46…


Phase.46 一滴の嘘


 容疑者四人への聞き込みを実施するのは、事件当夜以降、初めてのことだった。ゆえに今回は、聞き込み内容に一滴の嘘を加え、その件についてカマをかけるように質問してみようと、高明くんとふたり、車内であらかじめ入念な作戦を立てる。

 その一滴の嘘とは「殺害現場からあなたの指紋が出た」というものだった。指紋とは部屋の状況や環境にもよるが、一般的に室内において二、三ヶ月で消失してしまうものである。前回の聞き込みで四人全員がしばらくあの館を訪れていないと言っていたが、そんな現場から自分の指紋が出たと聞かされたとしたら彼らは一体どんな反応をするのか。それぞれの家を訪問する前から、その回答を聞くのが刑事としては非常に楽しみだった。

 途中、聞き込み中は車内にいるようにとお願いしていたにも関わらず、毛利家の居候であるというコナンくんと娘の蘭ちゃんが降りてきて、一緒に容疑者から事情を聞くことになったとはいえ。翠川さん、山吹さん、百瀬さんの三人は特に取り乱す様子もなく、部屋から指紋が出てきたことを不可解に思うか、指紋の残存期間を知らずに当然残っているだろうと反論するかの二局に別れた。しかし、最後に訪問したミュージシャンの直木司郎氏だけは、やはり予想通りとも言うべきか、他の三人とは様子が違ったのである。


「な、何!? アカの部屋のノブから俺の指紋が!?」
「ええ、ですから念のため確認を」
「そ、そんなはずはねえ……、っていうか、オレも前はそこに住んでたし……あ、待てよ! そーいや、半年ぐらい前に遊びに行ったな! そ、そのときにアカの画材とかにも触ったかも……? あ、アカってのは明石の呼び名で……」


 勝手に聞いてもいないことをペラペラとしゃべる彼が不審極まりなく、私はメモをとる手も止めて露骨に呆れ返ってしまう。高明くんは先入観を捨てろと言ったが、もはやここまで挙動が怪しいと不審者が服を着て歩いているようなものだ。犯人呼ばわりするにはまだ早計ながら、ここまでおかしいと何かしらの事情は絶対に知っているに違いない。今すぐにでも任意で署まで連行したいくらいには。

 その後はすぐにバンドの練習があるからと直木氏にドアを閉められ、それ以上の聞き込みを続行することは叶わなかった。私たちは彼のアパートの階段を降り、近くに停めてあった高明くんの車に乗り込む。


「今の人、おかしかったですよね」


 蘭ちゃんが遠慮なく、眉を吊り上げてそう言った。


「聞いてもいないのに画材に触ったかも、なんて。すっごく変でした!」
「私も同感だけど。高明くんはどう思う?」
「ええ、私もそう思います。ですが、明日の朝、改めてもう一度事情を聞きに来ましょう。今日はもう遅いので」


 高明くんは冷静にそう言うと、バックミラーでちらりと後部座席にいる毛利家のふたりに目配せをした。きっと真面目な彼は未成年を長時間連れ回すことに抵抗があるのだろう。特にコナンくんなんてまだ小学校一年生で、いくら警察官である私たちと一緒に行動しているとはいえ、とっくに出歩いていい時間ではない。

 連日の捜査で疲れているであろう高明くんだが、相変わらず涼しい顔をしてその後は流れるように車を発進させた。これから大和さんの言う通り、彼の家に子どもたちを安全に送り届けなければならない。私たちの帰宅は当然それ以降になるだろうから、家に着くのは何時になることやらと私は時計を見つめて、必死にあくびを噛み殺した。無性にビールが飲みたい……!


「おふたりとも、長時間付き合わせてすみませんでした。疲れていませんか? そこのコンビニで何か飲み物や軽食でも買ってきますよ」
「いえ、そんな」
「じゃあ、ボク、オレンジジュース!」
「あ。じゃあ私はビ……」
「君のビールと栄養ドリンクは却下ですからね」


 半分冗談で言おうとしたらその前に笑顔で断ち切られて、私は忌々しく運転中の高明くんを小突いた。すると、後ろの座席で天使のような笑い声がふたり分。隠すことなくクスクスと聞こえてきて、何とも気まずく私は押し黙ってしまう。冗談を言った後ならともかく、未遂のギャグで大の大人が笑われるなんてと恥ずかしくなり、それからはもう高明くんの方は一切見ずに、ただ流れる景色を眺めながら拗ねてそっぽを向いていた。その横顔を時折、彼が愛しそうに見つめているなんてことは全く知らずに。

 結局普通にアイスティーをお願いした私は、高明くんがひとりでコンビニへ降りた後、今日の聞き込みで聞いた内容を手帳に整理して丁寧に書き直していた。特に直木司郎氏のあのおかしな態度。あれをどのように大和さんに報告するか注意深く考えあぐねていると、先ほど明朗な笑い声が聞こえてきた後ろの席から遠慮がちに声がかかる。


「あの、みょうじ刑事。ちょっと聞いてもいいですか」
「うん? 蘭ちゃん、どうかした?」


 私は手帳を手にしたまま、半身を捻って彼女の方を見た。何か事件について気が付いたことでもあったのだろうか。そう思って期待したのに、彼女の口から飛び出た質問はまったく突拍子もない内容だったのである。


「みょうじ刑事って、諸伏警部とお付き合いされてるんですか?」
「はあ!? そ、そそそんなわけ……!」
「ごめんなさい。何だかさっきからおふたりのことを見ていたらすっごく素敵な関係に見えたので」


 ごめんなさいと言いつつも全然信じてなさそうに微笑む蘭ちゃんだけでなく、その隣にいたコナンくんも明らかにうんうんと頷いているので、大人なのに私は再びわたわたと赤面した。私たちは単なるバディだけれど、もしかしてそんな風にも見えているのかな、なんて。確かにここのところ、特に由衣の夫が殺された事件があった頃からは目に見えて高明くんが私に尽くしてくれているような気がする。「真心を尽くす」と言った、あのときの台詞を実行するかのように。けれど、相変わらずその行動原理が今の私にはよくわからないままで、戸惑いながらも深く考えずに流してしまうことの方が多かった。

 それにきっと、蘭ちゃんたちは同僚以前の私たちの関係性を知らないからそんなことが言えるのだ。だから私はこの際、彼らにきちんと前置きしておかなくてはならないと、高明くんとの馴れ初めについて説明するのである。


「彼と大和さんと葵さんが小学校からの同級生で幼馴染だったように、私も高明くんとは実は幼馴染なの。小学校のときの親友のお兄さんで、ずっと勉強とかも見てもらっててね」
「そうだったんですね」
「事情があってその親友は東京に越しちゃったんだけど、高明くんは大学入学まではこっちに残ってたから。週一回は図書館で一緒に勉強会してたんだよ。彼、東都大首席で頭良くて」
「へえ。それで、好きなんだ? 諸伏警部のこと」
「ま、まあ。ソウデスネ……」


 あまりにも無垢にコナンくんが尋ねてくるので、警察官が子どもに嘘を吐くわけにもいかず、私はしどろもどろにそれを肯定した。すると、蘭ちゃんが歓喜のあまり小さく悲鳴をあげて、まるで友人のように嬉しそうに目を細めるので余計に居た堪れなくなってくる。というか、今日が初対面の人に、なんて話をしているんだろう。一瞬で我に返った私は、暑くなってきた自分の体温を逃すかのように手で顔を仰ぎながら助手席の窓を開け放った。

 そして、そんな後悔ついでに、この恋が容易に叶うものではないと言い訳するみたいに初対面である彼らに話だしてしまうのだった。


「でも、彼、ずっと好きな人がいるから」
「え?」
「ほら。三年前に亡くなった小橋葵さん。彼女のことだよ」


 私は彼らの方を見るのをやめて、何もかもを諦めるみたいに目の前にある閉まったままのグローブボックスを見つめた。そこをわざわざ開けて見なくても、その中に一冊、葵さんの本が大切にしまってあることを私は知っている。こうして持ち歩くくらい大切にしていることも、命日にわざわざ花を供えに行くのも。あと、この事件を躍起になって解決したがるのも、みんなそう。全部が葵さんのためなのだ。私への急に尽くすような行動の理由はわからないくせに、彼女への想いの強さは高明くんをずっと見てきた私だからわかってしまう。それに、亡くなってもなお、私が葵さんに勝てるところなんて残念ながらひとつもないから。

 だから私は耐えきれず、記憶の鞄にずっとしまってあった大切な思い出を取り出して吐露してしまうのだ。十年以上前の、あの春の日に負った傷のこと。


「こんな話、今日初めて会ったあなたたちにするのもなんだけど。私、十年くらい前、高明くんに大きな隠し事をしていて一度こっぴどく彼に見放されてしまったことがあってね。そのときに『君は警察官に向いていない』ってハッキリと言われたの。今でもふとしたとき、そうかもなって。自分でも思ってしまうくらい」
「みょうじ刑事……」
「でも、それで喧嘩別れしてひとりで泣いていたら、たまたま葵さんが通りかかって声をかけてくれたの。『どうしたの?』って。そんな人の痛みを理解したがる優しい人だったから、葵さんって、みんなに好かれて当然の人だったんだよ」


 私はそんな昔話をしながら、彼女のことをひどく懐かしんだ。今でも惜しい人を失くしてしまったと本気で思う。あんなに女神のように優しい人はそうそういないだろうし、高明くんがもっと真剣にアタックしていれば結婚前に彼女の心も動いたかもしれない。そうなれば葵さんは軍師のような高明くんに守られて未だに存命で、こんな事件も起きなかった。私だって手放しで彼らのことを祝福して、違う誰かに恋ができたかもしれない。そんな、どうしようもないことを胸が引き裂かれてしまうくらい切なく考えてしまうのだ。

 しかし、その郷愁にも似た感情は、助手席の窓から覗き込んできた彼によってどこか遠くへ飛んでいってしまう。


「初耳ですね、その話」
「た、高明くん……!」
「ぜひ後ほど詳しく当時の話を聞かせてもらえませんか。彼らを送った、その後で」


 私はとっさに血の気が引き、高明くんのことが好きだ何だと言う部分は都合よくカットされていることを願った。いや、そもそも私は自分の口で高明くんのことが好きって言ったけ? コナンくんに聞かれたから相槌として頷いただけだったっけ? 今しがたのことなのにもはやパニック状態で、記憶が曖昧になっている自分が滑稽だった。

 ゆえに、後部座席にいた天使ふたりがヒソヒソとしている噂話は聞こえてこない。

「ねえ、蘭姉ちゃん。諸伏警部も、絶対、みょうじ刑事のこと好きだよね……?」
「う、うん。絶対そうね……」

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