32…

 景光とゼロくんは約束通り、連休の初日から長野にやってきた。私は若干の気まずさからゼロくんに距離を置きつつ、ひとまず景光との約束通りお墓参りを三人で済ませ、秘密基地に出向くことにする。その間、無関係であるゼロくんは遠慮して周辺を適当に散策していると言うので、県境にある山へのハイキングは景光とふたりですることになった。私がそのことに露骨にホッとしていると、ゼロくんがちょっとムスッとしながら私の傍に来て不意打ちで耳元で囁く。「お店探しとくから」と。失礼な話だが、秘密基地から戻ったらフラッと言い訳して帰ろうとしていたずるい魂胆を見抜かれたような気分に陥って、退路ごと断たれてしまったのだ。だって、イケメンとふたりきりで食事とか、経験値がなさすぎて本当にどうしたらいいかわからない。

 一方の景光は、私たちのぎこちないそんなやり取りを見てもなぜだか助けることなく終始笑顔でニコニコとしているのだった。あの日、突然ゼロくんに電話を代わるように見せかけていたけれど、本当は最初からこうなることを知っていたらしい。私は彼らに対してぐぬぬぬと悔しい気持ちになり、しかし、景光を山中で置いて帰ろうものなら、たちまち県境のバミューダトライアングルに捕まって私の方が消滅してしまうことがわかっていたため巻くこともできない。すべてはきっと彼らの計画通りなのだ。


「あったー!」


 景光が持ち前の土地勘を発揮して辿り着いた秘密基地は、大人の足だったからか思っていたよりも早く到着した。手作り感満載の荒屋が、さらに風化したようなボロボロの秘密基地へふたりして興奮気味に駆け寄る。そのときばかりは私もゼロくんのことは一旦忘れて、景光と両手を取り合って童心に返ったようにぴょんぴょん大騒ぎするしかなかった。


「この『入り口』って文字、ずっと気になってたんだ」


 一度しか来たことはないけれど、懐かしく辺りを見渡していた私に景光が嬉しそうにそう言って、両端に打たれた釘が片方取れている入口札をブラブラとしてみせた。文字はもともと消えかかっていたが、雨風に晒され、さらに薄くなっている。私は朽ちかけているもう片方の釘を柱から抜き取り、赤錆のついた指先を払った。


「何が気になるの?」
「県境を頭に入れてみて、わからない?」


 景光はそう言うと、得意げに説明する。


「『入り口』の『口』の字がかすれて、カタカナの『ニ』みたいに見えるだろ? この札を右の釘だけ残して真っ直ぐぶら下げて、それで縦に真ん中、県境の線を引いてみれば……」
「……ミ、サ、オ! ミッちゃんだ!」
「当たり!」


 景光はそう言うと、秘密基地の中に置き去りになっていた金属製のスプーンを持ってきて、柄の部分で何やらその札の裏の柱部分に文字を刻み始めた。私がそれを黙って見ていれば、書き終えてから彼は得意げに笑う。

“ボクもケイサツカンになったよ!ミッちゃん 

ヒロミツ なまえ“


「最高!」
「だろ」


 ふたりして顔を見合わせて笑うその表情は、きっと、小学生のときと同じだった。




Phase.32 魅力的な大豪邸



 帰り際、久しぶりの山登りで疲れていた私はそうだと思い出して、景光にあるものを手渡した。それはピンクの可愛い包紙に巻かれた、棒付きのいちごキャンディ。初めて秘密基地に行ったとき、遅くなってしまった私を心配していた高明くんにもらったものと同じもので、今日、長野駅で彼らを待っている間に立ち寄ったコンビニで見かけて懐かしくなって買ってしまったのだ。私は親友の景光と有里ちゃんに元気が出ると称して遠足の日に渡したけれど、それ以来、いろんなことがあってなんとなく自分で買うのは控えていた。特に、高明くんと疎遠になってしまってからは、視界に入れることすら避けていたように思う。けれど、今日という日に再び購入できたことで、何か自分の中で一歩、前に進めた気がした。


「懐かしいな、これ」
「でしょう。元気出るよ」


 まあ高明くんの受け売りだけどね、と私はあえてなんでもないように彼の名前を出して笑う。すると景光は押し黙って、何やら考え込んでいるようだった。


「どうしたの、ヒロ?」
「なまえちゃん。あのさ、兄さんのことだけど」
「……」


 私は黙って親友の言葉を待つ。


「今でもまだ、引きずってるよね」
「……」
「前に進んで欲しいけど、そんなに楽な話じゃないってわかるよ」
「ヒロ……」
「だから時々は後ろを振り返ってみてもいいと思うんだ。だって、後ろにはきっと兄さんがいるでしょ? それで、なまえちゃんの前にはまだ誰がいるのかわからないけど……でも、たまには隣も見てみてよ」
「え?」
「いつも俺が味方だから」


 そのとき、タイミング悪く足を踏み外して山肌を滑り落ちそうになれば、隣にいた景光がとっさに大人になった大きな手で私のことを支えてくれた。それは、恋愛感情を含むというような熱のこもったものじゃなく、秋風のようにさらりとした、清々しいもので。私は景光に初めて親友だと言われたのが、この山だったことを思い出して鼻の奥がツンとする。

 私達、いつの間にこんなに大人になってしまったんだろう。私自身はあの頃と何も変わっていないのに。そう思うと、ちょっと泣き出しそうになってしまっていた。





「ゼロって本当にいい奴なんだ」


 山を下り切った後、ゼロくんと再び合流するために市街地へ向かうバスを待っていれば景光が突然そんなこと言い出した。ただし、バスに乗るのは私ひとり。ゼロくんと約束した会食へ向かうためである。


「警察学校の入校式でも総代で挨拶してるし、座学も訓練もピカイチでさ。あの見た目だから野次られることもあるけど、全然気にしてなくてスマートだし。顔もいいし。神様ってたまに恐ろしく不公平だよなって萩原も言ってたぐらいで」
「わかるよ。ヒロからの手紙、読んでたときから知ってる。ゼロくんはすごいよ」
「そう。あいつ、本当にすごいんだ」


 そして景光はカラリと笑う。


「だから、俺のおすすめ。優良物件ですよ、お客さん」
「ふふ、何それ? 不動産屋さん?」
「そう。でも、なまえちゃんは一番いい物件、見ちゃったか」
「高明くんか」
「あれはなかなかすごいよ。もう、なんていうか、大豪邸?」
「あはは、買えるかなあ」
「買えるよ。むしろ、なまえちゃんにしか買えないかも」


 その冗談に笑って景光の横顔を見つめる。けれど、彼は思ったよりも複雑な顔をしていて、私は思わず面を食らってしまった。


「……きっと、なまえちゃんだけだよ。本当に」
「ヒロ?」
「バス来たね」


 じゃ、と彼は軽く手を上げた。私はまだまだ彼と話したかったけれど、列に流されるようにバスに乗車する。

 座った後部座席の窓から、笑顔で手を振る景光が見えた。私は爪の先で窓ガラスを叩いて彼の注意を引いて微笑む。けれどその実、頭では、先ほどの彼の複雑な表情が繰り返し何度も思い出されていた。

 おすすめしてくれた物件は残念ながら買えそうにない。お金もないくせに、大豪邸がいつまで経っても魅力的すぎるから。


「ごめんね」


 届かないくせにそう呟いて、指先を止めた。バスが遠ざかっていく。吹っ切れば楽になれるのに、私って、本当に馬鹿みたいだ。





 停留所から歩き出した景光は、甘くて元気の出る飴を舐めながらホテルに帰る前にコンビニに寄ろうと考えていた。今日はなまえに隙あらば親友を売り込もうとしていたけれど、完璧に隙がなくて手も足も出そうにない。それくらいなまえの高明への気持ちは振られてもなお鉄壁だったのだ。

 それに、親友を応援しているはずなのに、いつの間にか彼女に当てられて「後悔している」と言った兄の顔がチラついて。とんだ忖度だよな、と恨めしく高明を思うのだ。

「ヤケ酒の準備しとくか、ゼロ」

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