44…


 かつて希望の館に住んでいた住人は全部で六人。そのうちのふたりである亡くなった明石さんと葵さんを除いて、残り四人へ聞き込みを私たちは速やかに開始した。

 一人目に伺ったのは翠川尚樹さん。曽根尚樹という名で活躍する俳優で、時代劇の悪代官役などで広く知られている人物でもある。カラーは緑。明石周作氏とはもともと幼馴染で、彼とだけは色の名前ではなく下の名で呼び合うほど仲が良かったという。六年前に館を出て独り立ちした後は、一度もそこを訪れていないそうだ。

 二人目はファッションデザイナーの山吹紹二さん。カラーは山吹色で、彼にとっては平服らしいド派手な黄色のスーツを身に纏って登場してくれた。葵さんと私が最後に会った頃、彼女がよく話題にしていた「山ちゃん」とは彼のことだったらしく、その独特ながら親しみやすいオネエ口調も相まってふたりは相当仲が良かったのだろうと所感ながら思った。

 三人目はCGクリエイターの百瀬卓人さん。髭面の男臭い、熊のような人物だが、聞き込み中も忙しそうにパソコンを触る指先はとても繊細である。そして、その男々しさと繊細さのギャップを体現するかのように、彼のカラーはもちろん桃色。基本的にはみんなから桃と呼ばれていたようだが、時折ピンクと呼ばれることもあって自分の色が嫌いだったそうだ。

 そして最後はミュージシャンの直木司郎さん。他の三人と比べると明らかに何か事情を知っているようなよそよそしい態度で、こちらの質問をのらりくらりとかわしていく。カラーは白。他の三人との比較ばかりにはなるが、ミュージシャンとしての成功は今ひとつ掴めていないようで、築年数もかなり経つと思わしき狭いアパートに単身で暮らしていた。

 帰りの車中で私はまるで名探偵気取りで直木司郎氏が怪しいことを指摘していたが、高明くんはそれを肯定しつつも、一度その先入観は打ち消すようにと釘を刺してきた。しかし、どう考えてもあの態度は、重要参考人として署に引っ張って話を聞いてもいいくらいだと思うのだが、慎重な態度を見せる彼なりに何か思うところがあるらしい。私は不服ながらも頷いて、それからひときわ色気もない大きなあくびをした。全員県内在住だったとはいえ四件も方々回ったのだ。さすがに外はもう真っ暗で、眠気も増してくる午後二十二時。今日の捜査はここまでにしようと家に直帰するために車で送ってもらっている道の途中で、高明くんは私に尋ねる。


「もしかして。この事件の夢を見た、なんてことはありませんよね」


 彼の言う夢とは当然、私の予知夢のことを指していた。きっとその思惑としては、夢という不確定な証拠でもいいから何かしらの手がかりをそこから得ようというところだろう。けれど、期待されたこちらが申し訳なくなるくらい何もない。それに、おそらく夢を見ていたとしても、今までの経験からほとんど何の解決にも役立ったことがないので、悪いが宛てにするだけ虚しいだけなのだ。


「うん、ごめん。まったく」
「いえ、むしろよく眠れているようで安心しました」
「なら、今日からは毎晩眠る前に神様に頼むことにするよ。早く事件の真相を教えてくださいって」
「神頼みですね。でしたら、夢の中での捜査は君に任せしました」


 高明くんが冗談みたくそう言ってうっすらと笑う。まあ、神様もあんまり宛てにならないんだけどな。と、私はそう思いながら、次の信号は右です、と送ってくれる彼の厚意に甘えて家までの道のりを案内した。ウインカーを出して右にゆっくり曲がった、その少し先がもう家だ。今日は早そうだから自炊しようと思って解凍してきたお肉も、もう料理する気力がないから再冷凍しても大丈夫かな? そんな所帯じみたことをうーんと唸って考えていると、高明くんは再び口を開く。


「……もし、何か些細なことでも事件に関する夢を見たら、必ず僕に教えてください。いいですか、必ずですよ」
「あ。うん、わかった。……あっ、もうここでいいよ。ありがとう」


 ゆっくりブレーキをかける車から私は何の未練もなく降りた。必ずと念を押されたことでさえ、高明くんなりの葵さんへの断ち切れない好意だと容易く結びつけてしまうから。私はもうすっかり慣れきってしまった悲しみを隠した満面の笑みで、運転席の彼のことを元気よく覗き込んだ。


「じゃあ、また明日! 本部のコネでも何でも使って、こっちに情報引き抜いてよ?」
「ええ。ではまた明日」
「じゃあね!」


 走り出した彼を見送って手を振った後、脱力するように表情を元に戻すと、何だかドッと疲労が背中に貼り付いて襲ってくるようだった。顔は真夏のカンカン照りくらい明るく笑って、心の中は土砂降りみたいに泣いている。そんな事件が始まってしまったと思った。



Phase.44 名前を呼ぶよ



 その日以来、ふたりで葵さんが死亡した当時のことをもう一度洗い出してみたり、例の四人についてその周辺から聞き込みをしてみたり。あとは、夜眠る前だけじゃなくて、職場でちょこっと仮眠をとるときでさえも神様に予知夢をおねだりしてみたりと、眠っている間ですらやることは山積みで、それこそ仕事に忙殺されてしまいそうだった。特に高明くんは好きな人絡みの事件にかなり意地になっているらしく、私を自宅に帰してから連日サービス残業をしてまで、ひとりで捜査にのめり込んでいるらしい。公にバディを組んでいるはずの私すら疎外されている雰囲気を感じるときが多いので、そういうときは私も帰るふりをして、容疑者たちの動向、特に自分の直感を信じて直木司郎氏を徹底マークして調べている。その間、本部から漏れ入ってくる情報もあったりして、一体、全部で何ピースあるのかもわからないミルクパズルを正解かもわからずにただひたすら埋め続けているような。そういう途方もない捜査に陥ってしまっていた。

 今日の高明くんも、例に漏れず退勤時間を過ぎた後は無許可の単独行動だった。私には「お先に失礼します」と言った癖に、帰らずにあの会議室でひとり残って調べ物をしているのを私は知っている。彼の気持ちも理解できるので事件があって数日はそっとしておいたのだが、いい加減腹が立ってきたので、上司に許可を得て今日は私も居残ることにした。もちろん、同じく高明くんにはもう帰ると言ってあって、よもや私が残っているとは思うまい。

 コンビニで購入した小さな瓶をふたつ両手に持ち、私はそっと息をひそめて彼がいる会議室の様子をしめしめと伺っていた。たぶん何やら考え事をして行き詰まっているっぽいので、そうと判断してからは無遠慮に、まるでパーティ会場にサプライズ登場でもするかのように勢いよくその扉を開け放つのである。


「お疲れ様でーす。諸伏高明警部にお届け物でーす」
「っ、驚いた……。君、まだいたんですか?」
「それはこっちのセリフでしょ。はい、前借り」


 私はそう言いながら自らの愛用品である栄養ドリンクを、彼が腰掛ける長机の上にドンッと音を立てて当てつけのように置いた。それも、まるであの歓迎会の日に瓶ビールを置いてやったときのようなドヤ顔付きである。


「前借り、とは?」
「栄養ドリンクって元気の前借りっていうらしいよ。でも前借りしたいときもあるよね。はい、乾杯!」


 強カフェイン! 八つの生薬配合! スーパー滋養液! そんな馬鹿みたいな文言がデカデカと書かれているラベルを彼は胡散臭そうに眺めている。一方の私はいつも通りその蓋を開けて、乾杯を促すために彼の前へと突き出した。さすがに呆気に取られていた高明くんも、観念するかのように同じく蓋を開けて前へと突き出す。そしてカチンと瓶同士を合わせれば、私たちはそれぞれ盃を交わすかのようにグイッと一発。一息で飲み干した。


「クゥー、効くぅー!」
「すごい味、ですね……」
「この不味さがいいよね。癖になるっていうか」
「もう二度と飲みたくない味です」


 珍しく顔をしかめて前髪をかき上げる彼が見れただけで、なんか得したような気持ちになった。私はヘラヘラと笑いながら彼の隣に座り、それで? と堂々と捜査の進捗を聞く。どうやら本部から証拠品の指紋の情報がきたらしく、高明くんは私にその結果の資料を見せてくれた。

 部屋の内側のドアノブと、壁を塗るのに使用された赤いラッカーには何者かの指紋が付着しており、その人物を特定するための捜査は続行中であるらしいのだが、どちらにもついているはずの被害者の指紋はなぜか検出されなかったという。さらに部屋の隅でコンセント型の盗聴器が新たに発見され、おそらく犯人が定期的に被害者の生死を音で判断していたと推測できると資料には無機質に記載されていた。しかし、それを犯人が回収しに来ていないということは、つまり犯人は被害者の死後、あの部屋に入っていないということになり、そうなると残留していた証拠品に被害者の指紋がついていないという点の不可解さが余計に浮き彫りになる。調査中の指紋が誰のものなのかはさておき、考えられる原因としては被害者自身が何らかの目的で自らの指紋を拭き取ったということになるが。一体、何のために?

 真剣にその理由を黙って考えていれば、高明くんは私の横顔をまっすぐ見つめてこう言うのである。


「君は本当に予想ができないというか、ものすごく変わっていますよね」
「え、そうかな?」


 全然そんな自覚ないんだけど、と馬鹿みたいにすっとぼける。しかし、おそらくきっと、この部屋に入ってきたときの私のおちゃらけた行動と、捜査中の真剣な顔つきが結びつかないからだろう。でも、残念。私だってきちんとするときはきちんとするし、オンとオフはこう見えて使い分けるタイプです。

 私は毅然とそう思いながら、でも高明くんだって相当変わっているような、とごにょごにょ聞こえないように呟く。そうこうしていると、彼はまるで私のことを心底可愛がるように頬杖をついて目を細めた。


「でも。変わっているところが、昔からずっと変わらない」


 優しさが含まれた、その言葉と目線にはさすがに少しドキリとしてしまった。こういう優しい目が、私にとってすごく懐かしい。勉強を教えてくれていたときの、特に褒めてくれるときの高明くんの表情、そのままだったからだ。


「あのね。今だから言うけど、昔、勉強教えてもらってたときね? あのときはまだ小さかったけど、一人前に私、諸伏さんのこと、ひとりにしたくないって思ってたの」
「え?」
「だって。ご両親のあの事件の後も、お葬式のときも。それから長野駅で景光を見送ったときだって、泣いてなかったのあなただけだったもん。そのときね、私『この人、泣き方知らないんだ』って思ったの。だから、ひとりにしたくなかった。助けになってあげたかったんだ」


 でも実際は、勉強面で逆に助けてもらったことの方が多いけどね。と、くすくすと照れ隠しで付け足して笑っていれば、高明くんは唖然としていた。どうやら彼は本気で私が勉強ができないから教えて欲しいと懇願したと思っていたようだった。私はそんな高明くんをまるでドッキリにかけたような気持ちで再び笑い、自分の真の目的については、ずるくも黙ったままでいる。絶対に言えないけれど、一番の大きな理由は、私が高明くんの傍にいても許される理由が欲しかったからだ。

 すると何を思ったのか、高明くんは机の上に置いていた私の手のひらに自分のをそっと重ねて、体ごとこちらへ向き直った。暖かくて、しなやかなのに、少し筋張っている男の人の手で。私はとっさに理解ができず、ただカァッと顔が熱くなり、驚いて逃げ出すために素早く手を引こうとする。けれど、彼の握りしめる力によってそれは未遂に終わった。逃がさない。そんな言葉が、手のひらの体温から伝わってくる。


「改めて。君の、呼び方のことなんですが」
「うん?」
「もう一度、君のことを『なまえ』と呼ぶことを僕に許可してくれませんか」


 高明くんはなぜか切羽詰まったようにそんな申し出をしてくれた。私はドキドキしつつも、その願いの意味がわからず単に了承の返事をする。


「もちろんいいけど……」
「では。……なまえ」
「え、えっと。はい?」
「………………なまえ」
「あはは、もう。なあに?」


 何度も、意味もなく私の名前を呼ぶ彼の声がくすぐったくてしょうがなくて。私はつい、空気を和らげるために声を出して笑ってしまった。しかし、意味がないと思っていたのは私だけだった。高明くんが私の名前を何度も呼ぶのは、ずっと我慢して何とか堰き止めていたものが、愛しさで押し流されるように止められなくなってしまったから、なんて。


「僕は、なまえのことが……」


 そのときだった。言葉を聞き取る前にその声に被せるように、私たちの背後にあった会議室の錆びた扉がまるで断末魔のような大きな音で叫びながら開いたのだった。

 そこにいたのは先日、私たちにバディを命じてくれた推しの上司だった。


「おーっす、お前ら! みょうじから残るって聞いたから差し入れにお前らの好きな店のピザ! 特注して買ってきてやったぞ!」
「えー!? あのお店、ピザも始めたんですか!? まじですか、最高! ビールは? ビールもあったりします?」
「ガッハッハ! 馬鹿かよ、お前! コーラだ、コーラ! 警察署でビール飲む馬鹿いるかよ!」


 推しのおじさま上司が馬鹿デカい笑い声とともにそう言いながら、資料の乗った長机に遠慮なくどっさりピザの箱を置いた。まだ湯気が立つほど暖かいようで、途端に部屋中充満していた事件の辛気くさい匂いがチーズのいい匂いで上書きされてしまう。箱の横には私が絶対に外せないと豪語するマヨコーンピザの名前が書かれているのを見つけ、奢ってくれた上司の背後に後光が差してさらにキラキラと輝いて見えた。


 一方、急に現れた初老上司の馬鹿デカい声に我に返った高明は、勢いに任せて告白しようとしていた自分を途端に恥ずかしく思い、ひとり明後日の方向を向いて途方にくれていた。こんなムードもへったくれもない、職場で告白だなんて考えがないにも程がある。むしろ、そういう意味ではピザでも何でも邪魔が入ってよかったのかもしれないが……。いや、やっぱり彼女とふたりきりの空間はできれば邪魔しないで欲しかったという本音はどうしても隠せない。


「ほら、高明くん! 早くこっち来なよ! 冷めちゃうよ!」
「っ!」


 あれこれ馬鹿みたいに考えていたくせになまえが元気よく名前を呼んでくれたことで、途端に高明は何もかもどうでもよくなってしまった。生まれたときから付き合ってきた自分の名前のはずなのに、久しぶりに彼女に呼ばれただけでまるで宝物みたいに大切に思えてしまうから。我ながら恋とは不思議なものだと思う。

 以前のようにお互いがお互いの名前を呼ぶこと。それはきっと彼女なりのお返しのつもりなのだろうが、それがどのくらいの破壊力を持っているのか本人は知らないだろう。たった一度呼ばれただけで、まるで待ち望んでいたみたいにこんなにも胸がざわついてしまうことを。

 それに、元気に手招きして呼んでくれるなまえがやっぱり可愛くて。高明はひときわ長いため息をつきながら、絶対にこの事件が片付いたら告白しようと心に決める。そして、まずかった栄養ドリンクの口直しに受け取った弾けるコーラを飲みつつ、今だけは事件のことをしばし忘れて美味しいピザを食すのだった。

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