宴が終わったのは、もう夜も深くなった後だった。俺は少し回りすぎた酔いを覚ます為、1人決闘の会場にもなった庭に出た。不正があったと錬や樹は言うけれど、俺が負け職の盾に負ける訳ない。庭を見ていると、段々ムカついてきた。

「クソッ」

 やっぱり戻ろうか、そう思った。月の下、空に手を伸ばす少女を見つけるまでは。
 壁の影に紛れ、人知れず佇むその姿は神秘的で、柄にもなく見惚れて動けなかった。月に向かって伸ばされた腕には、淡く光る幾何学模様が刻まれていて、呼吸する様に瞬いている。

「どうかされましたか、勇者様」

 声をかけられた事で、透き通った瞳が俺を映しているのに気付いた。輝きをやめた腕は降ろされ、いつも通りの自称人形の少女がそこにいた。
 波の時も、さっきの決闘の前も、彼女は尚文といて、心做しかその表情は穏やかに見えた。仮面の様な面持ちを崩したのは、俺が見た限りあの夜の涙だけ。唯一の表情を見たという、誰に対してかわからない優越感と、彼女に好意的な感情を向けられた尚文に対する劣等感。決闘で感じた物とは比べ物にならない情動が俺の中を駆け巡る。

「えっ……と……何してんの?」

 やっと出てきた声はくだらない世間話。本当に聞きたいのはこれじゃない。けど、波との戦いが終わった時に、空を切った手のひらがとても寂しく思えて。少しでもシーセの傍にいたい、そう願ってしまう。

「勝手をしてすみません。少々魔法を使い過ぎたようで、外から魔力を吸収していました」
「魔力を吸収? そんな事できるのかよ」

 もし、外から魔力を吸収して回復できるなら、半永久的に魔法を使えるんじゃないか? そしたらかなりの戦力増強になる。

「それさ、俺にもできる?」
「いえ……不可能かと思われます。わたしと勇者様では、体の構造が違い過ぎますので」
「構造ねー……」
「はい。わたしの内部にある魔力回路を内側から外側に切り替え、魔力を持つ対象に接続して吸い出しています」

 説明をしながら、シーセは腕にさっきの幾何学模様を浮かび上がらせる。これが、魔力回路って奴なのかな。上に向けられた手のひらに、俺の手のひらを重ねる。すると、シーセの体が大袈裟に跳ね、何かを押さえつけるように強ばらせた。

「とっ、突然触られると……驚いてしまいます」
「なぁシーセ……俺、シーセに嫌われるような事した?」
「そのような事は何も」
「じゃあ、何に怯えてるんだよ」

 イライラする。会って2日にも満たない少女に、なんでこんなに必死になってるんだ。シーセが俺に何かを隠しているのも、尚文とばかり仲良さそうにしてるのも、全部イライラする。
 無意識に力の籠った手に、シーセは耐え切れずに白状した。

「男性が、怖いです」

 あの夜と同じ、震えたか細い声。俺がいなかったあの時に、誰か知らない野郎がシーセに何かした。そういう事なのか。
 シーセは白状した事で、堪えていた震えが治まらなくなってしまう。こんなに追い詰められているというのに、彼女はそれ以上は言ってたまるかと唇を噛んだ。
 俺の周りには自己主張の強い女の子が多かったから、何もかも自分で飲み込んでしまう子に、どうすればいいのかわからなくて声が詰まる。何を言えばいい? 何を言えば正解だ?
違う、俺はーー。

「シーセを、守りたい。俺がシーセを守るから、だから……傍にいていいか?」

 シーセの震えが伝染ったのか、俺の手も微かに震える。シーセは目を見開いて重なる手を見つめて、顔を上げる。絡まる視線に少女はゆっくりと目を細めた。笑ってない。その顔はピクリとも表情を動かしてはいない。けれど、細められた瞳に微笑みを感じてつられて笑った。

「勇者様も、震えてますね」

 握り返される手に、良い返事が貰えたと舞い上がる。だから、この時のシーセが静かに恐怖していた事に気付けなかった。

「世界を救ってください。それができるのは、四聖の勇者様だけ」
「え、俺は君を……」

世界わたしを守ってくださるのでしょう?」

 解かれたのは手のひらだったのか、それとも俺の心だったのか。俺は確かにここで、笑えない彼女に惹かれ始めたんだと思う。

「もちろん」

 俺の答えを聞いたシーセは月明かりの下に踊り出て、もう遠い過去のように感じる服屋の時と同じく、ヒラリとスカートを翻して回った。

 1人踊る少女は確かに人形のように美しかったが、その心は人間のように不完全。ちぐはぐで歪な存在がなんだか寂しく、魅力的で、手を伸ばしてもするりとすり抜けて逃げてしまうのが愛しく感じた。

「頬のヒビ、治らないの?」
「魔力が足りないので塞ぐのが難しくて」

 完璧だった顔に付いた傷が気になる。波との戦いで付いたらしく、一緒に戦っていた尚文は何をしていたんだ。女の子に怪我をさせるなんて。試しに軽く回復の魔法、ヒールをかけてみるが、一向に治らない。

「そうだ、俺の魔力を吸えないか?」
「勇者様の魔力を、ですか? 勇者様が拒否しないのなら、できるかもしれませんが……そこまでご迷惑をかける訳にはいきません」
「いいから、ほら」

 淡く地面を照らす月の下に俺も出て、シーセの手をまた握る。シーセは俺に驚かないで握り返してくれる。少しでも多く魔力をあげたくて、魔法を使う時みたいに体内の魔力を練る。練られる魔力を感じたシーセは、また腕に幾何学模様を浮かばせた。

「では、失礼します」

 頬にまで届く幾何学模様を輝かせて魔力を吸う。光に合わせて体から何かが吸われていくのがわかる。視界に浮かぶステータスでも、SPの数値が減っていく。頬の傷が塞がって消えても、俺は手を繋いだままシーセに見入った。

「あの、直りました。ありがとうございます。だから、その、手を……」
「俺さ」
「はい?」
「城のパーティって踊ると思っててさ、ちょっと楽しみにしてたんだよ」
「そうでしたか、それは残念でしたね?」
「うん、だから」

 左手を腰に移動させて、シーセを引っ張る。実際のところ、踊り方なんて知らないし、別にさっきのパーティで踊りたいなんて思ってない。

「今踊ろう」

 きっと、今シーセと踊ったらすごく楽しいだろうなって思ったんだ。適当に左右に揺れるだけのなんちゃってダンスだったけど、この時の思い出を絶対忘れない。

 君も、忘れないで。



 俺が踊り疲れるまで続いたシーセとの時間も、寝る時間が無くなってしまうと言う彼女の言葉で終わりを告げる。

「勇者様は寝なくては明日に響きます」
「ああ……残念だけど」

 手を繋いで俺は宛てがわれた部屋に戻ろうとした。けれど、その手は離れてシーセは1人立ち止まる。

「わたしは眠らなくても平気なので、勇者様の護衛に当たります。同衾なら他の女性をお誘いください」
「どっ!? いや、その気が無かったと言えば嘘になるけど……寝るまで話したいと言うか、少しでも長く一緒にいたいと言うか……」

 1歩、線を引くようにシーセは下がり、影に紛れる。たったそれだけの事なのに、シーセとの距離がひどく遠く感じる。
少女は俺に言った。

「おやすみなさい」

 気が付けば俺は、ベッドのある部屋のど真ん中に1人で立っていた。訳が分からずほうけていると、ドアがノックされてマインと思われる女の声がする。ここは俺に宛てがわれた部屋で合っているようだ。扉を開けるとマインが甘ったるい声音で擦り寄ってくる。けど、俺はあえて無視するように尋ねた。

「なぁ、マイン。シーセを見なかったか?」
「…………シーセシンシャですか? 見ていませんよ」
「そっか……ごめんマイン。今日は1人になりたい」

 マインの両肩を押して部屋を追い出す。何か言って縋ろうとしていた気がするけど、今の俺の耳には入ってこない。寝るのに邪魔な上着やブーツを脱ぎ捨ててベッドに飛び込む。
 時を止められたんだよな、多分。そんなに一緒に寝るのが嫌だった? そうだよな。浮かれてて忘れてたけど、男が怖いって言ってたのに、その男と寝るとか無理に決まってる。

「龍刻の使者……ねぇ」

 泣いて、怖がって、それでも人形を名乗る不器用な少女の存外人間らしい温もりが、穏やかな眠りに俺を誘う。

 その日の夜は、海の中を揺蕩う優しい夢を見た。


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2019/05/20投稿
05/20更新