20…
高明くんとの東京観光は事前に聞いていた計画の通りに進んでいるようだった。さすがに宿泊なしの日帰り旅行なので、帰りの切符を持つ私の滞在時間はかなり限られている。タワーに登って東京を一望した後は、鈴木財閥が所有する大迫力の博物館を観覧。それからお腹が空いたので、高明くんがお気に入りだというイタリアンレストランにて大好物のナポリタンをご馳走になり、腹ごなしに古書街を散歩して思い思いの本を物色する。私はそこで念願のポアロとホームズの本を一冊ずつ彼に見立ててもらって購入した。海外物の推理小説は難解だと聞いていたので、中学生になったら解禁しようと思っていたのだ。本自体は長野でもどこでも買えるけど、これが一番の東京土産になったよと興奮気味に言えば高明くんはいつまでも治らないらしい照れ隠しの咳払いをする。私だけが知っているその癖は、いつ見てもちょっと可愛い。
たくさん歩いたので足が棒になるほど疲れてしまっていた。そのことを高明くんに言うと、彼は腕時計を一瞥して「そろそろですね」とひとりごとを呟く。その言葉に私は思わず首を傾げたが彼はそのまま何も告げてくれることはなく、ただ場所を既に決めていたかのように黙々ととあるカフェを目指して歩き始めた。
きっと昼食のときのようにどこかお気に入りのお店があるのだろう。そう呑気に彼好みのおしゃれな純喫茶を想像して歩いていれば、到着したのはとあるホテルのラウンジカフェで。予想外の場所に私の緊張感はいっそう高まってしまっていた。
「ね、ねえ。高明くん。ここってちょっと高いんじゃない?」
「君は気にすることありません。好きなものをどうぞ」
「え、えええ……? じゃあ、オレンジジュースで……」
「わかりました」
そう言って、執事のようにてきぱきと働くウエイターさんに注文を頼み、彼はその場に溶け込むように先ほど自分で購入した犯罪心理学の本をぱらぱらと眺めている。一方の私はさっそく運ばれてきた、かなり値の張る生搾りオレンジジュースを絶対に音を立てないように気を付けながら飲み、慎重に口からストローを外す作業を繰り返していた。高明くんが頼んだ紅茶は、当然、陶器が触れ合う音すら立てない。
「ねえ、何でここなの。お茶するならもっと敷居が低いところがあったような」
困惑しっぱなしの私の言葉に、高明くんはふっと笑う。
「待ち合わせだからですよ」
「誰との?」
「ああ、ちょうど来ましたね」
そう言うと、彼はラウンジの入り口付近に目配せする。そこにいたの学生服姿の二人組。
「兄さん、なまえちゃん!」
「……嘘でしょ?」
軽く手を挙げてこちらに近づいてくるのは、夢にまで見た親友。諸伏景光だったのだ。
心臓が止まりそうになるほどびっくりして、それがじわじわ溶けるみたいに動き出したときには全身に血が巡っているのを感じるほど体が熱くなった。小学校一年生以来、初めて会う親友の景光。背が伸びて、表情も大人になって。おまけに声も少し低くなって、彼のことを誰が失声症だったと思うだろう。温かみある優しい声が、相変わらず私の鼓膜を心地よく揺らす。
「なまえちゃん、会いたかったー!」
「それはこっちのセリフだよ、ヒロ……! 私、今、泣きそう」
「うわー、待って待って! 泣かないで!」
ヒロがそう言って焦ったように笑うので、私は泣きそうになりながら必死に笑う。ラウンジにいた客が全員こちらを見ているような気がしたが、私たちは一切気にしなかった。
それはまるであの日の入学式のようだった。目が合って、お互い同じタイミングで「あ」と叫んで、大笑い。何度も何度もあの日のことを思い出したから、またなぞるような素敵な思い出ができたのかもしれない。
「景光。そちらは」
ひとしきり再会で盛り上がる私たちの間を縫って、冷静な高明くんが弟である景光に切り込むようにそう尋ねた。彼が言うそちらとは、景光の後ろにいたもうひとりの学生服の青年のこと。興奮していた私もようやく落ち着いて置いてけぼりにしていたその人物の方を見やれば、たちまち目が合い、軽く会釈をされた。もしかして、と思った瞬間、景光がたっぷり笑みを含んで口を開く。
「ああ、紹介するよ。僕の親友の降谷零くん! 僕や兄さん、それになまえちゃんみたいに警察官を目指してるんだってさ!」
「降谷零です。よろしくお願いします」
一際目を引く金髪の青年が、改めてまたも軽く頭を下げる。零は漢数字でゼロだから、ゼロ。降谷零くんは景光から事前に聞いていた通り、感じのいい容姿をしていた。金髪で、色黒で、少し垂れ目ながら力強い瞳が印象的なイケメン。うん、確かにものすごくイケメンかも。
「わー、君がゼロくんだね!」
私は思わず興奮のまま近付き、無礼ながら彼の両手を取ってぶんぶん振り回す。
「ヒロのこと、本当にありがとう。元気になってくれて嬉しくて。君に会ったら絶対お礼を言わなきゃって思ってたんだ!」
「お礼なんてそんな」
「ううん! 本当にありがとう! 私、君に会えてすっごく嬉しい!」
私は全然気付かなかったが、ゼロくんは驚いた表情で頬を赤らめてその場でしばらく手を握られたまま硬直していたようだった。その暖かな手をまたもぶんぶん振り回そうと力を込めたとき、それは近くにいた高明くんによって直前で静止される。
「なまえ。そのくらいにしておきなさい」
「えー、だって。ヒロの親友は私の親友だもん。ほら、言うじゃない? 人類みな親友」
「言いません。それにもし人類がみんな親友なら、僕の言うことも聞きなさい」
「高明くんは親友じゃない」
「それは屁理屈というものです」
「もう、わかったよー」
私はやっとゼロくんの手を離し、降参といったように両手を上げる。すると、一番先に場の空気を破ったのは景光の明るい笑い声だった。
「くっ、あはは! いや、笑ってごめんっ! でも、兄さんとなまえちゃん、思ってた以上に仲良くなってて。それが嬉しくて」
「ヒロ……」
「なまえちゃん。こう見えてゼロも会いたがってたからよかったら仲良くしてやってよ」
「うん、もちろん! ゼロくん格好いいからお母さんに自慢しちゃおうかな」
せっかくだから一緒に写真撮らない? と冗談めかして言うと高明くんがまたも敏腕マネージャーばりに写真撮影を阻止してきた。わかってるよ冗談じゃん、と言えば、どうやら高明くんにとって私の冗談は冗談に聞こえないらしい。相変わらず真面目だなあと文句を垂れれば景光にまた笑われた。放っておけば永遠にこのやりとりが続きそうな予感がして、さすがに二回目以降はゼロくんにうざい絡み方をするのを控えておく。肩をすくめて面白くなさそうにしているのは高明くんだけだった。
Phase.20 失くしてはならないもの
そうして四人でしばらく会話を楽しんだ後、残念ながら私のタイムリミットが近付いてきてしまった。景光と離れるのは名残惜しく、ゼロくんともまだまだ話し足りなかった。それでも、高明くんに「お土産を買う時間がありませんよ」と言われてしまえば、そうだったと我に返る。景光にはまた電話や手紙でやり取りすると約束し、ゼロくんにはまた必ず会おうと約束してふたりと別れた。
まだ彼らに会えた余韻でふわふわして、私は夢の中にいるみたいだった。駅の方へと進む足取りは軽く、足の疲れなど一気に吹き飛んでしまったらしい。小さな子どもみたいにはしゃぎながら、私は高明くんに話しかける。
「ゼロくん、いい子だったね!」
あれはモテるだろうなー、とひとりごちていれば、高明くんは無言のまま、私のことを軽く睨んでいた。
「優しい子でよかったよね! ヒロの友達なんだから当たり前かもしれないけど」
「……ええ」
「ハーフ? なのかな? 格好よかったね」
「まあ」
「初対面だったのに私とも仲良く気さくにお話してくれてさ。ヒロとの出会い話をしているときの笑顔がすっごく印象的だったなー」
「はい」
「……高明くん、なんか機嫌悪い?」
「いえ、別に」
嘘だ、絶対なんか怒ってる。
心当たりはやはり、私のゼロくんに対する態度だろう。初対面で馴れ馴れしすぎる行動が、堅物な彼の目にははしたなく映ったに違いない。私はとりあえず機嫌を直して欲しくて、覗き込むように彼の顔を上目遣いで見つめた。
「……怒った?」
「……」
「ごめんね。ちょっと馴れ馴れしかったよね」
私がそう謝罪を口にすれば、高明くんは大袈裟なほど深くて長いため息を吐いた。自覚があったのか、と言いたげな目。私はその目をやり過ごすために貼り付けた苦笑いで返す。
「……今日、君に会ったら言おうと思っていたのですが」
「うん?」
「異性に対してはもう少し警戒心を持って接してください」
「えっ、何で」
「変な虫がつくからです」
私はポカンと口を開ける。どうやら想像もしていなかった方向で、高明くんが怒っているからだ。
「長野に帰ったら僕が傍にいてやることができない分、自分の身は自分で守れなければなりません。警察官を目指すのであればなおさら、警戒心は鋭くあるべきかと」
そしてあれやこれやと細かく事例を挙げて話し出す彼に、私は途中で吹き出してしまう。なぜなら、まるで兄を通り越して父のような心配がちょっとどころかかなり面倒臭くて、そして私のことをそこまで気にしてくれているのかと正直かなり嬉しかったからだ。
「なぜ笑っているのですか」
「何でもないよーだ」
責めるような目つきから逃げ出すみたいに思わずくるりと背を向けて、三歩先を歩き出す。それからは背中に降りかかるお説教を跳ね飛ばすみたいに、聞こえないくらいの音量で鼻歌を歌っていた。
東京に来てよかった。そんなことを思いながら。
一方、その三歩後ろでは、またも高明が長いため息をついていた。糠に釘。暖簾に腕押し。馬の耳に念仏。彼女に説教をしていても、そんな言葉ばかりが頭を過ぎていく。自分は本当に心配なのだ。それは懐いているからという贔屓目がなくとも、純粋になまえが可愛いから。ここ数年、特に。
彼女に聞く気がないのなら、やはり自分が将来を先回りするかのように優秀な警察官になって、必ずこの子を行く先々で守ってやらねばならないと思う。そのくらい、自分の中でいつの間にか存在が大きくなっていることをいい加減に認めなければならない。重症と言われても致し方ないほど兄として大切に彼女を思っている、ということを。
だって、絶対に失ってはならないのだから。