37…


 高明くんの歓迎会の日はその後すぐに来た。と言っても、新野には夜遅くまで開いているようなお店がなかなかないので、以前、空き巣被害を解決した食堂をご厚意で貸し切らせてもらって、毎回、忘年会やら歓送迎会などを開かせてもらっているような感じである。手慣れた私はまるで実家に帰るようにいつもの小上がりの座敷に靴を脱いで座らせてもらい、仲の良いおじさん刑事連中と今日も色気もなくワイワイやることにした。主役である高明くんはというと、ここから一番遠いテーブル席にて気合いを入れまくった女子たちにまるで擁壁のように囲まれている。羨ましくないわけではないけれど、面倒事が多そうなのであまり近寄りたくはなかった。


「また色男は女子に囲まれてるよ。いけ好かねぇな」
「まあまあ。それより何にします? ビール? ビールですよね?」
「それに比べて、みょうじ。お前は本ッ当にいい子だよな。俺たちみたいなオッサン相手にしてよォ……」
「あ、飲む前から泣き上戸やめてください。ビールでいいですね」


 私は顔見知りである店主に座敷にいた人数分のビールを先に頼み、それが来るまでニコニコとその場に座っていた。あー、今日も疲れた。早く飲みたい。


「それより、お前、考えてくれたか?」
「えっ、何をです?」
「おまっ、俺の息子の嫁の件に決まってるだろ!」


 上司はまるで説教するようにそう言って、今年大学を卒業したばかりだという地元企業勤めの若い息子さんの写真を見せてくれた。いつの間にか隣に来ていた先日の新米刑事も身を乗り出してその画面を見つめ「うわっ、イケメンじゃないっすか」と見え見えのお世辞を言うものだから、昇級に目がないと見た、こいつ。


「みょうじの方が姉さん女房にはなるが、お前みたいな嫁なら俺は安心だよ。もういつ死んでもいい」
「不吉なこと言わないでくださいよ。せめて保険金の受け取りを私にしてから……」
「ガッハッハ! お前、本当に面白えな」
「ありがとうございます! あ、ビールきた!もう待てない! 先に乾杯、乾杯しましょう!」
「待て待て。一応あいつの歓迎会だろうが。主役を待たんか。パブロフの犬かよ、お前」


 一同爆笑。そんな感じでいつもの飲み会と同じく賑やかに騒ぎながら私はビールジョッキ縋りついて、もう一度、目線だけで高明くんを見つめた。彼がいるその席だけ、いつの間にか場違いな合コン会場のようになっており、たぶん同じことを思って困惑している彼。そして隣をゲットできた女子のなんたる嬉しそうな顔。思わずその子に「いいな」と羨ましさが口から漏れそうになった瞬間、高明くんと目が合った。

 その瞬間、私はバッと顔を隠すように思い切り視線を逸らした。だって、たぶん今の私、迂闊にも高明くんのことが好きですって顔に書いてあったような気がしたのだ。そのくらいだらしなくて、ぽやっとした顔だったと思う。そんな表情を彼に見られたら最後。恥ずかしくて死ぬかもしれない。

 顔の文字を消すようにもらったおしぼりで軽く顔を拭けば、おじさん連中も真似をしてゲラゲラと笑いながら顔を拭いていた。けれど、実はそのときの高明くんも私と同じような顔をしていたのだが、それは私が知るところではない。



Phase.37 心配して何が悪い



 歓迎会は滞りなく過ぎ、私は時折、ツマミのように高明くんの方を盗み見ながらお酒を飲んだ。実のところ彼と一緒に飲むのが夢だったのだ。以前、食べ歩きをしたときにお酒も教えてくれると言ってくれたことを私はまだ性懲りも無く覚えている。座敷とテーブル席で一番距離も遠いから、教わるどころかこの場で一度も会話すら交わしていないのだけれども。もう二度と会えないかもしれないと思っていた意中の人と同じ空間にいるだけで、どんな安酒でも美酒に変身してしまうように思えて感極まっていたのだった。


「なんだ、諸伏。お前も強いじゃねえか」
「ありがとうございます。酒は大学時代にかなり鍛えておいたので」
「東都大首席も伊達じゃねえな! あそこにいるみょうじと比べてみろよ。おい、みょうじ! お前何杯飲んだ?」
「え。えっと、これで五杯目です」
「……負けました、ね」
「ガハハ! おいおい! しっかりしよ、首席!」


 意図せず私と高明くんに話を結んでくれた推しのおじさまが豪快に彼の背中をバンバン叩きながら笑う。すると、何を思ったか高明くんは急に女性に挟まれていた席を未練なく捨てるように立ち上がり、ずんずんと私の方に向かってきたのだった。これには私も上司たちも、何が彼の怒りの琴線に触れてしまったのかと驚いてガチンとその場で固まってしまう。しかし、高明くんはまったくそんな様子は見せずに「失礼します」と革靴を脱いで、遠慮もなく堂々と私と後輩の間に割り込むように膝を折って座るのだ。


「君、大丈夫なんですか? そんなに飲んで……少々飲みすぎでは?」
「え。いや、ううん、平気。結構強いし。それに私の家ここから近いの。帰りも徒歩だし」
「じゃあ、帰りは私が送ります」
「えっ!?」
「何か問題でも?」
「いや、あの。うん。ないです、特に……」


 私は彼のせいで急に狭くなってしまった席を、横にずれて間隔を空けようとした。しかし、その分、何の自覚もない高明くんが無遠慮に詰めてくるので途端に意味がなくなってしまう。肩と肩が触れ合って、緊張しすぎて、らしくもなく酔いが回ってきそうだった。


「おい、諸伏」
「はい」
「この際、はっきり言っておく」


 泥酔しているおじさまのひとりが、くだを巻くように高明くんを指差す。嫌な予感しかしないが、部下である私は黙ってその指先をハラハラと見守った。


「ここの新野署はみょうじがマドンナだ。みょうじがいるから仕事を頑張る、みょうじがいるから張り合いも出る、みょうじがいるから今を生きてる、そんな刑事ばっかりだ」
「なるほど」
「は!? な、何言ってるんですか!?」
「いいからお前は黙ってろ。俺は今日という今日はこの新参者の若造に解らせてやろうと思ってたんだ。いいか、若造。みょうじは誰のものでもない、みんなのもの、そう、みんなのみょうじなんだよ!」


 意味が全くわからない。だが、ひとりのおじさん刑事がはっきりと高明くんをそう牽制すると、そうだそうだ、とおじさま連中が一丸となって呼応するので、私は居た堪れなくなってその場で頭を抱えるしかなかった。新野署のマドンナと言われても、さすがにそれは恥ずかしいような。何とも言えないむず痒い気分になって、酒を飲んでもならない癖に顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかる。っていうか、私の好きな人に変なこと言わないで欲しい。

 しかし、諸伏高明とはそれで簡単に引き下がるような男ではなかったのだ。同じ署内の仲間としての歴が長いおじさま連中に対し、その遥か上手をいく、とっておきの切り札を出す。まるでこの場を乗り切る、ジョーカーのような言葉を。


「みんなのみょうじ。ほう、わかりました」
「ふん」
「しかし、それ以前に彼女は私の大切な幼馴染です。心配して何が悪いのですか」
「は!?」
「えっ、幼馴染ィ!?」


 それは周りに座っていたおじさんたちだけではなく、高明くんに捨てられたようにテーブルに残されていた女子たちまでもが、突然の幼馴染発言に悲鳴を上げたのだった。

 一瞬でカオスになる会場。酒の力もあって当人そっちのけで大盛り上がりする彼らに、私は堪らず高明くんのスーツの肩口を強く引っぱって耳元で囁く。


「ちょっと、あの。幼馴染の話は隠しておいて欲しかったんですが……!」
「なぜですか」
「なぜって、そりゃあ……」


 私はとっさにテーブル席の方に目線を配った。あれだけ対立していたはずの女子たちが、急に団結してヒソヒソとこちらを見ながら話をしている。ほら、見ろ。こうなりたくなかったから言いたくなかったんだよ。変な噂を立てられて、面倒事に巻き込まれること間違いないんだから。しかし、そんなことをこの堅物コウメイに言っても暖簾に腕押し。糠に釘。馬の耳に念仏……。私は大袈裟に、それはそれは長いため息をついた。


「もういいです。こっちの都合だったので」
「都合……?」
「それより、ここに座ったんですからそれ相応の責任とってくださいよ」
「え?」


 私は高明くんが座った席の前に、まだ手付かずのままだった瓶ビールをドンッと置く。


「今日はとことん付き合ってもらいますから。確か、お酒の指南してくれるんでしたよね」
「!」


 今からもう二十年以上も前にした約束を持ち出し、私は彼を軽く睨んだ。すると、向こうも覚えていたようでその瓶ビールから空きグラスにふたつ注ぎ、そのうちひとつを私に寄越す。そしてこう言うのだ。


「望むところです」


 カチンと合わさったグラスが小気味よい音を立てる。私はそれを一気飲みして叩きつけるように空きグラスを机の上に置いた。闘いのゴング、である。

 - back/top -