31…

 その夢は確かに現実になり、私はその連絡をメールで見た瞬間に景光に電話をかけていた。有里ちゃんの話題が出たすぐ後に、事件が解決したってどういうこと? 湧き上がる疑問で頭を一杯にしてみても、なかなか電話に出てくれないからもどかしくなる。すると、コール音の途中で談話室でつけっぱなしになっていたテレビから東京のクリーニング店で起きた女児誘拐とそれに伴う爆発事件のニュースが報道され始めた。犯人の名前は外守一。外守? そう思った瞬間、景光の優しい声が耳元から聞こえる。


「もしもし、なまえちゃん?」
「ヒロ! どういうこと!? 今、ニュースで有里ちゃんのお父さんがっ」
「やっぱりなまえちゃんは有里ちゃんの苗字覚えてたのか。早く聞けばよかったのに、俺……」
「どういう意味? ヒロはあの頃の記憶が曖昧なんだから仕方ないんじゃ……?」


 そしてニュースは一変し、なぜか十五年前のあの長野の事件に報道が切り替わる。その事件の重要参考人として、なんと逮捕された有里ちゃんのお父さんが事情を聞かれているとアナウンサーが報じるのだ。私はそのときとっさに、小学校で怒声を上げていた有里ちゃんのお父さんのことを思い出し、言葉を失う。そういえば、その声と夢で見たかくれんぼをしているような男の人の声は同じだったかもしれない。今さらそんなことに気が付いたのだ。


「有里ちゃんのお父さんが、俺の両親を殺した犯人だった」


 景光はそう言って、あまりのことに言葉が出ない私に経緯を説明してくれた。有里ちゃんの死を受け入れられなかった彼は、どこかに娘を隠しているはずだと諸伏家を捜索しようとして景光の両親を殺害。クローゼットの中にいた彼だけ生かしておいたのは、見つけられなくて見逃したわけではなく、本気で景光が有里ちゃんの行方を知っていると思ったから。景光が東京に出ると、後を追うように東京で親戚のクリーニング店を継ぎ、とうとう有里ちゃんによく似た少女を誘拐。勤め先であるクリーニング店に爆弾を仕掛け、少女と一緒に自殺を図ろうとした……。だが、景光はゼロくんと、それから同じ警察学校で知り合った仲間たちと共に事件をなんとか解決した、ということだった。

 景光の声はとても晴れ晴れとしていた。久しぶりに彼のそんな声を聞いたような気がして、さっきまで戸惑っていたはずなのになんだかこっちまで安堵して嬉しくなってくる。殺されたご両親は帰ってこない。なのに、よかったと軽々しく言いたくなるような雰囲気すらあった。

 そして彼の背後では、何やらガヤガヤと賑やかな声が聞こえる。


「今度の連休で、両親の墓前に報告したいから一度そっちに帰ろうと思って」
「本当に? 会えるかな」
「俺も会いたいと思ってた。またゼロも連れて行くから」


 もちろん兄さんには内緒にしとくし、今度はミッちゃんとの秘密基地にも行こう、と明るく彼が誘ってくれる。一瞬の高明くんの話題にもぐらりと心が揺れながらも、それよりも由衣と話題にしたばかりのゼロくんの登場に気を持ち直して私はうんうんと電話口で頷いた。しかし、景光の背後から何かを応援するような声が聞こえてきたかと思うと、彼が申し訳なさそうに私に言う。


「ごめん。悪いんだけど、ちょっとゼロが電話代わって欲しいらしくてさ。いいかな?」
「え、うん。もちろんいいけど……?」


 じゃあ、と言われてすぐに聞こえたのは、景光とは異なる芯の強そうな声。


「もしもし。降谷ですけど」
「ゼロくん? 久しぶり。どうしたの?」
「あー、うん。その……」
「?」
「今度、僕もヒロについて、そっちに遊びに行ってもいいかなって聞きたくて」


 なんだ、と私は拍子抜けした。そんなことわざわざ聞くまでもないよ、と笑う。


「もちろんいいよ。ゼロくんとはまた会いたいなと思ってたし」
「そ、そうか……。それからちょっと聞きたいんだけど」
「?」


 いつもの歯切れの良さがなく、私は首をかしげる。すると、ゼロくんの背後で「やっちまえー!」なんて物騒な声が聞こえてきて私はようやく合点した。きっと向こうも談話室みたいなところで何か格闘技の試合でも見てるんだろう。私は誰もいないことをいいことに勝手にニュース番組を変更して、スポーツ番組をやっているチャンネルを探した。ゼロくんはようやくそこで口を開く。


「よかったら長野で、一緒に食事に行かないか。ふたりきりで」
「えっ?」


 私は一瞬、リモコンを持つ手が止まってしまった。生憎、地上波はどこのチャンネルもスポーツ番組を放映しておらず、変なボタンを押して機能が停止したように暗い画面になる。「このチャンネルは受信できません」と表示された文言が、まるで私の頭の中のような錯覚に陥った。


「ふ、ふたりで?」
「だめかな」
「だめ……じゃないけど」


 そう言って戸惑っていると、今度は自分の背後からガタガタと戸を開く物音が聞こえてきた。そっと振り返れば明るい顔をした由衣が手を振って談話室に入室してくるところだった。


「いたいた、なまえ。何のテレビ見てるの? 何も映ってないけど」
「あ、いや……」
「じゃあ、もしおすすめの店があったら教えて。なければ当日、一緒に考えよう」
「あ、ちょ、ちょっと待って、ゼロくん!」
「じゃあまた」


 電話はそこでプツリと切れた。私は焦りながら、切れてしまった画面を二度見する。けれどももう、そこには何も映らない。

 次に私は恐る恐る由衣の方を見た。すると彼女は私の慌てようにニコニコして腕組みしている。話を聞くまで逃さないぞ、そんな風態である。


「詳しく聞かせてくれるわよね?」
「は、はい……」




Phase.31 幸せならそれでいい



 その頃、電話を終えた降谷は景光に携帯電話を返そうと振り返ると、萩原、松田に両脇から肩を抱かれて思わずフラッとよろけてしまった。なまえが格闘技観戦と勘違いした掛け声はもちろんこのふたりの声。むしろ格闘技よりも面白くて見応えのある降谷の似合わない赤い顔に、大興奮してキャッキャと喜ぶ様子はもはや中学生のようだった。


「ゼロってそういう風に女口説くんだな」
「うるさいな」
「班長、ちょっと教えてやった方がいいんじゃない?」
「だからうるさいってば」
「まあまあ」


 仲裁に入る景光も、実は内心ではニヤニヤしている。そのことをわかっている降谷は面白くなくて、つい、ムスッとしていた。


「長野にいた頃の諸伏の友達なんだろう? いつから好きなんだ?」
「まだ好きかどうかわからないからこうして食事に誘ってみたんだよ。正直、ずっといいなとは思ってるけど、話した回数も少ないし……」
「それって絶対好きじゃん」
「そーそー」
「しつこいな。ちょっと放っておいてくれないか」


 真っ赤になって言い返す、その表情に説得力はない。だが、あまりにしつこいのも弱い者いじめのようで可哀想なので、松田と萩原は早々に立ち去り、伊達と景光だけが傍に残る。赤くなった顔を隠すためか、しばらく手の甲で口元を押さえて苦い顔をしている親友を景光は嬉しそうに見つめていた。


「なんだよ、ヒロ。言いたいことがあるなら言ってもいいぞ」
「いや? ただ、ふたりの友人である俺としては、もしなまえちゃんとゼロがくっついたらめちゃくちゃ嬉しいなって思ってただけ」
「……」
「六年前かな。なまえちゃんが兄さんに振られて、それから連絡取るのもやめたって聞いてたから。強がってたけど、やっぱりずっとどこか寂しそうだった、あの子」


 そう言って、景光はここ数年の彼女の様子を思い出す。高校二年という人生の中でおそらく最も青春を謳歌すべき時期に、長年かけて蓄積していた片思いが終わってしまったのだから。なまえの中での喪失感とは相当なものだっただろう。それをおくびにも出さないようにいつも通り振る舞っている彼女が、たまに痛々しいと感じることもあった。

 ただ、彼女もやはりモテるのでうかうかしていると取られるかもしれないとは思う。自分達と同じく、男子の多い寮生活なら尚更、狼の群れの中にいるようで心配だ。そうゼロに焚き付けてやると、ようやく親友は重い腰を上げたのだ。親友と親友がくっつくかもしれない。景光にとって、これ以上に喜ばしいことがあるだろうか。

 でも、と景光にはひとつ気掛かりなことがあった。それは兄、高明の気持ちである。

 ちょっと顔洗ってくる、と言い残して走って去っていく金髪の親友を見送ると、唯一彼女持ちである班長、伊達が景光に声をかけた。


「諸伏の兄さんの方からは、彼女のことは何も聞いてないのか?」
「え?」
「いや、十年傍に置いていた妹のような存在を振ってしまった罪悪感が、多少なりともお前の兄さんにはあるんじゃないか思ってな」


 さすがは班長。景光はそう思い、やはり彼が人の心を理解するという点で誰よりも一枚上手をいくと感心する。そうやって思わず舌を巻きながら、彼は笑った。


「その通りだよ。兄さんって、東都大首席の天才だけど、そういうことはちょっと駄目みたいだ」


 景光は思い出す。六年前、あまりに仲が良かったふたりが突然仲違いすることになったと聞いたとき、高明が言い放った言葉を。


『傍において危険に晒すくらいなら、遠くにいていいから永久に幸せでいて欲しい。景光。お前が東京に行くときも僕は同じようなことを思ったんだ。離れていても、幸せならそれでいいと』

『でも、ことさら彼女のことに関しては、もう何十回、後悔しても足りない。正しいことを言ったはずなのに、いつまでも正しくなかったかもしれないと思ってしまう。それでもいいから傍に置いておきたいと、本当は言ってやりたいはずだった』


 兄のその切ない声色で、弟の景光にもわからない、何かふたりだけのすれ違いがあったのだと悟った。景光はその言葉を思い出しながら、伊達ににこりと笑ってみせる。


「意地悪だけど、後悔してるなら、この際とことんさせてやろうかなと思って。この件に関しては、僕は親友を傷つけた兄さんよりもなまえちゃんとゼロの味方だからさ」


 ちょっとゼロにタオル取ってくるよ、と景光がそう言い残して明るく駆け出す。その後姿が、まるでボクシングのセコンドのように伊達の目には映ったのだった。

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