15…

 あれからすぐに景光から手紙が届き、東京と長野を結ぶ私たちの文通生活が始まった。と言っても、そこはお互い小学二年生なのでそんなに長文を書く力はもともとなく、本当に短い内容の世間話をちょっと書いては送るというメモ交換に近い。中身をチラリと読んだお母さんに「せめてもう少し書いたら?」と小言を言われたり、文章が短くても長くても切手代は同じなんだよなとふと思ってみたりもするけれど、短文を頻繁にやり取りする方が距離が近い感じがして。私も景光もその方が性に合っているようだった。

 景光の新しい友達の名前は「ゼロくん」というらしい。本当は零くんだけど、零は漢数字でゼロだから、ゼロ。ヒロとゼロと呼び合うようになってからは一気に仲良くなったそうで、ゼロくんも私に会ってみたいと言ってくれていると手紙にはあった。だから、私も負けじと高明くんとの勉強会のことをよく書いて送ったが「それ、兄さんからの手紙にも書いてあったよ」と言われることが多くて、あれだけ長野にいたときは途切れなかった話題が彼と離れて初めて食傷気味になってしまったことが最近の悩みの種だった。




Phase.15 秘密の共犯者



 景光に送るための便箋がなくなって文具屋に立ち寄った後、本屋でイラストより文字の方が多い勉強の本を覗いていたとき、私は背後から突然、誰かに話しかけられた。


「あれ、なまえちゃん?」


 その澄んだ声には聞き覚えがあって、私はとっさに振り返ってそれが想起した人物と当たっているかを確かめる。

 そこにはやはり予想通り。高明くんの意中の人である小橋葵さんが立っていたのだった。


「小橋さん」
「葵でいいよ。私の方こそ勝手になまえちゃんって呼んでごめんね」
「いえ……」


 目の前でにこにこと微笑む彼女は美人で堂々とまっすぐ前を見据えているのに対し、私は上手く言葉が出なくてただおどおどと目を伏せるばかり。やっぱり、ついこんなところでも比べてしまう。苦手なわけではないけれど、多少の引け目というか。いろんな意味で彼女だけには勝てないという気持ちの表れが私に自然とそうさせていた。

 なのに、彼女は手首に巻いた細いベルトの腕時計に一瞬目を落としてから、小さな私に目線を合わせるようにちょこんと屈んでこんな提案をする。


「よかったら、今からちょっとだけふたりでお茶しに行かない? そこのファーストフード店だけど」
「えっ」
「塾の授業まで少し時間が空いていて。本当に、よかったらなんだけどね」


 決して無理強いしないその態度に、爽やかな好感が持てた。どうせすることもないので頷き、私は彼女の後ろをついて歩き始める。あまり話したことはないとは言え、きちんとした知り合いなのでお母さんに怒られる心配はないだろうし。それに勝ち目のない美人を見たからかもしれないが、途端に喉がカラカラに乾いていたのだった。






 結局、葵さんに奢ってもらったオレンジジュースを飲みながら、私は彼女の時間潰しに付き合うことになった。窓際で、店内の喧騒から一番遠い席を選んで座り、そこで話すのはやはり高明くんのこと。彼女は最初に会ったあの日になぞらえて「今日はふたりでファンクラブ活動ね」とくすくす笑った。


「諸伏くんが最近よくあなたの話をしていて。それでつい私まで『なまえちゃん』だなんて呼んで、馴れ馴れしくてごめんね」
「いえ」
「一緒に勉強してるってよく話してるよ。なかなか熱心だって」
「高明くん、ああ見えて結構スパルタなので……」


 そう、あのスパルタ発言は決して冗談などではなかったのだ。けれど、それは改めて彼の性格を考えてみれば当然で、言い換えればオンとオフの切り替えがハッキリしているとも言える。いざ勉強モードに突入すればこちらがわかるまで何度も説明を説き、何度も問題を解かされ、そして暗記できるまで何度も執拗に書かされた。おかげで私は勉強が得意と言っても差し支えない程度に成績がアップ。お母さんなんて大喜びで高明くんには絶大なる信頼を置いている、らしい。塾代が浮いて心底助かっているとか何とか言っていた。

 葵さんは彼のスパルタ教鞭ぶりを想像してちょっと笑うと、自分の分のアイスティーをくるくると回して優雅に飲んだ。一方の私はオレンジジュースを口先で摘んだストローで音が出るように吸い上げてしまい、なんだかそこでも格の違いを見せつけられたような気がしてしまう。私が葵さんに対して抱いている感情は嫉妬と呼べるほど醜いものではないかもしれないが、劣等感というものには近いかもしれない。高明くんと週一回だけ顔を合わせる私なんかより、ほとんど毎日学校で会う彼女の方が親密性は高いことにも埋められない年齢差に羨ましさが募る。


「あの。学校で高明くんはどんな感じですか? やっぱりちょっと落ち込んでたりとか」
「うーん。ぱっと見はあんまり変わらないような気がするけど。でも、あんなことがあったもんね……。私は人の心の中まで覗けるわけじゃないからわからないけれど、彼なりの葛藤はあるだろうな」
「ですよね」


 そこは普段と変わらないかー、と私が考え込むように言うと、葵さんはにこりと微笑む。


「でも、あなたのことは特別みたい」
「え?」
「毎週水曜日に一緒に勉強してるんでしょう? 彼、いつも自習室や図書館で勉強していることが多いんだけど、水曜日はまっすぐ帰るからそうなのかなって」
「あ、はい」
「本屋で見かけたら小学生向けのわかりやすい参考書がないか探しているときもあったりして。弟さんのときはそんなことなかったから」


 それを聞いた私は、耳が赤くなるほど赤面した。高明くんが私のために行動してくれているということを聞いただけで、こんなに嬉しくなってしまう自分をどうにかしたい。

 葵さんは終始ずっと笑顔だった。そして、私に切り込むように、笑顔のまま確信をつく。


「なまえちゃん。本当は諸伏くんのことがファンなんかじゃなくて、本当の本当に好きなんでしょう?」
「えっ、えええ。あ、その……!」
「ふふ」
「あ、ああ葵さんだって、そうじゃないんですかっ!?」


 我ながらすごく苦し紛れの発言だった。顔は真っ赤で、暑くて、変な汗までかいて。好きという事実を肯定しているも同然のくせに、まだ抗おうとする自分が彼女の目にはきっと滑稽に見えていることだろう。でも、あまりに勝ち目がない彼女相手だからこそ、一度この気持ちを知られてしまえば、もう高明くんを好きでいることすら否定されてしまうような気になってしまったのだった。

 けれど、葵さんはそれを柔く否定する。そして落ち着かせるために、彼女は私の髪を撫でるように梳いてくれたのだった。


「なまえちゃん。私ね、実は小説家になるのが夢なの」
「小説家……?」
「そう。それで私、ずっと諸伏くんのことを小説に出てくる主人公のような人だなって思っていて。いつか彼を題材に、何か素敵なお話が書けたらいいなって。実を言うとそんなことを思ってるの」


 だから本当にただのファンなのよ、と照れくさそうに笑う葵さんに、私はこぼれるように思ったことを伝えてしまう。


「……私も読みたい、葵さんの本」
「ありがとう。私、今、初めて誰かに自分の夢の話しちゃった」


 諸伏くんには内緒にしてね、とお茶目に人差し指を口元で立てる彼女に私は照れながら頷く。


「じゃあ、葵さんは本当の本当に高明くんのこと好きじゃないの?」
「そういう好きとはまた違うかな。たぶん、あなたが諸伏くんの弟さんに感じている気持ちに似てるかも」
「そうなんだ……」
「ふふ」
「え、何ですか……?」
「だって、今のなまえちゃん。すっごく安心した顔してるから」


 そう言われた私は、まるで他人に撫でられた猫みたいにとっさに表情を固く引き締めた。けれどそれも上手くいかなくて、すぐ変な顔をして、破顔して、吹き出して、終いには声を出して笑ってしまった。私さっきから何やってるんだろう、とふと我に返ってしまったのだ。

 それから私は葵さんに耳打ちでそっと囁く。


「葵さん。私も人に初めて言うんですけど」
「?」
「本当は私、高明くんのことが好き」


 するとお互い秘密を共有した身としてまるで共犯にでもなったかのように、私たちは目を見合わせてくすくすと声を出して笑ったのだ。どうかこの素敵な女性の夢が叶いますように。私はそんなことを祈りながら、子どもらしく堂々と音を立てて甘いオレンジジュースを飲み干してやる。

 ねえ、ヒロ。今日は話題に困らなくて済みそうだよ。

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