47…
Phase.47 それが私の大きな幸せ
大和警部の家まで蘭ちゃんとコナンくんを送った後、私は今まで誰にも明かしたことのなかった葵さんとの記憶を高明くんに聞かせるために、まるで宝石でも掘り起こすみたいに丁寧に当時のことを回顧した。十年上前の春、今はもう移転して無くなってしまったあのレストランで。高明くんから手酷く言われてしまったそのすぐ後に、偶然通りかかった葵さんが見捨てることなく店の中まで私の様子を心配して来てくれて、背中をさすってくれたあの暖かさがずっと忘れられない。
『どうしたの? 何かあった?』
あんなに泣いていたのに、その最たる原因である予知夢のことは結局、葵さんにも言えなかった。けれど、彼女は無理やり聞き出そうとはせずに、ただ私の「高明くんが」という上ずった声で何となくの事情を察してくれたのだと思う。それから「もう警察官を目指したくない」と大泣きして困らせる私に、彼女がプレゼントのような言葉をくれたのだった。
『やめたければやめればいいし、目指したいなら目指せばいい。あなたの夢はあなただけのものなんだから、誰にも配慮することなんてない』
『ただ、少しでもやめて後悔すると思うなら絶対に諦めない方がいい。だって、もう一度目指すことは難しいことだけれど、諦めて捨てることはいつだってできるんだから』
きっと私相手に初めて小説家になる夢を打ち明けてくれた彼女だったからこそ、私のことを強く励ましてくれたに違いなかった。そして高明くんとの間に生まれた確執さえも見透かして、葵さんは再び私に優しい言葉をくれる。
『自分の気持ちに正直にいればいい。あなたはいつだって素直でいていいのよ』
「あの日、高明くんに『向いてない』って言われて、正直もうやめようと思ったの。だって、警察官になったら高明くんに会うのも気まずいし、すごく向いてる訳じゃないっていうのは自分でもよくわかってたから」
「……」
「でも、葵さんが背中を押してくれたから諦めたくなかったの。彼女にここまで言われて、もしやめてしまったら、後で絶対に後悔するときが来るって。そう思ったから」
本当はさっき話を聞かれてしまうまで、高明くんにこの話をするつもりはなかった。だって気にしちゃいそうだし、それにもう謝ってくれたことだから私も特に気にしていない。あの出来事があったから今があって、警察官になれてすごくよかったと思っている。だってもう一度、高明くんに会えた。
けれど、話をするのならいっそ堂々と言いたいし、最後まで真剣に聞いてもらいたい。私と葵さんの間にあった、すべてのこと。
私はそこまで話すと、家まで送り届けるために運転しながら耳を傾けてくれていた高明くんの横顔を見つめてはっきりと言う。
「だから、私が今、警察官をやってるのは、葵さんのおかげ」
警察学校時代の訓練は毎日泣きたくなったし、新人の頃はたくさんミスもした。本部に行けなかった自分に不貞腐れていたときも確かにあった、けれど。今となってはそれも全部いい思い出で、雨上がりの晴れの日みたいにキラキラと眩しすぎるくらい輝いて見える。
それから胸を張って、また高明くんにも会えた。あのとき諦めていたら、今もきっと、永遠に会えないままだっただろう。再び重なってしまった出会いを、そんな風に愛しく思う。
聞かせてと自分から言ってきたくせに、高明くんはやっぱり私の話を聞いてもしばらく何も言ってはくれなかった。まあ、それは大概いつものことなので私は気にもせず、黙って真っ暗な家までの道のりを眺めている。けれど、あまりにも沈黙が続くから。後ろの席でもう笑う人もいなくなったことをいいことに、さっき叩いた肩をもう一度小突いて「何か言ってよ」と睨んだ。
「すみません。ただ、彼女に感謝していたんです。僕が勝手に突き放して、君が夢を諦めてしまう可能性の方が高かったのに。彼女が偶然にも君のことを見つけて声をかけていなければ、今、君が僕の隣にいることもないのかと思うと……それは運命と呼ぶに差し支えないのかもしれませんね」
運命。彼の口から、そんな言葉が出てきたことを私は単純に驚いていた。そしていつかしてくれたように、彼の左手が私の髪を甘く梳くから。その手のひらに、猫みたいに頬を寄せてみたくなる。
「君のような優秀な人を傍に置いておける僕はきっと幸せ者です」
「や。やだなー、もう……。絶対、お世辞でしょ」
「本気ですよ」
そう言って、高明くんがちらりと私の方を見る。口元は優しく微笑んでいて、そのまま思わぬことを言い出したのだ。
「なまえ」
「ん?」
「この事件が解決したら、改めて君に話したいことがあります。聞いてもらえますか」
話したいこと。そう言われて当然思い出すのは、今しがた話したばかりの、十年以上前のあの春の日のことだった。私はとっさにどんな反応をすべきかわからなくなり、ひとりで百面相してしまう。
「え。いいけど、何? 怖い、え、怖っ! もしかしてまた……?」
「心配しないでください。もう君を否定したり、傷つけたりするような話ではないですよ」
「じゃあ、今、言ってよ」
「今はダメです。先日、反省したばかりなので」
「?」
そんなこと、何かあったかな。私は最近の出来事を首を傾げて考えてみるが、生憎、何も思い当たらなかった。一方の高明くんは私が忙しそうに表情を変えているのをニコニコしながら見ているので、その余裕に腹が立ってきて思わず私は悪態をついてしまう。
「もう、ケチ」
「……」
「何? 人のことジロジロ見て」
「いえ、可愛いなと思って」
「なっ……」
またそうやって石ころ相手にさあ……。明らかに揶揄われたことを恨めしく思いながら高明くんをジロリと見ていれば、彼は緩やかにブレーキを踏んだ。気付けばもう家の前まで着いていて、道順を言わなくても覚えてくれたんだ、と感動してしまう。
すると、さっき冗談で私のことを「可愛い」と言った彼の口が手のひらを返すような言葉を紡ぐのだ。
「さ、これ以上、君と一緒にいたら口が滑ってしまいそうなので。さっさとここで降りてください」
「ねえ、ずっと思ってたんだけど小さい頃からスパルタすぎない?」
「ははっ」
久しぶりに声を出して笑ったのを聞いたけれど、まるで屈託のない少年のように可愛くてドキドキした。そして私は降りる際に、一瞥したグローブボックスに向けて謝罪をする。葵さん、なかなか素直になれなくてごめん。やっぱり私、高明くんのことを好きでいること、諦めないことにするよ。彼が誰のことを好きでもいいし、自分がどれだけ傷ついてもいいから。
ただ、この人が笑顔でいてくれるなら。それが私の大きな幸せなんだって気が付いたんだ。
「じゃあ、いい話を期待してるね」
「ええ。おやすみ、なまえ。いい夢を見てください」
「うん。明日も頑張ろうね!」
そう言って彼を見送るために手を振った後、夜も遅くてパンプスを履いた足は浮腫んで痛いくらいだったのに、どこかすごく清々しかった。もう気持ちに嘘はつきたくない。素直でいたい。それが葵さんからの教えとして、これからもずっと胸に抱いていくよ。
「高明くん、大好き」
小さくなっていく車に向かって、そう呟いた。たとえこの気持ちが届かなくても、心の底から噛み締めるみたいに幸せだった。