30…


 高校二年生の春、高明くんに夢と恋を同時に潰されてしまった私は、やっぱり自分でも馬鹿だと思うけれど、結局どっちも諦め切れなかった。いや、正確に言えば恋の方はもう完全に諦めがついている。あれから一度も高明くんに会ったことはないし、電話もメールアドレスも小さな端末の中に存在しているだけで、ここ何年も使った覚えはない。しかし今思えば、告白しようとしていた時期に自分が舞い上がっていただけで、もともとが叶うわけがないと思っていたのだから単に振り出しに戻っただけのような気がする。誰にも迷惑をかけずに勝手に好きでいるくらいなら許して欲しいと、少女の頃のようにささやかに願うばかりだ。

 警察官になるという将来の夢の方はというと、その夢が再び高明くんに繋がるかもしれないという打算的な心理なんか一切なく、“ある人”に大きく背中を押されて再び前を向くことができたから。だから自然と、諦めなくてもいいのだと自分をまるごと肯定することができた。「誰にも配慮することなんてない。自分の気持ちに正直に生きればいい」と、その人が力強く言ってくれた言葉が今もまだ胸に宿る。だから今、私はここに存在する。

 高校、大学と割にいい学校に進学して、私はこの春、由衣と一緒に長野の警察学校に入校した。六年前、確かに高明くんがいた場所だった。

 そういえば予知夢はまだ見るけれど、なんとなく少し見る回数が減ってしまったような気がしていた。魔法が解けかかっているのかもしれない。そんな風に思っては、それもいいかもしれないなと気にも止めないでいた。






 同じ教場の男女ふたりが仲睦まじそうに歩いていくのを見送りながら、私は食堂で大盛りのきつねうどんを啜っていた。なんとも色気のない風景だが、その横では由衣が特大の唐揚げを食べているので似たり寄ったりだろう。男の気がない女がふたり、だなんて教官にはセクハラすれすれで笑われているらしいが、私たちにはどうだっていい。これでも長年片想いをしている戦友だとお互いに知っているのだから。


「見た? 今の」
「うん? さっきのふたり?」
「そう。付き合ってるらしいよ」
「え!? 校内恋愛禁止じゃなかったっけ?」
「禁止よ。だから秘密にしときなね」


 由衣にそう言われて私はおずおず頷く。とともに、どこか頭の片隅には羨望という二文字がくっきりと思い浮かんで仕方がなかった。勉強ばっかりしてきて体力が少し劣る私には、恋愛なんて考える隙もないくらい学校のカリキュラムが厳しかったからだ。

 それに、残念ながら私はもう恋愛自体が永遠にできないのだと思う。長すぎる片思いを拗らせているせいで。


「にしても、なまえが振られてからもう六年か……」
「やめてよ。高明くんは悪くないんだってば」
「いや、悪いよ。ちょっとは恨んだ方がいいって敢ちゃんも言ってたし」
「妹ぐらいでちょうどよかったんだよ。なのに、高望みしちゃったから」
「でもこっちはまだ好きなのに、二度と会わないって決めるような振り方はまずいよね」


 私は少なくなってしまった麺をお箸で摘んで名残惜しく見つめ、由衣にそこまで言われてしまった高明くんへの罪悪感でなんと言えばいいかわからなくなる。本当は振られるどころか告白もできてもいないんだけれど、そんなこと、今更すぎてもう由衣には言えそうになかった。

 高明くんに告白しようと決めていた、あの日。振られたときのためにスタンバイしてくれていたらしい由衣には余裕がなくて連絡ができなかった。代わりに翌日、うまくいったと思い込んで喜んでいる彼女を呼び出して、ことの顛末を告げる。当然、予知夢のことはそれまで通り伏せて、私は「高明くんにはもう会えなくなった」と言ったのだ。本当はそこで告白できなかったと伝えればよかったのに、会えない、イコール、振られたと早合点されてもう六年経つというわけである。ちなみに景光も同じ反応で振られたと思っていると思うが、もう修正するのも面倒だったのでそういうことにしておいた。だいぶ念を押しておいたので、高明くんの耳には入っていないと思う。たぶん。


「ちなみに他に誰か格好いいなって思う人いないの?」
「だから、校内恋愛は禁止だよ」
「校内じゃなくていいの。ちょっとなまえが元気になれそうなことないかなって」
「えー? うーん……」


 私はその場で軽く目を閉じて、格好いいなと思う人というのを考えてみる。しかし、周りにいる制服姿の男子はもれなく全員、高明くんに変換されてしまうので何を考えても意味がなかった。重症なのは永遠に変わらないらしい。


「やっぱり私は。何年経っても高明くんがいいかな」


 そう言って、しんみりした気分を晴らすように「よォし、おかわりもらってくるッ!」とまるで部活に忙しい中学生男子のように元気よく席を立った。座学はともかく、午後からの訓練はせめてみんなの足を引っ張らないように頑張らないと。そんなことを思いつつ、ここでも自慢の大食いを発揮するのである。


 その間、上原由衣は友人の後ろ姿を目で追いながら、はぁ、と大きくため息をついていた。どんぶり鉢を持って揚々とうどんをおかわりしに行くだけの色気のない姿なのに、もう既に何人もの男子に声をかけられて楽しげに笑っている彼女を見ているとひどく不憫な気持ちになってくる。さらにヒソヒソと周囲から聞こえる「みょうじさんって可愛いよな」とか「卒業したら配属一緒になりてー」とかいう声を聞いているだけで、さらに不憫な気持ちは助長された。これだけモテているのに、本人だけがまったく自覚もなく、眼中にもなく、勿体無いことこの上ない。自分が告白を無責任に煽ってしまった手前、どうにか彼女には幸せになって欲しいと願う。もう過去の恋愛なんて、振り切ってもいい頃なのにな。


「誰かいないか、そんな奴……」


 しかし、見渡してみても東都大卒のノンキャリアで入校したイケメンに匹敵する猛者はおらず、由衣は再び大きなため息をつくのであった。そして、うどんの具としては存在しているかどうかすらも危ういペラペラの薄いかまぼこに命を賭けるように男共とジャンケンに勤しんでいる彼女を見て、改めて思う。


「あんな可愛い姿を見ても、諸伏さんって本当に何とも思わないのかしら……」


 私なら絶対好きになるけどな、と。それだけがずっと由衣には懐疑的だった。



Phase.30 何年経っても諦められない


「そういえば、いたよ」


 ずっと考えていた結論が急に出て私が主語もなく話しかけたため、由衣はしばらく大口を開けてポカンとしていた。泣きたくなるくらい厳しかった重装備訓練でかいた汗を綺麗さっぱり流し終えた後、長い髪をお団子にまとめて上気する彼女の頬に、光る汗が伝っている。私はそれを甲斐甲斐しく自分のタオルで拭き取り、にこりと笑った。


「ほら、由衣が昼間に『格好いいと思う人いないの?』って聞いてたじゃない」
「ああ、その話ね」
「ヒロが紹介してくれた友達なんだけど。すっっっっごくイケメンだった!」


 後にも先にも高明くん以外で格好いいなと思ったのはその彼だけだったな、と力を込めて由衣に豪語すれば、彼女はへえと微笑んで、私がそこまで言うのならとどんな顔かと想像しているようだった。金髪で褐色の肌に、少し垂れ目の甘い顔。アイドル的な人気だったと景光から聞いたこともあるし、彼なら100人中100人が答える模範解答的なイケメンだろう。名前は通称、ゼロくん。元気にしてるだろうか。

 警察学校に入校してからは激務すぎて未だに景光と連絡を取ったことはなかったが、彼もゼロくんも無事に採用試験に合格したと聞いていたため、ふたりとも今頃は東京で私と同じ境遇にいるはずだった。私はふたりが急に懐かしくなり、今度の週末にでも連絡を入れてみようかなと思う。携帯電話は基本的に週末しか扱えない規則になっているから、もしかしたら既に景光から連絡が入っているかもしれない。

 そんな期待をすると、つい、何年も経っているくせに私はやっぱり高明くんからの連絡をついでに期待してしまうのだ。そんなの、もう二度とあるわけないのに。


「じゃあ、今度紹介してよ。上手くいくように祈るからさ」
「もう、そんなんじゃないってば」


 そう言って由衣と別れ、また明日ねと自室に入った。とにかく体がくたくたでもう何もしたくない。歯磨きだけはなんとか終えて布団に入るや否や、泥のように眠った。

 その日の夜、久しぶりに夢を見た。教官から返却された白い小さな端末に、景光からの連絡が入っている夢。「有里ちゃんの苗字って何だっけ?」と、懐かしさを燻らせるようなメールの後に驚くべきことがあったのだ。

 それは、景光のご両親の事件を彼自身が解決したという一報だった。

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