45…


Phase.45 賢に見えんと欲して


 ピザをたらふく食べた翌日、改めて相棒意識を高め合ったと言っても過言ではない私たちはもう一度ともにあの館へ行ってみようということになった。謎を解くためのピースが圧倒的に不足していることはお互いもう気付いていて、再び事件現場のダイイングメッセージを実際に見てみたくなったのだ。

 五丈の森を抜けて開けた場所に、その洋館は依然として建っていた。現場検証のために事件後しばらくは警察関係車両が多数停まっていたが、今は私たちの車以外はたった一台だけ。館の前に堂々と停められた見覚えのある車の横に停車して、降りてから私が近付くと、後ろから来た高明くんが車内を覗き込むことすらなく所有者を特定する。


「これは上原さんの車ですね」
「由衣、ってことは……」
「ええ。敢助くんも中にいるでしょう」
「どうしよう、また改める?」
「いえ、時間が惜しいのでこのまま行きましょうか」


 そう言うと、高明くんは毅然とした態度のまま血塗られた「死亡の館」の門をくぐった。続いて私も中に入り、そこからはふたりで広間まで一直線に進む。けれど階段上の事件現場である明石氏のアトリエから、由衣と大和さんだけではない、複数人が話をしているような声が聞こえてきて思わず私たちは足を止めた。


「他に誰かいるみたい」
「そのようですね」


 私たちはその場で耳を澄ませる。


「……どうだ? この赤い壁の意味、わかったか?」
「わかるも何も……」


 どうやら立ち聞きをしてみるに、大和さんが誰か有識者でも呼んでこのダイイングメッセージを解明しようとしているらしいということが伝わってきた。私たちは顔を見合わせてうんと頷いた後、静かに階段を登り、部屋のドアに隠れてそっと中の様子を覗き込む。そこにいた思わぬ人物に私は驚いて興奮しながら、極めて小さな声で高明くんに至近距離からしがみつくみたいに耳打ちをするのだった。


「見て、あれ! 毛利小五郎さんだ! 東京で、名探偵の! ほら眠りの小五郎って呼ばれてる!」
「なるほど。彼らはこの謎に名探偵という賢人を招いたわけですね」
「本物だーっ、すごい!」
「……」


 ミーハー根性で勝手に盛り上がる私を高明くんらしい白い目がジロリと捉える。けれど、ある意味平和ボケしている私たちの元へ、その毛利さんを威圧するかのような大和さんの怒声が耳に飛び込んできてふたりして前につんのめりそうになった。


「おいおい! そんな答えを聞くために俺はあんたを東京まで迎えに行ったんじゃ……!」


 その言葉に、まるで後方から援護するかのように堪らず一歩前へと躍り出たのは、他の誰でもない。長野一の切れ物である、諸伏高明だった。


「……賢に見えんと欲してその道を以てせざるは、猶ほ入らん事を欲して之が門を閉づるが如し」


 来た、私の好きな劉備の名台詞! もはや待ってましたと心の中で手を叩きながらその名台詞を盾に、遠慮なく私も高明くんの一歩後から部屋に入った。もちろんすぐに由衣や大和さんと目が合ったので、ニコニコとわざとらしい笑顔を作ってみせる。長野のコウメイ率いる新野署の所轄がちょっとだけこの場にお邪魔しますよ、と軽い会釈も忘れない。


「天下の名探偵を電話で呼びつけず、自ら迎えに行ったところまでは良しとしましょう。だが、今の毛利探偵に対する君の言動は無礼極まりない。古い友人として、恥ずかしく思いますよ。敢助くん」
「何しに来やがった、所轄は引っ込んでろ!」
「いやいや、ここは我が新野署の管轄。引くわけにはいきませんね」
「我々バディが新野署の代表としてこの事件の正式担当ですからね」


 高明くんの後ろからひょっこり顔を出して、私も負けじと得意のドヤ顔で大和さんを煽った。その様子を見ていた由衣が苦笑いを浮かべているのが視界の端に映る。

 それにしても、部屋の中にいた見知らぬ女の子は毛利さんの助手か秘書だと思いきや、それよりもずっと若くてまだあどけなさすら残る高校生くらいの女の子だった。それに、さっきは小さくて失礼ながら視界にも入らなかったが、小学生ほどの小さな少年もいて、私は毛利さんを含めた三人の関係が親子であると合点する。大和さんたちがわざわざ東京まで迎えに行ったということは、きっと旅行がてら長野まで来てこの館の謎を解くのについてきたのだろう。何もこんな場所にまで連れて来なくてもと思ったが、ふたりとも毛利探偵のおかげで場数を踏んでいるのか、こんな気味の悪い部屋にもまったく動じていない様子でそのことにももっと驚かされた。

 とにかく。せっかく劉備のように賢人を招いたのだ、彼を利用しない手はない。高明くんと私は彼らに軽く自己紹介をし、そして大和さんと由衣を合わせたこの四人で現状で事件についてわかっている手がかりを整理しながら、再び毛利さんの意見を伺うことにした。スプレーで赤く染められた壁。その端に被害者が自分の親指の血で書いたサイン。はめ殺しの窓から放り出された画材道具。そして、釘付けされた白と黒の椅子。こんな部屋に閉じ込められ、餓死してしまった明石さんがこれで何を伝えようとしたのか。名探偵の見解やいかにと、全員が固唾を飲んで彼の方を見る。

 すると毛利さんはたちまち私たちがこの部屋に入る前に時間を巻き戻したかのように「わかるかって言われても……」と狼狽えだしたのだった。その様子はテレビなどで拝見する彼の印象とまるきり違っていたので、私は思わずうん? と首を傾げる。しかし、すかさず横からそれをサポートするかのように無垢な少年の方が妙に鋭い推理を披露しだしたのだった。

 その少年曰く。この事件はそもそも、館の部屋のドアが外開きであることや、葵さんの部屋に無数の本があることなどを詳しく知っていないと思いつくことすらできない事件であると言う。そして、その殺害方法から葵さんの死が明石さんによる放置が原因だと恨んでいる者の可能性が高いこと。葵さんに身内がいないのなら、それらの点を踏まえて、私たちが今、目をつけている四人の容疑者が怪しいのではないかと名指しで少年は言ってのけたのである。


「って、ことだよね? 小五郎のおじさん!」
「あ、ああ……」
「なるほど。そこまではほぼ我々と同じ見解。それをあえて口にされなかったのは、それしきの推理語るに及ばずといったところでしょうか?」
「え、ええ。まあ……」


 煮え切らないような毛利さんの態度はひとまずこの少年の顔に免じて流しておくことにして。しかし、そこから一歩踏み込んだダイイングメッセージの謎についてはまだ誰もわかってないことに変わりはなかった。一同がそれぞれ考え込む中、誰かの携帯電話に着信があったことでその思考は一時中断されてしまう。応答したのは大和さんで、すぐに驚いたようにその隻眼の傷を歪めた。


「何ィ!? そいつは本当か!?……ああ、わかった。こっちはこっちで確かめてみる!」
「どうしたの、敢ちゃ……、大和警部」
「どうもこうもねえ! その扉の内側のノブについていた指紋と、あの赤色のスプレーの指紋……てっきり害者である明石周作の指紋だと思ったが、ついていたのはコウメイ……お前と一緒に死体を発見した、お前の部下の刑事の指紋だったってよ!」
「!」


 それを聞いた私は驚いて思わず言葉を失くしてしまった。昨日、会議室にて資料に目を通したときは確かそれらの証拠品についた指紋は目下調査中であるとされ、犯人への手がかりにもなりうると思って期待していたところに、まさか全くの部外者である新米くんの指紋が検出されたと聞かされてしまったからだ。しかも、彼は今、本部の刑事から詰問されている最中であると大和さんが続けるので、高明くんと一緒になって彼をかばってやるものの頭まで痛くなってくる。これはさすがの刑事長も本当に始末書決定かもしれない。


「じゃあ、死体を発見したのはその新米刑事とふたりで?」
「ええ。別の事件の聞き込みを終えた後の車中で、この館に寄ってくれと私が頼んだんです。ここの倉庫に花を供えたいと」
「花?」
「言い忘れてたけど、大和警部とこの諸伏警部は三年前に倉庫で亡くなった葵さんと同級生でね」
「立ち寄ったのはちょうど彼女の命日。花を供えて帰る際にあの割られている窓の下に絵の具が散乱しているのを見つけて不審に思い、呼び鈴を鳴らしても返事がなく、玄関の鍵がかかっていなかったので部下とともに入ったら、部屋に閉じ込められていた遺体を発見したんです」


 毛利さんたちは、高明くんと大和さんが葵さんと同級生であることに驚いているようだった。同級生どころか、高明くんにとって葵さんは想い人であることを知った暁には、彼の見方まで変わってしまうかもしれない。

 話を元に戻して指紋の件である。部屋の内側のドアノブと、赤いラッカースプレーについていた指紋は容疑者から除外される新米くんのものを除けばつまり、被害者はおろか誰の指紋もついていなかったということになってしまった。高明くんが部屋の外で見つけた画材道具には、明石さんの指紋が検出されていたのでなぜそのふたつには被害者の指紋が付着していなかったのか。まだ解けていないダイイングメセージに加えて、謎は深まるばかりだった。


「とにかく、もう一度あの容疑者四人と会ってみてもいいかもしれませんね。今度は少々カマをかけつつ……」
「会いたきゃひとりで行きやがれ! その代わりと言っちゃなんだが、邪魔なそのガキと娘を一旦、お前の車に預かってもらおうか」


 大和さんは相変わらず粗暴な口振りで、客人である彼らのことをはっきり邪魔と言いのけてしまったのだった。そして自分は目当てである毛利探偵を独占し、事件についてもう少し詳しく話を伺いたいと言う。これにはさすがに頭にきたが、もともと名探偵は本部の客人。我々は我々の捜査に没頭すべきである。


「その四人に会ったら報告がてらそのガキと娘を俺の家に送ってくれ! どうせ大した収穫はねえと思うがな」


 そう言いながら大和さん、由衣、毛利さんの三人は赤い壁の部屋を先に後にしようとした。けれどその際、私は右腕を大和さんに大きく引かれ、一瞬、意図的に高明くんから引き離されてしまう。

 何事かと思いながらも足がもつれそうになるのを堪えて、部屋の外へと一緒に連れ出されれば。そこで大和さんがいつもと同じく真剣な顔つきで、短いお願い事をしてきたのだった。


「おい、妹。コウメイのこと頼んだぞ」
「え?」
「頼むからあいつが無茶な捜査しないように見張ってくれ。それから、例の件も頼む」


 それだけ言うと「じゃあな」とぶっきらぼうに言って私の腕を離した。例の件。つまり、高明くんを本部に戻すために手柄を上げさせろということだ。私は右手を大きく上げて去っていく彼の後ろ姿に「このツンデレめ」と笑顔で呟く。しかし、背後から同じく私の右腕を誰かが引いたので驚いてすぐさま振り返った。

 そんなことをするのは、この場にひとりしかいない。


「相棒である僕に内緒話とは、君もなかなか隅に置けませんね」
「え、そんなんじゃ……」
「わかっています。少しからかってみただけですよ」


 ふっと優しく笑う顔が何度も私が恋する顔で。私は思わず赤面して素知らぬ方向を向いてしまう。その様子を残された少年少女が事情を察してニヤニヤと顔を見合わせているとも知らずに。

「では、行きましょうか。容疑者四人への聞き込みへ」

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