12…
その事件は「長野夫婦惨殺事件」というセンセーショナルな名前をつけられ、一躍全国ニュースのトップに君臨した。近所でも評判のおしどり夫婦がなぜ。刃物で滅多刺しにされていることから、怨恨の可能性が。ひとり無事だった次男は失声症になり……。何の罪もなく平穏に暮らしていたはずの諸伏家は突然、日本全国で面白おかしく語られる格好の的になり、近所ではマスコミが昼夜問わず張り付いて道行く人にインタビューをしたり探偵まがいの調査をしたりして報道合戦を繰り広げた。
私が黒い服を着るのは、今年に入ってもう三度目だった。その日は朝から雨が降っていて、まるでみんなの涙が天気を左右したようだと担任の先生が悲しげに言う。クラスごとに集められたグループの中で啜り泣く声を聞きながら、私は最前列の家族席で横並びに立って、時折、参列者に頭を下げる兄弟をじっと見つめていた。
結局、夢は何の役にも立たないとわかった。おばあちゃんが誰にも言いたくなくなると言っていたが、まさにその通りで、本当にこんな力があると公言する方が恥ずかしいような気さえしてくる。夢で見ようが見まいが何も世界は変わらない。ちょっとした力があるからといってヒーローになりたがったって、結局は誰も救えないのだ。
そんなことを思って、深い諦めに似た感情を抱く。すると、そのうち鋭い眼光を放つ高明くんと目が合った。
「 」
彼が口をぱくぱくと動かす。あとで話そう。それが一発でわかるのはもちろん夢で見たからだが、そんなことがわかったって意味がないことは私自身が一番よくわかっていた。
Phase.12 その約束だけは絶対に守るから
「よく分かりましたね、僕が呼び出したこと」
高明くんは確かに私に話しかけながらも、悲しい顔を見せたくないのか、こちらに視線を向けてくれることはなかった。私も野暮にわざわざ彼のことを見つめたりはせず、曖昧に適当な返事をして夢で見たことをぼやかす。それでも、理由を最後まで追求されることはなかった。
葬儀会場の入り口付近。まだマスコミが遠くの方で参列者に聞き込みをしているのを見ながら、私たちは隣に立って話を始めた。景光には遠縁の人が今は寄り添ってくれているらしい。東京の人、だそうだ。
「まず、景光のことなのですが」
「うん……」
「大きな精神的なショックから失声症という声が出なくなる病にかかり、今は療養中です。よって、彼の口からあの日の詳しい経緯を聞くことは当面の間、叶いそうにありません」
それはそうだ。両親の死に際は見ていないのかもしれないが、冷たくなった遺体、言い争う声や襲われるかもしれないという恐怖は彼から声を取り上げてしまうには十分な材料だろう。私もまさか夢の内容を証拠として詳しく話すこともできず、ましてや、景光の安否が心配で犯人が寝室に入ってくるまでに早く目覚めろと唱えてしまったので肝心の犯人の特徴は性別くらいしかわからない。つくづく役に立たない力だと、忌々しく唇を噛む。
「また、弟は軽い記憶喪失になっているようで、あの事件の前後の記憶がどうやら曖昧でところどころ抜け落ちているようなのです。弟にとっては辛い記憶なので、無理に聞き出そうとしたり、話題にも出さないでやってもらえると兄としては助かります」
「そう、なんだ……。わかった、学校のみんなにも伝えるね」
「そして、そのことなのですが」
高明くんは突然、言い出しにくそうに口をつぐみ、何と切り出せばよいかと思案しているようだった。私は頭に疑問符を浮かべ、彼の言葉の続きを静かに待つ。しかし、よく練られてから紡ぎ出された言葉は、私にとってはあまりに不意をつく話だった。
「景光は今彼に寄り添っている東京の親戚が引き取ることになりました。彼はもうおそらく、君たちクラスメイトと言葉を交わさぬまま転校することになるかと思います」
「嘘!?」
「これは、僕にとっても非常に堪える話でした。両親が死んですぐ、唯一の肉親である弟と生き別れることになったのですから」
「じゃあ、高明くんは……」
「僕は近くに住む親戚の家に越すことになりました。あの家はさすがに手放す予定です」
当然だろう。惨劇のあった家にいられるわけもないし、それにいくら彼が大人びているからといって中学生をひとりにすることもできないのだから。
私はそれよりも、景光ともう一言も交わせないまま別れなければならないことの方が自分の身が切られるように辛かった。せっかく親友と呼び合う仲になれたのに、もうあの笑顔を見ることができないかもしれないなんて。
「なまえちゃん。突然ですが、僕は警察官になろうと思います」
「警察官?」
「この手で父と母を殺した犯人を捕まえる。今回のことでそう決めました」
高明くんの眼差しは、いつもの温和さはなく、激しい怒りを孕んでいた。冷静で、いつも大人びている彼でない。強くて激しい憤りを抱え、一度何かの衝撃を加えたら溢れてしまうくらい凄烈な感情を必死に押さえ込んでいる、そんな一面が初めて彼の表情から読み取れる。私はその目を見て、きつく拳を握った。
「……私もなる」
「!」
「私も警察官になる。高明くんやヒロの、役に立ちたい」
それは切実なる願いだった。夢に頼るのではなく、自分自身で行動する。いつも後悔ばかりだから。責任ある警察官という職務に就いて、自分自身の行動で、誰かの役に立ちたい。心から決意の泉が湧き上がるみたいに、本気でそう思った。
しかし、高明くんは首を縦には振らなかった。
「僕は反対です」
「えっ、どうして」
「率直に言って、君には向いていないと思うので」
あまりにはっきりと言うから、私はちょっと唖然とした。けれど、彼は真面目に言葉を続ける。
「あの日も、現場を見ていないのにあんなにも震えていたんですから。わざわざ君が危険な場所に身を置く必要はない」
しとしとと降っていたはずの雨は、いつの間にか上がっていた。私は軒先からポタポタと落ちる雨粒に見惚れながら空を見上げる。
「うん。でもね、高明くん」
「え?」
「私、約束したよ。ほら、ヒロと虫取りに行って山登りした帰り道。うちまで送ってくれたときに、確か」
「……」
「『高明くんが困ってたらそのときは私が助けてあげるね』って」
葬儀の場で不謹慎かもしれない。でも、私は彼にお返しとばかりに、まっすぐ、強い視線を向けて少しだけ微笑んだ。絶対助けるって約束したから。今の私では役立たずで、震えてばかりで、うじうじ悩むことも多いけれど。
その約束だけは絶対に守るから。
「私、やっぱりヒロに何も言えないままなのは嫌だから、ちょっと会って話してくる!返事がなくてもいいから」
そう言って、私はそそくさと高明くんを置いて会場へと引き返した。なんだかちょっとスッキリしていた。自分がこれから進むべき道が、改めてわかった気がしたからだった。
一方、残された高明はしばらくその場にぼうっと突っ立って、今しがた見た少女の表情を再生しては巻き戻すように何度も思い返していた。弟と同じ、小学校一年生の瞳としてはとても強く、澄みきって曇りがない。そんな小さな女の子に言い負かされてしまったことが悔しいやら、情けないやらで、恥ずかしいことにどんな顔をすればいいかわからないでいる。警察官に向いていない、と一蹴したことを取り消ししなければいけないかもしれない。
けれど、もし本当に同じく警察官を目指すなら、こちらもまた同じく守らなければならないな。傍にいることが叶わなくなった弟の代わりに、兄のような立場で。
彼女が先ほど見上げていた空を、葬儀に来ていた誰かが指差す。そこにはいつの日か見た、色鮮やかな虹がかかっていた。