Extra…
いつも通りの図書館近くのカフェにて、私は当の本人よりも緊張した面持ちでその封筒に対峙していた。差出人は東都大学。簡易書留で送られてきたというその厳かな封筒を目の前に、私は生唾を飲み込む。しかし、受け取りの当の本人である諸伏高明は私の方を呆れたように見つめて半分笑い、わざとなかなか封を開けてくれなかった。
「どうして君が試験を受けたような顔をしているのですか」
「だ、だって……」
「そんなに僕が信用ないですか」
「ある! あるんだけど……!」
例えば、解答欄がひとつずれていたとか、名前を書き忘れたとか。そういううっかりミスがあるかもしれない。考え事をして受験票を入れたパスケースをテスト一週間前に落とすくらいなのだ。長年彼の傍で師として仰いできた弟子の私だけれど、師匠の心配はきっと一生尽きることがないだろう。テスト当日だって、家にいる私の方がなぜか緊張で吐きそうだった。
普通に彼の実力なら当然A判定。合格間違いなしだろうが、封を開けるまではシュレディンガーの猫。つまり、何が起きるかわからない。私は早く封筒を開けるように促し、面白がっている彼をちょっと小突いた。
「意地悪っ、早く開けなよ」
「はいはい」
「もう、なんでいっつもそんなに飄々としていられるの」
私に怒られながら高明くんはようやく封を開け始める。もう見ていられなくて小さく奇声を発しながら私は両手で顔を覆った。
「見たいのか、見たくないのか」
「うるさいなあ」
「ふふ」
騒がしくていつまでも飽きませんね、君は。そう言いながら彼は中から二通の書類を取り出す。一枚目のそこには「合格」の二文字が並び、私はまたも人目をはばからず、先ほどよりもいっそう大きな声を発してしまった。
「きゃー! おめでとう、高明くん!」
「……」
「高明くん?」
反応がない彼を不審に思い、私は彼が見ているもう一枚の用紙の内容が気になってしまう。そうして恐る恐る覗き見てみようとすれば、彼の方から私に寄越してくれた。
えーっと、なになに。諸伏高明殿、あなたは先の試験結果において首席合格につき、つきましては入学式にて総代挨拶をお願いしたく……?
「???」
「だから言ったでしょう。そんなに僕が信用がないか、と」
「え、え? えええ? しゅ、首席……?」
話のスケールが大きくなりすぎていまいちピンとこない私をさておき、高明くんは相変わらず私の反応を楽しむように頬杖をついて微笑んでいる。そして、茶目っ気たっぷりにこう言うのだ。
「人質になっているマフラーを返しに来て欲しくて、ちょっと頑張りました」
そういう問題ではないのでは。私は開いた口が塞がらず、そのまましばらくポカンとこの超人的な天才である高明くんのことを眺めていた。
彼の持っている品のいいバッグには、似合わない五角形のお守りが揺れている。
Extra. 合格発表日和
その夜、たまたまかかってきた景光からの電話に応え、私は昼間にあった凄すぎる出来事を彼に話して聞かせていた。当然、彼も実の兄である高明くんの合格は既に知っていたが、首席合格という事実は知らなかったようで。でも、まああの兄さんなら当然だよねと電話の向こうで相変わらずおっとり笑っていた。
「凄すぎるよ。私の勉強なんてしょうもなさすぎて教えてもらうのが恐れ多いくらい」
「大丈夫。なまえちゃんもいずれ受かるよ、東都大」
「ぎゃーやめて! 変なプレッシャー!」
それに別に目指してない! 在学中に高明くんがいるのならちょっと考慮に入ったかもしれないが、いないのなら、なおさら東都大に興味はない。私の目標はそれなりの大学を出て警察官になりさえすればそれで満足なのだ。
もちろん景光はそれをわかっていて、私をからかうために変な方向からプレッシャーをかけてその反応に大爆笑していた。そしてひとしきり笑い終えると、彼は何の前触れもなく、私にこう言うのである。
「なまえちゃんってさ」
「うん?」
「兄さんのこと好きでしょ。異性として」
「っ!?」
私はとっさに何と答えればよいかわからずに、またも、あ、とか、う、とか短い声で酸素を欲したように呻く。けれど、数年会ってもいない、よもや見えもしないのにありありと今の景光の表情が思い浮かんできて、私はとうとう、積年ひた隠しにしていた秘密を観念するように打ち明けることにした。
「い、いつから知ってたの……」
「一緒に遠足行ったときからだから、引越し前からかな」
「最初からじゃん……」
「だって、バレバレなんだもん」
電話なのにここまで赤面させられるとは。私はもうバレてしまったものは仕方ないと開き直り、ふうとため息にも似た息を吐いた。そして、親が周りにいないことを確認してから声を顰めて暴露する。
「今まで黙っててごめんね、ヒロ。その……不純な動機で近づいてるって思ったでしょう? 恥ずかしながら本当にその通りなの。高明くんが寂しい思いしないようにっていう気持ちで勉強会をお願いしたのも本当だけど、好きだから単純に傍にいたいっていう気持ちも本当というか……軽蔑した?」
「いやいや、そんな……ただ僕は」
「でも、叶わないってわかってるから。……だから、満足するまでは好きでいることを許してくれたら嬉しいな」
そう言いながら、私の頭には葵さんの顔が思い浮かんだ。あれから彼女とはたまに会えば話をしたり、お茶したりする仲だが、高校生になってからは高明くんとクラスが違うらしく彼の話題は少しだけでお互い他の話題で盛り上がることの方が多かった。だから、進展も何もないし、彼女が高明くんに対して恋愛感情を抱いていないということは十分わかっていたけれど。でも、当の高明くんの方はまだ彼女のことが好きなのかもしれない。私は聞くのが怖くて極力高明くんとそういう話をすることは避けているし、隣にいるだけで満足だと自分に言い聞かせているから、彼の恋愛遍歴についてはまったくのノータッチだ。
だから、いくら芽が出て、大きな木に育ったとしても。私は、赤い実がつかないのに水やりばかりしている馬鹿と同じだった。
けれど、景光は心の底からの疑問として私に質問を投げかける。
「なんで叶わないって決めつけてるの?」
「え?」
「もし兄さんがなまえちゃんのことを好きだって言ってきたとしたら、僕はそのとき『やっぱりな』って思うよ。そのくらいなまえちゃんは魅力的だし、可愛いし。僕の自慢の親友だよ」
親友。久しぶりに聞いたそのフレーズに、私は心の底から嬉しくなる。そして、そんなことを言ってくれるのはこの世界で景光しかいないだろうなと思って、ちょっと泣きそうになった。
「ヒロ……」
「ん?」
「……結婚しよう」
「…………なんでそうなる?」
だって、ヒロがいい子すぎて泣きそうなんだもん。私がそう言うと、景光は冗談か本気かわからないが「いや、そこは兄さんとしなよ」と呆れていた。東都大首席様と結婚なんて夢のまた夢すぎて全然想像できないけれど、とりあえず軽い励ましとして受け取っておこう。
「どうでもいいけど、今の話、兄さんには絶対にしないでね」
「どうして?」
「言ったでしょ。重度のシスコンなんだよ」
「?」
景光の言いたいことがわからず、私はとりあえず頷いておいた。一方の景光にはわかっている。たとえ実の弟だったとしても、なまえに近づく男はもれなく全員許さないという兄の鉄壁のスタンスを。
そして、そのスタンスがもしかすると別の方向へ成長するのではないかということを、景光は密かに期待しているのだ。
今は時間がかかってもいいからふたりを見守っていこう。そんな風に思う景光は電話の向こうでその意味を必死に考える親友の声を聞きながら、ずっとずっと微笑んでいた。