40…
高明くんの車のダッシュボードに葵さんの本が入っていたのを見つけた日、私は大和さんに「協力します」という文面のメールを送信した。協力することを別に迷っていたわけではないけれど、おそらく私と会っていない間もずっと大切にされていたあの本の存在が吹っ切れる要因のひとつにはなったような気がする。私が高明くんのことを好きなのと同じように、高明くんもまた葵さんのことを亡くなってもなお想っていてもおかしくはないのだし。むしろそうして一途に誰かひとりを想い続けている彼だからこそ私は好きになったのだと、ある意味でこの気持ちを誇らしく思えるのだった。
大和さんに送った返事のメールは数日が経っていたにも関わらず、彼からの返事は折り返しすぐに電話でかかってきた。きっと彼の性格のことだ、ちまちま打たなければならないメールじゃまどろっこしくなったのだろう。そう思って笑みすらこぼしながら通話ボタンを押したのに、電話口の彼は刑事モード全開でまったくの別件について話し出すのだ。
「おい、妹。お前、最近は虎田由衣と連絡取ったか」
「えっ、由衣ですか? 大和さんが入院してる頃に一度電話しただけですけど」
「そうか。……いや、実はあいつの旦那、虎田義郎が先日、自宅近くの山で亡くなったんだ。他殺の可能性がある」
「ええ!?」
その耳を疑うような話に私は大きく驚きの声を上げた。まだ報道もされておらず、県警内でもそのような話は回ってきていない。私は周囲を確認して、ひとまず人気のない会議室に入った。込み入った話になりそうだと感じたからだった。
「全身を強く打ち、出血多量で死亡。同時刻に発生した竜巻による転落死とされているが、その血が乾き切る前に、傍には周辺に生息していないはずの踏まれたムカデの死骸が落ちていた」
「誰かが故意にそのムカデを置いていったということですか」
「ああ。さらに今日、その虎田家と敵対している龍尾家の息子が殺されてな。そっちは身体を縛られた上に何度も頭を殴られるというひでぇ有様で、明らかに他殺だ。そして」
「そっちにもムカデの死骸が?」
「正解だ。趣味の悪い連続殺人だぜ」
大和さんはそう忌々しそうに言うと、ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしるような音がする。復帰して間もなく、後遺症で身体も思うように動かない中できっと捜査も難航しているのだろう。そこにせめて高明くんがいればと思うのだが、生憎、私にはどうすることもできない。
「その山って、あの流鏑馬のお祭りがある場所ですよね」
「そうだ。この事件、必ず六年前の甲斐さんの事件と繋がってやがる」
「……由衣、大丈夫かな」
私は親友である由衣のことが心配でたまらなくなった。
甲斐さんの事件を追うために結婚までしてしまうような彼女だ。その夫が亡くなり、そして甲斐さんの事件と今回の事件にもしも関係があるとすれば、きっと彼女は警察官時代の癖で無茶な行動も厭わないはずだろう。連続殺人という物騒な事件に巻き込まれてしまう可能性だってある。すぐに連絡を取って会いに行きたい衝動に駆られるが、それを先に静止したのは大和さんの方だった。
「いいか。今後、もし虎田由衣から連絡があったら真っ先に俺に報告しろ。お前はこの件については何も知らない体で、絶対にあいつに連絡するなよ。わかったな」
「まさか大和さん。由衣を疑ってるんですか?」
「甘いこと言うんじゃねえ。刑事とはもともとそういう仕事だ」
「……」
それにはさすがの私も何も言い返せなかった。彼女の親友としては違うと胸を張って言ってやりたいのに、警察官としての立場となると、先入観を含むその発言は確かに口が裂けても言ってはならない言葉で。別部署の上司である彼に、ぐうの音も出ないほど正論を突きつけられてしまったような気がした。
「コウメイの方もよろしく頼む。早く本部に復帰できるように、そっちで手柄を上げさせてやってくれ」
じゃあな、とぶっきらぼうに電話が切れると、私は長机に携帯電話を置いてぼう然と頭を抱えた。大和さんは由衣のことを容疑者のひとりとして疑っているようだが、それ以前に今の彼女は、夫を亡くしたばかりの被害者遺族でもある。慕っていた甲斐巡査が亡くなり、大和さんが行方不明であるという知らせを受けた頃の由衣を知っているだけに、一番の身内を失くした今の彼女が憔悴して泣いていないかどうかが気になって何も手がつけられそうにない。かと言って、会いに行くことを止められてしまったからには、寄り添って励ましてやることすらできないのだ。
「どうかしましたか」
いつの間にか会議室の扉の前に、怪訝な表情の高明くんが立っていた。私は驚きつつも振り返り、今の話をどう彼にするか思い悩む。数週間前まで本部の所属だった彼に、本部持ちの事件の話をしてよいものかどうかを。
けれど、私の頭はそれほど器用じゃなかった。高明くんに由衣のことを話すことで、彼女に何もしてやれない歯痒い自分を消化したくて堪らなかったのだ。
「実は。由衣の夫が、亡くなったそうです」
「事件ですか?」
「はい、おそらく」
私はそう言って、浮かない顔をする。すると高明くんはすぐに私に尋ねてきた。
「失礼ですが、今夜、時間はありますか?」
「え、あ、はい。まあ……?」
「では、予定を開けておいてください。また後で連絡します」
そう言って彼はさっそくどこかに電話をかけながら、さっさとその場から出ていってしまった。私は若干、そのあっさりとした態度に面食らいながらその場でしばらく突っ立って考え事をする。今夜って? 何をするつもりなの?
よくわからないけれど、とりあえずデスクに戻らなくては。今日中に仕上げなければならない仕事もまだ山積みになっていることだし、あと由衣のことも腰を据えてゆっくりと考えたい。
そのときの私はまだ、高明くんが食事でも誘って元気付けてくれるつもりなのかな、と能天気なことを考えていたのだった。
Phase.40 たったふたりの捜査会議
仕事が終わった後、私は高明くんに呼び出されて、昼間に大和さんと電話で話をするのに使った会議室に来ていた。どうしてこんな場所にと不思議に思いながら消灯されていた電気のスイッチをパチンと灯せば、そこには昼間なかったはずの何らかの事件資料が箱入りで積み上げられている。興味を引かれるままその一番上を手に取って見てみれば、ファイル名はあの流鏑馬の祭りが催される村の名前に連続殺人事件という物騒な文言を付け加えられた名称だった。私はまさかと思い、すぐに中身を確認する。
そこにはやはり予想した通り、今回の事件の情報が何ページにも渡って記載されており、私はどうしてと頭の中が混乱してしまうのだった。
「君の報告を受けてから、集められる情報はすべて集めました」
そうした混乱を見透かして優しく説明するかのように、高明くんがそう言いながら、鞄を持って会議室に入ってきた。どうやら私と同じく退勤処理を既に済ませてきたらしく、ここからは完全に私的な、私たちふたりだけの捜査活動ということになる。上着を脱ぎ、シャツの袖を捲る彼に私は目が釘付けになり、打ち消すようにパラパラと再び資料に視線を移した。
「すごい……、こんな短時間で?」
「本部にいた頃のコネがあるので。まだ手がかりは少ないですが、自由に閲覧してください。せめて君の親友が犯人ではないことをともに証明してみせましょう」
そう言って、彼は仕事終わりで疲れているはずなのに脇目も振らずにさっそく作業に取り掛かる。その姿が何とも真面目な高明くんらしくて。由衣に対してできることがないとばかり思って不貞腐れていた自分が途端に恥ずかしくなって、負けじと私も彼の隣に座り、取り寄せてくれた資料に目を通し始めた。
こうして肩を並べてみると、まるで一緒に図書館で勉強していたときの私たちみたいだ。そんな懐かしさに胸を高鳴らせているのは、たぶん私だけかもしれない。