包帯の下に隠れた顔の左半分が、軋んで痛んで崩れる。わかってしまったのだ。わたしがどんなに命を懸けて戦っても、槍の勇者は本気にしない。彼の戦いはどこか上の空なんだ。それがわかった瞬間、わたしはどうでもよくなってしまった。
 だからせめてもの腹いせに、彼が守りたいと言ったわたしを槍の勇者自身に貫かせた。まぁ、負けておけば、王女の八つ当たりも減るだろうという打算はあったが。

 決闘の後、パーティ内は終始無言のまま依頼の報告を済ませて宿をとり、解散となった。その間、槍の勇者にしては珍しいと思う程、長い時間その顔を暗く翳らせていた。怒らせてしまっただろうか? 嫌われてしまっただろうか? 今になって急に不安が押し寄せる。今度こそパーティから追い出されてしまうかも。槍の勇者が借りた部屋の前で迷いの中に立ちつくす。

「シーセ、いるんだろ」

 ドアの向こうから、槍の勇者の声がした。聴き逃したくなくてドアに縋り付く。

「顔……ごめんな。でも、俺……シーセの事が心配で。俺の勝ちって言われたけど、良かったらこれからも一緒に……戦ってくれるか?」
「……………………」
「シーセ?」

「…………ぃ、はいっ……!」

 今世では、体の制御が上手くいかない。悲しくも苦しくも無いのに、どうして涙が出るんだろうか。

「シーセ……泣いてるのか?」

 槍の勇者がドアを開ける。内開きのドアに体を預けていたわたしは、急に支えが無くなり倒れ込んでしまう。槍の勇者はそんなわたしを軽々と抱き支えた。

「やっぱり……また泣いてる」

 泣きそうな顔をした槍の勇者がわたしの右頬を伝う涙を拭う。貴方が優しいのが悪い。貴方がわたしを甘やかすから、わたしは弱くなってしまったのだ。貴方なら、どんなに泣いても受け止めてくれると知ってしまったから、止まらなくなってしまうのだ。

「ごめんなさい……我儘を言って、勇者様を困らせて。ごめんなさい……それでもわたしはっ、世界を守りたい!」

「ああ、もう止めたりしない。シーセごと、俺が守ってみせるから」

 だから、自分から傷付きに行くのだけはやめて欲しい。そう言って痛々しく笑う槍の勇者に、わたしは誓う。

「はい、わたしは自分を傷付けるような真似はしません。命令、承諾」

 槍の勇者が戦いに命をかけている様子はない、それはいつか彼の致命傷になるだろう。なら、その時にわたしが命をかければいい。槍の勇者が世界を守り、その槍の勇者をわたしが守る。それでいい、これがわたしの気持ち。

 わたしは、貴方を守りたい。

 大きく核が鼓動する。その音は強く優しく、わたしの答えが正しいと言ってくれているようだった。またひとつ、涙が落ちる。嗚呼、なるほど、これが嬉し涙と言うやつか。自然と口角が上がり、今までで1番上手に笑えている気がした。

 そのまま、槍の勇者に引かれて椅子に座らせられたわたしは、魔力水を渡された。わたしの包帯だらけの体は醜いだろう、早く直して欲しいという事か。大人しく飲み干して体中に魔力を行き渡らせる。目を閉じて魔力操作に集中していると、槍の勇者のものと思われる手がわたしの頬に触れる。撫でるように、支えるように添えられた手に擦り寄って、彼の温度と匂いを覚える。彼の手が堪らなく好ましいと思い始めたのは、いつからだっただろうか。

 不意に、包帯が巻かれた方の瞼にリップ音と共に熱が触れる。開いた視界で優しく微笑む槍の勇者は、早く治るといいなと囁いてもう一度頬を撫でた。

 嗚呼、彼が愛おしい。
 精霊様ごめんなさい。わたしは罰を犯しました。愛してしまったのです、世界の為なら使い捨てなければならない勇者を。もう誤魔化し切れません、白状します。

 わたしは北村 元康様を愛しています。

 想うだけの自由をお許しください。わたしは今も触れる大きな手を自分の手で包み、彼の持つ武器にも宿る創り主達にこいねがった。

「魔力、治り切るには足りないよな?」
「……はい、そうですね」

 触れたままの手が熱く火照る。わたしは魔力回路を前と同じく元康様に向けて、ゆっくりと杯を満たすように体に魔力を注ぐ。熱く真っ直ぐな魔力は彼の心根を表していて、わたしの体によく馴染んだ。
 いつの間にか両頬に添えられた元康様の手に、照れくささを感じて目を伏せる。今のわたしの顔は包帯まみれ。そうさせたのはわたしで、そうしたのは元康様だ。彼が苦悩する姿は見たくないが、良くない感情だとしても彼の心にわたしの居場所ができた事を喜んでしまう自分がいる。嫌だ、自覚をしてから今までせき止めていたものが一気に溢れ出たように、小娘みたいな甘い考えばかりが浮かぶ。

「…………シーセ……」

 元康様が名前を呼ぶ。それだけで嬉しくなる。顔を上げると、彼の左手がわたしの後頭部に回される。そのまま近付いてくる元康様の顔に、わたしは思わず彼の顔を押しつぶす勢いで2人の間に両手を差し入れた。元康様は目を丸くして後ろへよろける。わたしも後ろに逃げようとして、椅子ごとひっくり返ってしまう。天井を見つめてさっきの元康様の行動を振り返り、わたしも目を見開いて固まる。
 そんな訳ない。有り得ない。存在し得ない。決してない。元康様がわたしに口付けようとするなんて事絶対にない。確かに元康様は他の勇者と違って性に正直な所があるのは認めるが、真逆こんな傷だらけの人形に欲情するとは思えない。

「えっと……大丈夫か?」
「待ってください、貴方様の行動について解を求めています」

 でも今のわたしでは、わたしに都合の良い解答しか出せずに顔を覆って悶絶する。元康様がわたしを顔の善し悪しに関係なく想ってくださってるなんて思い上がりも甚だしい。駄目だ、わたしでは正しい解が導き出せない。

「勇者様に問います。先の行動は、わたしに何を求めていたのでしょうか?」

 出せた声は自分が思っていたよりも小さく震えていた。期待している。してしまっている。

「え!? あ、いや。その……シーセと……キス、したかったな、って……」

 元康様が、わたしと、接吻?!

「シーセ? ごめん、嫌だったか?」

 ワナワナと震え始めるわたしに、戸惑いながら元康様が話しかける。だがわたしは答えられる訳もなく。

「あ、あああ……」

 核がバチバチと音を立てる。その音に嫌な気配を察知したのか、元康様が数歩後ろに退く。が、時既に遅く。わたしを中心に大量の魔力が放出された。純度の高い魔力をその一身に浴びた元康様は一種の酔いに近い状態となって倒れた。

「わ、わた、わたし……嫌ではありませんでしたから!」

 意識を失いかける元康様に投げ付けるように叫んで、わたしはヒビだらけの壁やドアを放置して、転がるように逃げ出した。

「シーセは…………照れ屋さん……だな」

 届かない声は大きな音に集まる人々の声で掻き消され、元康様は意識を失った。


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2019/07/21投稿
07/21更新