空を見る余裕はない
※少しだけグソンの過去ネタバレ
筋書き通りに王陵璃華子は逃走したが、どうやらララたちが桜霜学園に行くのは数日早かったらしい。本来なら今はまだ高校生の霜月が友人を失って涙を流すシーンは、殺される寸前で六合塚に救助された友人との再会に喜ぶ涙のシーンに差しかわった。これが今後どのような影響を及ぼすかはわからないが、一人の命を救ったことにかわりないのでララはあまり気にしていない。王陵璃華子は今ごろ泉宮寺のパイプの一部になっていることだろうが、そうなっても仕方ないことをしてきたので因果応報というやつだ。考えただけでぞっとする。しかし、ララは最近別のことで頭がいっぱいになって眠れずにいた。トリップしてきた彼女には常守でいうところの船原ゆき的存在がいないのだ。だからこれから起こることが予測できない。船原ゆきは常守を誘き出すためのワナで、その常守もまた狡噛を誘き出すためのワナだった。宜野座も友達がいないようだし、一係の監視官が二人とも交遊関係ほぼ無しと知って槙島たちは頭を悩ましているだろう。ざまあみろ!…なんて笑い話をしている場合ではない。要するにここ最近は戸締まりと防犯を強化し、熟睡すらできずにいるというわけだ。
それなのに昨日の夜はやけに眠くて久しぶりに爆睡した。
そして現在。頭に布を被せられている。
これは…つまり、あれだ。ララ自身が船原ゆきポジションになり、宜野座と狡噛が来るとかそういうことらしい。言われてみれば、という感じだ。ララも宜野座も交遊関係は仕事上の人しかいないし、そこから自由に外出できない執行官を除くと監視官のみになる。一応防犯は強化していたはずなのに何であっさり誘拐されているんだ、と昨晩までの自分を呪う。それにもし原作に沿って物語が進むとララは槙島に首を切られる予定だ。想像すると鳥肌は立つし心臓はうるさくなった。今までで一番の命の危機が迫っている。背後ではまだカチャカチャと何かをセットしている音がするのでまだ誰かいるのだろう。口は塞がれずに済んだので話しかけてみる。
「あなたは誰?」
シーン…応える気はないらしい。
「チェ・グソン?槙島聖護?泉宮寺豊久?」
この一件に関係する人物の名前を挙げていくと一瞬カチャカチャという音が止んだ。しかし、また再開した。
「こういうセッティング任されてるってことはチェ・グソン?泉宮寺と槙島はプレイヤーだもんね。今回の狩りのセッティングはもう終わった?泉宮寺の狩り場、実物見たらヤバそうだよね…吐くかもしれない」
ララは緊張からかいつもより饒舌になる。彼女の癖だ。緊張するとペラペラペラペラ喋ってしまい、あとになってどうしてあんな要らないこと言ってしまったんだ…と悩む。これまでの二十数年の人生で五本の指には入るであろう命の危機であってもその癖は出てしまった。
「ここって駅の構内だったんだよね?昔はサラリーマンで溢れてたのにまさか廃れるなんてびっくりだよ。それにしても監視官を誘拐なんてすごいなぁ。お得意のハッキング?一応ロックは三重にしてたのに。あと、私って今下着姿だよね。寒いし。もっと着込ませたほうがよかったんじゃない?そのほうが私が下着でいる意味を狡噛に悟らせ…」
「今日は随分お喋りなんだな」
やっと喋った!この声はチェ・グソンのものだ。
「今日は、ってことは今までも盗聴してたの?」
「何度か」
「マジですか。私変なこと言ってなかった?でもあんまり捜査に参加してなかったはずだし…あ、王陵璃華子はもうパイプに加工された?私、人の骨ってお祖父ちゃんを火葬したときのしか見たこと無いけど、火葬した骨って結構脆いじゃん?あれは火葬したから?それとも年齢の問題?王陵璃華子は火葬して加工したの?それとも皮を…」
剥いだのか?そう言おうとしたがバサッと頭に被せられた袋が剥ぎ取られ、目の前のほんの20センチ程度しか離れていない近距離でチェ・グソンの義眼が光る。そのありえない人工的な色に
ララはなぜか恐怖を感じず、むしろ見入ってしまった。
「アンタ、どこまで知ってるんだ?」
人らしからぬ色だからだろうか、布を被っていたときよりもこうして対面したほうが緊張していないことに気づく。それは即ち先程までの饒舌さは無くなるわけで。
「知りたいの?」
「そりゃあな」
「色々知ってる」
「例えば?」
「槙島の色相は白」
「他には?」
「あなたは朝鮮人民共和国からの密入国者で元工作員。妹と一緒に日本に来た。名前は…」
そこまで言って首に圧迫感を感じた。手で首を絞められている。チェ・グソンは俯いていて表情は見えなかったが、やはり彼にとって祖国と妹の話はタブーだったようだ。殺されはしないだろうけど落とす気だろうか。そんなことを考えている間に意識は朦朧として、ふわりと途絶えた。
「おい、紅藤!監視官!」
狡噛の声だ。ゆっくり意識が浮上すると目の前には切羽詰まったような顔の狡噛がいて、その手にはララの頭に被さっていたであろう袋がある。来てしまったんだ、やっぱり。それがわかると一瞬で意識はハッキリと覚醒した。チェ・グソンがいたときは電車は停止していたが、今は猛スピードで走っているようだ。ガタガタと振動してトンネルを疾走するときの空気を切る音がする。狡噛はララの意識がはっきりしたのがわかると自分が着ていたコートを脱ぎ、ララの肩にかける。そうだった、下着しか身につけていないんだったと思い出し、それならもう少し筋トレしとけば良かったと後悔する。ただし一瞬だけだ。そんなことよりララには確認しなければならないことがある。
「ここにはどうして?」
「ギノの留守電にアンタが…」
「それ、私の声を真似て合成したやつです。宜野座さんは地上ですか?他の一係のメンバーは?」
「ギノは上だ。他の奴らはいない。まぁ、俺と通信が途絶えたことで応援を要請している可能性はあるが…今回のもアンタは知っていたのか?」
その目には知っていたならなぜ早く言わなかったんだ、と責められているような気がした。ララは小さく首を振る。
「私も知りませんでした。でも、どうすればここから出られるのかは多分、知ってます。あの、これほどいてもらえますか?」
狡噛に後ろ手で拘束された腕を見せ、それを解いてもらうとそのまま彼に背を向けたまま買った覚えのないブラジャーを外し、ワイヤー部分を触った。あった。右側にだけ違和感がある。小さく穴をこじあけてアンテナを抜き取ると再びブラジャーをつけて狡噛のほうを向いた。
「これ、トランスポンダのアンテナです。本体とバッテリーは途中にあるバッグと猟犬のロボットを倒して入手してください。そうすれば外と連絡が取れます」
「アンタ、さっき知らなかったと…」
「まさか私に起こるとはって意味です。これから何が起こるかは把握してます」
ララは狡噛に話した。ここは泉宮寺の狩り場で、狙いは狡噛。ララはアンテナの隠し場所と狡噛の動きを鈍くするためにここにいること。そして外部と連絡を取る手段を用意されてること。
「アンテナは渡しましたし、きっと狡噛さん一人のほうが逃げやすいです。だから私はここに置いて…」
「ここに猟犬が来たらどうする。アンタも連れていくからな」
「……はい。あ、じゃあこのコートお返しします。これ着て全力ダッシュできる自信ないので」
長身で筋肉質な狡噛のコートはララにはかなり大きく、そして重い。クリスマスイブに下着だけというのは肌寒くはあったが、このあと嫌になるほど走るのだし嫌でも体は温まるだろう。
自分はもしかしたら槙島に首を切られて殺されるかもしれない。そのことを言えないまま、電車が停車したので二人で外へ出た。
どういう展開になるかわかっているとはいえ、猟犬と泉宮寺から逃げるのは今まで経験したこともないほどの恐怖だった。必死に足を動かし、息を切らしながら次に起こることを狡噛に伝えていく。時折狡噛に庇ってもらいながらどうにかトランスポンダを完成させると狡噛が宜野座たちに応援を要請した。地上にはすでに一係全員揃っているらしく、これから出入り口を探すとのことだ。猟犬ドローンは一体ワナに潰されたがまだもう一体いる。それに泉宮寺も。あの猟銃に撃たれるのは想像するだけで痛い。コンテナの影に隠れて様子を窺っていると遠くから見覚えのある青い光が見えてきた。ドミネーターが格納されているドローンだ。ようやく武器らしい武器が到着したことで少しだけ精神的に落ち着ける。ララと狡噛はドミネーターを握った。そしてララが迫る猟犬ドローン一体にデコンポーザーを放つ。デストロイモードははじめてだったのでアニメで見た記憶を頼りに銃を握る右腕に左腕を添えてトリガーを引いてみる。ガシャガシャとトランスフォームするドミネーターにも軽く驚いたが、猟犬ドローンがまるで溶けるように消えていくのには唖然としてしまった。文明の機器もここまでくると恐ろしすぎる。
「あとは泉宮寺か」
再びコンテナの影に隠れて周りの様子を窺う。きっと今も槙島は高いところから逃げる二人を見ているのだろう。
「監視官」
「はい」
「猟犬は破壊した。アンタ、もう走る体力残ってないだろ。どっかに隠れてろ」
「……弾に当たらないでくださいね」
「当たり前だ」
実際、確かに肺は苦しいし脚は疲労でガタガタ震えていたのでありがたくその提案に乗り、狡噛は所謂猟犬の目というやつをしてコンテナから離れていった。結局ここには槙島もいることを話せず仕舞いだったが、もし話して彼の動揺や復讐心を煽ってしまうよりはましだろうと自分を納得させる。このあと起こるのは狡噛が猟銃の弾を腹に受け、動けなくなっているところに槙島が登場。船原ゆきを拐い、常守と初対面という筋書きだ。しかし船原ゆきポジションのララは狡噛と別行動をしている。狡噛の目の前で槙島に拐われることはない。あとは一係のみんなが来るのを待つだけだ。武器もあることだし、ようやく心拍数が元に戻ってきた。
狡噛の走る足音や猟銃の弾がコンテナや地面に当たる音がする中で、さっきまでとは少し違う音がした。もしかして弾が命中したのか?耳を澄まし、反響する音を必死に聞き取る。するとエリミネーターの電磁波が鋭く飛ばされた音が聞こえてきたので、狡噛は無事に泉宮寺を破壊したのだとわかってほっとした。すぐに狡噛の元に行きたいのをぐっと堪えて一係の到着を待つ。今ここで狡噛の元へ行けば確実に連れ去られて殺される。そのとき、背後でコツコツと足音がした。
(みんなが到着したんだ!)
ようやく肩に入っていた力を抜くことができる、とララは喜びを顔に出して振り向いた。しかし、そこにいたのは一係の誰でもなく公安局のドローンですら無く……
「チェ・グソン…」
「おっと、騒がれちゃあ困る」
「や、やだ…っ、来ないで!!狡噛さん!狡噛さん助け、て……」
この広いフィールドで聞こえているかはわからなかったが、それでもララは必死に叫び、ドミネーターを向けた。しかし、照準が定まる前にあっという間に背後に回られてしまい薬品を含ませた布に顔を覆われて意識を失った。
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