09…

 高明くんと話をしてから数日後、私は再び学校に登校できるようになった。周りの先生や景光は心配そうな視線を向けてくれたけれど、その心配を跳ね返すように何とか明るく振る舞えるよう自分なりに努めている。それが努力のひとつかなとも思うし、それに、その方が有里ちゃんも喜んでいるような気がして自己満足ながらも少し気持ちが晴れた。

 有里ちゃんがくれた虹のシールを貼ったカメラもようやく現像に出して、例の写真は焼き増しして景光に渡した。すると、彼女に見せることは叶わなかったから、次に秘密基地に向かうまでの数日間だけミッちゃんの分の写真を有里ちゃんの机の中に入れておこうと景光が提案してくれて。私はもちろん大賛成で、親友が言った通りその写真を彼女の机の中にしまう。あと、摘んできた花と、貸そうと思っていた本と、ずっと友達だよと書いたメモ用紙も一緒に入れて。ふたりしてその満足感に顔を見合わせて何度も笑った。

 すると、それを知ったクラスの子たちが意外なことにどんどん真似して、さらに噂を聞きつけた違うクラスの子たちからも贈り物が届くようになった。私も景光も負けじと、メモ用紙に日付入りで日記のような手紙を毎日書いて入れていたら、いつの間にか彼女の机は小さなプレゼントでいっぱいになっている。それを見た私たちはさらに嬉しくて、山のようなプレゼントを前にまた顔を見合わせて笑った。


「そういえば、なまえちゃん。前ほど予言出なくなったよね」


 担任の先生から責任持って有里ちゃんの机の上の整理係に任命された私たちが、放課後、嬉々としてその仕事を全うしていると、景光が突然、私に向かってそんなことを言い出した。私は一瞬手が止まるが、すぐに気にも留めていない素振りで整理の続きに着手する。


「そうかな?」
「うん。前はバンバン当たって怖いくらいだったよ」
「当たっても別にいいことないからね」


 私はそう言って、以前は頼っていた予知夢をわざと蔑ろにするような発言をしておいた。景光は首を捻っているけれど深い追求はしてこず、そういうものかな、と適当な返事をしている。

 景光にはああ言ったものの、実は、あれからも相変わらず夢は頻繁に見続けていた。けれど、重要なこと以外はあまり気にすることがなく、無理に気負わない生活をしている。そのくらいが私にはちょうどいいような気がして、ますます誰かに予知夢のことを話す気は失せていた。まさしくおばあちゃんの言う通りだった。

 午後五時。下校の音楽が流れ始め、私たちは手を止めて帰り支度を始めた。私は先にランドセルを持って、景光に断ってからちょっとトイレに立つことにする。そこで鞄の中を再度チェックしてラッピング袋に藍色のハンカチが入っていることを確認し、さらに自分の前髪も注意深く分け目を確認した。

 今日はこの後、高明くんに会う夢を見たのだ。それを思い出すだけで、緊張で少し顔が熱くなる。高明くんに会うのはあれ以来、初めてのことで、前触れもなく突然訪れた好機に私は胸が高鳴っていた。実はこの度、ハンカチを渡す以外にどうしてもひとつだけ確かめたいことがあったのだった。




Phase.09 どうしても確かめたいこと



 高明くんに会うのは、景光との帰り道の途中ではなく、彼と別れてからわざわざ立ち寄った本屋さんでのはずだった。夢の中の私がどうして本屋に行ったのかはわからないが、とにかく私は景光と別れてからコソコソと踵を返し、はやる気持ちを抑えてその場所へと急ぐ。

 店内をぐるりと一周すると、難しい参考書コーナーに見知った背中を見つけ、私は緊張しながらその背に話しかけた。


「た、高明くんっ……!」


 しまった、ちょっと声がうわずったかも。けれど、彼はそんな失敗を指摘することもなく私に気付き、すぐに親友に似た顔で頬を緩ませる。


「なまえちゃん。久しぶり、元気そうですね」
「うん。前よりは、ちょっと」


 少しだけ気まずい空気が流れ出し、何となく居心地が悪くなる。私はそれを打開するために、さっそく今朝ラッピングしてきたハンカチを彼に向けて手渡した。


「あ、あの。ハンカチありがとう」
「いえ。しかし、こんなラッピングまでしてくれずともよかったのに」
「お菓子も一緒に入れたくて」
「……そうですか。ありがとう」


 では遠慮なく受け取ります、と彼は手首を返して袋の裏側を見る。今朝、夢を見てから慌てて袋詰めしたから家にあった単なる個包装のチョコチップクッキーだったけれど、感謝の気持ちを表するためには何かを一緒に入れなくては気が済まなかったのだ。

 私はえへへと照れ笑いして、じゃあと気軽に今日のところはその場から立ち去ろうとした。確認したいことは一旦保留にするとして、今はとりあえず渡せただけで満足だったからだ。けれど、高明くんはハンカチ片手に怪訝な顔をして、ふむと何かを考え込んでいるらしい。私はその表情が気になって、何かヘマをしてしまっただろうかとたちまち不安になってしまった。


「どうかした? え、もしかしてハンカチ間違ってたとか……?」
「いえ、そうではなくて。もしかして先ほど、どこかですれ違いましたか?」
「え?」
「まるで僕がここにいることをわかって持ってきてくれたように感じたので」
「あっ、それは。え、えっと……」


 確かにそうだ。幼い私は高明くんに会えることが楽しみで、居場所の整合性について深く考えていなかった。洞察力の高い彼がそれに気付くのは当然で、私は何と答えてよいものかわからなくなる。まさか予知夢で見たから、とは口が裂けても言えない。


「い、いつ会えるかわからないからずっとランドセルに入れて持ってたの!」


 とっさに出た返答としては、我ながらいい言い訳だと思った。私は苦笑いをしながら、赤くなってくる顔を必死に隠す。それを高明くんがどのように見ていたかはわからない。


「チョコレートのお菓子を、ずっとランドセルに、ね……」
「え?」
「いえ。よければ一緒に帰りますか。僕ももう帰るので」
「あ、うん。高明くんがよかったら」
「では、会計を済ませてきます」


 そう言って、一冊の分厚くて赤い参考書を手に取ってレジに持っていく。東都大学って書いてあるような気がするが……。もしかして本当にあの有名な東都大学を目指しているのだろうか。小学生でよく物事を知らない私でも知っている難関大学に驚きつつ、高明くんなら当然かという気もしてくるから不思議ではない。


「勉強の本、買うの?」
「ええ、まあ」
「私も少し見ようかな」


 そう言ってキョロキョロと見渡してみても、今の私には文字よりも絵の方が多いようなシール付きのドリルくらいがお似合いだった。高明くんみたいになりたければ、いずれ東都大学の赤本も必要になってくるのかもしれないが、今は気が遠くなるだけだろう。勉強はそんなに得意でもない。


「勉強なら僕が教えてあげましょうか」
「えっ」
「たまに景光の勉強も見てやってるので」


 ただかなりスパルタですけど、と冗談か本気かわからないようなことを平然と言ってのけるので、私は怖気ついて首を激しく横に振った。


「スパルタはちょっと……。それに、高明くんの邪魔したくないし」
「むしろいい気分転換になりそうですけどね」
「う。でも、とりあえずもうちょっと自分で頑張ります」
「気が変わったらいつでもどうぞ」


 高明くんはそう言って目を細め、いつも通り私のことをからかうように笑った。その視線に少しドキッとする。

 この前、秘密基地から帰ってきた頃からだろうか。私の中に、高明くんを特別に慕うような新しい感情が芽生えつつあるような気がしていた。今日はそれを確かめるために前髪を整えてここに来たけれど、やっぱり、それは勘違いじゃないかもしれない。

 私はたぶん、高明くんのことが好きだ。

 自覚すればこんなにもしっくりくることはない。しかし、だからと言ってその想いをどうこうする予定がないことも事実だった。

 だって、彼には。


「あ、諸伏くんとあのときの!」


 そう言ってちょうどよく背後から手を振ってやってくるのは、清楚な薄い青色のワンピースを身に纏った彼の想い人。


「小橋さん、奇遇ですね」


 彼の声のトーンが上がった気がして、私はちりちりと胸のどこかが痛んだ。それで、すぐに高明くんから一歩離れて、少女漫画より素敵なふたりを苦々しく傍観する。小橋葵さん。高明くんの想い人。ふたりはすぐに自分たちにしかわからない共通の話をし始めて、楽しく談笑を始めてしまうから私は黙ってもう二歩後ずさった。

 いや、わかってたから。別に自覚したところで、何かが始まるわけではないことなんて。

 そうとわかればもうこんなところにいたって仕方がない。もうすぐあるらしい林間学校の話題で盛り上がるふたりの間を遠慮気味に割って入って、私はペコリと頭を下げる。


「私、お母さんに怒られるから先に帰るね」
「すみません、少し待ってください。会計したら一緒に……」
「ううん、大丈夫! 小橋さんも、じゃあ」


 できるだけ元気よく挨拶して、できるだけ元気よく走り出した。変な子だって思われるのは、もう慣れっ子だった。

 書店を出ても走る足は止めない。お店のウインドウに映る私の前髪は、いつ見ても笑えるくらいボサボサだった。





 書店の参考書コーナー付近に取り残されたふたりは、不審な様子で走って逃げた少女の行く先を呆然と見送っていた。ただ、小橋葵だけは何となく彼女の不可解な行動の理由を悟って、つい苦笑いが溢れてしまう。三人で楽しく話そうと声をかけたのはよかったのだが、高明が悪気なく林間学校の話を振ってきたので仕方なく。きっと彼女には大きな疎外感を与えてしまっただろう。そう考えると、本当に申し訳ない。


「諸伏くん、それは?」


 話を変えようと、小橋は友人の手に握られたハンカチの入った透明の袋を指差した。


「ああ。さっきあの子に貸していたハンカチが返ってきたところで」


 高明はその袋の口を縛っていた黄色のリボンを解いて、中から貸していた藍色の自分のハンカチを取り出した。すると、一枚のメモ用紙がひらりと花びらのように小橋の足先に落ちる。


「可愛い。お手紙入りだったのね」


 はい、どうぞ。そう微笑む彼女から手渡されたメモ用紙に、高明は微笑む反面、またも違和感を抱いた。

 彼女が書いたメッセージは「ハンカチ、ありがとう!」で特段おかしいところはない。けれど、メッセージの下、名前と一緒にカラーペンで書かれた日付。それは、近頃なまえが有里への手紙を書くときの癖で入れてしまったものだったのだが、間違いなくそれは今日のもので。それがやはりどう考えても、今日会うことを予想していないとできない芸当だったのである。

 - back/top -