120a...
なまえの家にアルバムを盗みに行かないかと景光に言われたのは、お互いの配属が公安だと発表されてすぐのことだった。厳密に言えば、景光は警視庁の公安部。そして警察学校入校時からオールAという超人的な成績を修めた降谷が、そのまたさらに上の警視庁警備局警備企画課という公安警察全体を取りまとめるような部署に所属することが決まっていたのである。つまり、彼らは配属先までも「公安」という関連した部署となり、見事なまでにその腐れ縁を発揮することになったのであった。
その配属を聞いたときに互いの脳裏をかすめたのは、やはり大切な、もうひとりの友人でもあるなまえの存在だった。景光と降谷が警察官なることを夢見たことで自らが彼らの「光」となるために、今も懸命に異国の地で監察医になるための勉強に夢中で取り組んでいる彼女。しかし、所属が公安ともなれば、その彼女にはもう二度と会えないことを言い渡されたも同義だったのである。
なぜなら、公安警察の仕事内容は実質的には諜報活動に近く、その存在すら秘密性が強い。いずれ警察関係者とも顔が広くなるであろう察しのいい彼女なら、たとえ景光と降谷が警察官になったとうそぶいていたとしても所属や勤務先などの肝心な部分が不明になっていては不審がられてしまうことは避けられない。それに、そもそも公安になるということは、形式的に一度警察を辞めることが必須条件。そんな事実、今も懸命に自分たちのために頑張り続けているなまえには、到底、言えるわけがなかった。
故に、彼らは準備をしなければならなかったのだ。これから、なまえだけではなく、身内や他の友人たちとも一切の消息を絶つ、準備を。
後ろ髪を引かれるような思いを抱えながらも、ふたりは意外にもその運命をまっすぐに受け入れていた。自分たちが守るこの国のどこかで、彼女が幸せに暮らしていればそれでいい、と。特に降谷は、なまえへのどうしようもない恋慕にもこれでようやく片がつくかもしれないと思えて。それはそれで、今まで散々面と向かって「好きだ」という言葉を告げられなかったことも、結局は神様という不確かな存在が、この運命を見越していた結果なのかもしれないなと馬鹿みたいに信じることができたのだ。
だって、もし伝えられていたとしたら。彼はこの国の幸せを捨てでも、なまえだけを選んでしまったと思うから。
一方、その親友でもある景光は、彼とはまったく別のことを考えていた。公安になるためには降谷とともに一切の消息を断たなければならないということは当然わかってはいたが、だったら残されてしまったなまえは、その後、自分たちを一生をかけて探し続けるために生きた亡霊と化してしまうのではないだろうか、と。それは、自身が幼いときに失くした両親の顔を忘れられないように。ある日を境に親友たちから置き去りにされて、ひとりぼっちになってしまったというトラウマを彼女に植えつける原因になるのではないか、と。そんな悲しいなまえの未来が、景光だったからこそ、その目には既に見透せていたのであった。
「だからせめて消える前に、なまえがオレたちの顔をだんだん思い出せなくなるようにしてあげたいんだ。悲しいし、時間はかかるだろうけど。手元に写真がなければ思い出すことも難しくなってくるはずだろ? 探し出そうとする手がかりも、たぶん、少ない方がいい」
それが、アルバムを盗みに入らないかと言った景光なりの言い分だった。降谷はその言葉を受けてしばらく考え込み、それから短く「そうだな」と言って親友の意向を肯定する。
こうして、なまえの思い出を盗むための計画は親友ふたりによってそのような経緯で企てられたのであった。
決行に至るまでは割に早かった。公安としての実務的な訓練を積み、それを生かした初めての違法行為がまさか親友の家に忍び込むことになるなんて。ふたりともどこか悪い夢でも見ているような気分にも苛まれたが、そうするより他に道がないのだと、そのときは互いに本気で信じて止まなかったのだ。
工藤邸の様子を盗聴し、誰もいない時間帯を入念に探った。家の合鍵を作成するのために鍵を奪う相手は、子どもながら変に勘の鋭い彼女の弟である「新一くん」よりも、その母である元女優の方が適任だろうと思えてふたりは真っ先に彼女への尾行調査を開始していた。だが、ちょうどそのときに工藤優作氏の新作本に関するサインイベントがあるという情報を得た降谷は、それを上手く利用してスタッフに紛れて彼の楽屋へと侵入し、誰にも気づかれずにまんまと鍵の入手に成功する。降谷はその後、複製された合鍵をキラキラと輝かしく見つめながら、まるで獲物を得た獅子のようにあの国民的ミステリー大作家を出し抜いたことを相棒である景光に得意げになって報告したのである。だが、果たしてこれが本当に良人のすべきことなのだろうかと思うと、同時に公安という自分の職業を彼は多少なりとも嫌悪せざるを得なかった。
しかし、それを悟るや否や、景光は親友を懸命になって励ましてくれたのだ。オレたちはいつだって正しい、と。だからこの計画を最後までやり遂げよう、と。もちろん景光が逆に背徳を感じたときには、同様にして降谷が励ますこともあった。そうして、持ちつ持たれつの関係を続けながら、彼らの計画は着実に前へと進んでいたのであった。
一方の景光は、とある狙いから「自分たちとの写真はすべて捨ててくれ」というあまりにも直接的な電話を、アメリカにいるなまえに真っ向から入れていたのであった。もちろんなまえはそんな突然の申し入れに混乱しきっていたが、友人のただならぬ気迫に押されて「アメリカには持ってきていないから、帰ったら」と困惑気味に言ったのである。それが聞けただけで、彼には十分だった。なぜなら景光の本当の狙いは「写真を捨てて欲しい」ということを彼女に伝えたかったわけではなく、なまえが留学先に自分たちの写真を持って行っていないかどうか、その有無である。それは後に、一枚だけ彼女の手元に残った写真によって「捨てる」という行為を先延ばしにするためについた、とっさの嘘だったと判明するのだが、景光はそれを疑わずに、工藤邸にある写真、及びアルバムを奪う計画を安心して実行できると思っていたのである。
そうしたふたりの総力をかけた工作作業によって、すべての準備は整った。実に、予定通りだった。
case120a. 思い出を盗むための計画
いよいよ入室できた工藤邸二階にある彼女の部屋。近年、帰国の際にしか使われていないようで、締め切った部屋特有の滞留した空気がふたりの身にはわずかに重たく感じられた。
アルバムはなまえが卒業式の日に言っていた通り、ベッド脇のナイトテーブルに大事そうにしまってあった。捨てるのは忍びないので、盗んだ後は降谷の家で永久に保管しようということになっていた。故にそれを彼が持参した鞄の中に押し込めたら、続けざま、今度は手分けして、アルバムに入っていない写真が部屋のどこかに残っていないかを注意深くふたりで物色し始める。もちろん、物を動かす際はその角度や位置、順番などにはくれぐれも気をつけるように。皮肉なことだが、まるで空き巣顔負けのそれらの鉄則は、すべて彼らが公安で学んだことであった。
降谷は戸棚の上に置かれた気だるそうなクマのぬいぐるみに気づいて、革手袋をはめた手で取ってまじまじと見つめる。それは彼らにとって、とても見覚えのある品で。高二のゴールデンウィークの初日、南東京駅の商業ビルで景光と降谷が折半して彼女に買い与えたぬいぐるみであった。少し古ぼけてはいるが、石鹸のような匂いがするので帰国の際は必ず埃を落とす意味でも洗ってやっているのだろう。そう思うと、まるで自分のことのように大切にされている気がして、堪らなく幸せな気持ちになる。
「それ、まだ持ってたんだな」
景光はその様子を横目に見ながら、不乱に棚の中を漁っていた。その顔はどこか嬉しそうで、降谷もまた同じ顔をして彼に応答する。
「ああ。なんだっけ、名前」
「さあ? ゆる、なんとか?」
「ずっと大切に飾ってあるなんて、なまえらしいよな」
降谷が呟いたその言葉は、まるで心の底から安心するようなひとりごとみたいだった。景光は棚の中から見つけた家族写真の束を一枚一枚繰りながら、その中に自分たちの写真が紛れ込んでいないかをチェックしているらしい。それを見ていた降谷は、ぬいぐるみを元の位置に戻しながら思い出したように話を切り出す。
「なあ、ヒロ」
「ん?」
「警察学校にいたとき、本当は持ってたよな? 僕らの写真。一枚だけ」
それは、半ば確信めいた発言であった。
実は、降谷は知っていたのだ。警察手帳を貸与されてすぐ、自分がそこに学園祭のときの三人の写真をしまっていたように、景光もまた別の写真を一枚だけ大事そうに警察手帳に挟んでいたことを。「失くしたりしたら困るから寮には持ってきていない」と彼は言っていたが、あれはきっと松田や萩原に見られたくなかったのだろうと降谷は思う。立ち入り許可された資料室で過去の自分にまつわる陰惨な事件を血眼で調べていた彼は、時折、心の安定を図るためだろうか、細かく折りたたんだその写真を見返していたようで、降谷はその場面をこっそりと目撃していたのだった。
しかし、景光は決して松田や萩原に見られたくないから、降谷にもその写真の存在を隠していたというわけではなかった。はっきり言えば、彼は降谷に遠慮をしていたのだと思う。なまえの映った写真を自分が持っていれば、それこそ親友が自分に対して余計な気を使ってしまうかもしれないから、と。
そのとき景光は、ふっと萩原に言われたことを思い出す。恋愛上手だった彼に幼馴染ファーストを咎められたとき、その考えがあまりに的を得ていなくて景光は月を見上げながら少しだけ笑ってしまったのだった。降谷となまえのためなら、自分の命すらも惜しくない。景光のその考えは、今も何ひとつ変わっていない。
彼はあのときと同じように、降谷に向けてうっすらとした博愛的な笑みを見せた。そして、彼の指摘通り、今はもう返納してしまった警察手帳の中にかつてしまってあった写真の行方に思いを馳せながら、相棒にこう返すのである。
「ああ、バレてた? でも、そういえばこの前、兄さんにあの写真を見せてから、それきり失くしたみたいなんだよなあ。ま、携帯で撮ってあるから別にいいんだけど」
景光はそう言いながら、何気なく左の胸をポンポンと二回ほど叩いてみせる。心臓にほど近い場所についた胸ポケットには、彼の大切な携帯電話が入っていた。
景光はなまえだけではなく、今しがた話題に出したその兄にももう会えないということを覚悟しているつもりであった。けれど、長年離れながらも慕っていた高明に会えなくなるのは、正直に言って、とても寂しい。
「でも、もうその兄さんにも会えないのか」
「偶然はあるかもしれない。そう、気を落とすなよ」
「ゼロだって。もしこの先またなまえに出会うことがあったら、今度こそ運命だから。そのときは早く告った方がいいぞ」
なんてな。そう言って笑う彼の言葉を、降谷は耳が痛いような気持ちで聞き流していた。「こんなことをしておいてもう会えないよ」とは、どうしても言えなかった。
なまえの部屋にあった目当ての品は結局そのアルバム一冊だけであった。部屋の片づけが苦手だと常々言っていた彼女だから心配していたが、ファイリングに関してはとても几帳面な性格だったようで、自分たちとの写真は本当にその一冊のアルバムだけに集約させていたようである。見た目には何も変わっていないだろうが、散々彼女の部屋を荒らした景光と降谷は、互いに顔を見合わせて合図をした。そろそろ行くか、と。ふたりはそうして初めての違法捜査の場であった、工藤邸を後にしたのである。
もうこれで本当になまえには会えないのだな。そんな後ろめたい思いをそれぞれ胸に抱えながら。