり友人ふたりの存在が夢などではなく現実であったことを、異国の地で、しかも第三者であるこの名も知らぬ彼に証明してもらったような気がしたのだ。
一方の赤井は、黙りこくってしまったその女の、なんとも気まずそうな顔を見て「彼女の地雷を踏んでしまった」と一瞬は気まずく思った。しかし、どうせもう二度と会うこともない。気にする必要はないだろう。それよりも今は、隣のブースにいる軍人あがりの雑魚なインストラクターよりも目の前のこの女の腕を自分ならもっと上手く磨けると思えて。赤井は暇つぶしのように彼女の手に手を重ねた。
「でも、俺がアドバイスするなら」
「えっ?」
そこから赤井は、わざとこの場の誰にもわからないように日本語で彼女と会話することにした。彼はまず手始めに、なまえの背後に回ってその華奢な肩に入った力を緩めるように押し下げる。そして左手を強く握ってわずかに外側に反らせると、耳元でこう囁くのである。
「お前は少し右手を軸としすぎている。握力は実は七対三の割合で左の方が強い。左足のつま先は目標と一直線……そう、いい子だ。重心はもっと低くして。構え方は悪くないがもっと正確に」
「は、はい……」
「男だろうが女だろうが、子どもだろうが老人だろうが、銃の殺傷能力は等しく平等なんだ。故に、トリガーに込める力はあまり必要ない。闇夜に霜が降るがのごとく引き金を引けと先人たちは言ったが、後人である俺たちはまさしくそれを実行するだけだ」
これで撃ってみろ、とそう言われ。最後の仕上げのように彼の手でイヤーマフを装着させられる。それから数歩離れた気配を感じ取ってから、なまえは半信半疑で言われるままに軽くその引き金を引いた。
人型に印刷された紙の上部、ちょうどド真ん中。眉間より少し上の脳天に弾は吸い込まれるようにして放たれ、人間であれば痛みも感じる暇もなく即死であることはたとえ監察医でなくともわかった。あまりに狙い通りの位置に当たったことをつい喜んで笑顔で振り向けば、まるで指示通りにこなした犬を褒めるように彼もまた笑っていた。
「Good girl. 一度教えただけでそこまで撃てるなら大したものだな。お前ならFBIにでも入れるよ」
「FBI?」
「アメリカ連邦捜査局。知らないか? 日本でも、ドラマか何かで見たことがあるだろう?」
赤井はそう言う。しかし、彼女はFBIを知らないのではない。監察医を目指しているなまえには、彼が「市警」と言うのではなく、わざわざその単語を用いたことに着目して目ざとくも少し不思議に思っただけだった。
けれど、残念ながら彼女はFBIにはならない。友人たちとの、光溢れる約束があるからだ。たとえ、その彼らとは音信不通であっても。
「ええ。でも残念。私、監察医になるのが夢だから」
そう言われて、赤井はわずかに驚く。しかし、そういえばメリーランドにはアメリカどころか世界的にも有名な医大があったことを思い出し、彼女がすぐにそこの留学生であることを察したのだ。それもかなりの秀才で、機転の効く、いい女だということも。
「じゃあ、今度会ったらお前に捜査協力を頼むよ」
「え?」
「じゃあな」
そう言うと、彼はポンポンとなまえの頭を撫でて。そのまま一度も振り返ることもなく、この射撃場を後にしてしまう。まるで嵐が過ぎ去ったようにも思われて、なまえはついぽかんとして彼の名前を聞くのも忘れたことを後になって思い出した。
「ねえ、なまえ。今の誰?」
そうして男に目ざとい友人が話しかけてくるまで、なまえは珍しくぼうっとしていた。だが、すぐに恥ずかしくなって火薬の匂いが染みついた手で口元を覆いながらぶっきらぼうに返す。
「さあ? 日系人みたいだったけど、知らない人だったよ」
「長髪の日系人……格好よかったわ!」
「……え、そう?」
何か怪しくない? とそう言いかけたが、既に彼女の目はハートマークになっている。その背後で例の軍人あがりの男がじっとりとした目つきでこちらを見つめていることなど、まったく気づいていないのだろう。友人はにっこり笑ってなまえに提案した。
「そんなことより。ラスト、あと何発残ってる? 勝負しようよ。あ、でもハンデはちょうだいね?」
もちろんその勝負はハンデがあってもなくてもなまえが勝利を収めたが。その数年後、彼女は長髪の彼と再びニューヨークで再会し、そしてその一年後には日本でルームシェアを始める数奇な運命を辿るとは、まだ誰も知る由もない。