33…
終点でバスを降りると、長い足を投げ出すように近くのベンチに座ってゼロくんがぼんやりと私を待ってくれていた。周囲にいた女の子が彼の方を何度も振り返って熱い視線を送っているのに対し、まったく動じていないところを見るとこれが彼にとっての日常なのだろう。図らずも、そんなイケメンの彼と私がまるで恋人同士の待ち合わせをしているような形になってしまって、早くも私は物凄く緊張し始めてしまっていた。けれど、彼はガチガチの私を見るなり少し伸びをして「おかえり。待ってたらお腹すいたな」と言って自然と歩き出すから、私は有り難くそれについていくしかない。ゼロくんはおそらく、こちらに気を遣わせないようにするのが上手なタイプだった。
「待たせてごめんね。いいお店あった?」
「あったよ。さっきこの辺りをうろうろしてたら、パスタのお店があった。そこにしようか?」
「えっ、なんてお店?」
パスタと聞いて嫌な予感がして思わず尋ねれば、彼は予想通りの名前を言う。高明くんとの思い出のある、あのイタリアンの店の名だ。
「あー、そこはちょっと……」
「えっ、不味いの?」
「不味いというか。まあ、まずいかも……」
「?」
「私の知ってる居酒屋にしよう。ちょっと今、飲みたい気分なんだ」
私が努めて明るくそう言うと、お酒が飲めないと思っていたらしい彼はかなり意外そうにする。でも、数年前に高明くんが心配してくれた通りお酒は結構飲める方だし、山登りしてきたから喉も乾いているし。それに、ちょっぴり飲んでいた方が緊張も和らいで気持ち的に楽かもしれないと、そのときはそんな風に思ったのだ。
「ちなみに、ゼロくん、飲める方?」
「まあ、それなり、かな?」
「ふふ。じゃあ、私が潰すね」
「え!?」
なーんてね。と、ふざけて笑う。そもそもこういう期待は早めに裏切っておいた方がいい。こう見えてお酒は強い方だし、割とふざける方だし、そして何より誰もが引くほどの大食いだ。諦めてもらうには、もはや素を出すしかないだろう。そんな風に思って、イタリアンのお店とは反対方向の、飲み屋街の方へ彼を引っ張って歩き始めた。
しかし、ゼロくんが私のそんな姿を見て逆にギャップでやられているとは思いも寄らなかったのだ。
Phase.33 そこまで誰かに想われてみたい
私たちはよくある全国展開の居酒屋ではなく、以前、大和さんに紹介してもらって由衣と一緒に行ったことのある小さなお店の暖簾をくぐった。長野らしくお蕎麦が食べられる居酒屋さんとして、たまにちょっとした雑誌にも載っている気軽な雰囲気のお店である。私はそこで一杯目はビール。二杯目からは蕎麦焼酎蕎麦湯割りをいただきながら、奥の座敷で彼と対面して座っていた。それなりと言ったゼロくんは、まだ一杯目のビールをゆったりと飲んでいる。
「ごめんね、イタリアンとは雰囲気がかけ離れているようなお店で」
「いや、僕もこういう雰囲気の店、好きだよ。この煮っ転がしも美味しいし」
「野沢菜の天ぷらも美味しいよ。食べてみて!」
「うん。いただきます」
そう言って、律儀に手を合わせてから箸を伸ばす彼に、もふもふの尾と耳が見えるよう気がする。餌付けってこういう気持ちなのかも。そんな失礼なことを思いながら、頬杖をついてお酒の力でふわふわしてきた頭をもたげた。
「前に来たときも思ったけど、長野っていいところだよね。本当、日々の厳しい訓練のことを思うと天国かもしれない」
「そうだよね! 私、この前の重装備訓練、本気で死ぬかと思った……」
「華奢な君にはきついだろうな」
「でも、こうして美味しいお酒が飲めるなら頑張っちゃうかなあ」
あははと笑い合うのは境遇が同じだからだろう。初めて会ったのが中学一年生のときだから、知り合ってからは地味に結構な年月を積んでいる。なのに、私たちはまるでお互いのことを知らなかった。
ゼロくんと過ごす時間は案外とても楽しかった。最初は緊張したし、ふたりきりでと誘われたことを重荷に感じていたけれど、普通の友達として接するのと何ら変わらない。趣味の話をしたり、警察官を目指すきっかけや、好きな映画、音楽、本の話をしたり。あと、昔のヒロの話とか、ほんの少しだけ高明くんのこととか。そうした話題をアテにしながら美味しいお酒を飲むと面白いくらいどんどんペースが進んでしまうから、付き合いのいい彼を潰してしまいそうで怖くなる。私はその点にだけ十分に気をつけながら、初めて高明くん以外の男の子とふたりきりで楽しく時間を過ごした。
とにかく人見知りをしてしまう自分の警戒心を解くためにも、場所を気軽なここにしてよかったと本当に思った。それに、以前、大和さんがおすすめしてくれた蕎麦焼酎はやっぱり何杯飲んでも美味しくて、嫌なこと全部忘れさせてくれそうだと思う。
締めのざる蕎麦を注文しようかということになり、さすがにお腹いっぱいだったのでゼロくんと半分ずつ分けあって食べた。空っぽになった盛り皿に箸を置いてうんと背伸びをすれば、十分すぎるほどお酒に付き合ってくれた彼が顔を少し赤らめたまま、幸せそうに私を見つめる。天国と言ってくれた長野で満腹状態だからかと思ってぼんやり見つめ返していれば、彼はいよいよ核心をつくように本題へと入るのだ。
「なまえちゃんがモテる理由がわかるよ」
「え?」
「だって、一緒にいるだけですごく楽しいから」
だから君が振られる理由が僕にはまったくわからないな、と。彼はそう続けたのだった。それはおそらく景光から聞いたのだろう。完全に高明くんを意識したような、嫌味を含む刺々しい発言だった。
「大体。誰だって君みたいな子、手放したくないはずだろ? 可愛くて明るくて、大食いで大酒飲みってだけで面白いし」
「大酒飲み……」
「それをみすみす手放して、後悔したって遅すぎる。そんな奴、本当に信じられない」
「えーっと、ゼロくん……?」
「でももっと信じられないのは……君の方に、まったく付け入る隙がないってことかな」
ゼロくんはそう言うと私のことを呆れたように笑った。私は言葉を失い、早くなった鼓動を水を口に含んで落ち着かせようとする。わかっていたけれどあまり効果はない。
彼は気付いていたのだ。おそらく景光から振られたと聞いていたのに、私がまだ高明くんのことをどうしようもなく好いているということを。
一気に酔いが覚めてしまった私は、あ、とか、う、とか言葉を濁すだけで何も言い訳することができずにいた。しかし、今度はゼロくんが畳み掛けるように、そして心底呆れているように私にこう尋ねるのだ。
「どこがそんなにいいの、ヒロの兄さんって」
「えっ!? えーっと……」
「年上だから? それとも頭がいいから? なんなら顔か?」
「ゼロくん、急に何を……」
「どれなら勝てそうかな。僕は」
酔った勢いとともに、明け透けにそう言う彼の顔は笑っている。けれど、その目は全然笑っていない。私だっていまいち笑えなかった。何なら勝てるって聞かれても、もはやそんなレベルの話ではないのだ。
「……もうわかんないよ。理屈じゃないの、たぶん」
「……」
「だって人生の半分以上、持って行かれてしまったんだから……。高明くんのことが好きなのが“私“っていう人間で、好きじゃなくなったらきっと私が私でなくなっちゃう。そんな訳ないのに、大真面目にそんな気がするの」
私は水の入ったグラスを両手で覆い、その冷たさで頭を冷やしていた。氷がからんと音を立てて揺れて、店の騒がしい声の中に溶けていく。ゼロくんの顔は見れなかった。
「……なんか、いいな。そういうの」
「え?」
「正直、そこまで僕も誰かに想われてみたいよ」
ゼロくんはそう言ってうつむき、深くて長いため息をつく。私がかける言葉も見つけられずに固まっていれば、再び顔を上げた彼は苦いながらも綺麗に笑っていた。
「本当は今日、確かめに来たんだ。本気で君のことが好きなのか。……今のでやっとわかったよ。僕が好きになった君はヒロの兄さんに恋してる君だって」
「ゼロくん……」
「だから、頑張れ。心から応援してる」
彼の手が私の頭に伸びる。くしゃくしゃと乱暴に撫でてくれたその手のひらは分厚くて、心地よくて。すごくすごく、照れ臭かった。
払うと言ったのに受け取ってもらえず、店のレジの前でしばらく押し問答していれば、彼は聞く耳を持たずにさらっとお金を出してスマートに払い終えてしまった。私の方が多く飲んだのに、とジト目で言えば、彼は私が手に握っていた財布ごと鞄に押し込んで、まるで王子様のようにそのまま颯爽と手を引いて店から出る。熱気のある室内とは違って、外はちょっと肌寒い。そのせいか、握られた手の体温が少ししか触れていなかったのにいつまでも残ってちょっと困る。もともと今日は僕が誘ったんだから、僕が払うのは当然だというのがゼロくんの言い分らしかった。
「うー……じゃあ、次は奢るね」
「いいよ。そしたら次の次とか言って、キリがなくなりそうだし」
「よくない。というか、むしろ私がゼロくんにお酒に付き合って欲しいから、キリがなくなるのが狙いだよ」
「本当、君ってさあ……」
「?」
「……いや、やっぱりもういいや」
よくわからないが、ゼロくんはまた呆れているようだった。きっと、私がこの期に及んでまだ飲む気なのだと思われたからだろうが、もはやそんなことはどうでもいい。とにかく今日は久しぶりに楽しいお酒だったのだ。また飲みたいと思うのも当然だろう。
そのためにはまず、友達になる必要がある。もちろん今までも友達のつもりだったけれど、きちんとした言葉でちゃんと伝えたかったのだ。
「ゼロくん、よかったら私と友達になって」
「君のことを好いている男に、普通、言うセリフか? それ」
「だって」
「嘘。いいよ。なるよ、友達。……その代わり、もし君がヒロの兄さんのこと諦めがついたら教えてくれ。そのときは遠慮なく友達やめてやる」
そう言って悪戯っぽく笑う彼にまたも言葉が出なければ、すぐさま「冗談だよ」と笑われた。そもそもそんな日は来ないと彼はわかっているようだった。だから私も釣られてようやく笑ってしまう。
そんなやり取りを、一番見られたくない人に見られているとも知らずに。
「あれは……」
とある事件で長野の繁華街を巡回していた高明は、懐かしい表情を見つけて思わず立ち止まる。かつては絶対に週に一度は会っていた、みょうじなまえ。六年も会っていなかったのに、一瞬で彼女だとわかってしまった自分にかなり戸惑っていた。
そんな彼女の隣にいたのは、いかにもチャラそうな金髪の男だった。絡まれている様子なら、すぐにでも駆けつけて男を追い払ってやりたいと思う。けれども、仲睦まじそうに笑い合っている様子から顔見知り同士で、それも相当仲がいいと見える。
高明はそのとき、思い出す。最後に彼女に言ってしまった自分の言葉を。
『永遠に僕とは縁遠い場所で、それこそ二度と会うことすらないような世界で、どうか幸せな夢ばかり見て過ごして欲しい。心の底からそう願います』
今の自分となまえは確かに縁遠い場所にいた。それが願いだった、はずなのに。
ぐっと拳を握りしめ、その場からいてもたってもいられずに立ち去ることにした。一緒に行動していた大和が声をかけるのも無視をして。
一秒も見ていたくなかったのだ。ぐちゃぐちゃになった感情を何と呼べばいいのか、秀才なはずの彼にはわからない。