新しく繰り返される日々
取り引きを反故にした、とドミネーターで言われた。シビュラの秘密を知っていることを見逃す代わりに槙島を逮捕する……ララは常守朱のようにシビュラに秘密を明かされたわけではないから、シビュラシステムからすればララにあの内部を見られてしまったのは誤算だったし、局長が持ち回り制であることや藤間がシビュラの一員になっていたことを知っている彼女の存在はできることならすぐに殺処分したかったはずだ。そうならないように槙島確保の取り引きをしたわけだが、結局は狡噛に槙島を殺させてしまった。それが一番良いと思ったからだが、呼び出しを受けたときには今度こそ殺されると思った。できることなら苦しまない方法が良いが、何も残さずに処分するとなるとやはりデコンポーザーが妥当だろうか。そんなことを考えるくらいには冷静な自分がいることにララは少しだけ驚く。不思議と槙島に剃刀を当てられたときよりも落ち着いているのだ。一応遺書的なものは書いて帰宅後の縢に見つかるよう、彼の部屋のテーブルに置いておいた。一つわからないことがあるとすれば、この世界で死んだあと魂はどこへいくのかということだ。ここ数か月はこの世界にあまりに馴染みすぎて自分がトリップしたということを忘れていたが、そもそも生まれた世界はここではなく、何かが理由である日突然この世界に来たのだ。もしかしたら死ぬことがきっかけで元の世界に戻れるのかも、なんて思ってもいる。だが、いくら落ち着いているとはいえ禾生壌宗とこうして向かい合うと緊張はしていた。
「君の処分についてだが」
局長がちらりとララに視線をやる。
「はい」
「我々で審議した結果、先送りすることになった」
「先送り…処分の内容は決まったのでしょうか」
内容によっては覚悟を決めた今のうちにしてほしい。
「そ・れ・が、先送りになったのだ」
「え、じゃあ…」
「どうとでも捉えてくれて構わない」
局長は溜息交じりに言った。それってつまり、そういうこと?処分の内容自体が未定?覚悟していただけに嬉しいようながっかりしたような、今までに味わったことのない複雑な気持ちになった。だが、嬉しいか嬉しくないかで言えば確実に嬉しいほうだ。局長は一息吐くと続けた。
「宜野座君が休養の申請をした。残念なことに監視官の代わりはそう簡単に見つかるものでもない。私個人から君に処分を言い渡すとすれば一人で一係をまとめろ、ということだ」
「…ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。君の替えが見つかったときには覚悟するんだな。それと、わかっていると思うが我々のことは他言無用だ。……あのハッカーにも伝えておくように」
「承知いたしました」
グソンのことも見逃してくれるようだ。ララは一礼すると少し早足で部屋を出た。そして誰もいないエレベータホールまで歩くと壁伝いにずるずるとしゃがみこんだ。
「良かった…」
その声は自分でも情けなくなるほど掠れていて、けれど命拾いしたことや、まだもう少しこの世界でみんなと一緒にいられることが嬉しくてたまらない。遺書まで書いたのになぁ、と考えたところで縢の部屋に置いてきた遺書を回収しなければならないことに気づいた。
縢の部屋から遺書を回収したところでオフィスに戻ると緊張した面持ちの縢に視線を向けられる。ララから色々な事情を聞いていた彼からすれば、詳しいことは知らなくても局長からの呼び出しが彼女に何らかの処分を下すためのものだったというのはわかる。実際、ララ本人が死ぬことも想定していたのだから。けれど、現実にはそうならなかった。それを言いたくて縢には飛びつきたいくらいの気持ちだったが、何しろここはオフィスで宜野座もいるので笑顔で頷くことで伝えた。縢は驚いたように目を見開きながらもほっと肩の力を抜いた。
「紅藤、局長は何と?」
心配していたのは縢だけではなかったようだ。宜野座の問いかけに六合塚や征陸も目線を向けてきた。
「一人で一係をまとめろって」
「…それだけか?」
「はい」
「そうか。そうか…」
あの宜野座が安心したように微笑んだことに多少面喰いながらも周りをみればみんなそういう顔をしていて、いつの間にかこのチームに認められていたのかな、なんて嬉しくなる。槙島が死んで狡噛が逃亡したというのにこのオフィスは随分と穏やかな空気が流れている。自分のしたことは間違いではなかったのだと、この空間が証明してくれている気がしてどうしても口角が上がってしまう。
「てか、ギノさんは?一人って?」
「宜野座さんしばらく休養に入るんですよ」
「マジっすか」
「ああ」
宜野座の休養はララが半ば懇願するように勧めたものだった。征陸は死ななかったが、狡噛が逃亡したことや狡噛の逃亡をララたちが半ば見逃すようにしていたことで、しばらくララたち三人には宜野座の一方的なものだったが険悪な雰囲気が続いていた。彼の犯罪係数は96にまでなった。一応、規定値以下だが彼にはしばらく休んでリフレッシュしてもらうべきだと考えたのだ。宜野座は当然のことながら渋ったし、それこそ狡噛を絶対に見つけて執行してやる!と気が立っていたが、彼自身も犯罪係数の上昇は気にしていることだった。さらにセラピストや同僚の青柳からも休養を勧められたことでようやく頷いてくれたのだ。シビュラとしてもこんなに扱いやすい監視官を潜在犯落ちさせたくなかったのか、申請をするとすぐに許可がおりた。
「来週から一か月ということになっている。だが、人手が足りなければいつでも出動する」
「じゃあ宜野座さんがちゃんと休めるように、頑張りますね」
「当然だ。面倒は起こすなよ」
こうして槙島聖護が起こした一連の事件は幕を閉じたのだった。
もうちょっと続きます
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