27…
結局、渾身の勇気を込めて送った写真付きのメールの返事はなかなか来なかった。恥ずかしくて、送らなければよかったと何度も思ったけれど、もう送信してしまったものはどうしようもない。その日は一日中ふとしたときに気恥ずかしさに襲われ、その度にうわあと頭を抱えて叫び出したくなった。忙しい彼によって、今頃きっと、メールはゴミ箱行きだろう。相変わらず高校生にもなって可愛いものに囲まれた自室のベッドにうつ伏せになって、しばらく意味のない「あー」という声を垂れ流しながら、そんなことを思う。
何か物音がすると思ったのはそのすぐ後のことだった。ブーブーと震える長い音の発信源を探そうと音のする方向を向いたとき、小刻みに動いていたのは机の上に置き去りになっていた由衣とお揃いの携帯電話。私はそれをダッシュで取り、机の角に脛をぶつけて悶絶する。足を押さえながら開いた画面には未登録の電話番号からの着信を伝えていた。もしかして。
「は、はい。もしもし?」
「もしもし。諸伏高明ですが」
「た、高明くんっ!?」
「夜分遅くにすみません。メールに電話番号が記載されていたので」
「は、はい……こ、こんばんは?」
「はい。こんばんは」
どうしよう、どうしよう。突然のことに頭がいっぱいになって、何も言葉が浮かばない。まるで、彼に初めて会ったときのようだ。心臓は相変わらずうるさいし、ぶつけた足はじんじんする。小学生の頃から部屋にある可愛いうさぎのぬぐるみに目線をやり、それと話していると必死で思い込もうとしてみたけれど、メルヘンなうさぎに彼の渋い声が合うわけもなく。私はなす術もなくその場しのぎの笑い声で、どうにか緊張を誤魔化すしかなかった。
「携帯電話になったので、かける時間を気にしなくてもよくなったのは助かりますね」
「あ。もしかして、それでずっとかけてくれなかったの?」
「いえ。君の勉強の邪魔になりたくないという気持ちの方が強かったですよ。メールでのやり取りでも僕にとっては十分だったので」
「そ、そっか」
「まずは高校入学おめでとうございます。小学生の頃は君のテストの点数を見てどうしようかと頭を抱えたこともありましたが、最近の君なら手放しでも受かると信じていました」
「ありがとう、あはは……」
どうしようかと思ってたこと、やっぱりあるんだ……。私はそんなことを思って昔の自分を苦々しく笑いながら、とりあえず勉強の師である彼から贈られたお祝いの言葉に感激する。そして、改めて高明くんの母校に進学を決めてよかったと思った。
「あと、写真は純粋に嬉しかったです。また少し大人っぽくなりましたね」
「そうかな? 由衣みたいに髪でも伸ばしたらいいかなと思うんだけど」
「似合うでしょうね。君なら」
「……」
「可愛いから、何でも」
そう言われた瞬間、胸がキュンッと高鳴った。もしかして今、あの高明くんが私のことを「可愛い」って言った? いや、確か小学生のときも言われたような気がするけれど、今とは年齢が違いすぎるし。あーもう、勘違いするから本当に何とも思っていないのにそういうこと言うのやめて欲しい! でもそんなこと当然言えないから、私はあたふたして、鼓動が早すぎて痛い胸をさすって温めることぐらいしかできなかった。
けれど、今日の高明くんの応酬は珍しくそれだけに止まらないらしく、それからも饒舌に私を褒めるような言葉ばかりを口にする。
「頭もよくて可愛いから、誰も君のことなど放っておかないでしょうね」
「え、ええ?」
「性格もよくて、明るくて。ころころと変わる表情なんて見ているだけで癒されますし、反応も飽きないですし。君は年下なのに太陽みたいに眩しい感じがして」
「ちょ、ちょっと、高明くん……?」
「だから、言い寄る男のひとりやふたり。いてもおかしくないですよね」
私はそこでふと気が付いた。もしかして高明くん。
「ねえ、お酒でも飲んだ?」
「……」
しばらくの長い沈黙の後、彼は咳払いをして「はい」と気まずそうに答えた。その咳の理由を私はよく知っている。
「失礼。実は、敢助くんがこちらに来ていて飲み比べをすることになり、少しばかり飲みすぎたようです」
「そんなことだろうと思った」
「悪戯にこちらの気を逆撫でするようなことばかり言って煽るので、遠慮なく、潰して置いてきました」
「ひえ、こわ……」
あの強面で、いかにも酒の強そうな大和さんを潰すとは、きっと相当何か腹の立つことを言われたに違いない。私は高明くんを酒の席で怒らせてはいけないと肝に銘じながら、やはり先ほどのベタ褒め攻撃はお酒のせいで気が大きくなった彼の冗談なのだと納得した。だって、そうじゃないと本当にひどい。私が嬉しくなるような言葉ばかりを並べて、この恋がうまくいくのではないかと安易に期待させてくるからだ。
飲み会帰りの高明くんは帰宅途中らしく、こんな夜更けに外を歩いているようで東京らしい交通量の多さを感じさせる雑音がよく聞こえていた。私はその音を心地よく聞きながら、改めて自分の高まってしまった期待の積み木を崩し、元の位置に片付けようとする。けれど、意外なことに高明くんがそれを許さない。
「でも。今の、僕が言ったこと」
「うん?」
「すべて本心なので、どうかそのことだけはずっと忘れないでいてください」
そのとき、私は彼の顔も見ていないのに、その優しい眼差しに見つめられたような気がした。
普通、こういうときは逆に酒の力を借りた冗談だと笑って「忘れてください」と願うものだろう。けれど、酔っているらしい彼はなぜか真逆のことを言ってくる。それすらもジョークなのかもしれないが、彼への積年の想いを募らせる私にはもう判断することができない。それは、期待を崩すなと言っているようなものだった。
「高明くん……えっと? あの?」
「早く、君に会いたいです」
それは、切実な願いを乞うような声色だった。
Phase.27 覚えていてと言ったことまで
明け方近くなるまでドキドキが続いて上手く眠ることができず、起きなくちゃいけない時間が少し過ぎていても未だにベッドの中でゴロゴロとしていた。カーテンの隙間予報は晴れ。キラキラ眩しい朝の光が、わずかな隙間から等しく私にも降り注いでいる。昨日のは何だったんだろう。私に都合のいい夢だったのかな。そんなことを何度も思っては、耳の奥についた彼の最後の一言が反すうする。私だって、早く高明くんに会いたい。
本当かどうか再び着信履歴でも確認してみようかと思い、携帯電話に手を伸ばす。すると、ちょうどいいタイミングでまたその小さな媒体が震え出すから、私は両手から落っことして激しく顔面にぶつけてしまった。昨日の脛といい、顔といい、やっぱり痛くて夢じゃないことを知らせているみたいだ。
電話の相手は、なんとまた高明くんからだった。私は寝不足を決して悟られないように、緊張しながらもいつも通りの声でなんとか応答する。けれど、反対に高明くんのもしもしと言う低い声はひどいくらい掠れていてまずそれに驚いた。それはそれで雄々しくて、何というかものすごくセクシーで。実際、昨日の大和さんとの飲み比べのせいで二日酔いにでもなっているのだろう。らしくもなく、会話の途中で水を飲む音が聞こえた。
「すみません。昨晩、君に電話したみたいなんですが」
「えっ」
「敢助くんがこちらに来ていて飲み比べをしようなどと言い出し、仕方なく付き合って負かせたところまでは覚えているのですが、予想以上に酔っ払ってしまいまして。電話をしたような覚えがあって、今朝、履歴を見ると、こちらから君に発信していたようなので」
「あー、うん。まあ、かかってきた、ね」
「すみません。何か変なことは言っていませんでしたか」
いや、終始全部変でした、とは言えないので、私はとりあえず高明くんが覚えていないのであればと思い、昨日のことをすべて否定する。つまり、私は何も聞いていない。「忘れないで」と言われたけれど、そのことすら記憶にないのならそういうことにしておいてあげよう。ちょっと残念だけれど。
「ううん。ただ、入学おめでとうって言ってもらっただけだよ」
「そうですか。安心しました。改めて、おめでとう」
「ふふ。ありがとう」
私は複雑な気持ちに陥りながらも、笑いながら右回転で寝返りをうつ。完璧超人の高明くんでもこういうことがあるんだと、ある意味で人間らしいなと思えた。
再び水を飲んだらしい高明くんがまだ治らない掠れ声で言う。
「採用試験に合格したら、また改めてお伝えするつもりだったんですが」
「うん」
「警察学校入寮日の前日に、長野で会いましょう。場所は以前行ったイタリアンレストランがカフェ使いできるので、そこで」
私は一瞬、体が強張った。告白の日時と場所が急に決まってしまったからだ。けれど、もう用意はできているから。何も逃げることなどない。
それに、彼の話したいことも、私は受け止めなければならないのだから。
「うん、いいよ」
「では、また」
そう言って切れてしまった電話を私は放り投げて、布団から起き上がる。いよいよ告白の日が近い。でも、まずはこの遅刻気味な今日から何とか凌ごう。そう思ってカーテンを開けて、ほとんど徹夜明けの体に思い切り朝日を浴びせるのだ。
電話を終えた後、高明は深いため息をついてからもう一度冷水を口に含み、自室に置いてあるチェアに深く腰掛けた。二日酔いなんて初めてのことだった。当然、その痛む頭で考えるのはなまえのことだったが、昨夜の自分の犯した愚行が恥ずかしくて、つい別の意味でも頭を抱える。
本当は全部覚えていた。けれど、止められなかったのだ。可愛いだ何だと散々言ってしまった事実が、あまりにも恥ずかしくて。卑怯にもなかったことにしてしまいたくて、らしくもなく何度も迷った挙句に電話をしてしまっていた。覚えていて、と言ったことまで覚えているくせに。
なまえはどう思っただろう。でも、こんなことを思うのはおかしいのかもしれないが、困っている様子さえ愛おしいなと思ってしまった。
何を考えているんだ、僕は。
再び大きなため息をつき、背もたれに体重を預けて天井を仰ぎ見る。そして目を閉じて、しばらく酒は控えようと心に決めるのだった。