11…


「はあっ!」

 ひどい夢だった。寝汗をびっしょりかいていて、シャツが肌に張り付いて気持ち悪い。小学一年生になったお祝いにもらった自分の部屋の中でたくさんの可愛いものに囲まれているはずなのに落ち着かず、しばらく経っても未だに部屋中のあちこちに自分の荒い呼吸音が充満していた。どうやら本当に幽霊になってしまった、ということはひとまずないらしいが、もしあれが予知夢であればこれから私は死ぬ可能性があるということだ。そう考えただけで、身のすくむ思いがして震えが止まらなくなる。そんな私を嘲るように、耳の遠くの方で、まだかくれんぼを楽しむ男の不快な声が聞こえていた。

 時刻はもうお昼過ぎ。今日は朝からいつも通り学校に行くはずだったのに微熱があって、お母さんに休む連絡を入れてもらってからはずっと眠ってしまっていたようだった。熱のせいであんな不吉な悪夢を見たのかもしれないとも思ったが、もしかしたら今夜、本当に景光の家で何かしらの事件が起こるのかもしれない。どうしてかわからないけれど、何の根拠もなかったくせに確かに夕食の時刻だと思ったのが予知夢として当たっているとするならば、の話だけれど。でも、直感的にその可能性は高いような気がしていた。

 今ならまだ間に合うかもしれない。景光が帰ってくる時間までここで待っていてもいいけれど、家にいるであろう彼のお母さんに注意喚起をするくらいなら今すぐにでもできる。ただ、ひとつ懸念があるとすれば、具合の悪い私ひとりで外に出かけられる許可が出るかどうかわからないということだ。

 でも、それで親友が救えるなら。

 そのとき、ふと開けっぱなしにしていた窓から見知った人物が歩いていくのが見えた。高明くんだ。そういえば、夢に彼は出てこなかったけれど、何をしていたのだろう。そう思ったとき、ふと先日、本屋で高明くんと小橋さんが中学校の林間学校について話していたのを思い出した。きっと、偶然それが今日だったのだ。

 でも、今、その彼が林間学校から帰ってきているということは……?

 私は彼の姿を見てどういうことだろうと混乱しつつも、ものすごく嫌な予感が背中の汗と共に伝って、急いで下階に降りて玄関で慌てて靴を履き始める。その物音に困惑しながらリビングを飛び出してきた母に、私は思い切り早口で捲し立てるように言った。


「お母さん、私、ヒロの家に行かなくちゃ! そこまで高明くんが来てるから一緒に行ってくる!」


 そして、戸惑いながらもう少し事情を尋ねようとする母の静止を振り切って全速力で家を飛び出した。汗をかいた私の頬を、風が生ぬるく撫でていく。バクバクと心臓が跳ねて、いつまでも収まることを知らない。 

 高明くん、高明くん! 走っている間中、そうして未だ見えない背中にずっと呼びかけ続けていた。高明くん、お願い。ヒロを助けて。




Phase.11 また、間に合わない


「高明くん!」

 窓から見えて急いで追いかけてきたはずなのに、結局、もう彼の家にほど近いところまで来てようやくその姿を捕らえることができた。うるさいくらい脈打つ心臓で胸が張り裂けそうになるほど走ってきたから、しばらく喉からはまともな言葉が出ず、ヒューヒューと細い息しか吐き出せない。それでも、その様子に只事ではないと察したらしい高明くんは私が落ち着くまで寄り添うように待って、丁寧に事情を尋ねてくれた。


「なまえちゃん? ……学校は? どうしたんですか、そんなに急いで」
「ヒロに、ヒロにどうしても会わなくちゃいけなくて……!」
「景光なら学校でしょう? それとも、今日は何か学校行事でもあったのですか」
「違うの! でも、ヒロに会わないと……!」


 私の支離滅裂な言葉に困惑する彼が、どうにか落ち着かせるために歩幅を合わせてくれる。私は甘えて息を整えながら、惨劇の現場に近づく恐怖に慄いて彼の制服の袖を強く握った。


「妙ですね」
「え?」
「いえ……門が閉まっていないようなので」


 彼が指差した先には、確かに見えてきた諸伏家の外観。鉄製の門扉はなぜかだらしなく半開きで、風に吹かれて少し動いていた。私はその光景に血の気が引く。


「母はとても用心する方で、こうして鉄扉が開いているのは初めてです」
「……」
「なまえちゃん?」


 扉の老朽化だろうかと訝しむ彼の隣で、私はまたも震えが止まらなくなる。嫌な予感を頭の中でうまく説明することができなかったけれど、ようやくそれがクリアにわかった。

 もしかするとあの夢は、今日のことじゃなくて昨日のことだったのではないだろうか。じゃあ、今頃ヒロは。ヒロの両親は。

 そんな最悪の結末を脳裏に描いていれば、さすがの高明くんも私のただならぬ様子に気付いたようで。震える私の手を強く握り返した後、すぐに離して目線を合わせるようにしゃがみ込み、私の両肩に力強く手を置いた。


「君はここにいてください」
「でも!」
「頼みます。僕からのお願いです」


 強い眼差しでそう言われると、たちまち断れなくなってしまう。それに、小さな私には正直この問題に立ち向かうにはあまりにも恐怖の方が大きすぎた。だから、高明くんの腕を再度しがみつくように抱きしめては、泣きべそをかきながら「お願いだから気を付けて」と乞い願う。本当は「ヒロはクローゼットの中にいる」と言いたかったけれど、これ以上話したら、予知夢のことがバレてしまいそうだから。私がぐっと言葉を飲み込むと、高明くんは黙って頷いてくれた。


「何かあったら思い切り叫んでください。いいですね」
「わかった」


 そう言って、私は半開きの門扉の前でひとり残って彼のことを待っていることにした。正直、ひとりでいるのは心細くていつ暴漢が出てくるか予想すらできず、それに景光の安否が心配で堪らなくて次々に溢れてくる涙をずっと袖で拭っていた。泣くな、泣くな。そう思っても、止められない。もし景光に万が一のことがあったら、私は。


 そうしてしばらく経った、数分後。玄関の扉が開いて一瞬身構えたが、出てきたのは高明くんだった。そして、彼の後ろからそっと連れられてやってきたのは景光で、私は肩の力が抜けそうなくらい心の底から安堵する。


「ヒロ! よかった、無事で……!」


 けれど、彼の表情は虚ろで、夢で見たのと同じように私とは視線すら合わなかった。それに足元には乾いた赤黒い血がところどころについていて、それが誰のものかを想起することは夢で一部始終見ていた私にはとても簡単すぎた。


「……ヒロ? ヒロ! ねえ、諸伏先生は? ヒロのお母さんは無事!? 早く救急車を呼ばないと、今、呼んだら助かるかも、ねえっ!?」
「なまえちゃん、落ち着いてください」
「でもっ!」
「弟はショックで声が出ない様子です」
「……嘘」
「……中で父と母が死んでいる……想像以上に惨たらしい状況です。君をここに残しておいて本当に正解だった……」


 高明くんはそう言うと苦々しく顔を歪ませた。本当は彼だって泣きたいはずだった。けれど、気丈に、まるで大人のように淡々と振る舞って、自分どころか私の心配までしてくれる。部外者の自分が勝手に喚くのが申し訳ないと思う反面、諸伏先生や景光の母が亡くなっていることを聞かされても平然としていられるほど私は高明くんのように大人でもなかった。

 私はまるで頭を殴られたように大きなショックを受けてしまったのだ。また、だ。また、間に合わなかった。今回、景光は助かったけれど、それは私がここに来たから現実が変わったわけじゃない。単純に犯人が見逃したからだろう。そして、結果的にふたりの人間が命を落としている。結局、夢を覚えていようがいまいが、その夢自身は私を置いてけぼりにして嘲笑うように何の役目も果たしてくれない。


「もうすぐ警察と救急車が来ます。事情は僕が話しますので、君はそれまで景光の傍にいてやってください」


 そう言ったと同時に遠くの方からサイレン音が聞こえてきた。私は高明くんから任された景光に肩を貸して、支えなければならない立場であるくせに力なく玄関前の段差に座り込む。そこで景光が声も出さずに泣き出して、私も一緒に静かに泣いた。

 何もできない無力な自分が悔しい。ただ、それだけの思いでいっぱいだった。

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