13…

 長野駅の新幹線ホームで東京に向かう景光を見送った後、私は高明くんに誘われてお昼ご飯をご馳走になっていた。長野は信州蕎麦が有名で私も大好きだけれど、高明くんはなんとパスタ派らしく、それならばと遠慮なく駅直結のイタリアンレストランにふたりで入って大人用のナポリタンスパゲティをむしゃむしゃ食べる。注文の際に彼は「もし量が多くて残すようなら食べてあげますよ」と気を遣って言ってくれたが、生憎、美味しすぎてあんまり残りそうにない。お子様ランチとかによく入っているこの甘いケチャップ味が、実は蕎麦よりも大好物なのだ。

 すると、高明くんが私の食べっぷりに目を細めて、甲斐甲斐しく真っ赤になった口元を拭いてくれた。きっと景光にしてやるのと同じ気持ちなのだろう。だけど、彼のことを好いていると自覚し始めたばかりの私にとってその行為は猛烈に恥ずかしくて、すぐさま彼からおしぼりを取り上げて自分で強引に拭き取った。それを見ていた店員さんが水を注ぎに来てくれた際に、私に向かって「いいお兄ちゃんねえ」と言ってくれたことでさらに恥ずかしくなる。お兄ちゃんじゃアリマセン……。


「ヒロとは結局話せなかったけど、東京で回復すればいいね」
「ええ、長野の地は今の彼にとって辛い場所でしょうから」
「でも、高明くん。寂しくなるね」
「そうですね」


 そう言って彼は私の方をじっと見つめる。私にはその視線の理由が何となくわかっていた。さっきの甲斐甲斐しい行動といい、目線といい、きっと彼は私に景光を重ねている。

 だから、私はその役目を喜んで引き受けようと思う。景光ができなくなってしまった分、高明くんが寂しくないように。

 私はほとんど空になったケチャップまみれの皿を避けて、持参した例のリュックサックの中から数冊の授業用ノートを取り出した。そして、彼に改まって乞い願う。


「高明くん」
「何でしょう」
「私に勉強を教えてもらえませんでしょうか……!」


 それは以前、スパルタ発言が怖くて一度は断った提案だったが、私は自分の新しい夢のために、そして高明くんに少しでも寂しい思いさせないためにも、もう一度、今度は自ら願い出ることを決意して今日はここに来たのだった。

 でも、本当はもうひとつ恥ずかしくて到底言い出せない理由がある。景光がいなくなった今、単純に、私が高明くんの傍にいてもいい理由が欲しい。

 すると、彼は再び目を細めて笑う。そして、高みの見物のように頬杖をつきながら、まるで悪い策士のように珍しく交換条件を言い渡してきたのだ。


「いいでしょう、ただしひとつこちらからもお願いしたいことがあります」
「えっ、何?」


 すると彼は親友に似た口元で弧を描き、こんな意外なことを言い出すのであった。



Phase.13 これからは呼び捨てで


 それからあっという間に月日は流れ、私は小学二年生になった。学年集会があるらしい体育館までの道のりをピカピカの新一年生たちがそれぞれいろんな面持ちで歩いていくのを見て、その中にあの日の私と景光を見つけたような気分になる。入学式の後、教室で顔を見合わせた瞬間、お互いの口から飛び出したあの声のトーン。あまりにも同じすぎて笑いが止まらなかったことが、もはや昨日のことのように思い出せた。

 それからすぐに有里ちゃんと仲良くなって、飽きる間も無く三人でいつもくだらない話をしていた。好きな漫画の話、本の話、それからお兄ちゃんの話。どの話題も楽しくて、毎日、朝起きて学校に行き、ふたりの顔を見るのが何よりも楽しみだった。


 でも、それからたった一年も経たずに、私はひとりぼっちになってしまったのだ。


 新しいクラスの名簿には当然、景光の名前も有里ちゃんの名前もなく、私の名前だけが空白の中にポッカリと浮かんでいるように感じた。校舎の中を歩いていても、校庭で走っていても、登下校中の道路でさえ、私は未だにふたりの面影を探してしまう。もちろん、他に友達がひとりもいないわけではないけれど、彼ら以上の友達なんて、この先なかなか見つけることはできないのかもしれないということは何となく悟っているつもりだ。でも、それでいいし、その方が楽しかったあの記憶がいつまでも色褪せていかないような気がした。有里ちゃんは亡くなり、景光は事件のせいで記憶が曖昧になって口を閉ざしてしまっている今、私たちがあんなに仲が良かったことをハッキリと覚えていられるのは私だけだろうから。

 それに、ふたりがいなくなって、私にはちょっとした変化が訪れたのだ。


「じゃあ、この問題をみょうじさん」
「あ、はいっ」


 窓の外を見ることに夢中であまりきちんと話を聞いていなかった私は、たぶんあえてそれをわかっている先生に名指しされ、白いチョークを渡される。黒板の前に立ってしばらく算数の問題を読み込めば、なんだ、そんなに大したことじゃない。私はさらさらと流れるように答えを書いて得意げに先生にお伺いを立てる。悔しそうな顔、ということは正解なのだろう。


「次からはちゃんと真っ直ぐ向いて授業を聞いてくださいね」


 結局、注意を受けてしまったが、お咎めはそれだけだった。私は席について、とりあえず授業に集中する。

 ひとつめの変化は、高明くんのおかげで勉強が得意になったこと。そして、もうひとつの変化が、彼が私のこと「なまえ」と呼び捨てで呼ぶようになったことだった。

 あの日、勉強を教えてほしいとお願いした後、高明くんは意外にも私のことを呼び捨てで呼んでもいいかと尋ねてきたのだった。私は断る理由もなく頷いたので、それ以来彼は私のことを「なまえ」と呼んでいる。余計にお兄ちゃんと妹感が出ているような気がしたが、むしろそれはこちらとしても狙い通り。高明くんは唯一の肉親である景光と私を重ねることで、弟と離れ離れになった寂しい気持ちを多少は和らげることができるだろうし。私は私で、妹という立場で狡くも大好きな高明くんの傍にいられるのだから。

 もともとこの初恋が実ることなんて考えもしていない。というか、実ること自体が絶対にあり得なくて、考えることさえ烏滸がましいことだと思っている。でも、せっかく芽生えた自分なりの初めての感情なのだからせめて水やりくらいはきちんとしなくちゃ。もちろん、予知夢と同様、誰にも悟られないように。


 放課後。私はひとり靴を履き替えて校門からとぼとぼと外に出た。帰ったらおやつは何にしようかな、そんなことを考えながら。


「なまえ」


 その声に反射的に振り返る姿は、まるで飼い主を見つけた犬みたいだっただろう。でも、そんな呼び方をする人は景光でも有里ちゃんでもなく、家族以外には彼しかいない。


「高明くん!」


 門の外で待っていたのは、私の大好きな高明くんだったのだ。

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