4話 間違えたなら戻れない
それは、日課となっている夜中のレベリングの帰りの事。シーセやマイン達に心配をかけない様に裏から宿に戻ろうとすると、井戸の前で女と思われる影が蠢いていた。
見た瞬間はお菊さんだの、井戸から這い出る女だの、幽霊かと思って槍を構えようとしてしまった。
よくよく見ると、その女性はシーセだと気付く。こんな時間に、しかも下着姿で何をしているのか。叱ってやるつもりで近づいた。
ぽたり。
シーセの手に大きな雫が落ちる。
「シーセ!!」
笑いもしなかったあの子が泣いている。そう考えたら居ても立っても居られず、細い肩を引いた。
「い、嫌!!」
明確な拒絶。怖がっている? 何に、俺? いや、今シーセは俺を見ていない。なら。
人、に……?
「落ち着くんだシーセ。俺だ、元康だ」
これ以上怖がらせないように、触れずに声をかける。まずは俺を認識させて、敵じゃないと伝えなくては。
うわ、初めて作り笑いが失敗した。かっこわりぃな。普通の女の子なら、ここで抱きしめたり、キスしたりして安心させる所だけど、シーセには適当な事はしたくなかった。
俺を見つめるシーセの瞳から、また涙がこぼれた。とめどなく溢れる雫は宝石みたいで、俺は音もなく泣くシーセに見蕩れていた。
「勇者様、ごめんなさい……わ、わたし……。勇者様に貰った服……汚してしまって…………」
震える声で謝るシーセが、ベージュの服を胸元に引き寄せる。それは確かに、昼間俺がシーセに買い与えた物で、買ったばかりだと言うのに所々擦れて傷んでいた。
「何があったのか、聞いていいか?」
転んだだけです。小さく呟いて俯くシーセ。
嘘だと簡単にわかるが、ここで問い詰めればシーセは全てを話してしまうだろう。俺が勇者で、勇者の命令は絶対だから。
それは俺がシーセにしたい事じゃない。俺は人形を自称するこの子を、人間の女の子として扱いたいんだ。だから、ここで根掘り葉掘り聞くのは悪手だ。
「怪我は?」
少女は首を横に振る。見える範囲にも目立った傷は無い。ひとまず、魔物がドロップした装備から、体を隠せそうなローブを探して羽織らせるが、布越しに軽く触れるだけでも震える華奢な肩に、聞き出してその原因を消し去ってやりたくなる。
「ごめんなさい、勇者様」
許すか、許さないか。
彼女は罰を求めているのはなんとなくわかる。でも俺には今のシーセを見て、彼女が悪い事をしたとは思えない。むしろどう見ても被害者だ。
「部屋に戻ろう。話はその後だ」
ちゃんと服を着せて、夜の風で冷えたであろう体を温めて、話を聞いて……聞けるだろうか?
振らつく少女を支えながら、部屋に向かう。その途中、もう寝たと思っていたマインと宿の廊下で会った。
「あらモトヤス様、こんな夜更けにどちらへ?」
「いや、ちょっとな」
できれば早く部屋で落ち着かせたかったけど、もしかしたら女の子同士の方が話しやすいかも。マインが傍に近づいて、俺に隠れるようにシーセがいる事に気付いた。
「シーセシンシャさん……どうしてモトヤス様と?」
「………………そこで、たまたまご一緒になりました」
2人が見詰め合う。先にシーセが目を逸らし、マインが笑う。どういう意味だ? 聞こうとするが、ひらりとシーセが俺の前に躍り出ると、頭を下げた。
「わたしはもう大丈夫です。勇者様もお疲れでしょう、ゆっくりおやすみください」
「え、でも……」
そんな状態の君を放置できない。そう言おうとするが、マインがシーセの肩に触れて抱き寄せた事で機会を逃す。
「本人が大丈夫と言っているのですから、もう休みましょう。モトヤス様、私が添い寝致しましょうか?」
マインがシーセから離れ、俺にしなだれて来る。そのまま前に引かれ、頭を下げ続けるシーセを置いて、俺とマインは部屋へ入った。
俺がこの世界に召喚されて初めての波。それがもうすぐ訪れる。メルロマルクに依頼されてクエストをクリアする事はあったが、勇者の本来の役目はこの波を鎮める事。言わばボス戦って所だろう。
昨夜は色々あったが、仲間はいつも通り後ろでザコを相手にしていてもらおう。シーセも本調子じゃないだろうし、それがいい。
波を目前としたミーティングで、俺はみんなにそれを伝えた。マイン達は喜んで従ってくれた。が、シーセだけは良しとしなかった。
「波はそのように簡単なものではありません。もっと他の勇者様と連携を取り合い、被害を抑えるよう動くべきです」
他の勇者と? 俺の方が強いに決まっている。俺だけでも波に勝ち、世界を救ってみせる。だから、他の勇者と協力なんて必要無い。それにこの世界に似たゲームでも、このレベルで余裕だったんだ。
「心配ない! 俺に全部任せろ!」
「…………わかりました。後方でなら好きに動いてよろしいですね」
後ろなら安全だろうし、マイン達もいるから大丈夫だと判断して許可する。
波まであと5分を切った。
それぞれが自分に合った武器と防具を装備した中、シーセだけが体の大きさに合わない、大きめの長剣を背中に背負っていた。前日、これでもかという程武器について相談した中、シーセが譲らなかった事。
武器は、俺が所持している中で1番要らない物を装備する。
女の子にお願いまでされたら、叶えない訳にはいかない。仕方なく、ドロップしたはいいが、パーティの女の子には大き過ぎて扱い難い長剣を渡した。
シーセは初めて会った時と同じく無表情で立っている。昨日の出来事は夢だったのだろうか、あの涙は嘘だったのだろうか。気を抜けば、シーセの事ばかり考えてしまう。俺が今やるべきは波との戦い。
視界に映った残り時間が、1を刻む。俺は最後に振り返り、みんなを鼓舞する。
世界中に大きく響く何かが割れる音。
視界が一瞬で切り替わる。急いで地形を確認、木々が生い茂る森に飛ばされた様だ。上を見上げると、空には大きな亀裂。空間を引き裂いたその向こう側は、赤黒く不気味に染まっていた。
「これが……厄災の波」
槍を握り締め、この波の根源であるおぞましい気配を発する方へ駆け出す。それと同時に、女性陣に亀裂から溢れ出るザコ敵の対処を言い渡しておく。
「勇者様! 騎士団は連れて来ていないのですか!?」
叫ぶシーセに、後から来るから大丈夫という意味を込めてサムズアップする。通じただろうか?
巨大なキメラに穂先を向け、俺の輝かしい初ボス戦が開幕した。
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見た瞬間はお菊さんだの、井戸から這い出る女だの、幽霊かと思って槍を構えようとしてしまった。
よくよく見ると、その女性はシーセだと気付く。こんな時間に、しかも下着姿で何をしているのか。叱ってやるつもりで近づいた。
ぽたり。
シーセの手に大きな雫が落ちる。
「シーセ!!」
笑いもしなかったあの子が泣いている。そう考えたら居ても立っても居られず、細い肩を引いた。
「い、嫌!!」
明確な拒絶。怖がっている? 何に、俺? いや、今シーセは俺を見ていない。なら。
人、に……?
「落ち着くんだシーセ。俺だ、元康だ」
これ以上怖がらせないように、触れずに声をかける。まずは俺を認識させて、敵じゃないと伝えなくては。
うわ、初めて作り笑いが失敗した。かっこわりぃな。普通の女の子なら、ここで抱きしめたり、キスしたりして安心させる所だけど、シーセには適当な事はしたくなかった。
俺を見つめるシーセの瞳から、また涙がこぼれた。とめどなく溢れる雫は宝石みたいで、俺は音もなく泣くシーセに見蕩れていた。
「勇者様、ごめんなさい……わ、わたし……。勇者様に貰った服……汚してしまって…………」
震える声で謝るシーセが、ベージュの服を胸元に引き寄せる。それは確かに、昼間俺がシーセに買い与えた物で、買ったばかりだと言うのに所々擦れて傷んでいた。
「何があったのか、聞いていいか?」
転んだだけです。小さく呟いて俯くシーセ。
嘘だと簡単にわかるが、ここで問い詰めればシーセは全てを話してしまうだろう。俺が勇者で、勇者の命令は絶対だから。
それは俺がシーセにしたい事じゃない。俺は人形を自称するこの子を、人間の女の子として扱いたいんだ。だから、ここで根掘り葉掘り聞くのは悪手だ。
「怪我は?」
少女は首を横に振る。見える範囲にも目立った傷は無い。ひとまず、魔物がドロップした装備から、体を隠せそうなローブを探して羽織らせるが、布越しに軽く触れるだけでも震える華奢な肩に、聞き出してその原因を消し去ってやりたくなる。
「ごめんなさい、勇者様」
許すか、許さないか。
彼女は罰を求めているのはなんとなくわかる。でも俺には今のシーセを見て、彼女が悪い事をしたとは思えない。むしろどう見ても被害者だ。
「部屋に戻ろう。話はその後だ」
ちゃんと服を着せて、夜の風で冷えたであろう体を温めて、話を聞いて……聞けるだろうか?
振らつく少女を支えながら、部屋に向かう。その途中、もう寝たと思っていたマインと宿の廊下で会った。
「あらモトヤス様、こんな夜更けにどちらへ?」
「いや、ちょっとな」
できれば早く部屋で落ち着かせたかったけど、もしかしたら女の子同士の方が話しやすいかも。マインが傍に近づいて、俺に隠れるようにシーセがいる事に気付いた。
「シーセシンシャさん……どうしてモトヤス様と?」
「………………そこで、たまたまご一緒になりました」
2人が見詰め合う。先にシーセが目を逸らし、マインが笑う。どういう意味だ? 聞こうとするが、ひらりとシーセが俺の前に躍り出ると、頭を下げた。
「わたしはもう大丈夫です。勇者様もお疲れでしょう、ゆっくりおやすみください」
「え、でも……」
そんな状態の君を放置できない。そう言おうとするが、マインがシーセの肩に触れて抱き寄せた事で機会を逃す。
「本人が大丈夫と言っているのですから、もう休みましょう。モトヤス様、私が添い寝致しましょうか?」
マインがシーセから離れ、俺にしなだれて来る。そのまま前に引かれ、頭を下げ続けるシーセを置いて、俺とマインは部屋へ入った。
俺がこの世界に召喚されて初めての波。それがもうすぐ訪れる。メルロマルクに依頼されてクエストをクリアする事はあったが、勇者の本来の役目はこの波を鎮める事。言わばボス戦って所だろう。
昨夜は色々あったが、仲間はいつも通り後ろでザコを相手にしていてもらおう。シーセも本調子じゃないだろうし、それがいい。
波を目前としたミーティングで、俺はみんなにそれを伝えた。マイン達は喜んで従ってくれた。が、シーセだけは良しとしなかった。
「波はそのように簡単なものではありません。もっと他の勇者様と連携を取り合い、被害を抑えるよう動くべきです」
他の勇者と? 俺の方が強いに決まっている。俺だけでも波に勝ち、世界を救ってみせる。だから、他の勇者と協力なんて必要無い。それにこの世界に似たゲームでも、このレベルで余裕だったんだ。
「心配ない! 俺に全部任せろ!」
「…………わかりました。後方でなら好きに動いてよろしいですね」
後ろなら安全だろうし、マイン達もいるから大丈夫だと判断して許可する。
波まであと5分を切った。
それぞれが自分に合った武器と防具を装備した中、シーセだけが体の大きさに合わない、大きめの長剣を背中に背負っていた。前日、これでもかという程武器について相談した中、シーセが譲らなかった事。
武器は、俺が所持している中で1番要らない物を装備する。
女の子にお願いまでされたら、叶えない訳にはいかない。仕方なく、ドロップしたはいいが、パーティの女の子には大き過ぎて扱い難い長剣を渡した。
シーセは初めて会った時と同じく無表情で立っている。昨日の出来事は夢だったのだろうか、あの涙は嘘だったのだろうか。気を抜けば、シーセの事ばかり考えてしまう。俺が今やるべきは波との戦い。
視界に映った残り時間が、1を刻む。俺は最後に振り返り、みんなを鼓舞する。
世界中に大きく響く何かが割れる音。
視界が一瞬で切り替わる。急いで地形を確認、木々が生い茂る森に飛ばされた様だ。上を見上げると、空には大きな亀裂。空間を引き裂いたその向こう側は、赤黒く不気味に染まっていた。
「これが……厄災の波」
槍を握り締め、この波の根源であるおぞましい気配を発する方へ駆け出す。それと同時に、女性陣に亀裂から溢れ出るザコ敵の対処を言い渡しておく。
「勇者様! 騎士団は連れて来ていないのですか!?」
叫ぶシーセに、後から来るから大丈夫という意味を込めてサムズアップする。通じただろうか?
巨大なキメラに穂先を向け、俺の輝かしい初ボス戦が開幕した。
2019/04/28投稿
04/28更新
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