07…


 その日は目が覚めたとき、珍しく夢の内容が思い出せなかった。いつもなら夢に見たことをそのまま絵に描けそうなほど鮮明に思い出せるはずなのに、その日に限ってなぜかどこにその記憶自体があるのかわからない。半身を起こしてしばらく「何だったっけ」と寝ぼけながらうずくまり、目を閉じて記憶の中をかき分ける。絶対に当たるという確証はないが、あれが予知夢であれば何か嫌な夢だったような気がする。

 ま、いいか。嫌な夢なら忘れている方がマシなのかもしれない。そう持ち前の明るさでベッドから飛び降りて、モヤモヤの雲を吹き飛ばすみたいに一気にカーテンを開けた。足元には以前、県境の山に一緒に行った相棒のリュックサック。空は快晴。絶好の遠足日和。むしろかねてから楽しみにしていた遠足の予知夢なんて、そんなに必死に見たいものでもない。私はそんなことを思いながら、いっそ気分よく窓も開け放って思い切り外の空気を吸い込んだ。


「ヒロと有里ちゃんと一緒に、飴でも食べよう」


 リュックサックの中にはいつの間にか大好きになった、例の棒付きキャンディが三本。高明くんと約束したから、まずは私にとってのヒーローである親友たちにお配りしよう。そんな気持ちを持ったまま、私は鼻歌まじりに顔を洗いに下階に降りた。




Phase.07 その意味を知る



 遠足は学校からバスで一時間ほどかかる、大きな運動公園だった。それぞれみんな小学生になってから初めての校外学習で浮き足立ち、バスの中はキャッキャと楽しげな笑い声に溢れている。私はいつも通り有里ちゃんの隣。そして通路を挟んだ向こうに景光が同じクラスの男の子と一緒に座っている。みんなさっそく持ってきたお菓子をつまんだりして楽しんでいる一方で、窓の外を眺める隣の有里ちゃんの表情はなぜか暗かった。


「どうしたの?」
「えっ」
「まだ具合よくない?」


 私の問いかけには首を振るものの、有里ちゃんの顔は一向に晴れない。一体どうしたんだろうと、こちらの方が心配になっていれば、それを察したのか、有里ちゃんがその理由をおずおずと話し出した。


「実はね、今朝、お父さんと喧嘩しちゃったんだ」
「え、なんで?」
「ほら、最近休みがちだったから、すごく心配だったみたいで。今日の遠足もお休みした方がいいって言われて、怒っちゃって」


 私には彼女が怒る気持ちがよくわかった。小学生になって初めての遠足なのに、休むことを強制されることがどれだけ辛いことなのか。でも反面、体調には逆らえないところもあるし、難しい問題だなと思う。


「あのね、なまえちゃん。実はうち、お母さんがいないんだ。父子家庭、っていうのかな。私が二歳のときに、おばあちゃんと交通事故でふたりとも……」
「そうだったんだ……」
「それからはお父さんひとりで私のこといろいろしてくれて。だから余計に心配なんだと思う。それがなんだか窮屈に感じちゃって、もうこんな家帰らないって、勝手に怒って出てきちゃった」


 今にも泣きそうな顔でそんなことを言う有里ちゃんに、私はかける言葉が見つからなかった。景光も一応こちらの話を聞いていたようで、チラチラと気遣いの視線を向けてくれるが、同じく何と言っていいのかわからないらしい。そのうち、ごめんねこんな話、と全然悪くもないのに萎れたまま謝って、笑って済ませようとするものだから、私は何の宛てもないくせに思わず有里ちゃんの柔らかい手を取って、ぎゅっと強く握った。


「なまえちゃん?」
「……話してくれてありがとう」
「えっ」
「だって、すごく勇気いったと思うから。誰かにそういう話するの」
「なまえちゃん……」


 有里ちゃんの目尻に涙が溜まる。景光も相変わらず何も言わなかったが、無言のまま頷いて微笑んでいるらしい。


「有里ちゃん。私ね、そういうときに元気が出るとっておきのモノ、持ってるよ」
「え、何?」
「じゃーん!」


 そう言ってわざとらしいくらい元気よく取り出したのは、彼女にいつかのタイミングで渡そうと思っていたいちご柄の包装紙に包まれたピンク色の棒付きキャンディ。だけど、これはただのキャンディじゃない。高明くんからの受け売りだけど、とびきり元気が出る特別な味のキャンディなのだ。


「ありがとう、なまえちゃん!」


 そう言って有里ちゃんは私に抱きつく。お返しに私もぎゅっと抱きしめ返すと、少しだけ彼女の体温が熱いような気がした。


「……ねえ。有里ちゃん、もしかして熱ある?」
「ううん、ないよ」
「……」


 あまりの即答に、無理していることを一瞬で察する。後で、先生あたりに報告しておいた方がいいかも。そう思いつつ、ひとまずは私も有里ちゃんも一緒に仲良く包み紙を開けて特別な味のする飴を頬張った。





 でも結局遊んでいると、そんなことはつい忘れてしまい、三人でワイワイ楽しみながら公園内をうろうろと散策して過ごしてしまっていた。あれから景光の手にも無事に飴玉は渡り、ひとまず今日の個人的ヒーロー活動は終了ということになる。私は先日、高明くんとした話をふたりにして、彼のファン活動にも精を出しておいた。きっと、今頃高明くんは噂でくしゃみが止まらないだろう。


「ヒロくんのお父さんは家ではどんな感じ?」


 公園にあった石のベンチに有里ちゃんが先に座り込み、私も景光も彼女を囲むように隣に座った。きっとバスの中で話していたことを景光にも話したいと思ったのだろう。景光のお父さんはこの学校の先生で、私たちのクラスの担任ではないが今日も引率してくれているので探せばどこか傍にいるはずだった。有里ちゃんとは少し境遇が違うものの、男手ひとつで育てられている彼女には別家庭の父で自分もよく知る人物という諸伏先生の存在がとても興味深い対象らしい。


「厳しいけど優しいよ。休みの日なんかはたまにキャッチボールしてくれるかな」
「いいな。何だか想像つく。諸伏先生怖いけど優しいよね」
「うん。じゃあ、喧嘩とかはする?」
「うーん、あんまりしないかなあ」
「ヒロの性格がおっとりしてるから、怒らせることがあんまりなさそうだよね」
「そっかー」


 私はそのとき、急に妙な感覚に苛まれた。あれ、これ何だっけ。この話、確か前にしなかったっけ?


「いやいや! この前、帰りが遅くなってすっごく怒らせたよ。兄さんと一緒になって理詰めでちょっと怖かったな」
「あはは、そういうときはどうするの?」
「素直に謝る。これが一番!」


 そんな不気味な既視感を抱きながらも、私は違和に逆らうことなく普通にふたりの会話を聞き続ける。この前もこんな話をしたような、してないような。

 有里ちゃんはいつの間にか額に、大粒の汗をかいていた。


「ヒロくんには言ってなかったけど、今朝、私、お父さんと喧嘩しちゃったんだ」

 あれ? やっぱりこの先のこと、私、知ってる。

「聞こえてたよ、バスで」

 そっか。この話は、前にしたんじゃない。ごく最近したんじゃなかったっけ?

「ムカムカして、もう帰らないなんて言っちゃったけど、でも今は何だかお父さんに会いたくなってきちゃったな」

 そうだ。ちょうど、今日見た。

「有里ちゃん?」

 あの夢の中で。 

「遠足から帰ったら、お父さんに謝らなくちゃ」


 そう言った途端、有里ちゃんはふらっと私にもたれかかるように目を閉じて苦しそうに倒れ込んだ。ものすごい熱だった。私は気が動転しているのと、モヤがかかっていた予知夢の霧が突然晴れたことによる動揺で金縛りみたいに動けなくなってしまう。景光が慌ててベンチから立ち、どこかへ助けを求めに行くのがコマ送りに見えた。

 私はこの後の展開を知っている。恐ろしくて、信じたくない展開が。


「諸伏先生!」
「外守さん、しっかり! だめだ、意識がない。誰か救急車を!」
「待ってる時間が惜しいです! すぐ近くに病院があるから、そこまで運びましょう!」
「外守さん、外守さん! しっかりして!」


 その後、代表して諸伏先生が有里ちゃんを抱き抱えて病院に走っていく姿を、私は未だに動けない体で呆然とその場から見送った。パニックになっていた景光も徐々に落ち着きを取り戻し、父さんに任せていればきっと安心だから、と私の背中を抱いて声をかけてくれる。けれど、そんなものは気休めにもならなかった。私は気が抜けたように座ったまま、最後に有里ちゃんが寄りかかってくれたときに受け取った熱が冷めていくのが嫌で、じっと自分の腕を抱き締める。

 そのときに気がついた。私は小刻みに震えていたのだった。


「なまえちゃん、どうしたの」
「夢が」
「え?」
「……」


 私がその続きを口にすることも、有里ちゃんがその後帰ってくることも、もう二度となかった。夢に見た通り、彼女が虫垂炎の悪化で亡くなったと学校に帰ってから集会が開かれたとき、私はおばあちゃんが言っていた意味を初めて知ることになる。

『いつかなまえちゃんがもし未来を夢に見たら、おばあちゃんみたいに、人に話すのはやめておこうっていずれ思うようになるはずだから』

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