25…
「どうしたんですか、今日は口数がやけに少ないようですが」
そう言って電話口で困惑気味に私に尋ねてくれる高明くんに対し、私は見えないくせに大きく首を振って「何でもない」と力強く答えた。そして、本日数回目の長いため息を吐き、彼の声を聞いているだけで意識して早鐘を打ってしまう心臓を何とかして収めようとする。けれど、残念ながら上手くいった試しはない。
由衣と流鏑馬を見に行ったあの日、私は自分で出した条件であっさりと彼女との賭けに負けてしまった。敗因はおそらく、あのとき大和さんに出会ってしまったこと。本来、人が多い祭り会場で知り合いである彼に出会う確率はとても低く、また事前に座席が用意されていることを知らなければ関係者席などに近付くはずもない。よって、見えにくい場所からの立ち見で傍観していれば、大和さんが賭けのことも知らず、気を利かせて事前に甲斐さんに気合いを入れに行くなんてことにはならなかったはずだ。まさしくこれがバタフライ・エフェクト。小さな出来事が、大きな厄災を産む。半殺しのぼた餅はとても美味しかったけれど、代わりに私は大きな代償を払ってしまった気がしていた。告白なんかすることなく、ひとりで愛しく抱えておこうと大切にしていた宝物を高明くん本人に明け渡す代償を、だ。
『大丈夫! それに案外成功するかも!』
まるで語尾にハートをつけて茶化すかのように言われた由衣のその一言が、今でも私の小さな心には重くのし掛かっていた。一生、伝えることなんてないと思っていたはずのこの感情を、まさか賭けに負けただけで曝け出さねばならなくなっただなんて。当然、そんな賭けのことなどすっとぼけて無視を決め込めばいいだけなのかもしれないが、今後の彼女との友人関係にもヒビを生みそうだし。まったく。数年前の私が聞いたら、そんなくだらないギャンブルをする前に自分のことを殴って説教するに違いない。
「今日はもう電話を切りましょうか。何だか、お疲れのようなので」
「えっ! いや、違うの……あのっ!」
「?」
戸惑う高明くんを呼び止めたはいいが、続ける言葉は生憎、持ち合わせてはいなかった。代わりに私は、苦し紛れに彼の帰省予定について尋ねる。
「……高明くんって。次はいつ、こっちに帰ってくるの?」
お盆も正月も彼にはないことはわかっていた。だって、長野に帰ってきたところで彼の両親はおらず、いるのは事件後に引き取ってくれた親戚と何ら血の繋がりもない私だけ。東京には実の弟である景光もいるし、就職ならともかく、大学在学中、何の用事もないのに長野に帰ってくることはないだろう。先日、東京で彼に会ったときも確かそのようなことを言っていた。
「そうですね。警察学校は長野で入寮しようと思っているので、帰省と呼べるかはわかりませんが予定は最長でその頃ですかね」
「そ、そっか……」
「それがどうかしたんですか?」
「え。いや、ううん、何も……」
言葉を濁す私に、高明くんは少し間を置いて尋ねる。続けた声音は私の好きな優しい声をしていた。
「もしかして、寂しくなりましたか?」
「え?」
「でも、聞いた話では上原さんとお友達になったと言っていましたよね。敢助くんもいますし、最低限寂しくない生活を送っているのかと思っていたのですが」
そう言って本気で心配そうにしているから、私は隠していた本音を、つい口を滑らせるように言ってしまう。
「そんなの、寂しいに決まってるじゃない」
「!」
「高明くんがいないと、私、本当はすごく寂しいよ……」
言い切ってしまってから自分が言ったことを改めて考えてみると、ものすごく大胆だったかもしれないと気恥ずかしくなり、慌ててすぐに打ち消す。けれど、電話の向こうの彼は当然余計に心配して、すぐさま予定の詰まった手帳を開き、自分のスケジュールを確認しているらしくページを数枚忙しく捲る音がした。
「次の長期休暇のときでもいいのならそちらに……いや、待ってください。何なら次の土日でも」
「いやいやいやいや、嘘嘘嘘嘘! 嘘です、全然寂しくない!」
「……それはそれで、こちらが寂しいですね」
「いや、それも嘘! 寂しくなくない! でも、寂しくなくなくもないというか、その、ええっと……!」
ダメだ、頭がこんがらがってきた。つまり、寂しいのは本当だけれど、次に会ったときに告白しなければならないとするならば心の準備がまったく整わないというか。だから、今ここでは寂しくないと嘘でも口にしなくちゃ、高明くんが本気にして長野に帰ってきてしまう。電話でこれだけ混乱して口数も減るのに、もし直接会ったら私はとうとう酸素が足りずに腹を浮かべてプカプカと呼吸困難で死んでしまうのでは。そんなことばかり考えて、どうにか彼の帰省を阻止しようと焦っていた。
落ち着け、私。ここは一旦、冷静にならなければ。そう思い、今度はため息ではなく深い深呼吸をして、心を落ち着かせる。伝えたいことはたくさんあるけれど、とりあえず、今はなんとしても告白を先送りにしたい。その一心だった。
「あのね、高明くん」
「はい」
「今度、直接会ったときに話したいことがあるの」
「……」
それは何年も何年も暖めてきた愛しい気持ち。高明くんのことが好きだという告白だ。
「警察学校に入寮する前でいいから時間取って欲しい。そこで話したい、です……」
それを言うだけで精一杯の私は、緊張して爆発しそうだった。あまりの歯切れの悪さに、勘のいい彼ならうっすら何の話なのか気が付いてしまうかもしれないとも思う。でも、期日さえ決めていれば私はそこへ向かってゆっくりと心の準備を進めていくことができるだろうから。私はようやく、そう決心したのだ。
すると、高明くんはまた一呼吸置いた。そして、やや間があってから静かに私の名前を呼ぶ。
「なまえ」
「は、はい……?」
「実は、こちらも。君に直接会って話したいことがあります」
「えっ」
「君も話があるということなので早く会って直接伺いたいところですが、先送りにして楽しみにその日を待つというのも一興でしょう。受験、頑張ってください。僕もまずは警察官の採用試験から頑張ります」
では、とそう言って彼らしく愛想もなくプツリと電話は切れた。私は回線が遮断された音を聞きながら、ドキドキする心臓を抑えられない。
ねえ、高明くん。それって一体どんな話なの。私の都合のいい頭じゃ、ちょっと勘違いしそうになるからさ。だって、由衣や景光には散々上手くいくのではと期待させられているんだから。
それから、高明くんと会う日が来るまで彼との電話の頻度は格段に落ちた。お互い試験に集中できるようにという配慮が堅物の彼らしくて、そしてそれがやっぱりちょっとだけ寂しかった。
Phase.25 話したいことがあるよ
「うわ、それはまた……」
何の話かはわからないけどさすがに期待しちゃうね。と、景光が言う。どうやら実の弟でもその正解はわからないらしく、私はまだ都合のいいことしか考えられなくなった頭を冷静にすることができない。ちなみに景光の前に、この告白をけしかけた張本人である由衣にも電話をしてみれば「それって告白じゃない?」とか「やったね、両思い!」とか。挙句の果てに「ふふ、ちょっとは私に感謝してよね」とか。恩着せがましく言ってひとしきり勝手に盛り上がられた。気が早すぎてちょっとだけ吐きそうだった。
「兄さんが警察学校入寮前ってことは、俺たちは高二か」
「そうなるね」
「うーん。健全な付き合いなら大丈夫じゃない?」
「は!?」
私は景光のその言葉にひとりで赤面する。そもそも健全な付き合いって何だ。そう思ったところで、そんなことを異性の彼に尋ねることはできない。
「なまえちゃんの周りでも付き合ってる子とかいるでしょう? ゼロなんてこの前の文化祭で王子様役をやってから毎日告白されっぱなしでさ……面倒だって言いながら女の子をちぎっては投げちぎっては投げしてるけど、みんな『零くんと青春したーい』とか何とか好き勝手言って追いかけ回しててね」
「うわあ、何というか。想像できるな」
「その子たちを例に出して悪いけど、同世代の子たちって付き合うことなんてみんなそんなに重く考えてないような気もするな」
「ゼロくんは大変そうだけど」
「あはは。今はちょっと落ち着いたよ。女の子たちの間で、ゼロの不可侵条約が締結したんだって」
「不可侵条約……」
もはやそれはアイドルの域じゃん……。私は苦笑いを浮かべてイケメンの彼の話を流す。
それにしても高明くんの話が本当に私への告白かどうかはさておいて、万が一にも交際に発展した場合は、私は彼と一体何をすればいいのかまったく想像ができない。週一回で勉強会なら普通に恋人でなくともできるし、変に告白して関係性が変わってしまうより、現状維持の方がいいのではないかと今でも思う。あー、でももう告白するって決めちゃったしな。いや、やっぱり自分から告白するよりはされたい憧れもあるというか。
「でもその前にまずは受験だね」
「だよね」
景光の一言で、私は淡い夢物語から一気に現実に引き戻された。今の成績なら高明くんの母校には合格圏内だが、人生、何が起こるかわからないのでしっかり気を引き締めていかないと。
先日の流鏑馬の結果はともかくとして。受験やテストの予知夢が見られれば一番いいんだけれど、生憎、そういう夢は結果も含めて意外と一度たりとも見たことがない。その点、神様とは案外公平なのだなと私は近頃思うばかりだった。