26…
入学式が終わって新入生たちが続々と帰宅していくのをまるで他人事のようにぼんやりと眺めながら、私もまた同じように桜吹雪の通学路をたったひとりきりで歩いていた。こういうとき、私はもともととても浮いているタイプだった。ただぼんやり桜の木を眺めてぼうっとしているか、男子の制服を見るたびにその姿を高明くんと重ねて思い出すかのどちらかで。いくら彼の母校に入学できた晴々しい日とはいえ、高明くんがここにいるはずもないくせに性懲りもなくまたそんなことを考えてしまう自分の重症度合いは高校生になった今でも未だに健在らしい。
ぼんやりしている私の横を、女子ふたりと男子ひとりという三人組が楽しそうに会話をしながら追い抜いていった。きっと三人は同じ学校の出身者なのだろうがその様子はとても仲睦まじく、私は久しぶりに、彼らに小学生時代の自分と景光と有里ちゃんを重ねてしまう。もしふたりがここにいれば、せっかく始まりの春なのに私がここまでセンチメンタルな気持ちを引きずることはなかったかもしれない。けれど、長野に残って、たったひとりきりで高校生になった私には小学校の入学式とは違って目が合ったからといえ大声を上げて友達になってくれる人なんかいないし、一緒に大笑いする相手もいない。自分で選んだ道だし、今さら寂しくなんかないけれど。そうやって強がりを貼り付けて物思いに耽っていれば、呼びかけられたのは予想外の大きな声だった。
「なまえ!」
振り返ればそこには。大声で両手を振りながら、崩すように笑う明るい笑顔。
「今帰り? ナイスタイミングね!」
屈託なく笑うのは上原由衣。彼女もまた、私とは違う学校の真新しい制服に身を包み、長かった髪はまとめてより大人っぽく目に映る。大和さんに髪を褒められてからケアを怠らずに伸ばしているのだと聞いた。それが健気で、すごく可愛い。
「由衣のところも入学式だったの?」
「そうそう。ガイダンスがあったから親とは別なの」
「私も。まったく同じ」
「だよね。それにしてもなまえの制服、よく似合ってるね」
「そうかな? 由衣も似合ってるよ」
「ありがとう! なまえの高校って確か諸伏さんの母校でしょう? 同級生で同じクラスだったらとか考えたりしちゃわない?」
「あはは。でも、さすがに六つも上じゃあね」
「けどもうすぐ告白して両思いだったり?」
「やめてよーもう」
私は隣で笑う彼女を軽く小突く。数年前に賭けで勝った由衣は、私の告白のタイミングを知るふたりの人物のうちのひとりだ。
高明くんと同じ高校はもちろん私にとっては第一志望。だけれど、選んだ理由は彼がいたからだけじゃなくて、制服が可愛かったからという側面もある。偏差値も高い方だから私としては少し背伸びが必要だったけれど、たまに高明くんにメールで勉強を見てもらいながら葵さんが通っていた塾を紹介してもらってなんとか合格できた。高明くんにはもちろん報告済みだけれど、相変わらず、あれ以来、電話の頻度は減っている。
受験が終わるまではそれも願掛けみたいな気持ちだった。大好きな高明くんを断つことで受験に勝つ、みたいな。けれど、実際に受験が終わったら今度は高明くんの警察官の採用試験が迫っており、結局私から電話をすることはなんとなく避けてしまっている。最後に話したのはいつだったっけ。もしかして高明くんは東京で彼女でもできて、私のことも約束のことも忘れちゃったかも……なんて。そんなレベルにまで関係が陥っていれば、せっかく晴天の小春日和、満開の桜の下でも、センチメンタルな気分になるのは当然だろう。ちょっと泣きそうだったのは内緒だ。
声が聞きたい。会って話がしたい。顔が見たい。あんなに一生告白しないと決めていたくせに、今は告白したくてたまらなくなっている。そんな自分が可笑しかった。
「そうだ、写真撮っていい?」
由衣がそう言って、これもまた真新しい携帯電話を鞄から取り出す。私のと機種が同じなのは、お互い高校生になったお祝いに買ってもらえることになったため、それならと記念にお揃いにしたからだ。私はまだ数名としか連絡先を交換していなくて、肝心の高明くんには番号も教えられていない。
私はもちろんと首を縦に振って、画角に入るために彼女の頬に自分のを寄せた。せっかくだから制服が入るようにしようと腕を思い切り伸ばす彼女がやっぱり可愛くて、私は自然と笑ってしまっていた。
パシャッとシャッターを切る音がした後に彼女に画面を見せてもらうと、自分の顔ではあるもののキラキラと輝いていてとても眩しい表情をしていた。これぞ青春、って感じだ。さっきまで泣きそうだったくせにもうこんなに笑顔になったのは、紛れもなく由衣のおかげだろう。
「うん、いい感じ! 敢ちゃんに送ろうっと」
きっと最初から大和さんに送るつもりだったのだろう。由衣はそう言って、少し頬を赤らめながら何やら小動物の冬支度みたいにちまちまと文字を打ち込んでいるらしい。なまえにも送るね、と由衣がその手で画像付きのメールを打ってくれたので、私もすぐに来たその写真をもう一度まじまじと見つめた。改めて、我ながらいい顔だ。数日前までは中学生だったのに、制服を着て少し整えただけでも大人っぽく見えるから不思議だなと思う。私も、少し髪でも伸ばしてみようかな。
「私も、高明くんに送ってみようかな」
電話番号も、いい加減に伝えたいし。自信なさげにそう言う私に、由衣はパッと顔を上げてふんわりと優しく笑う。
「うん、送ろう!」
その後はやっぱりいつものファーストフード店に入って、あーだこーだと言いながら高明くんに送る文面を由衣とともに考えた。もちろん、ポテトにバーベキューソースをつけて幸せを味わいながら、だ。
そして、由衣と一緒に考えた文章を、そっと高明くんに送信する。
『今日、無事に高明くんと同じ高校に入学しました。制服、似合うかな? 会えるまで後一年だね。私は受験頑張ったから今度は高明くんの番。採用試験、応援してるね。
追伸:携帯電話を買ったので番号登録お願いします。
なまえ』
ちなみに告白のタイミングを知るもうひとりの人物にも、嬉しくて同じ画像を送信した。諸伏景光。彼とのやりとりは、手紙から、いつの間にかメールが主になっていた。
Phase.26 春一番の迷子
「おい、どうした」
大和にそう尋ねられ、高明はすぐさま隠すように携帯電話を伏せた。一件のメールを受信し、それが長野に残してきたみょうじなまえからだとわかると、反射的に封を開けて中身を確認する。短めの文章に画像ファイルが添付されていたようだが、それを見る前に大和に声をかけられたせいで見れずじまいに終わってしまった。
「いえ、何も」
「せっかく俺がわざわざ長野から出向いて甲斐さん直伝の県警試験対策ノートを持ってきてやったんだから感謝しろよな」
「ありがとうございます。ですが、まさか警察官になっても敢助くんと一緒とは。ここまで来ると腐れ縁ですね」
「そっくりそのままお前に返すぜ、そのセリフ……!」
高明はふうとため息をつき、大和の知り合いであるという甲斐巡査から受け取った試験対策資料ノートに目を通す。わざわざこのために東京を訪れたわけではないと大和は繰り返し自称するのだが、夜は飲みに行こうぜと誘ってくるくらいなので、やっぱり単なる東京観光かもしれないと高明は察していた。大学はちょうど入学式シーズンで、在校生は春休み期間中。羽を伸ばすには小旅行ももってこいだろう。ノートは確かにとても役立ちそうなものだったので、一杯くらいなら奢ってやってもいいと冷静に思う。とあるきっかけから酒はかなり勉強して、とても強い方だったからだ。
「で。どうだ? 東京で女でもできたかよ」
「相変わらず話題が馬鹿馬鹿しいですね」
「悪かったな、馬鹿馬鹿しくて」
大和の額に青筋が浮かぶ。けれど、高明は飄々とそれをいなして無視を決め込んだ。
正直、大学では学びたいことが多すぎて恋人を作ろうなどという気さえ起きなかった。教えられたことをすべて吸収し、単位に関係ない授業も積極的に聴講して、休日は自習。誰にも引けを取らない、優秀な警察官になる。そして、あの忌々しき両親の事件をこの手で解決したい。その一心で毎日勉強に明け暮れていた。女性の友人がいないことはないし、在学中に交際を申し込まれたこともあるが、応えられないからと断った。どんなに美しい女性でも、勉学の息抜きにはなれそうになかった。
息抜きといえば、弟と同じ歳の例の彼女。みょうじなまえから勉強に関する質問に答える時間だけは本当に癒される時間だった。彼女に言わせれば「勉強の合間の息抜きが勉強ってどういうこと?」とまるで狂人と会話するような口振りだったのだが、高明は本当に、彼女に救われていたのだと思う。近況がてらなんてことないことを話す電話も。彼女の笑い声も。ふと買い物に出かけた際に見つけてしまう、あのいちごキャンディも。生活の一部に常に彼女のことがあって、それが全部愛しかった。
馬鹿馬鹿しい話しかしない大和をさておき、高明はもう一度携帯電話を操作し、送られてきていた画像ファイルを開いた。そこには桜色に染まる背景に、女子生徒がふたり。大和の幼馴染である上原由衣と、はにかんで映る眩しい表情のなまえだった。
「さっきから好きな女の写真でも見てんのか、よっ!」
「あっ」
大和が面白がって、高明から携帯電話を取り上げた。しかし、そこに映っていたのが自分のよく知る人物だったので肩透かしを食らったような気分に陥る。
「なんだ、由衣と妹じゃねえか」
そういえば、由衣が今日は入学式だって言ってたな。そう言う大和の手から、高明は自分の携帯電話を奪い返した。そして消えないようにそのメールにそっと保護をかけ、静かに鞄にしまう。ずっと勉強を見ていた彼女が自分の通っていた学校の制服に身を包んだ姿なんて。正直、可愛い以外に、なんと形容すればいいかわからない。
「にしても、お前の妹。あんなにチビでちんちくりんの向こう見ずだったのに、最近いい女になったよな」
「は?」
「由衣の話じゃまだ警察官目指してるみてぇだし、ムサい警察の男連中なんて絶対に放っておかねえだろ」
そんなセクハラまがいの話題を聞いて、兄を超えて父のような気持ちでいる高明は面白いわけがない。
だから彼女が警察官を目指すのが本当は嫌なのだ。なまえは可愛くて、無垢で、疑うことを知らないから。だから、彼女が本当に警察官になるのを諦めていないのならせめて傍に置いて守ってやらなければならないと思う。何かと無茶をしやすい性格のようだし。
「ご心配には及びません。そんな男が来ようものなら僕が全力で阻止します」
「お前はSPか。配属は警備局警護課の方がいいんじゃねぇか?」
「それだと要人警護しかできませんので」
「……薄々気付いてたが、お前のシスコンって割と度を超えてるよな?」
そう言われても済ました顔で紅茶を飲む彼が、大和には急に哀れに思えてくる。いや、哀れなのは妹の方か。こんな男に目をつけられたのが運の尽き。
長年の付き合いだがその涼しい顔がなんともイラつくので、大和はつい、いたずらに、高明のことを困らせてやろうと思った。そして、一番の困らせる方法は、もう既に知っている。
「じゃあ、妹にもし男がいたらどうするんだよ」
「は?」
それは、本日二回目のかなりドスの効いた「は?」であった。
「前に由衣が言ってたんだよ。お前の妹が誰かに告白するからどうのこうの。まぁ、あんだけ可愛くて頭もよけりゃ、男のひとりやふたりぐらいいてもおかしくねぇよな」
「……」
「おい、コーメイ?」
頬杖をついて考え事をしながら固まってしまった秀才の幼馴染を、まるで壊れたロボットを見るような目つきで見つめ、匙を投げてただただ呆れる。こいつ、自覚ないだけで絶対に妹のこと好きだろ。つか、なんで自覚ないんだ? そんなことまでお節介にも思ってから、ふと自分も由衣に対して似たような感情を抱いているなとそのお互い様具合に自分自身でも呆れてしまった。
「そうなれば、やはり……」
「あ?」
「倒すしかない、でしょうね……」
あ、嘘。やっぱりここまで拗らせてはないな。大和はそう思って痛くなってきた頭を抱え、わざとらしく大きなため息をつくのであった。