42…
晴れて県警に戻ってきた由衣が新野に行くから久しぶりに女子会をしようと言うので、先日高明くんに連れて来てもらったイタリアンのお店を予約したのは先週末のことだった。内装も外装も普通の古民家だけれど、一度来ただけですっかりファンになって休みの日はひとりでも来てしまうくらい、いつの間にかお気に入りになってしまっている。居心地がよくて、何より東京で修行を積んだというバリスタの奥さんが入れるコーヒーが新野で一番美味しくて。さらには休日の高明くんと鉢合わせして相席することもあるものだから、つい、そうした不純な動機でも通うのがやめられないのだ。
「へえ、ご馳走様」
そんな私の話を聞いていた由衣は、まだパスタも半分以上残っているのにそんなことを言ってニヤニヤと笑っていた。その「ご馳走様」の意味に気付いた私は飲んでいた水を吹き出しそうになり、違う違う、と首を振る。別に高明くんのことは好きじゃない、いや、今は好きだけど、ちょうどやめようと思ってるところ、と。そう言ってみたところで、顔が赤いから全然説得力なんてないことは自分で言ってて悲しくなるくらいよくわかる。大体、ちょうどやめようと思っていたところだなんて。親に時間を決められたテレビゲームがやめられない子どもみたいな言い訳だ。我ながら、嘘も甚だしい。
「で、どう? 念願叶って、好きな人と同じ場所で働くことになった感想は」
「は!? べ、別に、普通だけど」
「普通なわけないでしょ。振られたとはいえ、あれだけ好きだった相手に再会して気持ちが盛り上がらない方がおかしい」
「振られた……あ、そうか、そうだった」
私は由衣と話をしている最中に、彼女の中での自分が既に失恋済みになっていることを久しぶりに思い出した。前向きに違う相手を検討しろと言われたことなんて今まで星の数ほどあるが、結局、行き着く先がここしかない自分に苦笑が漏れる。一方の由衣はそんな私のことを十分に理解して半ばもう呆れており、そして一番の味方として堂々と高明くんのことを揶揄してくれるのだ。
「大体、ちょっと諸伏警部もひどいんじゃない? 振った相手と一緒に、呑気に休日もランチしてるだなんて」
「それは……」
「思わせぶりな態度取られるのって結構つらいよ。それなら最初から突き放してくれた方が楽なのにって、私なら思っちゃうな」
由衣はそう言いながらパスタをフォークに巻きつける。私はその器用な指先を、気まずくじっと見つめていた。
十年以上経って今更にはなってしまったが、この際、私は由衣に本当は高明くんに告白していないのだと正直に言ってしまおうと思った。でないと毎回、私側の立場に立ってくれている由衣に彼の悪口を言わせてしまうことになりかねない。せっかくの楽しい女子会の場なのだ。高校生の頃に何時間もファーストフード店で駄弁りながら過ごしたときのように、できるなら明るい声で、明るいお互いの恋について語り合いたい。
そう思って口を開きかけたとき、タイミング悪く私の携帯電話が鳴り始めた。画面を見やればなんと高明くんからの着信で、今日は事前に由衣と一緒にここで食事会だと伝えていたのにと訝しむ。もしかすると、近くで何か事件でもあったのかもしれない。私は由衣に断ってからその通話ボタンを押した。
「もしもし、みょうじです」
「諸伏です。すみません、上原さんと食事中のところ」
「ううん、どうかした?」
「実は東京で傷害事件を起こした犯人が実家のある新野に来ているとの情報があり、その店から近いので一緒に向かってもらえないかと思いまして」
「了解。ただ、今日は車じゃないから拾ってもらえると助かるんだけど」
「もちろんです。もう着いていますから」
「え?」
「今、この店の駐車場から君に電話をかけているので」
あまりに予想外の言葉に私は自分の耳を疑って、とっさに窓の外を覗き込む。駐車場にはさっきまで誰も停めていなかったスペースに確かに一台、最近ではすっかり見慣れてしまった高明くんの愛車であるシトロエンCXが停まっていた。署から連絡しようと思っていたのですが、気持ちが逸ってしまってすみません。と申し訳なさそうに言うので、ひとまず私は彼を許した。特に由衣相手なら、警察官のこうした都合はよくあることだと理解してもらえるだろう。私は車から降りてくる彼の姿を見るなり、伸ばしていた首を引っ込めて電話を切った。
「ごめん、由衣。仕事入っちゃった。高明くん、すぐそこまで来てる」
「いいよいいよ。パスタ食べたら適当に観光して帰るから。敢ちゃんに林檎買ってこいって頼まれてるし」
「本当ごめん! 次はあの店で大和さんと蕎麦焼酎飲もう?」
「あはは、それ最高!」
高らかな由衣の笑い声と、高明くんが店に入ってくるのは同時だった。私はすぐに荷物をまとめて立ち上がり、彼の方に駆け寄る。
「ごめん。私、ちょっとお手洗いだけ先に行ってきます」
「ええ。どうぞ」
彼の隣をするりと抜けて、私はレジ奥にあるトイレへと走った。こうなったら、軽く化粧も直しておきたい。せめてリップを引き直すまでは被疑者が逃げていきませんようにと私は神様に祈るばかりだった。
その間、正義感たっぷりの親友が高明くんのことを不満げに睨んでいるとも知らずに。
Phase.42 ご馳走様が聞こえない
実はこの店に入った瞬間から、高明は由衣から送られてくるその敵意とも呼べる視線にしっかりと気が付いていた。それは本部で共に働いていた頃には一度も向けられたことのなかった厳しい目で、自分がいつ、彼女に嫌な思いをさせてしまったのだろうかと不思議に思う。しかし、記憶をいくら遡ってみたところで何も心当たりはないし、だからといってかつての同僚を無視するほど子どもでもない。若干の気まずさはあれど、高明はなまえを待っている間、由衣への挨拶がてらに彼女のテーブルに近付いて軽い会釈をするのだった。
「久しぶりですね、上原さん。本部に復帰したと聞きました」
「ええ、なんとか。敢ちゃんのこと、探してくださってありがとうございます」
「いえ。それほど大したことはしていませんので」
ありがとうと言う割に、彼女が放つその空気は重い。高明は一度咳払いをしてなんとかこの気まずさを打ち消そうと試みるが、由衣の方がそれを許さないのだった。
「あの、諸伏警部。なまえが帰ってくる前に、一言、あなたにお伝えしたいことがあるんですけど」
「はい、何でしょう?」
すると彼女は持っていたフォークを静かに置く。そして大抵の容疑者なら怯んで落ちるとも言われている大和仕込みの睨み技を効かせてギロリと高明のことを睨みつけるのだ。
「……振った相手に、そう優しくしないください」
「は?」
「思わせぶりな態度って、意外と女性は一番、傷付くんです。あなたがしていることはあまりにも残酷で、優しさでも何でもありません。ただあの子が可哀そうです。なまえをもう過去に縛らないで、呪縛から解放する必要があると思います!」
由衣は段々ヒートアップするように語気を強くした。けれど、高明にはその意味が一切わからない。
「すみません。話が、よく……?」
「だ、か、ら! なまえのことを振ったくせに、優しくしてやらないでくださいって言ったんです! あの子、純粋で恋愛経験も乏しくて。何というか、こう……ピュアを固めたみたいな? ピュアの日本代表みたいな子なんですから!」
「???」
彼女が必死で伝えようとすればするほど意味がわからず、高明は珍しく目を点にさせていた。ピュアの日本代表……まあ、それについては概ね理解できるような気もするが、その前提自体がやっぱりよくわからない。一体、いつ誰が誰を振ったって?
もしなまえから告白されていたとしたら、もうとっくの昔から自分たちは恋人同士になっているはずだと思った。彼女の気持ちが不確定で見えないからまだ告白に至っていないだけで、自分だってなまえのことを好いているわけだし。そうなれば完全に両思いなのだから。
高明は興奮している由衣をなだめて落ち着かせた。そして、彼女との見解をすり合わせるように一から整理して説明する。もちろん、このおかしな状況についてである。
「申し訳ありません。ですが、私が彼女のことを振ったという覚えはありませんし、むしろ告白なんて受けたことはありませんが」
「え?」
「大体、彼女って私のことが好きなんですか? 今のところ、あまりそんな風にはお見受けできませんが……」
そう、高明の言う通り。なまえは高明相手に自分の気持ちを隠すのが妙に上手く、それに野良猫のように気まぐれゆえに、照れを笑いに昇華してしまう癖があってどれが本心なのかもわかりにくいという欠点があったのだった。同じ警察官という職種を選んでくれた以上、慕っていることには違いないだろうし嫌われてはいないと思うが、高明はそうした理由でいまいちなまえの心を掴めないでいる。だから自分の気持ちを自覚してもなお、おいそれとすぐには告白にも踏み切れないのである。しかし、実際はうまくいっていないだけで両思いの状況にあるのだが。今の両者はどちらもそれに気が付いていない。
その片鱗に気付きかけているのはここではただ一人。完全に第三者的な立場である上原由衣、その人だけだった。
「じゃ、じゃあこの際、聞きますけど! なまえのこと、はっきり言ってどう思ってるんですか!?」
それはただの逆ギレだった。この後に及んで妹だと言ったら引っ叩いてやる。そんなつもりで由衣は元上司を殴るという覚悟を決めた右手を準備したまま尋ねるが、高明から返ってきたのは思わぬ返答だった。
「当然、好きですよ」
「えっ」
「今まで兄妹のように接してきた壁をどのようにして壊せば彼女と交際できるのか、ここ最近は飽きずにそればかり考えています」
「え、ええええ?」
さすがの由衣もそれが冗談でないことだけはすぐにわかった。むしろ、高明がそんな悪趣味なことを言う人間だとは思っていない。ゆえに、頭に疑問符をいっぱい浮かべて、引っ叩こうとした右手をどういう風に引っ込めてよいのかもわからなかった。じゃあもしかすると、なまえが振られたと言った話は嘘なのだろうか? いや、そもそもよく考えてみれば、彼女の口から振られたとは一度も聞いたことがなかったかもしれない。今更そんなことを思って、これまで高明の悪口を言いたい放題言ってきた自分に頭が痛くなってくる。
「上原さん、すみません。今、話した件のことですが」
「は、はい?」
高明はトイレの方向を気にしながら、困惑気味の由衣に向けて少し照れたように言葉を続ける。
「今は自分なりに彼女への告白の好機を狙っているところですので、何卒、上原さんには彼女に今の話を告げ口しないでいただきたいのです。こういうことは直接、自分の口からお伝えしたいので」
「は、はあ……?」
「ご協力、感謝します」
彼がそう言い終わるのと同時に、軽く化粧を直し終えたなまえが帰ってくる。
「ごめんね。ん、何かふたりで話してた?」
「大丈夫ですよ。それでは上原さん。また」
「え、ええ。また……」
「由衣、ごめん! また埋め合わせするね!」
そう言ってレジで自分の分を払ってから出て行く彼女と、すぐ傍で甘い顔をしたままそれに寄り添う恋人にしか見えない高明を呆然と見送って、由衣は頭を抱えるのだった。
「何がどうなってんの。あのふたり……?」